第10話 ゾルダス港

 アレクセイは、ミーシャの探索結果を待って眠れぬ夜を過ごしたが、明け方に仮眠を取ると、後を弟のナルシスに任せる。


「父上も具合が良くないし、私はショウ王子とゾルダス港の視察に行かなくてはならない。カニンガム伯爵達がミーシャの行方を探しているが、指揮をお前に任せたぞ」


 ナルシスは、兄上がローラン王国の逼迫した状勢をどうにか打開したいと、東南諸島連合王国との合同事業として造船所の建設に望みを託しているのを知っている。なので、ミーシャの件を気にかけながらも、ショウとの視察を取り止められないのを理解した。


「それは勿論引き受けますが、アリエナ妃に秘密のままで良いのですか?」


 アレクセイは、ウッと言葉に詰まる。嫁いできたアリエナは、イルバニア王国で国王夫妻の愛情をたっぷり注がれて、兄弟姉妹と賑やかに遊んだり喧嘩をしながら育った。ミーシャの存在は知っているが、アレクセイやナルシスも公式には会ったことが無いと知って驚き呆れたのだ。


「母親は違いますけど、妹なのでしょ? なのにお会いになって無いのですか?」


 アレクセイは帰国後に気になって、ナルシスとヘンダーソン家に会いに行ったのだが、父上が紹介されないのにと躊躇って、屋敷の外から庭で遊ぶミーシャを見て帰ったと告白した。


「あの頃は9歳だったのかなぁ。凄く幼く見えて、突然訪ねて行っても驚かすだけに思えたのだ。そのうち父上から何か話があるのではと、思っていたのだが……」


 アリエナはまだコンスタンス様にお気持ちを残していらっしゃるのだろうと、復縁は有り得るのかと質問した。


「母上も父上には愛情を持っておられるとは思うのだが、私達が帰国する時に、キッパリとローラン王国に行く事を拒否された。辛い幽閉されていた時の思い出が、邪魔をしているのだろう。私も今でも幽閉されていた時の塀の中から見た灰色の空を思い出すとゾッとするから、母上がローラン王国に来られないのはわかるよ」


 アレクセイは、ミーシャに興味津々のアリエナに、余計な波風を立てないようにと釘をさした。


「こういう微妙な問題に、貴女はかかわらない方が良いです。いえ、かかわらないと約束して下さい」


 嫁ぐ際に皇太子妃として政治や軍事に口を出さないように、母上や父上から厳しく言われて来ていたし、新婚のアリエナは年上の夫に逆らわなかった。しかし、折りにふれてはミーシャと会いたいと言って、困惑させていたのだ。


「ミーシャが行方不明だなんてアリエナが知ったら、探し出すと言い出しかねない。何処にいるのか、誰が関与しているのかも知れぬのに、絶対に知らせてはならない」


 ナルシスも、アリエナの性格では、揉め事を大きくするだけだと思ったので、兄上の指示に従うと約束する。


「今日は私とショウ王子がゾルダス港の視察に行く間、アリエナはロジーナ姫と昼食とお茶を一緒に取る予定になっている。お前も顔を出して、アリエナを助けてやって欲しい」


 ナルシスはロジーナならアリエナと上手く過ごすだろうと思い、まぁ、それが問題何だよなぁと呟いた。自国を訪れた王子の婚約者に、気を使わせていたのでは、ホステス役は失格なのだ。



 アレクセイは、ショウとゾルダス港の視察に行った。


 ローラン王国からも何人かの官僚が竜騎士に乗せて貰って参加していたし、東南諸島連合王国の方も大使館付きのベリージュ大尉がリリック大使を乗せて同行した。


「良かった! 未だカドフェル号がいた!」


 ショウは、この所は雪が降ってばかりなので、レッサ艦長がケイロンからカドフェル号へと帰艦してしまい、出航しているとばかり思っていたのだ。港にはプカプカ流氷の小さな塊が浮いてはいたが、未だ覆い尽くされてはいない。


 アレクセイは、竜騎士であるショウなら、少しゾルダス港より南の港にカドフェル号が移動しようと問題は無いはずなのにと、改めて海洋国家の王子なのだなぁと笑う。


「まぁ、アレクセイ皇太子の仰る通り、サンズで飛べばすぐなのですが、やはりカドフェル号が港に碇泊しているのを見ると安心するのです。船は私達にとって、第二の家みたいな物なのですよ」


 レイテを出航してから世界を一周したのだと、ショウは懐かしそうにカドフェル号を眺める。



 造船所の予定地の候補をアレクセイに案内されて視察したが、雪に覆われて内陸に農家らしき集落があるだけだ。


「土地の買収には苦労しそうにありませんが、造船所で働く人達の生活環境も整えなくてはいけませんね」


 ショウは暖かい東南諸島育ちの船大工達が、この寒さに耐えられるだろうかと身震いしながら心配する。


 冬場の仕事がローラン王国には必要なのだろうが、こう寒くては仕事も捗りそうにない。寒さも平気そうに案内するアレクセイを恨めしげに眺めたショウは、ニューパロマも此処ほどは寒くは無かったと内心で愚痴る。


