第15話 海に船を浮かばせて
ショウはラシンドに手を引っ張られてバザールを出て、レイテの中心街に来た。
ラシンドは凄く張り切っているけど、仕事は良いのかとショウは心配になる。
「あのぅ、ハーミヤさんに怒られませんか?」
「いや、良いのです。サッサと壺を売って、船を見に行きましょう!」
ハーミヤには、後で叱られたら良いだけだ。船を買うチャンスを見逃せるかと、ラシンドは興奮している。
ショウはラシンドがそんなに張り切っているのが不思議だった。他人の船を買うのだとわかっているのかな? 自分の船じゃ無いのに、何故?
レイテの中心街にある高級感溢れる骨董品店に、大商人のラシンドはドアマンに恭しく出迎えられる。
ショウは自分一人では入る勇気がいる店だよなぁと、自分をラシンドの息子かなんかに勘違いして一緒に入れてくれたのだろうと、武術に長けてそうなドアマンを見上げる。実際は王子としての服装や、おっとりとした雰囲気で、扉を護っているドアマンは身分の高い子息だと感じていた。
「これはラシンド様、御用をお伺い致しましょうか?」
骨董品店の店主は、大商人ラシンドの来店を手揉みをしながら出迎える。
「いや、今日は縁戚の子供の付き添いで来たのです」
ラシンドはアスラン王がショウに壺を売り飛ばしても良いと言ったのは、売り買いの仕方を学ばす為ではないかと考えて、本人に遣らせてみることにする。
余りに低い値だと、良い船は買えないから困るから、その時には口を出すつもりだ。
店主は大商人ラシンドの用事では無いと聞いて一瞬ガッカリしかけたが、そこは商売の都レイテで一流と呼ばれる店を構えているだけあって、顔には微塵も表さない。
店主に店の奥の贅沢な調度品に囲まれた小部屋に通されたショウは、上着の下に入れて持っていた壺をテーブルの上に置く。
「これを売りたいのです」
店主は一目でガルシア焼きの逸品だと見抜く。
「手にとって拝見させて頂いても、よろしいでしょうかな」
目利きの店主はショウが身分の高い王族の一員だと見抜いたので、子供とはいえ丁寧な口調で話しかけた。手に取って眺めて、店主はこのような見事なガルシア焼きが欠けもヒビも入らずに残っていた事に感動する。
先程の紹介の『ラシンドの縁戚』という言葉を思い出し、ラシンドの血が繋がって無いという事はと推測する。
ガルシア焼きの壺と同時に、売りに来た子供の値踏みをしていた店主は、ラシンドが恭しく接している様子で正体に気づいた。
ラシンドの第二夫人は、アスラン王の夫人だった筈だ。確か、第六王子を産んでから、ラシンドに嫁いだと聞いたと、店主は身分を確信した。
黒目勝ちの可愛い顔をしたショウは、アスラン王の傲慢な雰囲気を全く受け継いで無かったが、おっとりとした育ちの良さが王子に相応しく店主には思えた。
「これを手放しても宜しいのでしょうか」
国民から畏怖されているアスラン王から、尋問されるのは遠慮したいと店主は確認する。
「ええ、父上から許可を貰ってます」
ショウの言葉に誤魔化しを感じなかったし、ラシンドが付き添って来ているのだから大丈夫だろうと安心する。
「そうですねぇ、三万マークで如何でしょう」
ショウはチャイ屋でラシンドから五万マーク以下で売ってはいけないと言われたのを思い出す。
こういう場合は高く言うのが、お約束だ。前世で裕福な医者の家庭に育った翔は、正月やお盆休みには家族で海外旅行を幼い時からしていた。正規の値段があやふやな地域にも、バカンスで何回か訪れた時の記憶を引っ張り出す。
「十万マーク必要なのです」
子供の口から十万マークという高額な値段が飛び出して、店主は矢張りアスラン王の息子だと気を引き締める。
「まさか、三万マークでも頑張って高値をお付けしたと思ってましたのに。しかし、ラシンド様のご紹介ですし、三万五千マークで引き取らせて頂きます」
ショウは駆け引きを楽しめないので、商人に向いてないと思う。何度も言い合って五万五千マークで、ショウは手を打った。
頑張れば六万マークになるかも知れないのにとラシンドは溜め息をついたが、王宮育ちの王子様の初取り引きにしては上出来だと思う。
小切手を書いて貰う間、出された香りの良いお茶を飲みながら、ショウはぐったりとしていた。
