第10話5部 はぐれ雲の伝説

 しゃぼんの玉が飛んでいた。


「いやはや綺麗なモンだなぁ」

「遊んでねえで手ぇ動かせよ」

「くっそ。なんでこんな汚え布切れ洗ってんだよ、わしら」

太陽神ソーランの加護ぞあれ。我らが道はどこで間違ったものか」


 男四人が円陣作って、たらいの上で格闘中。

 俺の特製石鹸の泡が立ち。汚れた服が漂白していく。

 これはこれで楽しい。

 労働の歓びを感じる。

 このまま、堅実に商売を続けると言うのもいいかもしれないと、そんな思いが頭をよぎる。


「商売繁盛はいいこったろ」


 男四人で始めた石鹸屋。

 【暴食フードファイト】で勝ったおかげかどうなのか、評判は上々、売上は極上。

 売れに売れて、あっという間に完売騒ぎ。

 急激な街の発展に乗っかって、次々業務を拡大し、洗濯、裁縫、仕立て屋まで手を広げてしまった。


 当然俺達はツブシの利かない風来坊。

 各事業は技術を持った専門家を雇う事になり。それぞれが自動的に事業を続けてくれる。


 つまりはまあ、ヒマなのだ。

 運だけで重役の地位を手に入れた男四人は、やる事もやれる事も無く、とりあえず力仕事をやっている。


「旅の空が恋しいのお」


 遠い目で天井を見上げているのがログ。

 電神ステラに使えるドワーフだ。当初、石鹸作りに大いに貢献してくれたものだったが、機械技術を本職とする連中が来てからはすっかり影が薄くなっていた。


「ここ数日は、天を駆ける夢ばかり見る」


 ベルトは太陽神ソーラン信徒のミノタウロス。

 力仕事はお任せだったが、馬や蒸気機関を前にして、とうとうお役御免と相成った。


「オレは新たな試練を欲しておる」


 そしてグ・ダンが忌々しげに唸っている。

 オークの奉じる『七辻の神』は、限りない試練に立ち向かう事を望むらしい。


「試練って言えば。例の悪魔の仲間がいるって言ってたなぁ……」


 思い出したように俺が言う。


「ほー」

「それはそれは」

「なんともはや……」


 それを三人は聞き流……しかけて、慌てて俺を睨む。


「お前、それを早く言えよ。試練の時が来たぞ」

「ああ、なんという事だ。わしはどれほど時間を無駄にしたか」

「旅の風が待ち遠しいぞ。早速準備を始めよう」


 洗濯物を投げ出して、部屋の外へと走り出す。

 その活き活きをした瞳。

 知らず、俺の心にも火が灯る。


「かなめちゃん達が来るまで、ここにいても良かったんだが」


 風が吹いていた。

 連中が駆け出した扉から、空気が流れて風になる。

 労働で火照った頭には心地よい。


「そろそろここも、良いキリか」


 連中が投げ捨てた洗濯物を綺麗に濯ぎ。

 洗濯カゴに乗せて抱えて歩き出す。

 これが最後の仕事なら、ちゃんと最後まで終わらせる。

 それが俺にとっての儀式みたいなものだった。


「さぁて、事業を売っぱらって……いつかの銀行屋か、町の保安官か。なんとかって金持ちからも話があったなぁ……」


 そんな感じの皮算用。

 その金で何を準備するだとか。どんな物を買うだとか。そんな事を考える。


 そんな時が一番楽しいなぁ、と思う。


  *   *


 光陰矢の如し。

 動くと決まるとアレやコレやとやる事あって、余裕をもって立てたはずの出発日の朝が、もう来てしまった。


「後の事業はお任せ下さい」


 結局、会社を買ったのは従業員の組合だ。

 よく働いてくれた経理担当が社長となってくれた。

 まあ、以前から大体彼に任せていたから、名実共に責任者になっただけで、社員の生活も仕事も変わらない。

 売値は一番安かったが、結局これが一番だろう。


「大陸一の石鹸屋になるんだぞ」

「時々金を借りに来る」

「わしらがいた事を社史に残しておいてくれ」

「出先で宣伝しておくから」


 見送りの品は高級石鹸詰め合わせ。

 昔のお歳暮みたいだ。


 ともあれ、旅立つ準備は万端で、懐も十分暖かい。

 会社を売った金も月賦で支払われ、銀行を使えば金を下ろす事も出来る。

 悠々自適の旅が出来そうだ。


「さて、行くか」

「どちらに向かうかの」

「オレは大陸中央到達を狙うかね。マネすんなよ」

「途中まで一緒でもいいんじゃないかなぁ」


 誰から言う事も無く、四方に向かって歩き出す。


「我は太陽の導くがまま」


 日の昇る方角へミノタウロスは歩き出し。


「大陸中央にゃでかい山脈があるって話でな。そいつを征服してくるから楽しみにしてろよ」


 グ・ダンはそう言って、荷物を背負って南に向かう。


電神テスラの光を未開の地に灯しにゆくかの」


 ドワーフは、西に蒸気車を走らせる。


「北には何があるんだろうな」

「大陸北側から植民が始まりましたからね。北に行くほど栄えておりますし、旧大陸に向かう港もいくつかありますよ」


 新社長がそう言った。

 それなら、北の果まで行ってみて、旧大陸に向かうのもいいかもしれない。

 とりあえずは、近場の美味いメシがある場所だ。

 ここの馬鈴薯も悪くは無いが、イモばっかりってのもやっぱり飽きる。


「それならばいい所がありますよ。ミードという町を通る列車に乗れば、ヌレソルに到着します」

「どんな所だい?」

「いい街ですよ。小麦が特産でしてね。ドーナッツが特に美味い」


 ドーナッツか。

 その言葉だけで、油で揚げた小麦と砂糖のこってりとした甘みが脳裏をよぎり、自然と口に唾液が満ちる。

 こっちに来てから甘味は貴重品で、こってり甘味はご無沙汰だ。


 実はこの俺、かなりの甘味党。

 麻婆豆腐と杏仁豆腐であるのなら杏仁豆腐を選ぶ方。

 もちろん、麻婆豆腐は麻婆豆腐で大好きだけど。


「そいつは、聞いてるだけで腹が減ったな」

「気が早すぎませんかね」

「俺はいつでも腹を空かしているんだよ」


 笑って、社員達に背中を向ける。

 別れの声が遠くなり、やがてそれも消えていた。


 旅人は自由の空に歩き出す。

 それを眺めて見送る人々も、すぐに日常に帰っていく。


 俺は、風に漂うはぐれ雲。

 張る根も無く、ふらりふらりと旅をする。

 そんな自由を満喫しようと、ゆっくりゆっくり歩き出す。


「もしも、【暴食フードファイト】の悪魔の事を聞いたなら、俺に連絡するんだぞ!」



――竜皇歴199X年某日

 新大陸に魔王が降臨した


 天は叫び、地は揺れ

 ことわりは歪み

 世界はまるで異なる様相へと変じた


 この大地ではすべての暴力は意味を失い

 争いは【暴食フードファイト】によって決着する

 そんな世界に姿を変えた


 しかし、魔王は姿を現す事は無く

 代わりに異邦人が一人、現れた


 男は行く所には【暴食フードファイト】の嵐が吹き荒れて

 通り過ぎた後には祝福と繁栄が残される


 そんな伝説が

 いつしか、廣野フロンティアに広まる事になる

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