第一章 慈雨の街『豊島区池袋』〜人魚の声が聞こえない〜

第2話 助けてやろうか?

 

 死んだように眠る廃墟の都市。


 立ち並ぶビルとビルの、そのビルに絡み伸びる得体の知れない蔓と太い幹の間をすり抜けて、息遣い荒く走る影があった。


 影の数は六つ。


 先を行く二つの影は、一人は中年男性。

 もう一つは年若い少女だった。


「追いつかれる! 早く!」


 先行する少女が声を上げ、背後を追走する中年男性へと手を差し伸べる。


「ダメだ! もう俺はダメなんだ! はっ、はぁっ!」


「弱音を吐いてないで、もっと走って!」


 少女の手を掴み返す余裕も無く、体にぴったりと吸い付くようなTシャツから、だらしなくも飛び出た腹を揺らして中年男性は泣き喚いた。


「ア、アヤノちゃん! 助けてくれ! 君強いんだろ!? 死にたくない! 死にたくない!」


「馬鹿言わないで! 幾ら何でもあの人数相手に勝てるわけない!」


 苛立ちを込めた声で、アヤノと呼ばれた少女は反論する。


「しっ、新月の夜だから安心だって言ったのはっ、君たちじゃないか! 責任取れよ! アイツらをどうにかしてくれ!」


「話す元気があるならもっと急いで!」


 伸ばした手を引っ込めて、アヤノは正面を向いて走る。


 中年男性への呆れと失望と罵倒の言葉を脳裏で叫びながら、今自身が置かれている絶望的な状況をどう逃れればいいのかも同時に考えていた。


(姉さん、戻ってこない? 苦戦してるの!? あのヨウコ姉さんが!?)


 その薄く小さな唇を引き締め、さらには奥歯を噛み締めて、その最悪なイメージを払拭しようと試みた。


 だが湧き出る不安感がイメージをよりリアルに肉付けしていく。


(もう少しっ、もう少しでホームに着くのに!)


 腰にぶら下げた薄汚れた巾着袋を、守るように手のひらで包み込む。


 大事な物だ。


 必ず持って帰らなきゃいけない物だ。


 これを手に入れる為に、危険を承知してホームから出てきたのだ。


「も、もう良いだろ! こうなったらしょうがないじゃないか! そんな物さっさとアイツラに渡して、命だけは助けて貰おう!?」


「馬鹿言わないで! この『水』の大事さは貴方だって知ってる筈でしょ!? 子供たちの命に関わる物なんだから!」


 息も絶え絶えに信じられない言葉を発した中年男性に見向きもせず、アヤノは憤慨する。


 なぜそんな事を言えるのか、彼女には少しも理解できない。


 ホームに備蓄してある生活用水は潤沢だ。

 雨の多いこの場所エリア、池袋で水に困る事は稀である。


 だが、その水は飲めない物だ。


 原理も仕組みもわからないが、浴びても浸かってもなんともない一見して真水に見えるその雨水は、一定量を超えて体内に接種すると死に至る病に罹ってしまう恐ろしい物だった。


 だから彼女達のホームでは、深刻な飲料水不足に陥っている。


 定期的にこうして飲める水を運ばなければ、四十人もの人数を抱えるホームの水はすぐに無くなってしまうのだ。


 安全策は充分に取っていたつもりだった。


 化物モンスターが一切出現しなくなる新月の曜日を選んで出発したし、比較的戦いに慣れていてレベルの高い面子を選び、細心の注意と警戒を持って事に当たっていたつもりだったのだ。


