第11話 医術と魔術
ベンジャミンは大学病院に案内しながらも、レティシィアの美しさを堪能していた。レイテ大学で研究したいのは山々だが、竜騎士としての責任もあるので諦めた。
ベンジャミンは、美しい者を見るのは自由だ! と開き直る。父上がレイテ大学に行かれるなら、休暇を利用して訪問もできるし、あわよくばレティシィア様に会えるかもしれないと妄想する。
王太子の後宮にいるレティシィアがレイテの街をうろつくわけがないのだが、竜騎士の修行と錬金術の勉強に明け暮れたベンジャミンは、恋の都ユングフラウ育ちにしてはすれてなかった。その点、マキューショーの方がマッド医者のヘルメスと違い母親のシェリルは真っ当な貴婦人だったので、少しは世間を知っていた。
「あちらが大学病院です……」
美しいレティシィアとの短い時間を少しでも長くしたいと願ったが、大学病院に着いてしまった。ショウのイメージの大学病院とは違い診療所というより、研究所の雰囲気だ。
「病人で溢れていると思ってました」
診療時間外なのか、学生がちらほら歩いているだけだ。マキューショーは少し口ごもったが、ベンジャミンは幼なじみなので容赦がない。
「ロシュフォール教授が大学病院の院長になってから、病人が怖れて来院しないのです。すぐに新しい治療方法を実験したがるので、街の治療師の方が流行っているのです」
医術の発展には実験も仕方ないが、魔術で治療して貰った方が患者は楽だろうとショウは苦笑する。
「でも、治療師は不足している。父上のやり方は非難されやすいが、医術なら魔力がなくても治療できるんだ」
ショウもその点は同意見だと頷いた。マキューショーは、ショウが父親の研究の理解者になってくれそうだと、喜んで研究室に案内する。独立採算性を重んじているバーミンガム学長から、大学病院が大赤字だと責め立てられているので、東南諸島から寄付が貰えたら良いなと思ったのだ。
ショウも他国の大学ではあれ、個人的な援助をしても良いと考える。しかし、それはロシュフォール卿の変人ぶりを見るまでだった。
「ひぇえ~! 殺される~」
真っ青な顔の半裸の男が、研究室から飛び出してきた。
「患者を保護しろ!」
中から数人の白衣を着た学生が出て来たが、半裸姿の患者は素早くショウの後ろに回って肩にしがみついた。
「どなたか知りませんが、どうかお助け下さい! 腹痛で大学病院に来たら、腹を切ると言い出したのです! こんなことなら、治療師に診て貰ったら良かった」
ショウは患者を捕まえようとする学生達を制した。
「患者を怯えさせるとは、それでも医術を学ぶ者か! 新しい治療方法を施すなら、患者にきちんと説明して、同意を得るべきだろう」
半裸姿の男は「そうだ!」とショウの後ろから叫んだが、いたたた……と青ざめてうずくまる。
「ほら、ぐずぐずしていたら死んでしまうぞ!」
白衣姿のヘルメスが出てきて、学生達に半裸の男を研究室に運び込ませる。
「父上! こちらは東南諸島連合王国の……」
緊急時に悠長な紹介など無用だと、ヘルメスはマキューショーの言葉を無視する。
「ロシュフォール卿、もしかして手術をされるのですか? 見学させて下さい!」
研究室は白のタイル張りで、前世の手術室に近いつくりだった。
「貴方は東南諸島のショウ王太子ですか? もしかして治療の技ができるとか?」
ショウが頷くと、ヘルメスはなら痛みを感じないようにしてくれと頼む。
「レティシィア様、隣の院長室で待っていましょう」
ベンジャミンは手術など血がでる行為は苦手だと、レティシィアを院長室に案内する。学生達に白衣を貸して貰い、ショウは開腹手術に立ち合った。
「気分が悪くなったら、壁際に退いてくれ! 患者の上に倒れられたら困るからな」
ショウは頷いたが、患者に麻酔は掛けないのかと驚く。
「最初は私が痛み止めを施すが、後はお願いできるかな? 手術に集中したいので」
ヘルメスは治療師としても優秀で、患者は腹をメスで切り開いても痛みは感じていないようだ。ショウは引き継いで、痛みをブロックする。痛みで気を失っていたのに、血の匂いで患者は自分の腹が切られているのに気づいて暴れ出す。
「こら! ちゃんと押さえていろ」
学生達は手足をベッドの拘束具で縛ったうえに、力任せに押さえつける。
「こんなことをするより、眠らせた方が良いのでは?」
ヘルメスは、ショウをチラリと見上げて、好きにしてくれと手術を続けた。
「おお! これは立派な盲腸だ! あと少し遅れたら破裂していただろう」
この世界にも盲腸はあるんだ! と、ショウは要らない器官なのになぁと溜め息をついた。ヘルメスは盲腸を取り除くと、閉腹は学生達に任せた。
「手術あとが痛むのでは?」
ヘルメスは眠っている患者が起きたら騒ぎそうだと、眉をしかめる。
「なら、貴方が治したら良いでしょう。噂では竜心石を持っているとか」
暗灰色の目で面白そうに挑発されて、ショウは竜心石を取り出した。
「おや、この竜心石は少し色が違いますね」
ショウは竜心石を『魂』で活性化して、『癒』で学生が縫った傷跡をなおしていく。みるみるうちに傷跡は薄くなり、糸だけが残った。
「これは凄い! 貴方は優れた治療師だ」
患者は点滴が終わるまで寝かせておくことにして、ヘルメスはショウを隣の部屋に案内する。
隣の部屋はガラスの窓から手術室が見える造りになっていた。レティシィアは学生達の陰から手術の様子を見学して、少し気分が悪くなったのか青ざめた顔をしていた。
「手術を見学したのですか?」
