第9話6部 断崖と太陽と

「いらっしゃいませ。チャレンジメニューにいたしますか?」


 県内に入ったあたりから、空気が変わった感じがした。

 戸山と軍曹は何も感じていなかったが、かなめちゃんは明らかな異変を感じていた。

 俺も僅かに空気の質が変わって気がしていた。


 それで、朝食に入ったファミレスでこれである。


「やっぱおかしいよこれ」

「流石のボクでもこれはおかしいと分かる」

「ヘイ。チャレンジってのはどれくらい出すんだい?」


 日本全土どこにでもあるチェーンのファミレスである。

 店内は整理整頓保たれて、先客の食っている料理も特殊なものは見られない。

 何の変哲も無いファミレスだ。

 当然、店長の裁量でチャレンジメニューをするような、そう言う雰囲気は見られない。


 全国展開しているファミレスは、そういう勝手が許されないものだ。

 それを押してなお、マニュアルを無視する店には、それなりの臭いがある。

 据えたような、方向性を誤った焦り。

 そんな空気を醸し出すように、整頓や清掃が行き届いていなかったり、規定に沿わないレイアウトになっていたり、手書きの張り紙が並んでいたり。

 そんな店内になっている。


 それが、何故だ?

 この店は何の問題も見られない。

 何の臭いも感じられない。

 どこに出店しても、そこそこの評価とそこそこの客入りを見込める。

 実に平均的な店舗。

 ザ・平均。

 長きに巻かれ、大樹に寄らんとする強い意志を感じる。


 間違っても、本社の意向に反してチャレンジメニューを用意するような店舗には見えない。


「……チャレンジメニューを。ご希望ですね?」


 店員の低い声。

 響き渡る剣呑な雰囲気。

 音も無く、バックヤードから社員らしい顔がこちらを覗く。


 違う。

 これは違う。


「……いえ。好奇心で聞いただけですよ。通常の。モーニングメニューを」


 軍曹を制して俺は言う。

 それでもなお、店の空気は張り詰めていた。


「ヘイ、ニンジャマン。何で止めたんだよ。オレは確かにトシだがな。こう見えて……」

「……おかしいんですよ。ここは」


 なおも食い下がろうとする軍曹、それを小声で押し止める。

 席に付き、お冷を入れ。

 モーニングメニューから適当なものを注文し。

 一息ついてから、俺は説明を開始する。


「最初に言いますと。フードファイトはイベントです。チャレンジメニューそのものは利益率は低いんです」

「客寄せや宣伝としてイベント化しないとやってられない。って事か」

「妙に詳しいなニンジャマン」

「この人。大食いのプロやってたのよ」

「ジャパンには面白いプロがいるんだな」


 アメリカにもいます。大食いのプロ。

 むしろそっちが本場です。

 まあ、それはそれとして。


「戸山の言う通りで。チャレンジメニューがあったとしても、客入りが見込める時間帯に限られるのが殆どで、ましてや店側から確認してくる事はまずありえない」

「それなのに、何でこんな事になっているのか。って事ね。やっぱり空気が変わった事と関係あるわね」

「そういや連中、『天喰会』だったね」

「『世界を食らうもの』を信仰する終末思想って話だけど……」

「ジャパニーズには馴染み薄いかもしれんが。リヴァイアサンは食われる方だぞ」

「それを言うなら。北欧神話出すなら、世界を囲むだけのヨルムンガンドより、太陽と月を飲み込むフェンリルの方が『らしい』よね」


 なんというか、とっ散らかっているというか。

 何か雑だ。


「多分。蛇神信仰が先にあると思うわ。化身の類は後付でしかないんじゃないかな」

「新興宗教にはよくある事だね。で、その『天喰会』だけど。『大食』を奨励するって教義なんだよね」


 それは内藤にも言われた事だ。

 調査した限りではよくあるタイプのカルト宗教だったから気にしてはいなかったが……。


「つまり、この店は連中の手先って事かしらね」

「……それには異論がある」


 カルト宗教が絡む店舗にも、それはそれで特有の臭いがある。

 隠そうとして隠しきれない、店側の心情が、店の様々な部分に現れてくる。

 だが、店内の雰囲気そのものはやはりベーシックな量産型店舗。

 堅実に、愚直に、マニュアルを極めんとする気概すら感じられる佇まい。


 なにかがおかしい。


「正直なところ、現時点では違和感しか根拠が無い。さらに言えば、俺達は連中に注目すらされていない」

「無駄に目立って注目を集める方が危険だよな」


 戸山もやれやれと肩をすくめる。

 答え合わせは事件が解決した後でやっても遅くは無い。


「お待たせいたしました。モーニングセットです」


 そう言って、店員さんが現れる。

 押してきたカートには、パンケーキとサラダとコーヒー。

 その皿を、淡々と配膳する。


 特におかしいところはない。

 ここだけ見れば、普通のファミレスの風景。


「お客さん。どちらから?」


 だから、この言葉も何てことも無い雑談に聞こえた。


「ああ、東京からね。ちょっと仕事があってさ」

「朝から大変ですね」

「まったくだ。なんとか楽が出来ればいいんだけどね」


 そう言って俺は言葉を切る。

