第11話1部 目覚めた朝の話

「……おはよう。ございます」


 なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。

 射し込む朝日を、寝起きの頭でぼーっと眺めて。

 その間に。

 どんな夢を見ていたか、それこそ夢や霧のように散り消えて。


「コーヒー……です」


 サーティが取り出したコーヒーを飲み干す頃には。夢を見ていた事すら気にならなくなっていた。


「今日はサーティか。珍しいな」

「……いつもは、お楽しみ」

「お楽しみじゃねえよ」


 まるで俺が毎日朝からいかがわしい事をしているみたいじゃないか。


「……は?」

「……毎日は……」


 していないぞ。

 毎日は。


「それにしたって。忙しいだろ、サーティは」


 メイドの仕事ばかりでなく、書類を纏めたり計算をしたり。地図にピンとメモを貼って回ったり。

 領内の知恵袋役で忙しいはずだ。

 というか最近は、メイドの仕事よりもそっちが本職になっているはずだ。


「そうでもない」


 そうでもないのか。


「頭の良いひと。経験のあるひと。能力のあるひと。それはあとから集まってくる。少し気がつくだけのしろうとの仕事は、そう、長くつづかない」

「そういうもんかね」

「そういう。もの」


 デラが連れて来た者。自分でここを目指してきた者。色々いるが、新たな人材は次々と流れ込んでくる。

 なるほど彼らは有能で。

 経験の能力も才能もあって。

 最初にたまたま上手く物事を回せた有象無象は、どんどん端に追いやられていく。

 前にもあったな、そんな事。


「それでも、サーティは天才かと思ってたんだが」

「それは、前提」


 金と権力のある所。

 集まって頭角を現すのは、才知に長けた者ばかり。

 そしてその才知にも、程度というものがそこにはあって。


 寝巻き姿でベッドを降りて。

 吊るしたトレンチコートから、ピースの箱を取り出して。


「ああ。もう何本も無いなぁ」


 そんな事を言いながら、一本抜いて火をつける。


「煙草、外」


 すぐにベランダに追い出される。

 分かるがね。臭くなるし、灰も飛ぶし。掃除が面倒になるのはよくわかる。

 それは分かるが、わびしいなぁ。


 こっちは、酒も米も食い物もあるけれど、何故か美味い煙草が無い。

 あるのは、高価な割には葉っぱを乾かして刻んだだけのパイプ草が精々だ。

 ニコチンがガツンと来る割に、味わいが無くて吸っていて疲れる。喉のダメージも半端ない。

 しかも、需要が少ないらしく、市場に出ないし出ても高価だ。

 タバコ吸いは、異世界でも肩身が狭いのだなぁ。


「どっかで煙草園でも作るかなぁ」


 朝の爽やかな空気で吸う煙草は間違いなく美味い。


「……草なら、幻覚草とか。ある」

「麻薬栽培はさすがになぁ」


 俺の知っている禁止薬物とは別物かもしれないし、法律とかも違うんだろうけど。

 やっぱり、ああいうのに手を出すのは、この歳になるまで重ねた常識が邪魔をする。

 俺は、そんな小市民でいいと思う。


「……市長の仕事。したら?」

「はい。そうします」


 フィルターの先まで焦げた煙草を揉み潰して、吸い殻をゴミ箱に放り込む。

 寝ぼけ眼はもうハッキリしている。

 朝から市長の仕事が待っている。


「もうちょっと、管理職ってのはヒマなもんだと思ったんだがなぁ」


 地元の市役所は知らないが、こちらの役所は夜は無い。

 というか、夜行性の種族が交代するので、夜も昼も無く仕事が続けられる。


 そして、最終決済するのは俺一人。

 夜も昼も無く作られた書類の束が、俺のハンコを待っている。


「書類見ないで決済印して、後になって問題になる役人の気持ちが分かるなぁ」


 市長の前まで送られてきた書類は、すでに複数の決済がされていて、書式必要事項が足りないと言う事はほぼ無い。

 そして、決済した者の立場も考えると、それを気に入らないからとハンコを押さない訳にも行かない。

 つまり押す事は確定した書類を渡されて、ハンコを押したら責任は俺が取る事になる。

 役人の偉い人というのも大変だなぁ。


