第3話「ただいま、クソ野郎」
「やるじゃないか、
──な!?
わ、ワシを名前で呼ぶだと……?
ベリアスは一瞬だけ思考が停止する。
爵位を得て以来、名前で呼ばれたことなど数えるほどしかなかったのだ。
それも、呼ぶのは決まって「あの4人」だけだったはず──。
「き、貴様……何者だ! 一体、誰なのだッ」
月明かりが差し込み始めた城内が、にわかに明るくなる。
賊の影を蹴り抜いたまま、廊下に飛び出していたベリアスの目の前には、見覚えのない美しい少女が立っていた。
そいつは、少々体に合わないサイズの警備兵の鎧を着込み、腰には安物の剣を一本。
「はは……。やっぱり、わからないのか?」
シュラン──……鞘引く音に剣身が姿を見せる。
なぜかその所作に危機を感じ、一瞬にして身体が硬直する。
抜き放った剣は安物のそれだが、まるで強者を前にした感覚に襲われた。
…………な、なんなんだ?
お、俺は拳闘王だぞ!? 最強だ!
その俺が、一体……何に怯える?
も、もしやこの小娘に?
こんな、小娘の剣に!?
あ、あああ、あり得ん!
──あり得んぞ!!
だが、少女の剣から目が離せない。
一瞬でも気を抜けば首が跳んでしまう気がしたのだ。
───じっとりと額に汗が浮かぶ。
「ぬぅぅ…………」
チリチリとした殺気のような、生命の危機を本能が感じ取っていた。
だが……。
たが…………こんな小娘に?!
ば、馬鹿なッ!
いや、まて! 奴のあの剣筋……──どこかで。
そう、どこかで見たはず……。
……あれは、どこだったか、確か───。
チクリと記憶を刺激するナニカ。
汗だくのベリアスを見て、フと相好を崩す少女。
そして、その小馬鹿にしたような表情と──剣をダラリと構えて見せたその恰好を見て……。
ほんの一瞬だけだが、拳闘王の記憶がなにかを思い出そうとする。
そう、
ナニカヲオモイダス───。
ナニカ───……。
あ─────。
ま、まさか……。
「そ、その構えは……」
(──ま、まさか、まさか、まさか! あ、あれは?!)
ざ、
ザラ……ディン……?
い、いや!
──ば、バカなッ!? あり得ん!
危険な気配に一瞬で身構えたベリアスは、懐からガントレットを取り出すと素早く装着。
そして、兵を呼ぼうと──。
「無駄だ。誰も来やしないよ」
そこで初めて城の静けさに気付く。
部屋の前の警備兵は昏倒しており、ピクリとも動かない。
「ぐぐ。が、ガキめぇぇ……ここを拳闘王の城と知っての狼藉か?!」
「当たり前だろう。ベリアス……知らないで来るほど、僕が馬鹿に見えるか?」
やはり、この喋り方も……!
「まったく。お前は相変わらず性欲だけは人一倍だな……。しかも今では呆れた趣味に走っているようだ」
少女が床に転がる死体を無感動に見下ろしている。
「はッ。この世の──」
「──この世の女は俺のもの……か? ふざけたことをいつまでも言ってるんじゃないぞッ」
ぐ、思わず口をつぐんだベリアス。
言い負かされてしまって仕方ない。ならばあとはやるのみだ!
両の手にフィットするガントレット。
そいつを、ガチィィン! と打ち合わせてみせることで明確に敵対して見せる。
──かかってこい! と。
「そうだ。そうこなくちゃな!──今回、僕は毒を飲んでないけど、ははは。見ろよ……この体だ。いいハンデになると思うぞ」
「ぬかせッ、ガキぃぃぃぃ!!」
舐めた口調の少女に猛然と突進するベリアス。
左手を後ろに引きつつ、その反動で右手を前にぃぃ「ヅアァァア!」──小細工なしの正拳突きだ。
うおおおおおおおおお!!
ガイィン!!
「ぬ!」
確実にとらえたと思ったその拳が剣によって逸らされて────まずい! この剣筋はッ!
「おいおい、僕に正面から勝てたことなんか一度だってないだろ? ベリアス……──失望したよ」
なッ!?
(こ、これは、ザラディンの技────勇者剣技『川流し』……!?)
ズバンッ!
「ぐぅぉぉぉおおおおおお! み、右手がぁぁあ!」
ボトリと落ちた音に、自分の右手がなくなった事を悟ったベリアス。
「右手くらいで、ギャーギャー騒ぐなよ」
剣を血振りして、またダラリと構える。
「き、貴様ッ! な、なぜその剣技を!」
「何故?……まだ思い出せないのか?」
思い出す、だと?
「あの時は、あんなに楽しそうだったじゃないか。カサンドラもオーウェンも死ぬほど苦しんでいたというのに……」
お、オーウェンだと。
それに、カサンドラ……。く、苦しんだ、だと?
な、何の話だ?!
大賢者が当時の王に魔王との戦いを報告した時は、そんな詳細まで話していない……!
だから、真相を知っているのは俺を含めて5人だけのはず。
そう、5人…………だけ。
「僕も苦しかった。魔王を打倒したからと言って、温かく迎えてくれた仲間の
ど、毒入りのサンドイッチ──……それにワイン。
ち、違うぞ──。
違うぞ…………ザラディン────!
──違うんだ。
「ぜ、全部だ。全部に毒を仕込んだ……」
──あぁそうか、コイツは……!
「はぁ!? あ、あははは、全部か~。……なるほど、どうしても殺したかったんだね」
少女……?
いや、こいつは──!
「サンドイッチ、ワイン、チーズに肉の串焼き、木苺にリンゴ……そして聖女さまのお手製バームクーヘン──」
やっぱり!
あぁ、やっぱり!!
……だが、何だその恰好は!?
なぜ、子どもに!?
「帰って来たよ──ベリアス」
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