第8話 月夜の出来事

 ショウとララは、ユングフラウにあっという間に着いた。ヌートン大使が、わざわざ竜騎士を出迎えに来させたのを、ショウは不審に感じる。


「メーリングとユングフラウの間に、危険などなさそうだけど……」


 それと何時もは大使館の前の庭に着陸してから、脇の竜舎へとサンズを移動させるのに、ダークに誘導されて裏庭に着陸したのにショウは怪訝な顔をする。


「ショウ王子、ララ姫、こんな裏庭に案内して申し訳ありません」


 ヌートン大使の出迎えに、ショウは何事ですかと尋ねた。


「まぁ、少しストーカーが大使館の前に居座っているものですから、安全を期して裏庭にご案内したのです」


 ショウは、エリカやミミが休日には大使館で過ごすので、ストーカーと聞いて顔色を変える。


「いえ、危害を加えるタイプではありませんし、エリカ王女やミミ姫を目当てにしてませんからご心配なく」


 ヌートン大使は、ララ姫をカミラ大使夫人に部屋に案内させて、ショウ王子とサロンで話した。


「では、誰のストーカーなのですか?」


 エリカやミミでは無いのなら、カミラ大使夫人? とショウは首を傾げる。カミラ大使夫人は、お洒落で綺麗な貴婦人だけど、ストーカーされるタイプではない。年齢的にも落ち着いている。


 ヌートン大使は深い溜め息をついて、ショウを睨み付ける。


「彼等は、マリーゴールド号の人質になっていた子息達なのです。是非、ジャスミン姫にクリストファーを見舞って欲しいと、嘆願書を持って日参しているのです。本当に、イルバニア王国の青年は、恋に生きてますよね」


 心当たりが有るでしょうと責められても、ショウはクリストファーなんて知らなかった。


「クリストファーって、婚約者が自殺した青年じゃないですよね?」


 確か違う名前だったと、過去の話なので間違っていたかなとショウは尋ねる。


「ああ、あの青年はパロマ大学に留学するのを止めて、牧師になりましたよ。その上、秋には可愛い牧師夫人ができるとの噂ですから、立ち直ったのでしょう」


 ショウはホッとすると同時に、自殺した婚約者は死に損だなぁと肩を竦める。


「クリストファーという青年は、牢からジャスミン姫に救出して貰い、親切に手錠で傷ついた手首にハンカチを巻いて貰ったそうです。優しく美しい姫君に、一目惚れしたみたいですな。イルバニア王国に帰ってからも、募る恋心を抑えられず、何通もマルタ公国や、東南諸島に手紙を出したそうですよ」


 ショウは、フラナガン宰相がそんな事を言っていたなぁと思い出す。

 

「クリストファーは返事が貰えず、恋患いで寝込んだそうですよ。それで同情した子息達が、大使館の前で居座っているのです。人質だったのを救出してやったのに、罰当たりですよね。まぁ、イルバニア王国も青年達を、何度も追い払ってはくれたのですが、どうにも国民性なのか恋とか綺麗な姫君とかには弱いですからなぁ」


 ユングフラウの治安維持を任されている竜騎士達に、どれほどジャスミン姫が美しいか、逆にファンを増やしそうな勢いで美辞麗句を並べたてていた青年達を思い出し、ヌートン大使は眉をしかめる。


「彼等がパロマ大学に留学する子息だったのも、悪かったですなぁ。なまじ文才があるので、『月夜のジャスミン姫』という詩を作り、ユングフラウの夢見がちな文学青年達が大使館の前を彷徨いて困っているのです」


 恨めしそうな視線で、女装したのがバレているのかな? とショウは冷や汗を流す。


「彼等がパロマ大学に留学したら、煩わせることも無くなりますよ」


 お気楽なショウの言葉に、日々鬱陶しい思いをしているヌートンは、プチッと切れた。


「彼等が、秋学期に間に合うように旅立つまで、我慢しろと? これからフィリップ皇太子の結婚式にユングフラウに集まった、王族や外交官との話し合いが何件も行われるのに、こんな有り様なのですよ。キチンと解決して下さい!」


「解決? 何を言ってるのですか? グレゴリウス国王に苦情を言うのなら、しますけど……」


 シラを切るショウに、クッションの下から取り出した鬘をズボッと被せる。


「うっ、美しい! バッカス大使め、趣味に走ったな」


 ショウだとわかっていても、鬘を被った顔が絶世の美女に見えて、ヌートン大使は自分はそんな趣味は無いと頭を振る。


「何をするのですか!」


 ショウは、鬘を投げ捨てた。ヌートン大使は床に落ちた長い髪の鬘を見て、首を横に振りながら、問題を解決するにはショウを説得するしかないと決断する。


「幸い今夜は月夜です。恋患いのクリストファーをジャスミン姫が見舞えば、大使館の前もすっきりするのです。このままでは、相手国の大使館に出向いてしか会談が持てませんよ」


