第7話巫山戯てるよな

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「戻ってきたぞ!」


「おかえりー!」


「ヨウコ姉ちゃーん!」


 嬉しそうな歓声がヨウコを迎え入れる。


 一向が辿り着いた先は小学校。


 小さなグラウンドと、小さな校舎。

 これまた小さい体育館を兼ね備えた都会ではありふれた形の小学校の校門に、大人・子供合わせて40人ほどがヨウコとアヤノを出迎えている。


「みんな、ただいま」


 ヨウコは安堵に似た溜息を一つ零して、校門を潜る。


「ミウ、遅くなってごめんね? 留守中、何も無かった?」


「はい。みんな言いつけどおり、ここから出てませんから」


 勢い良く脱いだヨウコのマントを受け取ったのは、ミウと呼ばれる若い女性だった。

 年齢はヨウコと同じぐらい、もしくは少し歳上。


 根元が黒くなった茶髪を肩で揃えた、長身で細身の女性で、今でこそジャージ姿だが、スーツが良く似合いそうな女性だ。


「そっか……こっちは、殆ど死んじゃったよ……」


「……みんな、覚悟してましたから」


 辛そうに俯いて、ミウは一度頷く。

 死が身近にありすぎる。

 この東京を3年も生きれば、親しい人の死に表面上は慣れていくのだ。

 辛くとも顔に出せないのは、ミウがこのホームでヨウコに次いで責任のある立場だから。

 慣れていくのは、悲しみを堪え耐え忍ぶことだけ。

 何も感じていない訳ではない。


「アヤノちゃんは?」


「あ、ああ。あはは……」


 ヨウコは苦笑いを浮かべて、校門の外を見る。


 そこには欠伸を噛み殺しながらゆっくり歩くタイガの姿があった。


 そのタイガの遥か後方で、アヤノが儀式剣ブルーアイを杖にしてヨレヨレと亀より遅く進んでくる。


 一突きすれば簡単に倒れそうなほどやつれ、手足をガクガクと震えさせながら、アヤノは虚な瞳で小学校の校舎を見つめていた。


「……な、何があったんです?」


 ミウの疑問にヨウコは後頭部をボリボリ掻きながら、また苦笑いを浮かべる。


「手助けしちゃいけないんだって。応援してあげて?」


 ミウはもう一度、哀れなアヤノを見る。


 助けを求めるように差し出したその手を見て、ますます混乱していくだけだった。



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「そう……ユウさん達が……」


 養護教諭用のデスクに座り、コップに注いだお湯を飲むミウが悲しそうに俯いた。


「守りきれなかったわ。ユウさんも、吉田くんも、チサトさんも、小金井さんも」


 窓辺に立って校庭を眺めるヨウコがボソリと呟く。


「ごっ、ごめっ、はぁっ! はぁっごめんなっ! さっ!」


「いいからアヤノちゃんは休んでて」


 ようやく校門に辿り着き、タイガの許しを得て校舎一階の保健室へと運ばれたアヤノがベッドの上で息も絶え絶えに謝罪する。


 タイガの鬼の指導によるレベリング補助は、ホームの姿が肉眼で確認できるギリギリのところまで続いていた。


 深刻な魔力––––––つまり体力の枯渇によって満身創痍なアヤノは、意識を手放す直前まで酷使されていたのだ。


「本当に強いんですか? あの子」


「強かったわ。恐ろしく」


 ヨウコにそう言われても、ミウには信じられない。


 伸ばしっぱなしのボサボサの髪と、同じく伸ばしっぱなしながら若さ故に生え揃っていない無精髭。

 背丈などミウよりも小さく––––––もしかしたらアヤノと同じぐらいだ。


 幼さの残る顔立ちからして、歳にして中学生か高校生一年生。


 とてもじゃないが、人を6人も––––––それもあっと言う間に斬殺した人間には見えない。


「ぜぇ……ぜぇ……確かなのは––––––」


「寝てろってば」


 汗だく埃まみれで息も絶え絶えなのに、なぜこの娘は意地になって起きてるんだろう。

 それがミウには不思議でたまらない。




「––––––性格は、恐ろしく悪いってことだよ……ぜぇ」




 アヤノが意識を手放して眠りの国へ旅立とうとしないのは、腹の奥から湧き上がる苛立ちと怒りのせいだった。




