第3話「優しい聖女」

 再び聖女の馬車にて、


 ゴトゴトと音をたてる馬車。

 何度も不快に揺れる道は舗装が甘く、酷く乗り心地が悪いものだった。


 予定していた神聖都市から別ルートに変更したため、当初の快適な街道とは異なる田舎道を進むことになったためだ。


「最ッ悪……」


 もっと昔ならば、どんな環境でも眠ることができるくらいに覇気に溢れていたが、魔王討伐以来、聖女は戦いの場から身を引いていた。


 今の彼女は、主に大賢者の補佐として政務や外交に携わっているのだ。


「はぁ……あの頃は楽しかったわね」


 ポツリと呟き、魔王を討つべく冒険した頃を思い出した。


 神聖都市の教会本部で聖女として見出されて以来、彼女に自由はなかった。

 だが、魔王の攻撃によって世界は滅亡に瀕し、世界中から全ての英雄が集められた結果───まだ十代の乙女であった聖女にも白羽の矢が立った。


 元々王族で、当時は英才教育を受けているだけの箱入り娘。

 聖女が生まれる血筋の者として、純血統のみで育てられてきたこともあるだろう。

 聖女には、いわゆる普通の常識に欠けた浮世離れしたところがあった。


 そのためか、初めて自由を得たようなあの旅は、心が躍る楽しいものだった。

 誰もが苦境に嘆く中、一人───旅路を楽しむ聖女に、皆は勘違いしていたらしい。


 勇敢で愛情深い、聖なる乙女……と──。


 はッ、笑わせてくれる。

 聖女の肩書があるだけで、私は私・・・だ。


 自由に生き、やりたいことをやっただけだ。

 魔王とか、世界とか──そんなものは、クソどうでもいい。


「はぁぁ、もう一度あの頃に戻りたいなー」


 そう言って窓から差し込む光に手を翳すと、僅かに見える皺とシミ。


 あーあ……。昔はツルンとした卵肌だったというのに……。


「老いたくはないわねー」


 そうぼやいた時───。


 ガガガンッ!


「きゃ!」

 馬車が衝撃に包まれ、つんのめる様に停止した。


「な、何よ?!」

「も、申し訳ありません……その、乞食が」


 行者が住まなさそうな顔で謝罪する。


 彼の肩越しに前方を見れば、

「子供?」

 ボロを纏った子供が、道の真ん中でしゃがみ込んでいた。


 余りにもボロボロなもので、路傍の泥と見分けがつかなかったのだろう。


 先頭を行く近衛兵が急停止し、その制動がいっぺんに隊列に伝わってしまったらしい。


「申し訳ありません。すぐに退かせてまいります」


 間仕切りから顔を出した執事が一礼し、馬車を降りると慣れた様子で兵を指揮して、子供を道から追い払ってしまった。


 その子ども……。


 どうやら空腹らしいく──……フラフラと頼りなげに歩くその姿。


「待ちなさい」


 聖女が馬車から降り、ドレスが汚れるのも躊躇わずに近くまで寄り、兵を止めた。


「こ、これは……聖女さま!? お見苦しい所を───」


 近衛兵の一人が聖女に気付き、バシン! と敬礼。

 ついで、急いで子供を追い払おうとする。


「待ちなさいと言ったのですッ。あの子を、ここへ」


 その言葉に意味に気付いた執事が軽く頷くと、子供の背を軽く叩いて聖女の前に導く。

 フラフラとした足取りの子供は成すがままに───。


「アナタ……お腹が空いてるの?」


 汚れるのも厭わずに、聖女は子供の手をとり、ニコリと微笑む。


 その声に、ハッとしたように顔を上げる子供。

 その拍子にボロボロのローブのフードが、ハラリと脱げる。


(あら、やっぱり……!)


 ……なるほど、全体的に薄汚く、ドロドロに汚れてはいるが───素晴らしい美貌を持った少女だ。


 泥や煤で薄汚れているが、灰色の髪に、三白眼。すっきりとした鼻立ちの美少女だった。


「ぱ、パンを───」


 ヨロヨロと手を指し伸ばす少女の手を握りしめ、聖女は慈愛の溢れる笑みを浮かべた。


「もちろんよ。私はね、子供がとっても好きなの───ええ、とっっても」

 タラ~リと口の端から涎を垂らす聖女だったが、慌てて取り繕うと、

「おいでなさい。私と一緒に、スープに、紅茶……ステーキに、そして、ゼリーにしましょうか」


「ほ、ほんと?」


「えぇ、ほんと・・・よ……アナタ、奥の馬車に案内してあげなさい」

「分かりました。……ちょうど空き・・ができた所ですよ」

「あら嬉しい。あの子はスープに?」


「左様で。紅茶とゼリー……ステーキも今夜の食事にします」

「よかったわね。貴方……とっても、おいしそう」


 フフフフフフフフフフ、ひとしきり満足げに笑う聖女は馬車へと戻る。

 その背後を、執事に導かれた少女が馬車列後方の粗末な馬車へと導かれていった。





 誰も気づかないうちに、少女が薄く笑っていることなど気付きもしないで……。



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