第5話 旅立ち

 年明けから、ショウはベスメル次官に内政を叩き込まれながら、武術指南と剣の稽古という落ち着いた生活を送っていた。真珠の養殖はレティシィアが熱心に取り組んでいたし、雨ガッパ、水中メガネは、儲けに目聡いレイテの商人に開発を任せた。


 それにミヤが推薦した侍従の中から、ラズリー、トマッシュ、ケリガンを側仕えに昇格させて、開発の経過報告をさせたり、レイテの埋め立て埠頭の工事の状況を見に行かせる。レティシィアの真珠の母貝を集める漁師との交渉にも立ち会わせたりしていたので、ショウの負担はかなり軽減された。


 そんな平穏な日々を送っていたショウだったが、変化も訪れていた。無事に海軍士官候補生の試験に合格したピップスが、出立の挨拶をしに来たのだ。


「ピップス、本当にパロマ大学に留学しなくて良いの? 竜騎士と言っても、東南諸島連合王国では特別視されないんだよ。カザリア王国でパロマ大学に通いながら、ウェスティンで竜騎士の修行をした方が楽だよ」


 ピップスも成長期で背が伸びてはいたが、着慣れない生成の士官候補生の軍服姿はまだ幼い感じが抜けきれてなかったので、厳しい海軍での生活は辛いだろうと心配したのだ。


「ご心配して下さり、ありがとうございます。でも、私なんか遅いぐらいです。他の士官候補生は13歳ぐらいから、軍艦に乗るそうですからね。それにカドフェル号に乗艦を許されて、とても嬉しいです」


 他国出身のピップスを士官候補生として受け入れてくれたのは、カドフェル号のレッサ艦長だった。乗務員や士官と違い、士官候補生という役立たずを受け入れて士官に育てるのは、艦長としての後輩指導の好意で成り立っている。

 

 まして、ピップスにはシリンがまだパートナーなのに離れがたいと付いてくるのだ。レッサ艦長はサンズやシリンに慣れていたし、ピップスの性格も知っていたから、竜付きの士官候補生として受け入れてくれたのだ。


「カドフェル号にはワンダーやバージョンがいるから、少しは安心だけど……辛くなったら僕に言ってよ。何で竜騎士なのに、厳しい海軍で修行しなくちゃいけないのかなぁ」


 ショウがピップスの件で心配する通り、東南諸島連合王国では竜騎士は海軍ではなく、正式には陸軍に属していた。しかし、竜騎士の地位を向上させたいアスラン王は、格下扱いの陸軍で修行させるより、海軍で士官になってから竜騎士として王宮や大使館に配属させていたのだ。


 本当は竜を愛するアスランは、竜騎士だけの養育システムを作りたかったが余りに少人数なので諦めて、尊敬される海軍士官という付加価値を与えた。


 ピップスは猛勉強して士官候補生の試験に合格していたし、ショウにしごかれて、位置の測量や計算は困らないようになっていた。


「立派な士官になって、ショウ王子の護衛になります」




 ピップスがショウの元を旅立った頃、ターシュの雛達も巣から出るようになった。鷹匠から報告を受けたショウは、やいやいと催促の手紙を何通も送ってきているシェパード大使を雛達に会わせなきゃと、側仕えのラズリーに手紙を持たせて都合を訪ねて来させた。


「シェパード大使は、直ぐにでも雛を見たいと仰せでした」


 ショウは自分の執務室でベスメル次官から内政の件でしごかれてウンザリしていたので、ラズリーに今日の昼からでも如何ですかと走り書きして渡した。


 ベスメル次官は自分の細かい所までキチンとしたい性格が、ショウには負担なのはわかっていたが、王太子として知っておくべきだと他国の駐在大使に走り書きは如何なものでしょうと注意する。


 フラナガン宰相は、自分とは水と油のベスメル次官がショウ王子をキュウキュウ締め上げているのを、執務室の前を通りかかって苦笑した。


 ベスメル次官は内政は得意だが、外交は久しぶりに外務大臣を別に任命した方が良いかもしれないと、フラナガン宰相は考えた。


 礼儀作法上はベスメル次官の言う事が正論だが、ショウは一刻でも早く雛を見て報告したいというシェパード大使の意向に添った行動を取ったのだ。


「あれは、ショウ王子の遣り方で間違いじゃない……」


 王宮を留守がちにするアスラン王から全幅の信頼を寄せられて、内政、外交の総てを取り仕切ってきたフラナガン宰相だったが、そろそろ引退の時期がきている。


 全体像を重視するフラナガン宰相は、細かい事に気付くベスメルを次官にして特に内政面を任せていた。自分の後釜としてベスメル次官の名前が上がっていた。ショウの許婚の祖父に当たるので、宰相になるのが当然だと誰もが思っている。


