3話 逃走シンデレラ/現代ドラマ

<あらすじ>


 杉浦春子、三十三歳。彼女は三十四歳の誕生日に、両親を殺してしまう――!

 殺人という罪を胸に、春子のトンチキ逃亡劇が始まる。



<レビュー>


 ポップな表紙と宣伝文句に騙された。

 もちろん良い意味で。


 ひょんなことから殺人を犯した女のヘンテコオモシロ逃亡珍道中かと思いきや、冒頭から「床に落ちていた長い白髪をつまんでいる三十二歳女」という胡乱な何かをまき散らしてくる本作。

 そう、これは主人公・杉浦春子の殺人と逃走を描いた紛れもない心理サスペンスなのだ。


 春子の心理描写は終始テンションが高く、コメディ調で描写される。たとえば彼女は家事手伝いなのだが、「五年モノの引きこもり!」と自称する様は明るい。

 だが一度気分が落ち込んだ時は何も考えられなくなる。躁鬱というより、振れ幅が激しい。彼女の内面はだいぶというかかなり複雑だ。


 春子自身は自分を「真っ白」だと思い込んでいて、自分の意見が無い。彼女が口にする意見はすべてネットで誰かが言っていたことの受け売りである。

 本当に自分が無いわけではない。

 心の中の春子はなんでもできるし、やりたいこともある。海外にも行きたいし、成功したいと思っているし、バイトを始めたいと思っている。

 しかし春子の体は驚くほど心と乖離している。動き出そうとすればコメディ調だったはずの心の中の春子が悲鳴をあげ、恐怖を訴えるのだ。春子自身がその状況に疲弊している。


 ただでさえ疲弊した心は、「太った」「仕事はしないの」などの周囲からの(主に親からの)些細な言葉で繊細に傷ついていく。読者という第三者の目線から見れば、その真っ白さは何も考えていないわけでもなく、自分の傷を無かったことにする為の自衛手段なのだと気付かされる。


 だが傷を無かったことになどできはしない。彼女のストレスは限界まで抑え込んだ末に暴発し、三十四歳の誕生日にとうとう両親を本当に殺してしまう。

 妄想でどれだけ母親を殺そうと、現実の春子は動かなかった。しかしここにきて、妄想では無く現実の体が動いてしまった。


 殺してしまった母親を猫の額ほどの庭に埋めたあとの「ばんじゃーい! ばんじゃーい! ばんじゃーい!」は言葉そのものの子供っぽさと相俟って、読者に視覚的なショックさえ与えてくる。

 しかし現実の春子の描写は正反対で、この唾棄すべき思考回路はやってしまったことの重大さを何とか押しとどめようとしているに過ぎないと思わされる。

 その後にようやく事の次第を自覚しはじめ、精神状態が乱高下するところも見所だ。


 実際のところ、彼女の本心ともいうべきものは、テンションの高い見かけ上の心理描写でなく行動や風景描写に表れている。

 例えば泣きながら父親を引きずって押し入れに入れようとするシーンにも、「荷物が多すぎて入らない」「無理矢理入れようとして壁に拳をぶつけ、ぱらぱらと壁土が落ちる」など、細々とした描写に春子の心象風景が表れている。


 一度、隠蔽工作をした以上もはや引き返せなくなった春子。

 追い詰められた彼女は荷物を積み、唯一持てる車で逃走を図ることになる。


 唯一持ち出したスマホの電源を入れるのを躊躇うシーンは後半の山場のひとつといっていい。

 好きだったスマホゲームも、数少ない友達やネットの友人からの心配のLINEも受け取ることができない。電源を入れたりログインすれば、居場所を特定される危険があるからだ。

 かつて自分がいたはずの、もう戻れない、近くにあるのに見えない世界。


 もうおわかりだろうが、杉浦春子の物語は、殺人というガラスの靴から逃げ続ける物語なのである。しかし、一歩踏み出した彼女が自分の殻を打ち破ってやりたかったことは本当にそんなことだったのだろうか?




<ネタバレ>


 シンデレラに例えれば、春子を追う刑事・真野の存在は王子であるといえる。

 逃げることを止めてほしい春子にとっての福音であり終わりの象徴でもあるのだ。


 最後、自殺の名所にたどり着いた春子は死ぬことすらできずに膝を抱える。

 海外への逃亡も、スリリングなサバイバルも、春子の妄想の中にしかない。現実の春子は崖の下に石を投げながら、泣くことしかできないのだ。

 最後、車を見つけて追いかけてきた真野の「杉浦春子か?」の問いに、しっかりと「はい」と答える。

 彼女はどこまであっても杉浦春子から逃れられなかったのだ。

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