 もうあまり、無駄に会話を続けてボロを出したくはなかった。


「東京から、か……それなら知らないですよね」


 が、遅かった。


「【暴食フードファイト】を」

「……っ!?」


 目を見張る。

 店員を見る。

 すべてはもう、遅かった。


 店員は裂けるように口を歪めていた。


「くくく……っくくっく……うふふふふ……」


 笑っていた。

 笑い顔を浮かべならが、その眼は虚空を見つめていた。


「もう。逃げられない」


 ばらばらと、皿の上にパンケーキが重ねられる。

 次々と。

 次々と。

 二段三段と折り重なって。

 それはまるで。

 小麦粉の断崖で。


「何だこの……」


 軍曹が立ち上がる。

 いや、立ち上がろうとした。


「なんだ……これは?」


 軍曹の下半身を支えるパワーアシストシステムは、大型トラックに匹敵するパワーを誇る。

 そうでなくとも、抑える物の一つも無いなら、この中で一番体力の無い戸山でも、立ち上がる事に支障は無い。


「ちょっと、なんだこれ?」

「立ち上がれない? ウソ……」


 にも関わらず、立ち上がる事が出来ない。

 まるで尻が椅子に貼り付いたかのように。

 まるで足が立ち方を忘れたかのように。

 立ち上がるという、当たり前に出来る行為を、どうしても実行する事が出来ない。


「【暴食フードファイト】は始まったのだ。このパンケーキを喰い尽くすまで、お前らは立ち上がる事も出来ない」

「……この、パンケーキだな?」


 ぎらりと俺の眼が光る。


「……何?」

「この。今、ここにあるパンケーキを食い尽くせばいいんだな?」


 見下ろす店員の眼は。

 しかし初めて困惑を色を見せていた。

 どうしたものかと言葉に詰まり……。


「いいのなら、始めるぞ」


 そして俺は、修羅へと入る。


「――いただきます」


 合掌。


 次の瞬間には、俺の両手は銀の輝きを発していた。

 掲げるは、小麦粉の断崖を切り開く二つの重機。

 右手に切り拓くものナイフ

 左手に救い上げるものフォーク


 いくつもの戦場があった。

 いくつもの試練があった。

 いくつもの山を、絶壁を、塔を、海原を。

 俺と共に駆け抜けた、相棒たち。

 それが今、俺の手の中にあった。


 負けるはずなどありえない。


 今まで戦い乗り越えた断崖絶壁数知れず。

 グランドキャニオン級も幾多とあった。


 所詮、ここに立ちはだかる絶壁は、日本の地方の名所級。

 世界クラスに程遠い。


 その、小さな断崖を。

 ナイフが一息に二つに割った。

 さらに四つ切り。


 十字に刻んだパンケーキの裂け目に、バターとメイプルシロップをだらりと投入。

 断崖に産まれた新たな谷に、恵みの雨が滴り落ちる。


 じくじくと、音を立てるようにして。

 甘味が生地に染み込んで。

 俺のフォークが唸りを上げる。


 俺のフォークは。

 フォークはフォークでも、フォークリフトのフォークだ。

 十万馬力の重機の力。

 パンケーキの地層にボウリングの如くしろがねの鋼を突き刺して。

 そのまま、力任せに持ち上げリフトする。


 待っているのは。

 断崖を越える遙かなる奈落アビス

 俺の胃袋のその奥だ。


 吊り上げられた断崖は。

 為す術無く奈落に消えて。


「――ごちそうさまでした」


 まさに鎧袖一触。


 テーブルに積み上げられたパンケーキ。

 その四皿分。

 そのすべてが、俺のナイフとフォークによって、跡形も無く解体されて。

 すべて胃袋の中に消えていた。


「事情を聞かせてもらおうか」


 いつの間にか、普通に立ち上がる事が出来るようになっていた。


 配膳をしていた店員が、立ち上がる俺の前に膝をつく。


「はい。なんなりとご命令を……」


 そしてそれが合図のように。

 波紋が広がるかのように。

 次々と。

 次々と。

 居並ぶ店員達が膝をつく。


 気付けば店内は。

 店員も。

 居合わせた客すらも。


 俺の足元に跪き、ひれ伏していた。


「何だ、これ?」

「催眠術や……魔法の類じゃないわね。少なくとも、私が分かる限りでだけど」

「なんなりと、ってんだから詳しく教えてもらうしか無いんじゃない?」


 ひれ伏す者達の目は、真摯で従順で。

 何かを企む様子も無い。


「そもそも何だ。【暴食フードファイト】って」

「知らないで受けたの? 呆れた」

「十分食い切れる量だったし……」

「だからそれが考えなしだって話よ」

「まったく、大事にならなかったっぽいからいいけどさ……」

「……いや……」


 ため息をつく戸山の言葉を。

 軍曹はぼそりと遮った。


「大変な事にはもう、なってるみてえだぜ……」


 軍曹が指差す外の風景。

 昇る途中の太陽が。

 何かに食いつかれたかのように。

 黒く。暗く。

 丸いその姿を欠けさせていた。


「……太陽が……」

「日蝕? そんなの起こるなんて聞いてないぞ……」


 そう。

 「何か」は既に起きていたのだ。

 おそらくは。

 ずっと前から。

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