第10話4部 蝕。再び

 粘る闇の中を漂っていた。

 風も無く流れも無く。

 上も無く下も無く。

 熱も冷気も無く。

 加えられる力も、加える力も無く。

 ただ、闇に溶けるように漂っていた。


 光があった。

 光によって、闇が流される。

 流れはうねりになり。

 うねりは渦となり。

 渦は竜巻に変わって闇の世界に穴を開ける。


 光が満ちた。

 闇はいつしか消えていた。

 山のようなハンバーグが目の前にあった。

 巨大な蛇の形に積み上がったハンバーグだった。


 食べてみる。

 美味い。


「腹が減った」

「俺にもくれ」

「おれにもだ」

「もっと欲しい」

「もっと欲しい」


 気付くと手に囲まれていた。

 ハンバーグを求めて俺に纏わり付いてくる。


――これは全て我が物だ


 そんな声が聞こえた。


 聞こえたが。それがどうだと言うのだろうか。

 メシは、皆で食べた方が美味い。

 幸いハンバーグは、それこそ山のようにある。

 求める手達と分け合っても、十分腹いっぱいに食える事だろう。


「おれにもくれ」

「もっと欲しい」

「おれにもくれ」

「もっと欲しい」

「おれにもくれ」

「もっと欲しい」


 手が現れ、ハンバーグを貪る。


――愚かな事を


 貪り、奪い、奪われる。


「まだまだ残っているんだから、こっちから持っていけよ」


 山積みのハンバーグに手を突っ込んで、求める手どもに投げ渡す。

 求める手が寄って来て、われもわれもとハンバーグを掴み取る。


 池の鯉に餌をやってるみたいだ。


 われもわれもと寄って来る。

 それに食い物を分け与えて。

 分け与えて。

 分け与えて。

 分け与えて。



 気付けば闇の中に漂っていた。


 そしてもう一度。


 そしてもう一度。


 そしてもう一度。


 幾度ともなく繰り返して。


 それは、増える事も減る事も無く。

 幾度ともなく循環していく。


 水が流れて海になり、海水が雨となって水となる。

 そんな循環が、いつまでも続いていた。


 そんな、夢を見た。


  *   *


 目を覚ますと、立ち並ぶ簡易寝台。

 周囲には酒瓶と食いかけのツマミの山。

 昨日、知り合った面々が、三々五々寝台の上に転がっている。


 そうだった。

 あの後、火消しをやったその流れで酒宴となって、気付けばこのザマだ。

 二十代の若造でもあるまいし、こういう酒はそろそろ卒業しないとなぁ。

 まあ、楽しい酒だった。

 それならそれでいいだろう。


「なんだ。起きたのか」


 寝ぼけ眼のグ・ダンの声。

 格好つけて別れて見せて、その後がこれというのもなんだか面白い。


「さすがに日も高くなってきたしな」

「旅立つにはいい日和だな」

「そういうのやってると、また格好つかないオチが待ってるぞ」


 こいつは何と言うか、他人と言う気がしない。

 多分今後もちょくちょく出会う。そんな気がしてならない。


「いいんだよ。こういうのは、その時の気分の問題だ」

「お前の前向きさを見習いたいよ」


 ミノタウロスとドワーフはいまだ高いびきの最中。

 それでも日は高くなっていて。

 腹の虫がぐうと鳴る。


「お前、昨日あんだけ食っといてそれかよ」

「時間が経てば腹は減るんだよ」

「育ち盛りの子供じゃねえんだぞ」

「俺の心はいつでも腕白小僧だぞ」

「ガキおっさんって言うんだぜ。そういうの」


 言うな。


「まあ、メシ食って。それからどうすっかなぁ」

「どうするか、決めなきゃ駄目なんか?」

「……んー。まあ、決める必要もない、か」


 ただ生きて。

 知らない物を知るために。行ったこと無い場所に行くために。

 足の向くまま気の向くまま。

 そういうのも、いいかもしれない。


「てぇか。旅ってのはそういうモンか」

「そういうモンだ」


 それならとりあえず……。


「昨日の宿代と酒代はどうすっかだな」