 ショウはララもいるのに女装なんかできないと拒否する。


「ショウ様? 私がいると何ができないのですか?」


 タイミング悪く、荷物を侍女に解かせたララとカミラ大使夫人がサロンに入ってきて、床に投げ捨てられている鬘を不審そうに拾い上げる。


 ショウは許嫁のララの前で女装だなんて末代までの恥だとソッポを向くが、その不自然な態度でララとカミラ夫人は理由はわからないけど、女装? と目を輝かせる。


「この鬘は、ショウ様が被るの?」


 目を煌めかしているララに詰め寄られて、ショウはソファーを後ずさる。


「えっ? もしかして……」


 カミラ大使夫人は、大使館の前に居座っているマリーゴールド号の青年達が一目会いたがっている絶世の美女ジャスミン姫とは、ショウ王子の女装姿? とピンときた。マルタ公国のバッカス大使の変わった趣味は、耳にしていたので、マリーゴールド号の人質救出の際にショウ王子を女装させたのだろうと思い当たって、笑いを堪える。


 ララはソファーの端までショウを追い詰めて、鬘をズボッと被せた。


「ショウ様……いゃ~ん! とっても、綺麗だわ~」


 ショウは鬘を投げ捨てて、ララに酷いなぁと愚痴る。


「男が女装だなんて変だよ! ララは僕が女装しても嫌じゃないの?」

 

「ええ~? とても素敵になのに……それに、ショウ様が女装しようと好きだもの」


 ララはショウの顔が大好きで、女装して自分より美女に変身しようと全く構わないし、お化粧をしてあげたいと思う。


「ほら、許嫁のララ姫の許可も出たのですから、ショウ王子お願いしますよ。ほんの一時間かそこら、女装するだけじゃないですか。それにクリストファーには、短時間会うだけで良いですから。国に許婚がいるとキッパリ言ってやれば、諦めて立ち直りますよ」


 ヌートン大使は鬱陶しい青年達を大使館の前から追っ払って、フィリップ皇太子の結婚式に列席する、各国の代表者との会談に集中したかった。


 ララがショウの女装を嫌がっていないと察したヌートン大使は、経緯を説明して援助を仰ぐ。


「まぁ、クリストファー青年が一目惚れして、恋患いにかかるほど綺麗なのね~。ショウ様、是非お見舞いに行ってあげないと」


 ショウは期待に目を輝かすララとカミラ夫人に追い詰められる。


「ララ、僕が女装趣味に目覚めたら、君も困るだろ」


 ララは、ショウが女装趣味に走るとは思わなかった。可愛い顔をしていた子供の頃から、妻を養えないと心配していた男らしい性格を知っていたからだ。


「ショウ様は大丈夫よ、根っからの女好きですもの。出航の日も朝帰りだったぐらいだから、一度ぐらい女装しても平気よ」


 レティシィアの屋敷に泊まった事を当て擦られて、ショウは許婚達を情報部員に採用すべきではと考えを逃避させる。

 

「でも、クリストファーが何度も会いたいと言い出したら困るよ」


 ヌートン大使はかなり折れてきているなと一気にたたみ込む。

 

「それは考えております。背の高い侍女を竜でメーリングに乗せていき、レイテの許婚の元に帰国させますから。結婚してしまうジャスミン姫に、いつまでも恋患いしてられませんよ。それにフィリップ皇太子の結婚式で、イルバニア王国中でパーティーが開かれますから、失恋したクリストファーを友達が連れて行きます」


 このままでは馬車で表玄関から出入りするのも困難ですと泣きついたり、ほんの一時間ですからと宥められて、外交の達人にショウは口説き落とされた。


 


「まぁ、本当に綺麗だわ」ララの賛辞に、ショウはしかめ面をする。


「憎らしいほど、綺麗なお顔ですわ」


 化粧を施してくれたカミラ夫人は、自分の自信作がこれほど綺麗なのに、嫉妬を覚える程だと笑う。


「こんな茶番、サッサと済ませるぞ」


 外出用のレースのベールをララは不機嫌なショウに掛けてあげながら、綺麗な顔にうっとりと見惚れる。


「ショウ様、素敵だわ~」


「ララ?」

 

 勘弁してくれよと愚痴りながら、付き添いのカミラ夫人と共にクリストファー青年の屋敷に裏手の通用門から馬車で向かう。


「私が絶対に二人っきりにはさせませんので、ご安心下さい」


 まるで未婚の姫君の付き添いみたいだと、ショウは苦笑する。クリストファー青年の屋敷はユングフラウの郊外にあり、事前にジャスミン姫がお見舞いに行くと手紙を出していたので、両親が丁重に出迎えた。


