1章4




 ――目が覚めると、世界は元通りだった。

 瓦礫はなく、家の自室だ。

 

 奇跡がすぐ傍で俺を見下ろしていた。

 金髪金眼。

 瞳に意思は、宿っている。


「たろー、起きた……? 生きてる? ちゃんとここにいる?」


 奇跡は俺の右手を握っていた。

 すがるように両手で、強く強く。


 俺は負けた。完膚なきまでに。

 その事実は覚えている。


 傷は何故か癒えていた。

 血が出ていない。骨も折れていない。どこも痛くない。


 だが今は、そんなことはどうでもいい。


「奇跡……」

「たろー、たろー……」

 奇跡が喋っている。戦闘中は切迫して実感が湧かなかったが、今になってそれがやって来た。


「俺は生きてるよ」

「うん、うん……」


 ようやく、本当の意味で。

 俺の友達、空城奇跡そらしろきせきとの再会だ。


「たろー……」


 奇跡は抱きついてきた。

 震えている。

 縋りついている。

 

 こんなふうになるほどの事があったのか。奇跡はなぜ今まで話が出来なかったのか。

 分からないけれど、俺が先日目覚める前に彼女はとても悲しい目に遭っていたのだろう。


「俺が何とかする。だからもう悲しむな」

「うん……うん……」


 しばらく奇跡にさせるがまま、俺は彼女の背をさすっていた。


 