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「大きい化物モンスター?」


 麻縄で縛られてたままの柳原のアイテムスロットから水のポリタンクを全て出し、大事に倉庫へと運び入れていれながら中年男性が首を傾げた。


「そう。ここら辺で見たとか居るとか聞いたことない?」


 タイガはポリタンクを二つ、楽々と担いで倉庫の入り口の前に置く。


「んー……大きいってなどんぐらいだよ。2トンダンプぐらいの大きさならそれこそ、池袋駅の周りにウジャウジャいるけど」


 そう言いながら中年男性は水が満杯に入ったポリタンクをやっとこさといった感じで両手で持って、ヨロヨロと倉庫の中に運び入れた。


「違う違う。もっとこう––––––ビルよりデカい奴。あぁ、アレアレ。西新宿の巨人みたいな」


 ポリタンクを倉庫に下ろして、タイガは黙々と次のポリタンクを担ぐ。


「あんなんそうそう居てたまるかよ。見たこと無ぇけどその巨人、都庁よりデケェって話じゃねぇか」


「噂がデカくなりすぎだって、同じぐらいだよ」


「充分デケェわ」


 西新宿の巨人。

 それはかつての七日間の初日、東京の崩壊の序曲として現れた。


 今となっては『終末週間ラストウィーク』と揶揄されるようになったあの日。

 突如として現れたその巨人は全身に拘束具のような物を身につけ、目は血で濡れた布で覆われ、破壊の限りを尽くす。


 何故か都庁には指一本も触れず、周囲の高層ビル群を根こそぎ薙ぎ倒し、殺傷した人間の数は優に一万を超えていると言われている。


「あんぐらいデカイ奴でさ。カニとか魚とかでも良いんだけど」


「んだよそれ。俺は知らねぇなぁ。ああ、ポリタンクそれで全部かい?」


「ああ、これで最後だよっと」


 重い音を立てて、タイガはポリタンクを地面置いた。


「ありがとなあんちゃん。いやぁ、凄い力だ。見た目じゃそんな風には見えねぇんだがなぁ」


「華奢で童顔なの気にしてんだよ。いくらレベル上げてもちっとも大きくならねぇし、背も伸びないでやんの」


「不思議だよなぁ。どうなっちまってんのかねぇ今の東京は」


 柳原のアイテムスロットの中に入っていたポリタンク。

 その数は八十を超えていた。


 ヨウコ達がこのホームに戻ってきてすでに一時間ほど。

 その短時間で飲料水の入ったポリタンクを倉庫にしまえたのは、タイガの規格外すぎる力のおかげだった。


 比喩でも何でもなく『抜刀アクティブ』を唱えて『剣』の力を解き放ったタイガなら、そのポリタンク程度の重さなら指一本で持ち上げる事ができる。


 あの七日間から世界––––––いや、東京の外の世界が確認出来ないからこの『東京』に限って言えば、物理法則等の今までの常識が通用しない。


 それは、人間の体に関してもだ。


 タイガの背丈・筋量で言えば、本来は絶対にありえないほどの膂力。

 100メートルを本気で走れば一秒も掛からないだろうし、真上に全力で飛べばビルの30階相当の高さまで跳躍できるだろう。


「若い人は何だかんだで順応しちまってんだろうが、オッちゃんみたいなゲームなんてした事のない年寄りじゃてんでダメだわ」


「オッちゃんだって見た目40代ぐらいだろ? 」


「オッちゃんの家、貧乏だったからなぁ」


「そりゃ、お気の毒に」


 ロール・プレイング・ゲーム。

 略してRPG。


 今の東京を言葉で表せと言われたら、『出来の悪いファンタジーRPG』の一言に尽きる。


 街中至る所に現れ次々と人々を襲う異形の化物モンスター達。

 誰しもに与えられた西洋風の『剣』。

 科学に真っ向から喧嘩を売っているような摩訶不思議な『魔法』。

開示オープン』の詠唱と共に念ずれば現れる、自らのステータスが記された謎の本。


 そのどれもが不可解で、謎でしか無い。


 どうしてこうなったのかは誰にも分からない。


 分かるのはあの日、東京上空にポッカリと空いた漆黒の穴の中から現れた異形の化物達の襲来と共に、気づけばそうなっていたという事だけ。


 沢山死んだ。


 女・子供。

 老若男女関係なく、逃げ遅れた者から運の悪かった者まで平等に死が訪れた。


 ある者は食われ、ある者は溶かされ、ある者は刺し殺され、ある者は蝕まれて、数えきれない死が今もなおこの東京で量産されている。