「金ねえよ」

「働いて返せよ」

「やっぱりそこか」


 世知辛いなぁ。

 ごきごきと首を鳴らして周囲を見回せば、入口付近に掲示板。

 賞金首やら求人やら、その日払いの仕事が貼り付けられている。


「冒険者家業で稼ぐんだな」

「冒険、っつうか日雇い労働じゃねえのかこれ」


 仕事の大半は人足だとか荷運びだとか、田畑の手伝いだとか、家畜の世話だとか、そんなのばかり。

 いかにもな人足宿場の様相だ。


「こう、なんちゃらを討伐しろとかは無いんかね」

「賞金稼ぎは内輪の取り決めが面倒だぞ」

「だよなぁ」


 並ぶ賞金首の手配書も、土地勘すら無い俺にはちんぷんかんぷんで。

 三本腕が顔にある奴だとかの個体識別は出来る気もしない。

 おじさんは、最近のアイドルの判別だってつかないんだ。


「お前はどうやって食ってるんだよ?」

「山だとか河原だとかにゃ、秘伝の薬草があったりするんだよ。そいつを煎じて薬にしたり。鳥とか獣とかを狩ってメシ屋に売ったり。まあ、そんな感じだな」

「手に職あるってのは強いねぇ」

「大工か料理か裁縫出来りゃ食いっぱぐれはねえな」


 その辺はどこの世界も変わらんか。

 しかしどうするか。

 日雇い人夫から始めて油から石鹸でも作って洗濯屋でも始めるか。

 娼館の近くにでも立って、女にモテたきゃ服くらい洗えとでも言えば、助平男が引っ掛かりそうだ。

 娼館の方にも需要があるか。


「洗濯屋かぁ。悪かねえが、それだと根無し草ってぇワケにも行くめえよ」

「だよなぁ」

「むしろ、石鹸作れるならそれで十分需要はあるな」

「洗濯屋って響きに憧れがある世代なんだよ俺は」

「そりゃどんな世代だよ」


 日活世代だよ。

 まあ、それはともかくとして。

 なにはともあれ先立つものか。


「オレが適当に香草摘んでくるからよ。それで石鹸作ろうぜ」

「おいおい。ビッグチャンスの匂いがしてきたな」

「金儲けか?」

「ちょっと一口噛ませろよ」


 寝ていた二人も起きてきた。

 まったくもって現金だこと。


「まあまあ。ここは山分けっつう事でな」

「最初に仕事思いついたのはオレだぞ」

「石鹸の作り方知ってるの俺だけだぞ」

「売り買いするルートがいるだろ。うちテスラは需要いっぱいあるぞ」

「それを言ったらこっちソーランの顔の広さは知ってるだろ」


 まったくなんともかしましい。

 俺としては、しばらくの先立つものさえあればいいんだが。


「じゃあまあ。前祝いに一杯ばーっと行ってみるか!」

「いいな! いい酒屋があるんだよ!」

「おいおい、昼酒か?」

「変な所で真面目だなお前」


 昼酒は罪深い事。

 それを知ってる男だけが、美味しく昼酒を呑めるのだ。

 世の酔っぱらい共よ。それを理解するのだ。


「材料も買わんといかんか」

「いい香草の在庫はあったかな……」

「いい商店知ってるんだ。そっから材料仕入れようぜ」

「あんまりベラベラ話すなよ。仕入れは小分けでやるんだよ」


 男四人、夢と野望かねもうけを語りながら宿を出る。

 日の差し込む出口の扉が、新しい世界の扉のようで。

 そして、陽光に満ちた世界にあったものは。


「おいおい。またかよ」


 中天に輝く太陽が、今まさに欠けはじめていた。


太陽ソーランよ! これは一体何事!」

「こいつぁアレか。とうとう魔王様の降臨って奴か!」


 いやぁ。

 魔王は倒したはずなんだがなぁ……。


【――暴食の名に於いて】


 その時、脳に直接思念こえがした。

 周囲の人間達が、顔色を変えて付近を見渡す。

 どうもこれは、俺一人に向けられた思念こえでは無いらしい。


【定命なる者どもよ。吾に従え――】


 黒い光の柱が落ちる。

 そしてゆっくりと。黒い何かが降りてくる。


 黒い肌。

 細長い手足。

 肋骨の浮いた胸板と膨れた腹。

 ねじ曲がった長い鼻。

 長身の身体に似つかわしくない小さなコウモリの翼。


「なんだお前か」