思いがけずヘルメスは、青ざめたレティシィアには優しく椅子をすすめた。
「気がきかないなぁ、水を持って来い!」
マーキューショーは父親に叱られて、コップに水をくんできた。
「ありがとうございます、もう大丈夫ですわ。盲腸は、治療師に散らして貰うと思ってました」
ヘルメスは顔色が戻ったレティシィアが凄い美貌だと驚いたが、それより知性に感嘆する。
「その通りです! しかし、この患者のように何回も散らしていると、盲腸が膿んで破裂することもあるのです。こんな場合は手術して、患部を切り取るしかないのです」
親切に説明するヘルメスは立派な医師に思えたが、それを患者にするべきでは? とショウは肩をすくめる。ヘルメスはシェリル夫人にぞっこんなので、レティシィアの美貌を喜んで鑑賞はしたが、本来のショウの訪問の目的に話をかえた。
「なんでもレイテ大学で研究したり、教える教授や講師を集めておられるとか。それは魔術を使う治療師を求めておられるのか? それとも医術を研究する医師を求めておられるのですか?」
変人と呼ばれているが、グレゴリウス国王の伯父だけあって、きちんと要望を確かめてきた。
「治療師はレイテにも優れた人材がいます。私が探しているのは医術を研究し、魔力を持たない学生にも治療を教えてくれる教授です」
ヘルメスは満足そうに頷いた。
「ショウ王太子は自分が魔力持ちなのに、進歩的な考え方をされている。魔力を持たない人の方が圧倒的に多いのに、治療師に頼るやり方は間違っている。金持ちや貴族達は、真っ当な治療師に診て貰えるが、怪しい輩が多すぎる」
ヘルメスは怪しい治療師もどきに殺された病人や、治療師に払う金がなくて亡くなる者について熱く語り出した。レティシィアはレイテの街でも、怪しい治療師がはびこっていたと、綺麗な眉をしかめる。
「貧窮院はないのですか?」
ショウは、レイテには貧しい病人を診る貧窮院があった筈だと尋ねる。
「ユングフラウにも貧窮院はありますよ。しかし、そこに来る患者は手遅れになっていることが多いのです」
ショウはレティシィアも頷いているのを見て、自分が知らないレイテの裏側を感じた。
「治療師の数が少なすぎるのです。魔力持ちでなければ、治療師になれませんからね。医術の研究を進めて、魔力がなくてもなれる医師を増やしていかなければ!」
ショウは手術の時の麻酔薬の研究が思ったより手間取っていると嘆くヘルメスに、自分も援助しようと申し出た。
「麻酔薬がないと、治療師しか手術できませんからね。でも、もっと患者にキチンと説明しなくてはいけませんよ」
ヘルメスは自分の欠点を若いショウに指摘されて、どうも自分は誤解されやすいので、強引に物事を進めるのが癖になったと反省する。
「こちらのザビエル講師を、レイテ大学に推薦します。彼は治療師としては魔力が少ないが、医術を学ぶ姿勢は誰よりも抜きん出ています。ショウ王太子の庇護の元なら、私より医術の研究を進められるかもしれません」
マッド医師だとか陰口を叩かれているが、ロシュフォール卿は竜騎士として王族の健康管理もしているので、ユングフラウを離れるわけにはいかないのだ。ショウにとっては当たり前の点滴や輸血などを、ロシュフォール卿が研究して開発しているのも、他の人からは血を抜くとか悪口の対象になっているのだと少し同情しかけた。
「ところで、私は国によって血液型の分布が違うのではと考えているのです。血液型が国民性に何か影響を与えているのではないでしょうか?」
キラリンと暗灰色の目を輝かせて、ショウに献血を迫るロシュフォール卿に、やはりマッド医師っぽいと溜め息をつく。
「血液型は数種類でしょう? 人間の性格を数種類に分類しようとするのは、非科学的ですよ!」
と抵抗してみたが、血液型を東南諸島でも調べて、戦闘の後などに輸血してみるのも良いかもと思い直した。
「私だけなら協力しますよ」
レティシィアはショウ様から血を抜くのですか? と心配したが、ヘルメスは何千もの人から血をとっていたので手慣れたものだ。
「まぁ! 細い針を血管に刺すのですね」
レティシィアが興味を持って近づいて見ているので、ショウはヘルメスが美貌に見惚れて失敗しないかと案じたが、そこはベテランだった。
ユングフラウ大学の訪問は、レティシィアの美貌に竜騎士が惚れ込んだりしたアクシデントはあったが、概ね成功したとショウは満足して待たせていた馬車に乗った。
「ショウ様、私もビクター様との研究が楽しみですわ! 何か考えておられるのでしょう?」
レティシィアもショウが何を思いついているのだろうと、目をきらきらさせて尋ねる。
「ああ! シュバイツァー講師だけの方が、気楽なんだけどなぁ。あの人はどこかアレックス教授を思い出しちゃうよ。強引で、自分の目的の為には何でも有りな所とか……」
頭を抱えるショウをレティシィアはころころと笑い、顎を薄いバラ色に染めた爪で持ち上げるとキスをする。
「私には、先に教えて下さるでしょう?」
レティシィアに迫られて、ショウはたじたじになった。夫婦になって三年経っても、レティシィアの美貌には慣れないし、本気モードには勝てない。
「ビクター教授より、先にレティシィアには話すよ」
レティシィアは満足して、凄く綺麗に微笑んだ。ショウは、グレゴリウス国王より、レティシィアの方が強敵だと今更ながら悟った。
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