 だが、出くわしたのは予想外の存在だった。


「はははっ! おーいどこまで逃げるつもりー!?」


「早くしないと追いついちゃうよー!? 何々!? もしかして誘ってんの!? たっぷり可愛がってやっからさー!」


「あーもうたまんねーな! 必死に逃げる女を追いかけてる時が一番楽しい気がするぜ!」


「ヒャハハハハッ! タモツさんドSじゃないっすか!」


 アヤノと中年男性から少し離れた位置から、下卑た笑いと醜悪なセリフが聞こえてくる。

 静まり返るビルの壁に反響して不快極まりないエコーがかかって聴こえてくるその声に、アヤノはまた奥歯を噛みしめた。


 盗賊。


 そう呼んでいいのかは分からないが、徒党を組んで弱者から物品を強奪する彼らを他にどう呼んでいいのかアヤノには分からない。


 彼らの目的は十中八九、アヤノ達の持つアイテムや武器スキル、そして彼女の身体だろう。


 アヤノは若く、可憐で美しかった。


『平和だった三年前』、普通に中学生として過ごしていたあの頃は、何人かの同級生や先輩らから幾度となく告白を受けたこともある。


 腰まで長い髪を後頭部で一本に束ねて、切り揃えた前髪の下には幼さを残した瞳があった。


 決して豊満では無いが、その体格と比較して細く長い手足や、凛とした雰囲気は間違いなく異性にとって魅力的に映るだろう。


 同性からはあまり評判は良くなかったが、感情表現が少し苦手で無愛想なところもまた、クール系と評された男子にウケの良い原因でもある。


 一言で言えば、アヤノは可愛いのだ。


 それこそあまりよろしくない感情を、異性に抱かせる程度には。


 かと言って彼女に落ち度は何もない。


 望んでその容姿に生まれてきた訳でもないし、意図して異性を誘惑した事もない。


 東京がこうなって以来、逆に目立たないように心がけてもいた。


 警戒心を強く抱く程度に、『そんな悲劇』を目にする機会が余りにも多かったからだ。


 悲惨な姿で裏路地に放置された、自分とそう変わらない年齢の少女。

 無理やり拉致され、それ以来一度も目にすることのなかった女性。

 生きているのに死んだような瞳で、虚無の表情で男性に従う、可哀想な人達。


 そんな、かつての日々では唾棄されて然るべき『悲劇』が、今の東京にはありふれすぎている。


 だからアヤノは、外に出るときは身体のラインが出ないようにフード付きのマントを被り、声で女性とバレないように口数も減らし、存在感すら消すように生きてきた。


 運良くと言って良いのか、アヤノはまだ被害に会ったことは無い。


 だが、それもここまでか。


「はい! 残念でしたー!」


「っ!!」


 突然、先の路地から三名の男が道を塞ぐように現れた。


「先回りされてたじゃないか! なんでここに逃げてきたんだ!!」


 唯一の味方であるはずの中年男性から、なぜ非難の声を浴びせられなければならないのか。

 強く噛みすぎて痛む奥歯をさらに噛み締め、アヤノは腰のホルダーから『剣』を抜いた。


「…………『抜刀アクティブ』っ」


 盗賊たちに気取られないように短く、そして小さく声を出す。


『剣』からアヤノの身体に送られてくる、『経験値』により培った力。


 細身の刀身は剣と言うより、一本の銅線に近く、殺傷力は見た目通り余りない。

 競技用フェンシングの刃を少しだけ太くしたようなその『剣』は、切ったり突いたりといった、直接的な攻撃には向いていないのだ。

 これは剣戟用の武器ではない。

 武器の性能としては、魔力と魔法の補助補強を目的とした、儀式剣の一種だ。


 剣の名前は『蒼魔剣・ブルーアイ』。


 アヤノの三年間を表す、まさに努力の結晶である。


 アヤノは『魔術師ソーサラー』のジョブに就いている。

 この三年間、それを磨きあげるように戦ってきた結果だった。


 レベル1のデフォルトの職業は『素人ビギナー』。

 使えたのは『着火ライター』と『手当リトルトリート』の魔法で、腕力に自信の無かった彼女は前線より少し離れた場所から積極的に魔法を使い続けた。

 人より多く戦闘をこなし、化物モンスターを討伐し、そしてつい二ヶ月ほど前に『剣』が進化を遂げて、晴れて『素人ビギナー』から『魔術師ソーサラー』に転職ジョブチェンジ』を果たしたのだ。