「……ユウさん達が命をかけて運んできたこの水も、一月保たないんだろうなぁ」


 最後の一個を倉庫に入れた後、中年男性がその扉の前でポツリと零す。


「池袋は『アレ』以来良く雨が降るって聞いたことあるけど、それじゃダメなの?」


 タイガが指差したのは、倉庫脇に置いてある青いゴミバケツだ。

 その中にはなみなみと溢れんばかりに水が入っている。


「身体を洗ったり、畑に水をやる分には雨水でも良いんだよ。問題は飲料水だ」


 中年男性は頭をボリボリと掻きながら答えた。

 水に困っていると聞いてはいたが、このホームに居た人は皆清潔そうだった。

 飲料水だけじゃなく、風呂・洗濯・トイレなど水の用途は多岐にわたる。


 飲む水に困っている筈なのに、フケ一つないその頭には違和感を感じる筈だ。

 タイガが不思議に思うのも無理は無い。


「なんか違うの?」


「一口二口ぐらいは大丈夫なんだが、飲み続けていくと体調を崩して––––––死んでしんじまうんだよ」


 ふむ、とタイガはアゴに手を当てて考える。


 少量なら問題はない。

 だが日々摂取するごとに蓄積されていく。


 睡眠による体力––––––ゲームで例えるならHPの回復と関係なく、それが起こるというのなら。


「––––––水銀マーキュリー中毒。状態異常バッドステータスか」


「よく知ってんなお前さん。死んじまった奴らの『冒険の書』にそんなこと書いてあったよ。一応このホームにも『看護師ナース』が一人居るんだが、その娘の回復魔法でも直せなかったんだ」


 星の数ほど存在しているジョブの中、『看護師ナース』は『癒手ヒーラー』から派生する中級職だ。

 初期職である『素人ビギナー』から使える『|手当《リトルトリート』を多用し、なおかつ本人に資質があれば就くことができる。


「『看護師ナースじゃダメかな。身体の傷しか治せないもん。状態異常バッドステータスは少なくとも『医師ドクター』か『僧侶クレリック』じゃなきゃ」


「そうなのか?」


「病気扱いだからね。応急処置じゃどうにも」


「……なんか、難しいんだな」


 中年男性はそう言いながら倉庫の扉を閉め、物々しい大きな鎖と南京錠で施錠をする。


「病気になっても簡単に治せないってことか。酷え話だ」


「実はそうでもないんだなー。これが」


「何がだ?」


「オッちゃんさ。こうなった東京で、水で死んだ人たちの他に病気で死にそうな人って見たことある?」


「––––––ん?」


 そういえばと、中年男性は考える。


 怪我人ならこれまで腐るほど見てきた。

 腕を失ったり、腹を抉られたり、裂傷・擦過傷・火傷などその度合いもバリエーションも様々だが、今のこの東京では怪我人を見ない日の方が少ない。


 だが、病人はと考えると––––––見覚えがない。

 そう考えると、かつての自分だって病人だった筈だ。


 中年男性の名は高原イサオ。


 建築関係の現場上がりから事務職を経て、身体の至る所に年齢相応のガタが来ていた。


 腰痛・肩凝り・リウマチは軽いもので、タバコを呑み、酒好き・辛党故の糖質・糖尿の気もあり、毎年の健康診断の結果に歯噛みしていた筈だ。


 だが今の高原の体はかつて平穏だったあの頃に比べて、遥かに健康的だ。


 長年悩んでいた腰の痛みが微塵もない。

 喫煙者故の心肺能力・体力の低下も何処吹く風。

 有り余る力は一人で倉庫への荷積みが行えるほどで、こう見えて戦闘職なのでたまに化物達を討伐しホームの食料調達なんかも買って出ている。


 日々生き残る事に精一杯で気付けなかったが、まるで学生時代に部活動に精を出していたあの頃のような身体能力。

 40代も後半の不摂生だった自分では、絶対にありえない。


 病気といえば病気であった。

 加齢に加えて長年身体を酷使してきた事による、いわゆる現代病の類がいくつか身体を蝕んでいた筈だ。


「––––––そういや、見たことないな」


「『終末週間ラストウィーク』の初日。あの日からこの東京に病人なんて一人も居なくなったからね。どんなに重い病気だろうが、どんなに特殊な病気だろうか、軽かろうがなんだろうが––––––全員【同じスタートライン】に立たされたからさ。ははっ」