店主は王子様にしては粘ったと考えながらも、番頭に小切手を書かせながら、ガルシア焼きの壺を撫でて好事家に十万マークで売る算段をする。
「これからもご贔屓にお願いします」
どういう事情かは知らないが、宝物を売り飛ばす許可を貰った王子が、ネギを背負っての来店を願って、にこやかに見送った。
「もしかして、買いたたかれたのでしょうか?」
ショウは船を買いに行きましょうと、足取りの軽やかなラシンドに尋ねる。
「まぁ、私ならもう少し粘りますけどね。でも、買いたたかれたという程ではありませんよ。これからは離宮の備品を持ち出す時は、キンキラの物をお勧めしますね。そういう物は比較的新しい物ですから、売り飛ばすのに向いてますよ」
一応、ラシンドはショウに忠告しておいたが、心は船でいっぱいだった。
「五万五千マークなら、中古なら中型船が手に入るかも。ショウ様は、船で何処まで航行される予定ですか?」
ラシンドは航行に慣れるまでは、近海の島々を巡って儲けは少ないが練習するべきだと思っていたが、もしかしたらいきなりイルバニア王国のメーリングまで行きたいとか考えているかも知れないと案じた。
「いずれはゴルチェ大陸に行きたいと思ってますが、先ずは近海で航行の練習をしたいと考えてます」
八歳の王子が船に乗るのは少し早いが、アスラン王などもしていたので、近海で少しずつ経験を積むのは良いことだと頷く。
港を少し外れた所までは距離があるので、ラシンドは一旦は屋敷に帰って、馬か輿を用意させようかとショウにお伺いを立てた。
「いえ、もしラシンド様がお嫌でなければ、竜を呼び寄せたいと思うのですが」
ラシンドは、ショウが自分を様付けで呼ぶのを注意したが、何度言っても改まらなかった。
「ラシンドとお呼び下さい。竜に乗った事はありませんが、一度試してみたいと思ってました。ショウ様に乗せて頂けるなら、光栄です」
ショウはラシンドの大商人としての自信に満ちた態度に引け目を感じていたし、いわば義理の父親に当たるので呼び捨てはしにくいと断る。
『サンズ、ここに来てくれ』
離宮からバザールに壺を売りに行くのに、侍従達を引き連れて行く気になれなかったショウは少し離れた場所にサンズで来ていた。
『う~ん、もう離宮に帰るの? なら、海水浴しようよ』
待ちぼうけて寝ていたらしいサンズに、これから港の外れまで行くんだと説明する。
バサッバサッと空から巨大な竜が舞い降りて、ラシンドは思わず2、3歩後ろ去る。
「さぁ、僕の後ろに乗って下さい」
巨大な竜を制御するには八歳でも小柄な方のショウでは心許なく感じたが、ラシンドは大海原の嵐にも立ち向かっていく商人魂を揺り起こして竜に乗った。
「どちらに向かえば良いのですか?」
ショウに自分が贔屓にしている船屋の位置を教えると、竜は突然に空に舞い上がった。
『港の南の外れに行って』
ラシンドは空からレイテの街を眺めるのは初めてで 息を呑んで眼下の景色を眺めたが、ほんの数分で目的地に着いた。
「ここらへんですか?」
「ええ、本当にあっという間なのですね」
バサッバサッと船屋の前庭に舞い降りながら、ラシンドは竜の利便性に感嘆する。船屋の職人や店主が、突然の竜に乗った訪問者に驚いて出てきた。
『サンズ、少し待っててね』
ショウは身軽にサンズから飛び降りると、竜に慣れてないラシンドに手を差し出す。
「大丈夫ですよ」
自分の胸までもないショウに、手をかして貰うわけにはいかないと、ラシンドは少しもたついたが竜から降りた。初めての飛行体験に脚が宙に浮いている心地がしたが、丁重にショウにお礼を言った。
「竜に乗るとは、得難い経験をさせて頂きました」
ショウは竜が大好きなので、少しでも良さがわかって貰えて嬉しい。
「これはラシンド様、竜でお越しとは驚きました。でも、今はラシンド様がお買いになるような船は出払っていますが……」
船屋の店主は大商人のラシンドが買うような大型船が無いので、頭の毛を掻き毟りたくなるような気持ちになる。
「いや、今日はショウ王子様の御用で参ったのだ」
骨董品店の店主には名前を伏せたが、船を買うのに身分を隠す必要は無い。
船屋の店主はアスラン王の王子と知って、頭が地に付くほどの丁寧なお辞儀をする。王子が船の運航の練習をしようと考えたのだと船屋の店主は手揉みしながら、在庫の船を見せながら説明していく。