 この東京に生き残っている人の中で、アヤノのように戦闘職バトルジョブに就いている人は全体の二割にも満たないだろう。


 なぜなら人々は戦うことを避けるからだ。


 化物モンスターが入り込めない絶対安全地域セーフ・エリアを拠点とし、殆どの人がそこで細々と暮らしている。


 好き好んで化物モンスターと戦い、しかもレベルを上げて転職までするような人はそういないのだ。


 輸送や栽培、開墾に励めば、専用のジョブを選べるようになる。


「お、俺は戦闘スキルを持ってないんだぞ!?」


「分かってる! 動かないで!」


 例えば、アヤノの背に隠れるように身を縮こませたこの中年男性。

 自分より一回り以上歳の離れたアヤノにすがるこのみっともない男性の職業は、『荷造り人パッカー』である。


 物品の輸送に特化したスキルを持ち、大量の荷物をなんの苦もなく運び出せる彼のお陰で、ポリタンク五十個分にもなる水をたったの八名でここまで持ち運べることが出来たのだ。


 アヤノにだってアイテムスロットを持ってはいるが、最大で十個のアイテムしか収納することはできない。

 しかも不親切な事に、重量制限すらあるのだ。


 ボロボロの巾着袋を模したそのアイテムスロットには、回復薬や毒消しなどと言った必要不可欠な物を厳選し、空きスロットには水の入ったポリタンクを三つ詰め込んでいる。

 全部で七品目。

 それだけで重量過多となってしまい、もう何も入らなかった。

 使い勝手で言えば、とても悪い。


「おい気をつけろよ。剣を抜いたぞ」


「分かってる。でも見ろよ。あの弱そうな剣。戦闘職バトルジョブじゃないだろアレ」


「お嬢ちゃん、これ見ろよ。俺らは『軽戦士ライト・ソルジャー』だぜ? 敵うと思ってんの?」


 そう言って、先回りしてきた方の盗賊が抜き身の剣を見せびらかしてきた。


 それは何の飾りもない、一般的なイメージの西洋剣だった。


 両刃の刀身は良く磨かれているが、特徴など一切無く平凡な造りをしている。


「……そう」


 目の前の一人を睨みつけたまま、アヤノは儀式剣ブルーアイの柄を握る手に力を込めた。


魔術師ソーサラー』はまだ知名度のあるジョブでは無い。

 これから数年経つと分からないが、現時点では自分以外の『魔術師ソーサラー』に出会ったことなど一度も無い。


 だから彼らには分からない。それが強みだった。


 魔法職の持つ『剣』は、殺傷能力の乏しい儀式剣だ。

 だから見た目だけで言えばとても戦闘に向いているようには見えない。


 以前に一度だけ出会ったことのある『癒手ヒーラー』の持つ『剣』など、先端に申し訳なさ程度に刃のついたワンドだった。


ジョブ』と共に形状を変えて進化する『剣』。

 その種類は未だに総数すら把握されていない。


 だから彼らは見誤った。


 アヤノのその頼りない儀式剣ブルーアイを見て、彼女が戦闘職では無いと錯覚したのだ。


(……一番効果のありそうな魔法は『爆発エクスプロード』だけど、一回撃ったら魔力の殆どを消費しちゃう。『電撃スタン』なら何回でも撃てるけど、一発一発に隙が出ちゃうから、囲まれている現状だと危険すぎる。『着火ライター』だと驚かせる程度しか効かないし……、せめて前衛が残ってたら!)


 走り疲れて荒れた息を整えながら、アヤノは必死に生き延びる手段を模索する。


 ホームを出た時の一行は八人。


 アヤノと中年男性、それともう一人の女性剣士しかもう生き残っていない。


 真っ先に殺された五人は、どれも前衛向きの『軽戦士ライト・ソルジャー』だった。


 元大学生だった気の弱そうな青年と、元銀行員だった壮年の男性。

 弱々しくも護衛を買って出てくれた他の三人も、十余名を超える盗賊達の突然の襲撃に対処しきれず、最後の言葉を残す間も無く死んでしまった。

 彼らの死を惜しみたいのに、それすらも状況が許してくれない。


 最も頼り甲斐のあった、アヤノが姉と慕う女性剣士。

 ヨウコと言う名前の彼女は、アヤノと中年男性を逃す為に殿を引き受け、数名の盗賊相手に一人戦っている筈だ。


 すでに、死んでいる可能性は考えたくなかった。


 ヨウコは強かった。


 半年前からアヤノが身を置いているホームの中でも一番の手練れで、不甲斐ない男性陣を率いて強く逞しくホームのメンバーを取り仕切っていた。


 他所の避難民と一緒に流れ着いてきたアヤノに何かと気をかけてくれて、知り合ったばかりだと言うのにまるで本当の姉のように感じるほど親しくなっていった。


(姉さんが……死ぬはずないっ!)


