第4話  母上?

 ショウは、離宮の暮らしにも慣れてきた。

「馬鹿だと思ってたけどなぁ」

「父上の血を引いているのだから、馬鹿では無いだろう」

 兄のカリンとハッサンは、あっという間に文字を覚えたショウを、自分の味方にし損ねたのを悔しがる。ナッシュとラジックも、ショウがまんざら馬鹿では無いと気づいた。

「まぁ、目から鼻に抜けると言われている父上の子供なんだから当たり前だろう。それより、ナッシュもラジックも頑張らないと、ショウに追い越されるぞ」

 サリームに脅されて、ナッシュとラジックも、どうせ兄上達の部下人生だと怠けていたのに喝がはいった。

 ミヤは、ショウのお陰でナッシュ達もやる気になって良かったと喜ぶ。確かにナッシュもラジックも王の器では無かったが、自分が一生のパートナーに選んだアスランの子供達なので、ちゃんとした大人になって貰いたかったのだ。

「あの子達も、普通の子よりも賢いから先が見えすぎるのです。まだ九歳や八歳だというのに、人生を悟った風なのを心配していたのです」

 アスランはミヤがショウに文字を教えなかったのは、ナッシュやラジックに一緒に教えさたりして、学ばせたいからだと思った。

「ミヤは、子供達に優しいな……」

 アスランはミヤに任せておけば王子達はどうにかなるだろうと、海の向こうへと気持ちを飛ばした。

「アスラン様、ちょっとまた長い航海に出るつもりじゃ無いでしょうね。王なのだから……商売の方は任せて……」

 ミヤの止める声を背中で聞きながら、アスランは騎竜に飛び乗って船に向かってしまった。

「もう! 知りませんからねぇ」

 プンプン怒りながらも、ミヤは山積みの問題を一つずつ片付けていく。

「ああ、忘れていたわ。ショウを、ルビィ様に会わす約束だった。弟も産まれたし、ラシンド様との縁が出来てしまった……」

 ショウの母親のルビィは小さな離島の島主の娘に過ぎず、良い意味でも悪い意味でも、外戚の影響が無かった。大商人のラシンドに嫁いで息子を産んだとなると、後ろ盾にもなるが足枷にもなるのだ。

「ハッサンの祖父が、黙っていないでしょうね……」

 第三王子のハッサンの祖父アリは、ラシンドを目の敵にしているが、商人として目先の利益を優先し過ぎて相手にされていないのが実情だ。

「第一王子のサリームの母親の実家は、ラシンドの傘下だったし、第二王子のカリンの母親の実家は……ああ、あのいけ好かない軍務大臣だったわね」

 ミヤは自分ならザハーン軍務大臣の娘など、後宮に置かないけどと眉をしかめた。

「仕方無いわね~、私が第一夫人になる前の事ですもの。手持ちのカードで、どうにかしなければね」

 ミヤはザハーン軍務大臣のやり方が気に入らないので、アスランの不在は辛く感じた。

「東南諸島連合王国は、海賊国家じゃないわよ!」

 ザハーン軍務大臣は海賊退治と銘打っているが、どうも行動が怪しいとミヤは睨んでいたのだ。

 商船隊の警備に護衛艦を付けるのは常識だが、自由な気風を好む個人商人は隊での航海を好まない者もいた。だがこの数年、警備を拒否する商人の船が海賊に襲われる確率が高くなっているのに、ミヤは気づいていた。

「だからこそ、軍艦の警備が必要なのです」

 ザハーン軍務大臣の言う通りなのだが、商隊を組める規模でない小商人達はまとまってしか商売出来なくなり、海洋国家としての勢いを削ぐのではと案じていたのだ。

「ハッサンの祖父のアリやラシンドほどの大商人なら、自分達だけで商隊を組めるし、護衛艦の手配もできる。サリームの祖父はラシンドと共に行動しているから大丈夫ね」

 アスランの後継者問題は、第一夫人のミヤにも頭が痛かったのだ。できればザハーン軍務大臣の孫のカリンは避けたかったが、サリームの祖父は後ろ盾として弱い。

「兎も角、ショウをルビィ様に会わせてみましょう。ラシンド様がショウをどう見るかも楽しみですしね」


 こうして、ショウは産みの母親のルビィとの再会を果たす。  

 ショウは、ルビィと面会した時、俄かに信じられなかった。この人が母上? 若くて、凄い美人なので、母親のイメージと違いすぎたからだ。

 小さな離島の娘だから後宮に置いておいても意味が無いと追い出されたという、ショウが勝手に持っていた薄幸のイメージはガラガラと崩れ去った。後宮よりゴージャスなのではと思うほどの屋敷で、侍女達にかしずかれているルビィは綺麗で幸せそうだった。