「それで、今の状況、色々とどうなってるか知っているか?」

「うん……」

「教えてくれ」

「うん」

 奇跡は俺の手を握ったまま、真面目な表情をする。

 黒髪青目。


「まず、たろーはどこまで知ってるの?」

「何も知らない。なぜ人が居ないのか。あいつらはなんなのか。異能力というものもよくは分からない。奇跡があんな状態だった理由も分からない」

「……覚えて、ないんだね」

「俺は何かを忘れているのか?」

「うん、なんでだろ?」

「それは俺にも分からない」


「たろーが生きていることに関係しているのかな……」

 奇跡は独りちた。


「……まず最初から説明した方がいいよね」

「頼む」

 桜髪桜目。


「ある日突然、人間の何人かが、異能力に覚醒したんだ」

 異能力。俺が覚醒し、奴らも保有する、この世のあらゆるものを超越した力。


「そうして"異能力者"という人とは違う別の存在になってしまった元人間たちは、人を殺し始めたんだ」


「人を……?」

「うん、人を」

 その言葉に嫌な予感が駆け巡り、留まり、冷たくよどんだ。


「異能力者たちは、人がどこに隠れても本能で見つけだして、殺戮を繰り返した。人はそれに抗ったけど、為す術なかった」

「でも、そんな時に、人間としての意思を残しながらも異能力に覚醒した人たちも現れたの」

「わたしとたろーも、その一人だった。だから必死になって戦った。みんなを守ろうとしたんだ」

「でも、でもね……負けちゃったんだ……たろーはエディフォンに殺されたと思った。他のみんなも、死んじゃった……」


 エディフォンというのは、エディフォン=ヴォルグマンと名乗った異能力者達のリーダーの事か。


「だからね、世界は終わっちゃったんだ」


 そのげんで、嫌な予感は結実した。

 俺は奇跡の言葉を、全面的に信じる。

 信じるけれど、口を突いて出てしまう。


「そんなに簡単に世界が終わるのか?」

「誰もが思っていたと思うよ。でも、終わっちゃったんだよ」


 世界は、終わっている。


「生き残っている人間は、わたしとたろーだけなんだよ」

「でも、負けたならなんで奇跡だけ生き残っているんだ?」

「わたしの異能力は、わたしを"死なせてくれない"から」

「……そうか」


 奇跡の暗い雰囲気を察して、深く追求する事はこの場では控えた。

 ガグルガスの攻撃が効かなかったのもその為なのだろう。


「死なないから、いつからか異能力者達はわたしへの興味を無くしたんだ」

 あいつらが奇跡を一瞥すらしなかったのはそれが理由か。


「そういえば、あいつらが来た時に世界が瓦礫だらけの廃墟に変わっていたが、あれはどういう事だ?」

「それはね、逆なんだよ」

「逆?」

「廃墟みたいな世界に変わったんじゃなくて、今、"普通の人が住んでた頃の世界に変えてる"んだよ」

「それは、誰がやってるんだ?」

「私だよ」

 ……。

「それは、どうして?」


「あんな世界、嫌だったから」

「……」

「元の、あの優しい世界がいい……」


 この世界は、奇跡が創っていた。

 奇跡は、どんな思いで生き残ったのだろう。


「あの人達が来ると、解除されちゃうんだけどね」

 あの時廃墟の街並みに戻ったのはそういう事か。



「奇跡、世界が終わってから、どれくらい経っている?」


 数か月か、それとも数年か。

 それとも――


「千年」


「――」

「千年、だよ」

 俺は、フリーズした。

 奇跡は、柔らかく微笑みながら言うんだ。

 なにを言えばいいか、分からなかった。


 だから、なのか。

 独りだけで、そんな時が経ってしまったから、なんの反応も示せないほどの状態になってしまっていたのか。


 

 千年。

 千年だ。



 奇跡は、途方もない時間を孤独に生きてきた。


 それはどれほどの、苦痛なのか。

 それはどれほどの、空虚なのか。


 俺には、想像する事しか出来ない。

 本当の意味で、分かってやれる事は叶わない。

 だって俺は、感覚的には、十数年しか生きていない高校生なのだから。



「でも、どうしてあのとき正気を取り戻したんだ?」

「たろーが異能力を発動したからだよ」

「異能力? なぜ?」

「幻覚では本当の異能力の発動なんて無理だからだよ。異能力は、感覚でこの世から外れたものだってわかるから」


「幻覚……?」

 また、嫌な単語だ。


「……たろーの幻覚はよく見てたから、また今回もそうだと思ったんだ。感触が蘇る幻覚もあったから。その度に失望して、何度も裏切られて……」


 奇跡は、訥々とつとつと絶望を語る。小さな微笑みさえ浮かべて。

 白髪しろかみ銀目。


「だから、たろーが異能力を発動して、本物だって確信出来るまでいつもと変わらなかった……」


 俺は自然と手を伸ばしていた。奇跡も手を伸ばす。

 繋いで、重ねて、暖かい。




 気づけば外は暗い夜だった。

 月が出ている。満月だ。

 

