第8話ズルをしたからな

「ユアマイシャイン60?」


「ああ、明日にでも行こう」


 かつて教員が大勢居たはずの職員室で、タイガとヨウコ、そしてミウが顔を付き合わせている。


 整理したとは言え、かつての児童達の為の物。

 捨てるのも忍びなく、山の様に積んだままの書類越しにそう会話を切り出した。


「……あそこになんの用事があるの? 当然だけど、もうお店なんか一件も開いてないわよ?」


 タイガが口に出した『ユアマイシャイン60』とは、池袋の東側––––––俗に言う東池袋のランドマークとして有名な高層ビルだ。


 数多くのショップテナントやビジネスオフィス、さらには屋内テーマパークも内包しており、かつての活気のあった東京でも有数の施設であった。


 若者の街として栄えていた池袋を代表していたと言っても過言ではない。


「んなことは言われなくても分かってるよ。用事があるのは最上階の水族館だ」


 怪訝な顔のヨウコの問いに、タイガは呆れた様に応えた。

 行儀悪く机の上に両足を乗せて、歳相応とも取れる生意気な態度にミウが眉間に皺を寄せる。


「用事って何?」


 ヨウコの次にこのホームの責任を負う立場のミウから見たら、タイガの振る舞いは到底認められない。


 外から来た者とは言え、先住者に敬意を払うべきではないのか。


 生真面目な彼女はわかりやすく、タイガを嫌い始めていた。


「飲み水、必要なんだろ?」


「……あそこにあるの? 」


「あるから行こうって言ってんの」


 さも当然の様に語るタイガを見て、ミウの不信感は更に増していく。


「あのさぁ。お願いだから、もう少し説明してくれないかな? 今の池袋を歩くことがどんだけ危険なのか、君だって知ってるでしょう?」


 フィールドには、化物モンスターが出る。

 それは今の東京では常識で、どんな小さな子供だって知っている事だ。


 たやすく人間の身体能力を凌駕し、牙がある個体もいればば爪がある個体もいて、そして人を襲う。


 かつての都民のように我が物顔で街を徘徊し、どんなに逃げても追いかけて来る異形の存在。

 それが化物モンスターだ。


「だから、俺が居る今なんだよ」


「どういう事?」


 答えになっていないタイガの言葉に更に疑問は増していく。


「ここの人達は飲み水が足りなくて困ってる。でももう取りに行けるほどの人手も無い。じゃあ、取りに行かなくても済む様にしたらいい。だからあそこに行こう」


「説明足りないってば……」


「落ち着いてミウちゃん」


 頭を抱え出したミウの肩を叩いて、ヨウコは立ち上がる。

 ゆっくりと卓を回り、タイガの背中側の壁に掛かっていたホワイトボードの前に立った。


 サイドポケットに立てられていた黒いマーカーを一本取って、ヨウコはホワイトボードに『ユアマイサンシャイン60』と書き込む。


「タイガくん。ここに行けば飲み水に困らない様になる何かが手に入るの?」


「入るよ」


 タイガの即答を聞いて少し考え込み、ヨウコはホワイトボードに『飲み水』と書き込む。


「それは一体何?」


「水属性のスキルオーブか、ダンジョンギミックの一部。もしかしたら真水が出るアイテムなんかもあるかも知れない。まぁアイテムの方は可能性が薄いから、目的はやっぱりスキルオーブかな?」


「だからダンジョンギミックって何!? スキルオーブって何よ!」


 また意味のわからない単語が出てきて、ミウは思わず口を挟んだ。


「ミウちゃん、まずは話を全部聞いてからにして」


 前のめりになったミウを視線で制して、ヨウコはホワイトボードに『スキルオーブ』、『ダンジョンギミック』、『アイテム』と書き込んだ。


 サイドポケットから赤のマーカーを取り出してキャップを取り、その三つの単語を大きい丸で囲う。


「タイガくんが居る間って言うのは、戦力的な問題?」


「そう。高原のオッちゃんに聞いた感じだと、あの建物の中は常に化物モンスターが沸いてるらしいじゃん? 月の形に関係なくさ」


 タイガはチェアーをくるくると回して遊びながら、ヨウコの問いに答えていく。


「ええそうね。あそこはたしかに、新月の夜になっても化物が蔓延ってるわ」


「それが本当なら、あの建物の内部はダンジョン化してるに決まってる。なら属性持ちの化物が居るはずだ」


「水の属性持ち? 街の化物じゃダメなの?」


街の化物フィールドモンスターには属性なんて無いよ。よっぽど特徴的な場所じゃ無い限り属性持ちなんか湧かない。そういう風になってるんだ」


 さも当然の様にタイガは応えると、


「なんでアンタがそんな事知ってるのよ……」


 ミウがまた頭を抱える。

 聞けば聞くほど、目の前の少年についての謎が深まっていくからだ。


「属性持ちの化物が居るって事は、属性付きのスキルを使う奴が居るって事だ。水を生成させる特技を持つ化物を殺しまくったら、そのスキルオーブも出てくるでしょ? それが第一の狙い」