「人質になっていたクリストファーを助けて頂いた上に、今回はお見舞いに来て頂きまして……」


 馬車から降りたジャスミン姫に父親はお礼を言いかけていたが、口をポカンと開けて顔を眺める。


 母親は綺麗だとは息子から聞いていたが、これほど迫力のある美女だとは思ってもなかった。しかし、見舞い客を玄関先に留めていてはいけないと、見惚れている主人の脇腹を突っついて正気に戻す。


「失礼いたしました。あまりのお美しさに、言葉を忘れていました。クリストファーの部屋に御案内致します」


 ジャスミン姫と大使夫人を息子の部屋に案内しながら、両親はこれはとても手が届く存在では無いと、諦めの溜め息をつく。東南諸島の姫君に一目惚れした息子の願いを叶えてやりたいと思っていたが、ジャスミン姫にはもっと高貴な相手がいるだろうと確信した。


 クリストファーはジャスミン姫が見舞いに来てくれると聞いて、食事をとり、風呂に入って休息していた。部屋に入ってきたジャスミン姫を見た途端、付き添いの夫人や両親さえも、恋するクリストファー青年の目には映らなかった。


「ジャスミン姫、このような場所にお越しいただいて、感謝しております」


 ベッドから飛び降りて、跪いてジャスミン姫の手にキスをするクリストファーに全員が呆れる。


「病だと聞きましたが……」


 両親は慌てて、先程までは食事も喉を通らずと弁解した。その間もジャスミン姫の美しさを讃えるクリストファーに、大使夫人は割って入る。


「クリストファーさん、ジャスミン姫は病だと聞いてお見舞いにわざわざユングフラウに寄って下さったのです。もう、お元気になられたようですし、お暇させて頂きます」


 クリストファーは大使夫人に遮られても、ジャスミン姫への賛辞を止めない。


「月の女神のような御方だ。ジャスミン姫、私と結婚して下さい」


 ショウは男からのプロポーズに頭がクラクラして、大使夫人に任せて顔を伏せる。


「ジャスミン姫には、許婚がいらっしゃいます。クリストファーさん、再来月には結婚されますので、手紙も迷惑です」


 クリストファーはフラ~と倒れ掛けて、父親が慌ててベッドに休ませる。


「ジャスミン姫、東南諸島は一夫多妻制なのに……私なら貴女だけを愛しますよ」


 ショウはこの色ぼけ男に、引導を渡すことにした。


「私は許婚を愛しております。クリストファーさんにも心より愛する御方が見つかりますわ」


 ベッドに近づくと、チャッカリ手を握ってくるイルバニア王国の男に、ショウは手厳しくパシンと振り払った。


「許婚がいると、申し上げましたでしょ。クリストファーさんも元気でお過ごし下さい」


 両親は全く自分の馬鹿息子の色ぼけ加減に呆れ返り、申し訳ありませんと謝りながら、ジャスミン姫と大使夫人を見送った。


 クリストファーの屋敷の前には、友人達が噂を聞きつけて集まっていたが、父親にジャスミン姫にこれ以上迷惑をお掛けしてはいけないと怒鳴られた。


「クリストファーと結婚してやって下さい」


 怒鳴られても懲りない恋愛至上主義のイルバニア王国の青年達に、ショウは溜め息をつく。


「私には、愛する御方があります」


 恋愛には、恋愛で答えるしかない。


「え~、嘘だろ~」


「クリストファー、失恋じゃないか」


 他に愛する人がいると宣言されては仕方が無いなと、ジャスミン姫に救出のお礼や結婚のお祝いを述べて馬車を見送った。


「やはり綺麗だったなぁ~」


「あの時は、お迎えの女神様かと思ったものなぁ~」


 馬車を見送る友人達に、父親は大使館の前に行くのは止めるようにと忠告する。


「そんな無駄なことをしているより、息子とパーティーでも行って可愛いお嬢さんを口説くことだな。ジャスミン姫は、手の届かない存在だ」


 全員が今宵見たジャスミン姫の美しさに溜め息をつきながら、クリストファーの父親の忠告に従った方が良いと悟った。



 ぷんぷん怒りながら大使館に帰ったショウの顔が、アスラン王が女装しているように見えて、ヌートン大使は不敬だと落ち込んだ。


 乱暴に鬘を脱ぎ捨てて、顔の化粧を洗い流すと、ショウは何があっても二度と女装はしないと決意する。


「ええ~、もう着替えてしまわれたの?」


 少し残念そうなララに、女装していたらこんなことはできないよとキスをして黙らせた。ウットリしているララに、絶対に秘密だよと誓わせる。

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