 どう挨拶しようか悩む。初めまして……は、無いだろうと口を開く。

「ご無沙汰しております」

 ショウとしては考えて口にしたのだが、ルビィはクスクスと笑った。

「ショウ、こちらにいらっしゃい」

 風の通るサロンの床には綺麗な絨毯が敷いてあり、色とりどりのクッションから身を乗り出して、挨拶を聞いていたルビィに呼び寄せられたショウは隣に座る。

「あっ、良い香り……」

 ミヤとは違う、甘い花の香りがする髪に、ショウはウットリとした。

「ミヤ様に可愛がって貰っているのですね」

 産んで直ぐに手放したショウを抱きしめて、大きくなったと感傷的になり少し涙ぐむ。

「母上は、後宮を追い出されたのでは無いのですね」

 甘い花の香がする髪は手入れが行き届いており、ショウは母上は幸せな生活を送っていると察する。

「まぁ、ショウ、ラシンド様にプロポーズされて再婚したのですよ。ミヤ様から聞いてませんか? 貴方の弟も産まれたのですよ」

 ルビィが侍女に合図をすると、乳母に抱かれた幼児が部屋に連れてこられた。絨毯の上をハイハイしながら、ルビィに近づく弟を見て、お兄ちゃんだよとショウは抱き上げる。

「マルシェというのです」

 マルシェとショウは黒目勝ちの瞳が似ていた。

「マルシェ、お兄ちゃんだよ」

 ショウは前世でも末っ子で、離宮でも末っ子だったので、マルシェが初めての弟なので可愛く思った。

「母上、マルシェに会いに来ても良いですか?」

 抱かれているより、ハイハイしている方が良いのか、絨毯の上を猛スピードで移動しているパワーに見とれながら、ショウは尋ねた。

「こちらは大丈夫ですが、ミヤ様の許可を貰って来なさい」

 ショウは第一夫人と第二夫人以下との違いに気づいていたが、細かい事は知らなかった。

「母上は、ラシンド様の第二夫人なのですか?」

 ルビィは五歳の子供に、東南諸島の結婚制度が理解出来るのかしらと思った。

「ええ、第二夫人として、大切にして頂いてますわ」

 ショウは父上が第一夫人のミヤを大切な人生のパートナーとして接しているのは知っていたが、第二夫人を未だ決めてないのを不思議に感じていた。

「母上、父上は何故……」

 ショウは部屋に入ってきた押し出しの良い男がラシンドだと察して、礼儀正しく母上の側から離れる。ラシンドは五歳とは思えない態度に少し驚いたが、アスラン王の第六とはいえ王子なのだから当然かなと評価した。

「ショウ王子様、お越しなのに挨拶が遅れました。お初にお目にかかります。ラシンドと申します」

 王子様といっても第六王子だけどと、ショウは肩を竦める。

「ラシンド様には会いたいと思ってました。マルシェに会いに来ても、よろしいでしょうか」

 にっこりと営業スマイルで頼むショウの願いを、愛想よく応えるラシンドだった。

「さぁ、ショウ王子様に屋敷を案内して差し上げましょう」

 ラシンドはショウが風の魔力持ちだと知って、母親のルビィにプロポーズしたのだ。アスラン王の後継者として押す価値があるかどうか、ショウを見なければ判断が付かないと思っていたので、彼方から訪ねて来たのは好都合だった。