 かぶりを振って最悪のビジョンを振り払い、アヤノはブルーアイを縦に一度振る。


「『火の防壁ファイヤ・ウォール』!」


 最近覚えたての、使い慣れていない魔法を発動させた。


 魔法名を告げなければ発動しないのは、最初の頃は恥ずかしかったが今ではもう慣れている。

 死に直結するのだ。恥ずかしがってなんかいられなかった。


火の防壁ファイヤ・ウォール』は、自身の周囲に文字通り火の壁を作る魔法だ。


 地面を貫いて吹き上がるその炎は鉄すら溶かし、人体なんかひとたまりも無いだろう。

 これで盗賊達はアヤノ達に近づけなくなった。


「なっ! この女『魔術師ソーサラー』だ!」


「離れろ! 焼け死ぬぞ!」


 目論見通り、盗賊達はアヤノから間を取って離れていく。


「はっ、ハハッ! 良いぞアヤノちゃん! なんだよ強いじゃないか!」


「煩い……っ。黙ってて!」


 もう中年男性には、年上としての尊敬の念など微塵も残っていない。


 出発前はあれだけ大口を叩いていたのに、いざこうなると口から溢れるのは愚痴と文句と悲鳴だけ。


 ヨウコが囮となって残ったのも、この男が身を竦めて動けなくなったからだ。


 アヤノの繰り出した魔法を見て態度をデカくしたが、状況が全く分かっていない証拠である。


火の防壁ファイヤ・ウォール』は使い勝手が悪い魔法だ。

 今のアヤノにとって最も強い魔法、『爆発エクスプロード』より消費魔力や威力は控えめだが、この魔法の最大の特徴は『動かない』魔法だと言うことだ。


 目標に向かって放つタイプの魔法ではなく、文字通り周囲に壁を貼り、相手が飛び込んでくるのを待つという、どうにも限定的な使用条件を持つ魔法だった。


 何一つ状況は好転していない。


火の防壁ファイヤ・ウォール』は魔法効果を持続させればさせるほど、魔力を消費するのだ。


 人よりレベル上げに勤しんだアヤノですら、もって三十分。


 つまり三十分も経てば壁を維持することもできず、二人して盗賊どもに成す術なく蹂躙される未来しか残っていない。


 本来は前衛の態勢を整えたり、その間に回復に専念するなどの使用目的で行使すべきだ。


 今ここにその前衛は居ない。


 最悪である。


火の防壁ファイヤ・ウォール』を展開している以上、他の魔法は使えない。

 同時に二種類の魔法を使うことはできない。

 レベルを上げる、もしくはそういうスキルを所持していれば可能かもしれない。


 だが今のアヤノには無理だ。

 力をつけなければ、今の東京を生き抜く事はできないと悟った彼女ですら、死の恐怖を押さえ込んでまで戦い続けることなどできなかった。


 見てきたのだ。


 それも数えきれない程の『死』を、その目でしかと見てきたのだ。


 だから、レベルを上げるのも慎重にならざるを得なかった。

 少しでも疲労したら退却し、少しでも傷を負えば逃げ帰る。


 当たり前だ。

 それが普通なのだ。


 三年前、突如として歪み改変されたこのテレビゲームのような世界でも、命はたった一つ。


 コンテニューなどできない。


 少なくとも一度死んだ人間が蘇ったところなど一度も目にしていない。


 怖いのだ。


 死ぬのが、当たり前に怖いのだ。


「お嬢ちゃんさぁ! 無理してんだろ!?」


「そっからどうやって逃げんの!?」


「さっきから言ってるじゃん! 大人しく持ってるアイテム全部渡してくれたらさぁ! 命だけは助けてやるって!」


 炎の壁の向こうから、余裕を滲ませた酷く耳障りな声が聞こえてくる。


 早々に、アヤノに他に打つ手が無いことを悟られた。