 魔王様の近くに侍っていた悪魔の一匹だった。


「知り合いか」

「名前も知らんがな」

「魔物の【名】を知ってたらそれはそれで、何か違う気がするぞ」


【何だとは何だ。そこの――】


 悪魔は余裕たっぷりに眼下を睥睨し。

 そして、俺の存在に気付いて。


【――ぅぇ……えへへへへ……】


 急に媚びたような笑みを浮かべる。


【ぅえへへへ……こりゃ。その、あれなんすよ】

「何やってんだお前」

【いえ……折角上役が消えたもんすから……うへへ……】


 あるある。

 出先で自由になって、はっちゃけちゃう奴。


「成る程な。で、質問なんだが」

【へえ。なんでしょう?】

「お前以外にも仲間がいるんだよな」

【そりゃあもう。三々五々好き勝手やろうって話になりやして。ここじゃ、あっしらに勝てる奴なんざいねえですから】


 悪魔は揉み手せんばかり。

 登場時の威厳も何もあったものじゃない。

 そりゃまあ。目の上の上司を倒した奴を前にしたらそんなものか。


【まあ、そういうワケでして。いや、あっしはダンナに従いますぜ! そりゃあもう……】

「分かったそれじゃ【暴食フードファイト】だ」


 がちりと、どこかで歯車が噛み合った。

 わらわらと人々が集まってくる。


 祭りだ。

 そう、これは祭りだ。

 有象無象が集まり騒ぎ乱れる。

 祀るべく魔王はもういない。

 誰を祀るわけでなく。

 ただ、祭りを祀り上げ。

 それは世界に還元し。

 世界は人々を祝福し。

 祝福が、世界を巡って繰り返す。


「ここの名物ってのはあるかい?」

「馬鈴薯のフライくらいのモンだなぁ」

「じゃあ、それだ」


 山と盛られるポテトフライ。

 フレンチフライとも言うそれは、外はカリカリ中はふっくら。

 デンプン質の甘みと塩味が愛おしい。


 テーブルに、皿に、香ばしい焼けた油の香りに。

 向こう側の椅子には、所在なさげに悪魔が座る。


「【暴食フードファイト】――」


 見届人はグ・ダン。

 『七辻の神』の名に於いて。公正中立を誓ってそこに立つ。


「開始!」


 朗々と響く声。


 そして同時に。

 粗塩が。

 醤油が。

 ケチャップが。

 マヨネーズが。

 酢が。

 レモン汁が。


 調味料が列となって、テーブル上に並んでいた。


「さあ。腹が減ったぞ」


 そして俺は修羅に入る。


 さくりさくりとポテトに刃を入れる。

 同時にマヨネーズを、酢を、ケチャップを。

 調味料をふりかける。


 フライ物の【暴食フードファイト】は熱量こそが敵となる。

 蓄積された熱量が、口の中を焼き付けて、気付いた時には【暴食フードファイト】継続が不能となる。


 それ故の切れ込みである。

 それ故の調味料ぶっかけである。

 丁度よい温度までポテトを冷やすのだ。


 どこまで食べても美味しくいただく。

 それがフードファイトの原理であり、真理なのである。


「はふっ。熱っ……あふふ……」


 テーブルの向こうで、必死に悪魔が喘いでいる。

 油が爆ぜるポテトを、無理に口の中に突っ込んで、口を焼いては悶え苦しむ。


「……哀れ……」


 ならば。

 俺が介錯するしか無い。

 準備万端整った、ポテト達が俺を待つ。

 俺はただ。

 俺の食欲のまま。

 それを腹に入れるだけ。


 ただ、それだけで良い。


「いくぞ」


 いくぞ。

 いくぞ。


 ポテトの山が消えていた。

 先立つ悪魔のリードも消えていた。

 殺意も、戦意も、食欲すら。

 【暴食フードファイト】の果にはすべてが食い尽くされて。


 ただ、真っ白い皿だけが。

 そこに残った。


「勝負有り!」


 そして、悪魔の姿は薄くなり。

 黒い色が空気に溶けて。

 中天の太陽は燦々と輝いて。


 世界に祝福だけが残った。

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