 腹が鳴った。

 腹が減った。朝以来何も食べていない。 


 今は料理する気分ではなかったのでカップラーメンを二人分作って一階のダイニングで食事をする事にした。


 奇跡と二人で麺をすすっている。

 ズズッズズッ。


「そういえば、俺は瀕死の怪我をしていたはずだが何故寝て起きたら完治していたんだ?」

「異能力者だからだよ」

 真顔で言う。

「……」

 異能力者は、尋常ではない回復力を保有しているらしい。

 人間ではあるが、体については、人間ではない外れた存在に成ってしまっているのだろう。


 また二人で麺を啜っていると。

「たろーは、この先に何があると思う?」

 奇跡は、希望を見いだせなくなっているのか。

 千年も絶望の只中に身を浸せば、そうなってもおかしくない。


「たろーが唯一の希望だよ。でも……」

 不安、なのだろう。

 こんな世界、不安でない方がおかしい。


 千年の絶望を味わった訳ではない俺が何を言ったところで、奇跡を安心させてやることは不可能かもしれない。

 だけど、奇跡の心を少しでも軽くしたい。

 俺は奇跡の友達だから。


「敵が来たら俺が倒す。奇跡はもう一人じゃない」

「うん……」

 それだけ言った。



 夕食後、俺は家を出て庭に居た。

 現状を鑑みて、異能力を試し、慣れる事が必要とされると判断したからだ。

 また奴らが襲い来ても退けられるように。俺は奇跡を守れるぐらいには強くならなければならない。なれなければ、殺される。奇跡の話を聞く限り、逃げる事は叶わないだろう。


 奇跡は縁側に腰掛けて、足をプラプラさせながらこちらを眺めていた。


 庭は奇跡が気を使ってくれて広くしてくれていた。縁側もついでに豪華になっている。


 黄緑髪緑目。


「ねえ、たろー」

「なんだ?」

「今度あの人たちが来たらね」

「ああ」


「わたしは死なないから、わたしを楯にして戦って」


 俺は思わず振り向いた。

 奇跡は平然とした表情をしている。そこに無理をしている様子はない。


「そんなことができるか」

 断固拒否する。

 千年死なずに来ていたとしても、そんな事をして万が一がないとも限らない。


「……そう」

「そうだ」

「わたし、楯ぐらいにしかなれないよ。わたしの異能力者としての力では、他の異能力者みたいに速く動けないから、追いつけないの……」

「なら戦わなくていい」

「なら絶対に死なないで」

「死なないさ」

 それで話は終わった。



 気を取り直して、異能力を試す。


 意識を集中する。前回異能力を発動させた時はどうやったか。

 あの時の感覚を思い出す。

 確か、発動させたいと思えばそれで良かったはずだ。

 いや、むしろそれさえ必要なく、全てが自然的なもの。

 

 ただ、必要だと思った時には手元に在る。


 一振りの刀を、俺は自然と手にしていた。


 異能力で顕現けんげんした刀をまじまじと観察する。

 銀色の刃、銀色のつば、白色の柄。

 超常のものだと確信出来るが、見た目はそんなものだ。


 この力は。理不尽な意味の分からない超常の力は。具体的にはどういうものなのだろう。

 今考えても、詮無いことなのだろうか。


「奇跡も異能力が使えるんだよな。奇跡はこれをどう使っている? 何かいい運用法はないか?」

「異能力に身を任せるのがいいと思う」

 奇跡は足をプラプラさせながら真剣な顔で答える。

「身を任せる……」

「うん。それがきっと一番強くなる」


 早速実践してみる。

 といっても、身を任せるとは具体的にどういう事なのか。

 余計な事はせず、ただ力をふるえばいいのか。

 確かガグルガスとの戦いで覚醒した時は、死に物狂いで思い任せるまま使っていたような気がする。

 なら、そのままでいいのか。

 ただ、異能力を発動させて戦う。

 後は何度も使って慣れるだけ。


 俺は何度も刀を振るった。空気を切り裂き素振りする。

 振り下ろし、切り上げ、一文字に薙ぎ、斬り返し、袈裟掛けに振り下ろし、逆袈裟に振り下ろす。 

 手に馴染むまで続けた。体が反射で戦えるくらいまで浸透するように。


 最初からそれなりに揮えていたからか、異常なほど短時間で、俺は異能力を十全に扱えるようになった。


 俺は思う。

 異能力者は、理不尽なほど異常だと。

 



 そして、数日後。

 今日も俺は庭で素振りをし、奇跡は縁側に座っていた。


 突然、視界全てが変貌した。


 瓦礫だらけの、灰色の街並みへと。


 ――何かが、降って来た 


 衝撃と轟音が吹き荒れる。

 散弾銃の様に飛び散る瓦礫が俺達を襲う。


 瞬時に刀を手にし、自分と奇跡に迫り来る瓦礫を斬り捨てていく。

 異能力はすっかり体に馴染んでいた。


「いいぞ。いい動きになってるじゃねえか」

 視線の先にたたずむのは、赤髪の男、ガグルガス。


 ガグルガスが空から降り立ったのだ。瓦礫の嵐はその衝撃で起こされたもの。


 そう、遂にガグルガスが来たんだ。 


 来るなよ。




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