「これなどは中古ですが、素材が良いものですからお勧めですよ。彼方のは帆の扱いが簡単で、初心者には打って付けです。彼処のは少し小型ですが、新造船なので気持ち良くお乗り頂けます」
ラシンドは自分の船でも無いのに目を輝かせて、店主にあれこれ質問する。ショウは自分が考えていた船より大きいので、びっくりしてしまった。
ショウは、一人乗りのヨットに毛の生えた程度のを考えていたのだ。
サンズが乗るのだから、ある程度の大きさは必要だが、ショウは先ずは自分一人で扱える船で練習しようと思っていた。
「こんな大きな船は、私一人では扱えないのでは……」
ラシンドと船屋の店主は驚く。
「王子様が一人で! とんでもない話です」
ラシンドと店主は、二人がかりでショウを説得する。
「海を舐めてはいけませんよ。穏やかな海がいきなり時化になる事も日常茶飯事なのですから」
「慣れた船長や乗組員に船の操縦を習った方が宜しいですよ。一人で船に乗るなんて、命知らずのする事です」
ショウは船ラブのラシンドと店主に小船とはいえ、嵐の中に放置して避難するとは知られたら大変だと思ったし、酷い雨風の中で竜が飛べるかわからないと、自分の考えの甘さに気づいた。
「船長と乗組員を雇うのですか……」
どうにか一人で海に出るのを諦めた様子に、ラシンドと店主はホッとする。アスラン王の王子様を一人で海に出して、難破でもされたら東南諸島で生きていけないからだ。
海に出る以上、命がけであるのは誰でも一緒だが、ある程度の準備と腕の立つ船長とで危険性を少なくは出来るのだ。その注意を怠らしてショウに危険が及んだりしたらと、ラシンドと船屋の店主は、アスラン王の厳しい視線に曝された気持ちになって身震いする。
ショウとラシンドは何隻かの船に乗ってみる。
「僕には良い船かどうかの判断がつきかねます。ラシンド様……ラシンドさんは、どれが良いと思われますか?」
ラシンド様と呼んで睨まれて、ラシンドさんで妥協して貰う。ラシンドはショウの手持ちの金を知っていたが、離宮には売り飛ばす備品は山ほど有るだろうと、値段は無視する事にした。
「やはり、新造船をお勧めします」
商人の息子が独立して船を買うなら、中古でも荷物を沢山積める中型船を勧めるが、王子のショウには命を守る方を重視した少し小型の新造船を勧めた。
店主は声高に材質の良さや、最新の帆の掛け方などを説明しだす。中古の船より倍値の新造船が売れたら、今夜は宴会だと心が躍る。
その新造船は、 何だか高そうにショウには見えた。
「あの船の値段は幾らなのですか?」
恐る恐るショウは店主に尋ねる。
「あの船の素材はローラン王国の寒さに耐えた松ですから、目が引き締まっていて……」
延々と船の自慢を始めた店主をショウは制する。
「値段を聞いているのです。船の素材は、先程説明して頂きました」
少しアスラン王の影を見た気持ちになって、店主は船自慢を止めて値段を告げる。
「二十五万マークです」
「ひぇ~、全然足りないよ~」
ラシンドはこの交渉は若いショウには無理だと、代わりを申し出て丁々発止の交渉を始めた。ショウが唖然と口をポカンと開けて見ているうちに、ラシンドは六万マークにまで値下げさせる。
「これ以上は一チームもまけられません。ラシンド様は血も涙も無い鬼です。私と家内と八人の子供達を飢えさせるつもりですか」
泣きの入った店主だが、そこそこの儲けは確保している筈だとラシンドは笑う。
「あのう、五万五千マークしかお金が無いのですが……」
ショウは商売が成立したと、話し合っている二人に恐る恐る声をかけた。ラシンドはショウから骨董品店の小切手を受け取ると、船屋の店主に渡す。
「後の五千マークは少し待ってくれ」
「そんな、殺生なぁ~」
口では泣き言を言っても、目が笑っている船屋の店主に、ショウは未だ未だ商売の道は遠いと溜め息を付く。
船は手に入れたものの、船長や乗組員の手配や、積み荷に、食料品と、ど素人のショウにも、未だ手配する事が山積みだとわかった。前世の童謡を思い出したが、なかなか問題は多い。
「歌のようには気軽に船など浮かべられないよね……」
ショウは後何個の壺を売り飛ばせば、船を航海に出せるのだろうと溜め息をついた。
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