 そんな事を考えながら、無心でハンコを押していく。

 夜の分の書類を半分片付けたあたりで、朝出来た書類がおかわりでやってくる。


「ちょっとこれ。書類に埋もれるパターンじゃないか」

「それなら、書類の読込みを浅くすれば良いのでは?」


 後からやってきたへリアディスも、俺の横で目をしょぼつかせて書類を読んでいる。

 声も若干どころではなく低くて力が無い。


「それで押したハンコは俺の責任になるんだろ」

「上に立つ人間というのはそういうものですな」

「……世の偉い人ってのは、そう言うのはどうしてるんだろうな?」


 はぁ、とへリアディスはため息を一つ。首を伸ばして肩を揉む。

 前にでっかい重しのある彼女は、やっぱり座り仕事は大変だろう。


「少し早いですが昼食にしますか」

「そうだな。少し休んで空気を変えよう」


 俺も目元がショボショボして来ていた。

 もう、薄暗い所で小さい字を読むのが辛くなって来た。

 こういう所から、自分の年齢を実感してきて、実に虚しい気分になる。


 ああ、老眼鏡でも作ってもらうかなぁ。


「昼食か。今日は外で食いたいな」

「それなら、アンヌ殿の店などいかがでしょうか」


 アンヌの喫茶店か。

 この街に来て最初に入ったあの店だ。

 役所のすぐ近くで営業するあの店は、役人達の昼食夕食朝食にと、いつの時間も賑わいを見せている。

 安くて美味いザ・大衆食堂。俺も何度もお世話になっている。


「そうだな、あそこがいいか」

「テーダ殿も呼んで来ますので、主殿は先に行っていて下さい」

「注文して待ってるよ。何にする?」

「私は本日のランチとビールで。テーダ殿も同じでしょう」

「キミらは毎回昼から呑むね」


 昼酒にはちょっと、俺には一家言あるんだが。

 まあ、それはいいか。


「毎日の事ですので」

「そういや、最初の最初っから呑んでたな」

「あの時は、こんな事になるとは思いもしませんでしたね……」


 そうだ。

 あの店に最初に行って。

 あの店で全てが始まったんだ。

 そう思うと、なんだか感慨深いものがあるな。


「毎日のように行ってるのですから。感慨も何もありませんよ」

「それを言っちゃあいけねえよ」


 あっはっはと笑って書類を片付ける。

 昼にはちょっと早い時間。

 昼飯混雑は避けられそうだ。

 こう言うの、いいよね。

 時間が自由になる仕事、最高。


 まだ机に向かって書類と格闘している役人達の脇を抜け、ウキウキ顔で庁舎を出る。

 ああ、この優越感よ。

 この恍惚感よ。

 これで、昼酒なんかやったら最高だ。

 最高すぎてバチが当たってしまうじゃないか。


「さて、今日のランチは何かなぁ」


 アンヌさんの店は庁舎のすぐ近く。

 急速に発展するこの街では、いつの間にやら一等地の繁盛店になっていた。

 役所ばかりでなく、付近の施設や店やらから、メシを求めた客がやってくる。

 ランチタイムともなれば、店の外まで行列が並んでいるのがいつもの風景だ。

 本日も、昼前だと言うのに千客万来大繁盛。

 既に空きテーブルはいくつもない。


「いらっしゃーい! あ、市長さん。毎度ご贔屓に」

「……いらっしゃい」


 愛想の塊のようなアンヌと、無愛想に迎える料理人。

 結局、この店の店主はアンヌで、料理人は雇われだったらしい。

 この貫禄で雇われか……・


「今日のランチ3つとビールを……」


 どうしよう。

 ヘリアディスとテーダは遠慮なく呑むだろう。

 俺としては、それはなんというか。違う。


 昼酒は駄目な事。

 その一線だけは守りたい。

 守るからこその、特別な日の昼酒が美味いのだ。


「ビールも3つね。ちょっと待っててね」


 ……うん。注文が通っちゃったら仕方ないね。

 もったいないもんね。

 呑んじゃおう。


「本当。毎度ありがとうございますね、市長さん。この調子で最後までご贔屓に」

「最後?」

「うん。この店、近々閉めるのよ」


 アンヌの言葉はまるで、青天の霹靂のようだった。

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