 しかし、古狐のフラナガン宰相は、外交をベスメル次官に任せるのは心配だった。フラナガン宰相は東南諸島連合王国の忠臣であり、且つ、策略家だ。自分の息子のファックスはプチベスメルで、細かい所に拘る所は似ているが、ベスメル次官ほど筋が通っていないと溜め息をつく。


「卵を一つの籠に入れるのは危険だと商人は言うが、政治でも同じかもしれないな。ベスメル次官には、内政と外交の両方は無理だ。あんなに細かい事に拘っていては、刻々と変わる外国の政情に反応しきれない。まだ、若いショウ王子の方が、外交センスがあるぐらいだ。先日の約束が、状況が変われば反古にされる事など日常茶飯事だが、ベスメル次官は前の約束の履行を迫るだろう」


 フラナガン宰相は自分の息子のファックスを宰相にさせるのは諦めていたが、孫のシーガルの文官としての素質は認めていた。それだけに、ベスメル次官の息子アシャンドの能力が気になっていたのだ。


「アシャンドは父親のベスメルより、物腰も柔らかで外交センスもありそうだ。それにシーガルより年上なのも有利になる。ベスメル次官を宰相にするのは拙いな。アシャンドが宰相の息子となれば、シーガルに勝ち目はない。しかし、国務大臣の息子と元宰相の孫なら、少しは勝ち目が残っているかもしれない。外務大臣は誰を薦めたら良いだろうか?」


 フラナガン宰相は、国益と家門の栄達を両立させようと考え込む。アスラン王が宰相の執務室の前を通りかかって顔を出し、自分が入室したのにも気づかないのに呆れて忠告する。


「フラナガン、余計な事は考えるなよ」


 突然声を掛けられて、心の中を見透かされたような気がしてフラナガン宰相は少し微笑んだ。


「これはアスラン王、いらしているのに気づきませんでした」


 アスランはにこやかに椅子を勧めるフラナガン宰相に、古狐め! と内心で毒づく。


「お前のことだ、ベスメル次官には外交は無理だとか言い出すのだろう。それは事実だから構わないが、アシャンドやシーガルの事はショウに任せるのだ。彼奴の宰相や大臣は彼奴が決めるさ。第一、その頃には、お前は海に帰っているだろうに……」


 確かに、ショウが王位を継いで人事を一新する頃には、母なる女神の元に帰っていると苦笑する。


「年老いた臣に、酷い事を仰る」


 恨み言を言うのを退けて、アスランは当分は殺しても死にそうには無いがなと笑う。


「ベスメルには外交は無理だな。誰か補助ができる外交センスのある奴を次官に据えろ」


「補助の次官? ではベスメル次官が次期の宰相なのですか?」


 アスラン王は気儘な自分を支えてくれたフラナガン宰相に、馬鹿か! と怒鳴りつけた。


「お前も耄碌してきたな! 今の宰相はお前だろうが。ベスメルが内政の次官なら、外交の次官を据えてバランスを取れ。そんなに働いて、プチンと頭の血管が切れたら困るじゃないか。年を取ったのだから、少しずつ仕事量を減らさないと、私が宰相を失ってしまう。留守番がいないと、自由に飛び歩けなくなるからな」 