 ショウはラシンドの贅沢な屋敷を案内されながら、第一夫人に会ってみたいと思っていた。

「私は子供でよくわからないのですが、ラシンド様の第一夫人にご挨拶したいと願うのは失礼なのでしょうか」

 ラシンドは五歳の子供が、第一夫人に挨拶したいと言い出して、ビックリしてしまった。

「恐れ入りますが、何故、ハーミヤに会いたいと仰られたのですか?」

 ラシンドに質問されて、ショウはマナー違反だったのかと慌てる。

「失礼いたしました。母上と弟がお世話になっているので、ご挨拶したいと思ったのです。それに、これだけの屋敷を切り盛りされている方に、会ってみたいと……」

 ラシンドも東南諸島の商人らしく家を留守がちにするので、第一夫人のハーミヤに家と商売を任せる事が多かった。人を見る目のあるハーミヤの意見も聞きたかったので、ショウが言い出してくれたのは渡りに船だ。

「王子様にお目にかかれるとは、ハーミヤも喜ぶでしょう」

 どうやらマナー違反では無かったみたいだとショウはホッとする。ラシンドの表情は、大商人らしく読めない。ショウは、母上は幸せなのだろうかと疑問を持つ。

 物質的には贅沢させて貰っている母上が、遣り手の商人との結婚生活で、満足しているのだろうかと不安になる。

 ルビィの贅沢なサロンと違い、スッキリというか男ばかりの離宮よりパッと見素っ気ない部屋で、ハーミヤは忙しそうに帳簿を捲っていた。

「ハーミヤ、ショウ王子様が貴女に挨拶したいと仰られたのです」

 ハーミヤは帳簿を閉じると、優雅にお辞儀をした。

「わたくしの様な者に挨拶など、恐れ多いことです。ラシンドの妻のハーミヤでございます」

 ミヤと同年代か少し年上のハーミヤは、痩せぎすで美人とはいえなかったが、綺麗な腰までの髪をゆるく後ろで結わえていた。

「お忙しいのに、お邪魔して申し訳ありません。母上と弟がハーミヤ様のお世話になっているので、お目にかかって挨拶させて頂きたかったのです」

 小柄な五歳児に、母親と弟が世話になっていると挨拶されて、ハーミヤは変わった子供だと思った。

「失礼ですが、ミヤ様に私に挨拶するように言われたのですか?」

 アスラン王の第一夫人のミヤは、遣り手で有名だ。

 小さな島主の娘の持参金など知れていただろうに、ラシンドと結婚する時には結構な財産として持ってきた。全ては第一夫人のミヤの采配だと、ハーミヤは噂以上だと感嘆したのだった。

「いえ、ミヤに言われたのではありません。それより、お仕事中だったみたいなのに、お邪魔しました」

 ハーミヤを見て、ショウは信頼できそうだと安心する。これなら母上も弟も大丈夫だ。

 安心したショウは辞そうとしたが、ハーミヤは興味をもち、帳簿を脇にどけて侍女達にお茶の用意をさせる。

 ハーミヤは、ショウがウットリと自分の髪を見つめているのに気づいた。ハッとハーミヤの視線に気付いて、ショウは頬を赤くした。

「とても綺麗な髪をされているので、つい見とれてしまいました」

 ハーミヤは自分が容姿に優れていないのは承知していたが、四十歳を過ぎても白髪の無い黒髪は少し自慢に思っていたのだ。ハーミヤも女なので、例え五歳児とはいえ心からの賛辞に気を良くした。

「まぁ、ショウ王子様ときたら、お年頃になったら女の人にモテて困りますわよ」

 ころころと機嫌良く笑うハーミヤに、ラシンドは心底から驚いた。この一年、ザハーン軍務大臣の締め付けが厳しくて、自由に商船隊が組めない風潮がハーミヤの気に障って機嫌が悪いのだ。

 二人は仲良くなって、ショウ、ハーミヤと呼ぶ仲になった。

「ハーミヤ、えらく気に入ったみたいじゃないか」

 ショウが離宮に帰ってから、ラシンドはハーミヤを少しからかった。

「不思議な王子様だわ。アスラン王の息子なのに、野心がなくてポヤとしているなんてね。そこら辺は、ルビィに似たのかしら? でも、ルビィも賢いし、ショウ様も賢いわ。ただ、野心の無い王子だなんて……それも、風の魔力持ちですし、厄介な存在ですわね」

「野心の無い王子で、能力も低ければ部下になるだけで済むが……危険だな」

 ラシンドもハーミヤも、ショウの能力が優れているのに気づいたので、第二王子のカリンを推すザハーン軍務大臣が排除しようとするのではと案じた。


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