 タイガは腕を組み、自分で発した言葉を自重気味に笑い飛ばした。


 その瞳の奥に不気味な光を宿し、口元は笑みで歪んでいる。


「そしてみーんな、ふるいにかけられたんだよ。あの七日間で、運が良い奴と悪い奴に分けられて、運が悪い奴はあっという間に死んでいった。不治の病を完治させられた奴も、そうでない奴も」


「お、おい兄ちゃん」


 そんなタイガの目に気圧されて、高原は一歩後退る。


 自分の歳の半分以下。

 目の前にいる少年はまさしく『子供』だ。


 職人経験のある高原は、度胸や勝ち気だけなら他の男に負けない自信があった。


 だけど今、たった一人の子供の迫力に圧されている。


「巫山戯てるよな。なんの覚悟も無い奴も居たし、子供だって、年寄りだって居たんだ。戦争も紛争も無いこの国で、日和に日和まくってたこの東京で、あんな化物とハイ戦って––––––なんて、ホント巫山戯てる」


 宿る眼光は––––––忿怒。


 静かに、だがとても激しく、タイガの目の奥で激怒の炎が燃え盛っている。







「このツケは絶対に––––––––––––払わせてやるさ」






 高原にも聞こえないほどの小さな声で、タイガは呟いた。

 誰に対してでもなく、己の内に宿る覚悟に対して。


「お、おい。兄ちゃん、大丈夫か?」


 その様子が余りにも異質すぎて、高原は思わず声をかけてしまった。


 殺意にも似た決意。


 まだ成人にもなってないであろうタイガから発せられてるとは、普通なら到底思えない。


「あ、ああ悪い悪い。んで––––––飲み水だっけ」


「お、おお。このホームでマトモに化物モンスターと戦える戦力なんて、ヨウコちゃんとアヤノちゃんぐらいしかもう居ないからな。今有る分が無くなったら、また取りに行かなくちゃなんないんだが、絶望的に戦力が足りない。また盗賊供に襲われちまったら終わりだよ」


 倉庫の扉を眺めながら、高原は腰に手を当てて思案する。


 死んだ五人は、強さで言えば大したことないは無い。

 ホームにいる人員の中から消去法で選んだだけで、ヨウコほどの剣の腕も無ければ、アヤノみたいに戦闘向けの特技スキルを持っていたわけでもない。


 このホームにいる住人の三分の一は子供だ。

 家族で逃げ込んで来た子や、孤児となった子、そして遺されてしまった子ばかり。

 対して残る三分の二の大人は、高原のような中年の男女が多く、荒事に到底向いていない者ばかり。


 就いているジョブのほとんどが非戦闘職や、戦闘補助職。


 飲み水の補充に同行できるような人材がいないのだ。


 今このホームは、静かな窮地に立たされていた。


「…………オッちゃんさぁ。俺に考えがあるんだけど」


 タイガは倉庫とは反対側のグラウンドを向きながら、高原に声をかける。


 都心の小さな小さな小学校だ。

 グラウンドなんて五十名も入れば一杯一杯になってしまう。

 緑色のネットで仕切られた小学校の敷地は、家として見れば確かに大きいが、『村』として見たら余りにも狭い。


 タイガが見ていたのは、緑色のネットの外。

 方向的には、池袋駅の方。


 かつては多くの若者や、勤め人が行き交っていたであろう東京でも代表的なターミナル駅。


 歓楽街・風俗街・商店街・ランドマークに観光地に造幣局。


 多種多様な施設が備わっていた、巨大な都市。


 ––––––ならば。





「池袋に、水に関係する場所って––––––どこにある?」





 ––––––確実にソレは、あるはずだ。


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