 飛び歩かないで下さいと言いつつも、アスラン王が国益の為に最善の案を出したのに涙が出そうになった。


 フラナガン宰相は、アスラン王がシーガルに宰相にならせたいと望んでいるのを叱りつけたくせに、アシャンドと同じスタートラインに付けるように考えていると感激する。


 しかし、少し考え直す。自分やベスメルの為ではなく、国益の為とショウ王子がベストな人材を選べるように考えているのだと気づく。


「そうだ、こんな事をしている場合ではないのだ。白雪の雛を見に行かなくては! シェパード大使に先を越されたら、腹が立つからな」


 王位に就いてからずっと支えてきたフラナガン宰相は、ご立派になられてと感慨に耽っていたが、カザリア王国と鷹のことで揉めないで下さいよと背中に叫んだ。



 ショウがシェパード大使を鷹舎に案内してきた時、アスラン王は久しぶりに巣を離れた白雪を腕に止まらせて、餌を与えていた。


「父上、シェパード大使をお連れしました」


 シェパード大使は外交官として挨拶をしながらも、アスラン王の愛鷹である白雪の美しさに、完敗だと内心で毒づく。


「美しい鷹ですね。ターシュがめろめろなのも仕方ないな。雪の降らない東南諸島なのに、早朝の雪景色のような一筋の汚れも無い美しさだ」


 気を取り直して、シェパード大使は鷹匠に雛達を見せてくれと頼む。


「言っておきますが、鷹舎の中で騒いだりしないで下さいよ」


 子どもではあるまいにとシェパード大使はカチンと来たが、故国からエドアルド国王のターシュと雛達の様子はと、催促の手紙が届いていたので頷いて鷹舎に入る。


 白雪が外にいるので、鷹舎の中ではターシュが高い棚に止まって、巣の中や外でヨチヨチしている雛達を見衛っていた。


『可愛いね~』


 ショウはピィピィ鳴いている雛から目が離せない。


『白いのが雄で、茶羽根のが牝だ』


 ターシュは自慢そうに、雛達を紹介した。白い雄はまだ眠いのか、巣の中でウトウトしている。


『白い雲みたいにふわふわだね~』


 茶羽根の二羽はお腹がすいたと、巣の外でピィピィと鳴いていた。その姿の愛らしさに、ショウとシェパード大使はいくら見ていても飽きないと思った。


「そろそろ出て下さい」


 鷹匠にあっという間に追い出されて、鷹舎の外で文句を言っているシェパード大使に、ショウは雛達の性別を教えた。


「ええ? 白いのが雄で、茶羽根の二羽が牝なのですか」


 ターシュと話せるのはショウだけなので、シェパード大使は他には何か言ってませんでしたかと尋ねる。


「何かって、雛達の性別を教えてくれただけですよ」


 アスランはシェパード大使が知りたいのは、ターシュがいつカザリア王国に帰るのか、その時に雛達を連れて帰るのかだと笑った。


 白雪は餌を飲み込むと鷹舎へ飛んでいき、代わりにターシュが外へ出て来て木の枝に止まった。


「ターシュ、何時になったら帰るんだい? エドアルド様は寂しがっているよ」


 ターシュにはシェパード大使の言葉は聞こえなかったが、何を言っているのかは察した。


『ショウ、当分は帰らないと伝えてくれ』


 そう言うとターシュは、白雪に餌を取ってくると飛び立った。


『ちょっと待ってよ、白雪はさっき餌を食べていたじゃない』


 ショウの制止を無視してターシュは飛び去り、鷹匠からあれは雛達に与えるのですと説明された。


「ショウ王子、ターシュは何と言ったのですか?」


 ショウは言い難いことを、詰め寄るシェパード大使に伝えた。


「当分? 当分とは何時までなのでしょう」


 そんな曖昧な報告をしたら、エドアルド国王に罷免されてしまうと泣きつく。


「さぁ? でもターシュがそう言ったのですから、仕方無いですよ。雛達を育てている間は白雪の側を離れないと、前も言ってましたから」


 もう一度雛達を見たいというシェパード大使の要求を、鷹匠はキッパリと断る。


「白雪が神経質になったら、雛達を殺してしまうかもしれない。母鷹は神経が繊細だから、雛を育てている間は人間にうろちょろされたくないんだ」


 アスラン王の鷹匠の無礼さに、シェパード大使は腹を立てたが、20年近くも雛を産ませられなかったので反論はできない。


「王宮でお茶でも如何ですか?」


 ショウに鷹舎の前から退きましょうと促されて、渋々シェパード大使は歩き出す。


「あっ! 肝心なことを聞いていませんでした。雛達は話せるのでしょうか?」


 ショウはピィピィとしか聞こえなかったので、さぁと肩を竦める。


「お前は……」


 カザリア王国の大使の前だから、ヘナチョコと毒づくのを飲み込んだアスラン王だった。 

 

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