 アレクセイは、ショウがサンズ島や、チェンナイ貿易拠点などの開発を手がけているだけに、造船所を建設する前から労働者の生活を考えているのに感心する。


「ショウ王子? そろそろ移動しましょう」


 寒さの苦手なショウは、待ってましたとサンズに飛び乗る。その様子にアレクセイは、しまった! 東南諸島は暖かいのだと、もっと早くに移動するべきだったと反省する。


 寒い雪の中で話し合うのも限界があるので、予定地を下見するとゾルダス港の港湾管理事務所に向かった。此処にはローラン王国の交易の窓口として、官吏が詰めていたし、外務省からも接待役が先に来て応接室に昼食を用意させていた。


 ショウは暖炉の暖かさにホッとしていたが、アレクセイは気を緩めると、ミーシャの消息を心配してしまうのだ。



 実は、ミーシャはゾルダス港の近くにいた。


 突然、夜中にマルコイ伯父に起こされて、服を着替えたミーシャはルドルフ国王の命令で修道院へ暫くの間居なくてはいけないと言われて驚いた。


「お前を竜騎士と結婚させて、王位につかそうという怪文書が配られたのだ。ほとぼりがさめるまで、修道院で身を慎んでいろとの御命令だ」


 滅多に会うことは無かったが、優しい父上がそのようなことを仰るとはミーシャは悲しくなってしまったが、伯父に急かされて祖母に挨拶も出来ずに馬車に乗せられた。


 夜中走った馬車が、朝になっても修道院に着かないのをミーシャは不審に思った。それに朝日の中で見た毛皮を着た男が、父上の遣いの者には、世間知らずのミーシャにも思えなかったのだ。


「何処の修道院へ連れて行くのですか?」


 恐怖に震えながらも、勇気を振り絞って質問したが、知る必要はないと笑われた。その笑い声を聞いた瞬間、この男は父上の遣いなどではなく、行き先も修道院では無いのだとミーシャは悟った。


 途中で宿屋らしき所で休憩した時、ミーシャはどうにか逃げ出そうと男の隙を探したが、洗面所にも付いて来られて恥ずかしさに真っ赤になる。男は洗面所に人が通れそうな窓が無いのを確認して、やっとミーシャを一人にしてくれたが、これから何処に連れて行かれるのか不安で昼食は喉を通らなかった。


 何度か休憩を挟みながら、昼も夜も馬車での旅は続いた。途中で男達の隠れ家らしき小屋で、馬を交換したりしたが、急いですぐに出立した。


 ミーシャは毛皮の男がゲノンと呼ばれているのを知ったが、自分に危害を加えるつもりが無いのにも気づいた。


 ずっと緊張していたミーシャだったが、喉の渇きと危害を与えられない油断から、ゲノンに勧められたお茶を飲んでしまい、その後の記憶が途切れ途切れになった。


 雪が降りしきる中を、馬車でどれほど進んだのか、ミーシャにはわからなかった。 



 寒さに目覚めると、そこは馬車の中ではなく、粗末な部屋だった。床に寝ていたミーシャに薄い毛布が掛けられていたが、火の気の無い部屋は寒い。 


 ドアを開けようとしたが、鍵が掛かっていたし、部屋には窓が無い。隣の部屋では、何人かの男達が言い争っていた。


「東南諸島の軍艦がゾルダス港に居座っているんだ。今は無理だぜ!」


「今、出航しなければゾルダス港は春まで凍りついてしまう! 夜にそっと荷物を乗せて出航すれば良いんだ」


 ゲノンの声が相手を威嚇しているのに、ミーシャは気づいた。


「ゾルダス港! 私は外国に連れて行かれるの?」


 何の目的かはわからなかったが、ゲノンのいう荷物が自分ではないかとミーシャは怯えた。二人の話し合いはゲノンが金を渡して決着が付いた様子で、ミーシャは今夜船に乗せられるのだと悟った。


「マルコイ伯父様! まさか……」


 世間知らずのミーシャだったが、此処まできて自分がマルコイ伯父の借金の形に売られたのではと疑問が湧いてくる。


「そんな事はマルコイ伯父様とはいえ、されないわ! だって、伯父様なのよ」


 必死で自分の疑惑を打ち消そうとしたが、毛皮を着たゲノンの雰囲気は、とても真っ当な仕事をしているとは思えず、涙が溢れてくる。


「外国に売られたら、二度と父上やお祖母様に会えないのね。兄上達にも会えないままなのだわ……」


 アレクセイ皇太子とナルシス王子にとって、自分など気に止めてない存在なのは承知していたが、一年前の結婚式のパレードでお顔が見れるとミーシャは楽しみにしていた。


 厳格な祖父は、日陰の身なのに皇太子達と会いたがっているミーシャにあまり良い顔はしなかったが、群衆に紛れてなら問題無いだろうと渋々許可をくれた。しかし、雷と嵐でパレードは中止となり、ミーシャは兄上達の顔も新聞の絵姿で見ただけだったのだ。