 そう言って、タイガはボロボロのズボンのポケットに手を入れた。


「これがスキルオーブ。見たことない?」


 そう言って取り出したのは、黄金色に透き通った手のひらサイズの丸い玉。


 中心が黒く濁っていて、外に広がるにつれて薄くなっている。


「ん? あれ、それ……見たことあるわ。確か、みんなで食糧調達に化物モンスター討伐してる時に落ちてたと思う。食べ物じゃないから拾って来なかったけど」


 その手の中の球体を見つめながら、ミウは頭を傾げる。


「特定の化物モンスターを倒したら、低確率でコレを落とすんだ。中にはその化物の得意なスキルが一個入ってる。これをこうして……」


 机の横に立てかけていた、真っ赤な捻れた大剣に球体を押し当てる。


 すると、球体はまるで泥水に沈めたように剣に入り込んだ。


「『剣』に仕込むとそのスキルが使えるようになる。一度に入れられるのは、『剣』の種類にもよるけれど大体二つか三つかな。この状態で各スキルオーブに設定された数の化物モンスターを倒したら、オーブが完全に『剣』に吸収されてずっと使えるようになるんだ。そしたら別のオーブが入るようになる」


 タイガはそう言って大剣の柄を乱暴に掴むと、軽く一度振った。


 その切っ先から、まるで水の雫のようにオーブが零れ落ちる。


「んで、ソイツが覚えられなかったりもう覚えていたりするとこうして出てくる。一回入れちゃったら覚えるまで出てこないから、オーブを仕込む前にちゃんと考えないとダメだよ」


 床に落ちたスキルオーブを取り、人差し指と親指でつまみながら窓の外の日光に照らす。


「こうやって光に透かして見たら、中に何回戦闘したら良いのか書いてある。ちなみにコイツは『噛咬バイト』って言うゴミスキル」


 ヨウコが腰を曲げて、タイガの持つスキルオーブを覗き込む。


 黒い濁りの中心に、白い文字で『1/20』と書いてあった。


「これは……二十回戦えば良いってこと?」


「うん」


 タイガはゆっくりとオーブを動かして、ミウの顔と重ね合わせる。


 透明な球体を通してみたミウの顔は、プルプルと小刻みに震えていた。


「……つまりあそこにいる化物モンスターを狩りまくったら––––––真水が出せる様になるスキルが手に入るって事!? そ、それが本当なら大変な事じゃない!!」


 机の上を両手で叩きつけてミウは勢い良く立ち上がる。

 笑みを隠せずにニヤけながら、興奮が収まらないといった感じだ。


 それも無理はない。

 なにせこのホームは、常に飲み水の調達に苦心していた。


 タイガとアヤノが出会った場所から数キロ先にある真水の泉。

 運動公園の真ん中にあるその泉を見つけるまでに、少なくない犠牲と労力を払って来たのだ。


 化物の出ない新月の日を狙い、ジリジリとした速度で円を大きくする様に探索範囲を広め、化物だけでは無く盗賊達にも警戒しながら、そして今日なす術を無くしたかに思えた真水の調達方法が、思いもよらぬ人物から与えられた。


 日々子供達の姿を見ては、明日を嘆いてばかりいたミウだからこそ––––––タイガによってもたらされた情報はまるで天啓の様に聞こえたのだろう。


「ヨウコさん! タイガくんがこのホームに居てくれる内に、早く手に入れなきゃ!」


「だから落ち着いてちょうだいミウちゃん。タイガくん、ダンジョンギミックについても教えてくれる?」


 一方ヨウコは冷静に、黒と赤のマーカーを駆使してホワイトボードに知り得た情報を書きこんでいた。


「もしあの建物の最上階がダンジョン化してたとして、水に関するダンジョンなんだから何かしらのギミックを使って水を作り出してると思うんだ。例えばそこら辺の岩から水が滲み出てくるとか、噴水みたいに吹き出してくる穴があったりとか」