 彼らも『剣』を初期状態から一度『進化』させられる程度には、戦って来たのだ。


 もしかしたら、化物モンスターではなく人間を相手に経験値稼ぎをしていたのかも知れない。


 だからなのか今の状況を見抜き、そしてアヤノ達を煽る程度には余裕を取り戻したのだろう。


「フヒャハハハハ! やっぱタモツさんドSだわ! 命は取らないって、そりゃ死なない程度には遊ぶわけでしょ!?」


「特にお嬢ちゃんは、まあちょっとしんどいかもしんないかな〜! 俺ら十六人を相手しなきゃならないから!」


「さっきの強いお姉さんと二人だからさぁ! 一週間ぐらいだって!」


「ああ! そこのおっさんは、まあ諦めなよ! 逃して他の強い奴とか呼ばれても困るしさぁ!」


 醜い。

 容姿の事じゃない。


 心根が、酷く醜い。


 アヤノは儀式剣ブルーアイを構えたまま身体を強張らせる。


 彼らだって、三年前までは普通の善良な人間だったはずだ。


 見た目は若い学生ばかりだ。


 多分年齢的には大学生ぐらいだろう。


 ニュースなどで良く聞いた、事件を犯した犯人について問われた近所の人間が「まさかあの子がそんな事を」なんて言われるぐらいにはありふれた容姿をしている。


 彼らは、時代に負けたのだ。


 物資も何もかもが乏しく、その数を巡って人と人が争う生活に心が折れたのだ。


 水も、食料も、衣料品も。


 生きることに欠かせない全ての物が、足りていないのだ。


 アヤノ達のホームでは、水以外を自給自足でなんとか賄っていた。


 小さな畑を作ったり、化物モンスターを皆で討伐してその肉を食用としたりと、皆が力を合わせて寄り添って生き抜いてきた。


 大変なのだ。


 辛いのだ。


 他人から奪った方が楽、という結果に行き着いたその心理を理解できない訳ではない。


 だがそこに行き着いてしまったのは、愚かだ。


 安易な手段に手を染め、歪み、そして変貌した。


 善良な青年達が、残忍な殺人者へと変わってしまった。


 世界が、彼らをそういう風にしてしまったのだ。


「ふざけないで! お願いだから私達を見逃してよ!」


「助け、助けてくれ! なんでもする!」


 中年男性は地面に座り込み、頭を土につけて懇願する。


 アヤノの強い言葉をかき消すほどに、その声は悲壮な物だ。


「そ、そうだ! 俺もアンタ達の仲間にしてくれ!」


「っ!? な、何言ってるの!?」


「う、煩い! 元はといえばお前らが俺をそそのかしてここまで連れて来たんじゃないか!! 護衛をしてた奴らなんかなんの役にも立たずに勝手に死にやがって! 俺を守るのがお前らの仕事だろう!!」


 最悪である。


 アヤノの予想と認識をはるかに超えて、この男は最低最悪だった。


「な、なぁ!? こ、この女を捕まえれば良いのか!?」


「おっさん必死すぎ!」


「良いんじゃねーの? あのおっさん『荷造り人パッカー』だろ?」


「荷物持ちが欲しいって、リーダー言ってたよな」


 不味い。


 アヤノは背に走る悪寒を必死に耐えながら、中年を睨む。


 この男は、ホームでは古参の域に入る人物だったはずだ。


 偉そうに指示を出してたり、得意顔でホームのルールを子供達に説いていた男だ。


 ここに来て、この裏切りは無いだろう。


 こんなの、あんまりではないか。


 この後、自身に降りかかるおぞましい出来事。

 あまりにも突然すぎて、アヤノには想像すらできないが、きっと死んだ方がマシなぐらいに酷い事が起こるのだろう。


(姉さん……っ!)