 この小屋があるゾルダス港に、その兄上であるアレクセイ皇太子が来ているとは、ミーシャは知る由も無かった。

  

 


 港湾管理事務所で昼食を取ったアレクセイ皇太子は、ショウ王子にカドフェル号を見せて頂けませんかと申し込んだ。


 見学しても、即軍艦を造船できるとは思えないから、良いかな? ショウの目での問いかけに、リリック大使は頷く。


「アレクセイ皇太子、カドフェル号にご招待しますよ」


 東南諸島の軍艦になど滅多に乗艦する機会が無いので、アレクセイ皇太子は見学が許されて喜んだ。


 カドフェル号の乗組員達が磨き上げている甲板に賞賛の声をあげたり、レッサ艦長に挨拶をしたアレクセイは、近海に現れる密入国をさせると言って女子供を売り飛ばす海賊船の件を相談する。


「そのような海賊船は、見た目は商船や、護衛船と変わりは無いですからね。乗組員達も見た目は海賊に見えないように偽装しています。武力で商船を襲うのでは無く、難民達から金を取って密入国されると騙すのですから、刀などを大っぴらには持ち歩いてもいないでしょうし、実際に荷物も運んでるかもしれません。なかなか現場を押さえないと難しいですね。まして、密入国しようとしている者達は、マルタ公国に着くまで騙されたのを知らない者もいると聞きますから、船倉に大人しくしていてたら見つけ難いですな」


 アレクセイはゾルダス港に碇泊している商船を眺めて、管理人達に乗り込み調査を徹底的にさせるしか無いのかと溜め息をついた。


 ショウはレッサ艦長にゾルダス港に碇泊している間に、怪しい密入国者を乗せようとする動きがあれば報告するようにと、連絡係にピップスを置いていった。


 この時は、ミーシャ姫がまさか海賊船に乗せられるとは、ショウも考えてもいなかった。


 ただ、スーラ王国でイルバニア王国の商船が何隻も海賊に襲われた件で、マルタ公国に腹を立てていたのと、人身売買が許せなかったのだ。


「マルタ公国のジャリース公とは、いずれ決着を付けなくてはいけなくなるな。何故、海賊達を保護するのか理解できない……」


 苛つくショウは、カドフェル号がゾルダス港に碇泊している間はせめて海賊達の思い通りにはさせまいと思ったのだ。


 夜にならないうちにケイロンへ帰ろうと、アレクセイとショウはカドフェル号を後にした。



 連絡係として残ったピップスは、カドフェル号の乗組員達から湿気たゾルダス港の悪口をたんまりと聞かされる。


「こんなに寒くては、酒でも飲まないとやってられないぜ! なのに、チンケな酒場しか無いときてやがる」


「港町なのに、ロクな女もいないんだぜ!」


 乗組員達の愚痴を聞いていたピップスは、マシな女がいる所を知らないだけだという得意気な呟きを耳にする。


「ルシン、そんなマシな女なんて、ゾルダス港ではお目にかかれないぜ!」


 ルシンと呼ばれた乗組員は、得意そうに金次第だと自慢する。ピップスは知らなかったが、チェンナイ貿易拠点のカジノの支配人の不正な貯蓄は、カドフェル号の乗組員達にも分配されたのだった。


 家族持ちの乗組員や真面目な者は、スーラ王国のサリザンや、イルバニア王国のメーリングで、家族に送ったりしていたが、全額は送らずに懐に隠している者も多かった。それで、乗組員達はルシンを取り囲んで、マシな女のいる場所を聞き出す。


「ローラン王国の難民が、イルバニア王国に密入国する為の船賃を稼ぐのに、嫁さんや娘に客を取らせているんだ」


 ルシンの話に、ちょっとそれは拙いのではと、乗組員達はどん引きする。


「俺達は、その難民を騙して売り飛ばす海賊船を捕まえるのが仕事だぞ! お前、エロボケし過ぎだ!」


 ピップスもその通りだと非難の目を向けたが、聞きつけた士官達はルシンに、何処で客を取っているのだと厳しく質問する。


 一瞬、士官達も難民の娘を買いに行くのかと誤解しかけたピップスだったが、そんな阿漕な真似をさせているのは海賊の一味だろうが! と怒鳴られているルシンを見て納得する。


 怒鳴られてションボリと小さくなったルシンは、場所を事細かく説明させられた。レッサ艦長はルシンに説教はしたが、海賊のアジトを見つけたのかもしれないと、罰は与えなかった。


「ピップス、ショウ王子に海賊のアジトを見つけたかもしれないと報告してくれ。ローラン王国の領地での捕り物は任せた方が良いだろうが、ゾルダス港はいつ凍り付くかわからないから、海賊船は難民達を乗せて早く出航したがっているだろう。そちらを取り押さえるのは、私達の出番だな」


 ルシンはレッサ艦長に罰は受けなかったが、厳しく説教されるし、仲間の乗組員達からもエロルシンと徒名で呼ばれるし散々な目に遭った。

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