 右手の人差し指を立てて、タイガを何かを思い出す様に語る。


「俺がこの間まで潜ってたダンジョンは土と火の属性が強いダンジョンだったんだけど、こんなのが使えたんだよね」


 そしてまたポケットに手を入れて、拳大の大きさの岩を取り出す。


「どこに入ってたのそれ……」


 ミウが目を見開いてその岩を凝視する。

 先程はスキルオーブ。そして今は岩、とタイガの着用しているズボンのポケットの大きさからは明らかに入りきらないであろう量だ。


「ポケットの中にアイテムスロットの巾着仕込んでる。晒しっぱなしだと狙われちゃうから。って、話を遮らないでよ」


「それ、熱くないの?」


 ヨウコが少し身を引いて、タイガの手の中の岩を指差す。


「熱いよ。火傷じゃすまないから触んないでね」


 タイガの持っている岩は、見た目にも真っ赤に発熱している煮え滾る岩石だった。


「ダンジョン中層の壁から削り出したんだ。フロア中こんな温度の岩が敷き詰められていて、なんかに使えそうだなーっと思って取ったんだけど、火を起こしたりするのに便利だぜ?」


「な、なんで貴方は平気なの?」


 そこにあるだけで熱波を発するその岩を、タイガは普通に握っている。

 問いかけたミウの位置ですらその熱を感じるほどだ。

 マグマと言われても信じられるほど、その岩は真っ赤に変色している。


「【炎耐性】、持ってるから」


「耐性って……本当なの?」


「嘘じゃないよ。これもスキルオーブから取ったもんだもの」


「スキルって、そんな事まで出来るようになるわけ……?」


 ミウにとってはその目で間近に見ていても、にわかには信じられない。


 もし仮にミウがタイガの持つその岩を素手で握ったとしたら、火傷を通り越して手ごと溶けて無くなるだろう。


 ヨウコとミウが怖がっている事を察したのか、タイガはその岩をポケットにしまい込んで軽く手を振った。


 溶けかけた岩のカケラが職員室の床を焦がし、ミウは慌てて足で踏みつける。


「––––––と、こんな風にさ。ダンジョンギミックはダンジョンから持ち出しても効果が続いてるみたいなんだ。あのビルの最上階は水族館らしいし、もしかしたら真水を生み出すダンジョンギミックがあるかも知れないじゃん。展示してたのが海水魚だけだったら終わりだけどさ」


「アイテムについては?」


「さっきも言ったけどアイテムに関してはあれば良いな程度だよ。そんな都合良く出来てないんだよね。今の東京って」


 タイガはけらけらと楽しそうに笑う。


 そんな姿を見て、ミウはまた疑問に抱いた。


 目の前にいるのは、たしかに自分より歳若い男の子だ。

 成長期に入りかけた未発達の身体に、幼さの残る顔立ち。


 言葉遣いも極めて無礼で、世間知らずに思える。


 なのに、何故だろうか。


 どこか達観していて––––––悟っている。


 それは高レベルから来る自信のおかげなのだろうか。

 それとも、ミウには想像もつかない苦労の果てなのだろうか。


 怖い。

 ミウは只々単純に、タイガを見てそう思った。


 まるでフィールドを徘徊する化物モンスター達と同じ––––––いやそれ以上に、この少年は得体が知れない。


 たった一つ。

 恐怖と畏れで今一つ踏み出せないミウが辛うじて絞り出せた一つの疑問を、聞く決心を固める。


「ね、ねぇ」


「ん?」


 ミウの声に、タイガは無邪気に振り向く。


 何度も言うが、姿は子供。


 それだけにしか見えない。


 貴方は––––––何者なの?


 それが聞けないから、ミウはこう問いかける。





「なんで、貴方は色々––––––知ってるの?」




 ダンジョンの知識。

 スキルオーブの知識。

 街の化物フィールドモンスターの知識。


 経験から来るのは分かっている。


 だが、その経験と言うのが信じられない。


 三年間、この池袋でもタイガほどの強さと知識を持つ者など一人も居なかった。


 それは皆が必死だったから。


 必死に逃げ延び、必死に生きて、必死に隠れているから。



 タイガは『戦ってきた』のだろう。

『戦う』事を選んできたから、こうまで知識を得て、こうまで強く居られるのだろう。


 何故––––––。


 何故、『戦う』事が出来たのか。


 それがミウには、信じられない。


 ミウの真っ直ぐな問いを受けたタイガは、キョトンとした表情で一瞬止まった。


 そして––––––。





「––––––俺は、少しばかりズルをしたからな」




 ニヤリと、壮絶な笑みを浮かべた。






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