 アヤノは脳裏に最も信頼する相手を思い浮かべて、炎の壁を維持する事をやめた。


 匿っていた筈の人物に裏切られたのだ。


 炎の壁を展開したまま、後ろから羽交い締めにされてしまえば、なんの抵抗もできないまま全てが終わってしまう。


 火に照らされて明るかった廃墟の街が、再び闇に閉ざされる。


 今日は新月。


 太陽光を浴びて輝く筈の月は、三年前から独自に光を放つようになり、たったの7日で満ち欠けを繰り返すようになった。


 新月の夜には化物モンスターは出てこない。


 だから今日は安全だった筈なのに、今はこの安寧の闇が恐ろしく感じる。


「おっ? 観念した?」


「往生際が悪すぎるんだよね〜。こないだの娘とか、囲まれた時点で全部諦めてたよ? まあ、その後とっても煩かったけど。ふひひ」


「おっさん、じゃあまずはその娘の剣を取ってよ。ほら早く」


「……わ、悪く思わんでくれ。俺だって死にたくないんだ」


 勝手な事を言う。


 この状況を悪く思わず、何が悪いと言うのか。


「……近寄らないで。この人数を相手に勝てるとは思ってないけど、二・三人は一緒に殺せる」


 アヤノは儀式剣ブルーアイをもう一度構え、周囲に視線を巡らせた。


 中年男性はすぐ目の前。


電撃スタン』で弱らせてから、他の盗賊に向けて『爆発エクスプロード』を放つ余裕はある筈。


 威力がありすぎてアヤノ自身にも被害の出る距離だが、せめて、この身を汚される事の無いように。

 自尊心を汚される事なく、自分の意思で死にたい。


 覚悟と決意を込めて、固く閉ざした唇をゆっくり開く。


 その時だった。







「なぁ、助けてやろうか?」






 声は、頭上から聞こえてきた。


 思わず腰を落とし、儀式剣ブルーアイの切っ先を向ける。





「落ち着けって。俺はそいつらの仲間じゃ無いからさ」





 まだ火の明るさに焼かれたままの目では、人影シルエットすらハッキリと掴むことができない。


 だけどそこには、赤い揺らめきを纏った大きな剣、がぼんやりと輝いていた。


 幅はアヤノ二人分ほど。


 長さなんてアヤノの身長を超えているかも知れない。


 途中で捻れて歪になっているが、それは間違いなく剣だった。




「アンタ、さっき水持ってるって言ってたろ。全部なんて言わないからさ。二日分ぐらいで良いから分けてくんない?」




 この状況に相応しく無い、落ち着いた口調で影は告げる。


 声は若い。

 もしかしたら、アヤノとそう変わらないぐらいだ。


「あ、あなたは……誰?」


 思わず聞いてしまった。


 突然現れた怪しい人物が、そんな問いにまじめに答えてくれるとは思えない。


 たった今、仲間に裏切られたばかりなのだ。


 もっと警戒すべきなのはアヤノにも分かっていた。


 ただその警戒心が削がれるほどに、影の持つ剣の存在感が異質だった。




「誰……って言われても。通りすがりの高校生……としか。名前言っても知らないだろうし」




 影は電柱と電柱を繋ぐ、もう役割を果たしていない電線に乗っていた。


 撓み緩み、バランスを取るのが難しいと思われるその上で、影はさも当然のように普通に立っている。




「よっ……と」




 軽い口調で飛び降りた。


 なんの音も無く地面に着地し赤い大剣を肩に担いだのは、アヤノが想像した通り若い男だった。


 伸ばしっぱなしでボサボサの髪。


 同じく伸ばしっぱなしなのに、老けて見えない髭。


 なぜか裸の上半身は薄く、細いように見える。


 だが大剣の赤い揺らめきに照らされた肌は、筋肉に覆われていた。



「んで、どう? 助けてやろうか?」




 それが簡単なように影、いや少年は告げる。


 アヤノの目をまっすぐ見つめるその瞳には、彼女が未だかつて感じた事のない強さが宿っていた。


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