第9話3部 あの日の面影

 宗教団体は文化庁に申請の必要があり、宗教法人と認められれば種々の特典も得られる。


 『天喰会』についても同じ事だ。

 という事で、文化庁の資料を。

 と、内藤のメールを見てもどこにも無い。


「資料請求するなら文書にしないと駄目なんだよ、最近」


 との事。

 個人情報なんちゃらがうるさいらしい。

 というか、そういう文書も残せない段階の話って事か。


 こいつはたまらんなぁ。


「こう言う時は神頼み」


 判明している三つの教団施設。

 その一つのやや近く。

 バスで十分も行った所に馴染みの神社があった。


 馴染みというのもちょっと違うか。

 昔、色々と因縁があった人が居る。

 そういう所だ。


「いつ来ても変わらないな。ここは」


 町中に突然あらわれる静謐な空気。

 太い木々に囲われた、薄暗くてひんやりとした空気。

 青々とした緑の香り。


 古めかしい赤い鳥居を抜けて、その中に入っていく。

 鳥居は煤けて黒ずみ色あせて。それでも綺麗に掃除をされていて。

 社に続く参道にも、ゴミ一つ無い。


 こういう場所は不良のたまり場になりそうなものだけれども。

 落ち葉や枝の一つも無いほどに掃き清められている。


 この神社に来る度に思う。


 良い。

 いかにも感がとても良い。

 社の近くで朱袴の巫女さんでも居れば最高だった。


「あら。久しぶりじゃない、オジさん」


 長い黒髪に端正な顔立ち。

 三十路を過ぎても彼女は、輝くばかりの清楚さを醸し出している……。


 作業着姿の三十台独身女性の姿があった。


 ちょっとなぁ。

 もうちょっと、なんか無いかなぁ。


 俺としても男であるのだから、コスチュームという奴は大好きで。

 この雰囲気に、それらしい格好をしていてくれれば。

 そりゃあもう、最高だっただろうにと。

 そんな事を考えてしまう訳で。


「顔に本音が出てるわよ。本当に、それで良く黒服メンインブラックやってるわよねオジさん」

「そっちはもう廃業したよ。まあ、久しぶり。お嬢ちゃん」


 こちら、九支神神社統括。大鳥かなめさん。

 俺と彼女が出会ったのは、もう二十年も前の話になる。

 あの時は、俺はまだ内藤と組んでいて。

 彼女もまだ中学生で。

 本当に、大変な事件だった。


「浮世から離れてると時の流れが早くてイヤよね。なんだか、私一人置いていかれているみたいで」

「浮世離れって。神社の敷地で幼稚園経営してるんだろ? 俺なんか、事務所の経営が火の車で」

「昔の事思い出してるのに、生臭い話しないでよ。最近は少子化でホント大変なのよ」


 初めて逢った頃は「赤ちゃんはコウノトリが連れてくるんでしょ」とか言っていた女の子が。

 今ではこんな生臭い。


 なんだかそれも、ちょっとだけ誇らしいのは。

 あの頃の事が、無駄じゃなかった証拠な訳で。


「というか、オジさん。『オジさんって言うな。俺はまだ二十代だ』はどうしたの?」

「もうおじさんなんだよ。実際のところ」

「ちょっとやめてよ。そんな事言われると、私まで歳思い出すじゃない」


 かなめと俺は八歳違い。

 昔は八歳『も』違うだったけど。

 今では八歳『しか』違わない。

 お互いもう、あの時代のままではいられない。


「それで何? なんか用でもあった?」

「近く寄ったから神頼み」

「お賽銭は五百円からお願いします」

「あのかなめちゃんが、カネに汚くなったなぁ」

「経営やってるとそりゃあね」


 あはは、と笑い合う。

 お互いに、あれから色々あったねと。

 口にはしないで語り合う。


 元の清楚な女子中学生の姿を覚えているから余計に。

 表情に時折面影が見えて。

 それが余計になんというか。

 歳月の流れを感じさせられる。


「そういえば。結局、彼氏クンとはどうなったんだ?」

「進藤くん? 大学が違うとねぇ……」


 世知辛いなぁ。

 かなめの幼馴染の彼氏とは、因縁あってぶつかって。

 熱血少年の鑑みたいな男の子で。

 あの時の勢いだと、今頃は幸せな結婚生活をしてそうなものだったんだけれども。


「あの子ほら。瞬間湯沸かし器でしょ? 半径十メートルの人間の事しか考えられないというか」

「ああ。そういう所あるな」

「中学生までだとそれも良かったんだけどね……」


 彼には相当に悪しざまに言われたものだ。

 熱血直情大いに結構。

 少年は大人に噛み付いてナンボだと、今になってはよく分かる。

 あの時、俺も若かった。


 だけれども。

 少年老い易く学成り難し。

 いつかは大人になって。

 笑って噛み付かれる甲斐性って奴を身に着けなければならないんだろう。


「そんな事言って。しっかり噛み付き返してたじゃない、オジさん達は」

「また顔に出てたか?」

「そうじゃなくて。それくらいは今でも出来るわよ、私」


 心くらいは読めますよ、か。

 同じ事を言われた事があったかもしれない。

 いや、あれは別の娘だったかな?


「私よ、それ」


 いかんいかん。

 歳をとると物忘れが酷くなって困るな。


 それじゃあ、忘れ物をする前に。

 賽銭箱に向かって財布を開く。

 今日ばかりは、大盤振る舞いの五百円。


 ぱんぱん。

 柏手を打って。

 神様どうかよろしくお願いいたします。


 今回の依頼でお金が一杯入ってきますように。

 お金に困らないくらい儲けられますように。

 ガッポガッポ金が入ってきますように。

 腹いっぱい食っても、食うに困らない生活が出来ますように。

 後、出来れば美人とお付き合いできますように。

 後腐れの無いお付き合いが出来ますように。


「煩悩ばっかじゃない」


 心の中を読むの。そろそろやめてくれないものだろうか。


「大盤振る舞いしてるんだからいいじゃないか」

「神様ってそういうものじゃないのよ。もっとこう、何ていうのかしらね。縁とか救いとかそういうのを祈るものなのよ」

「はあ」


 いいじゃないか。

 別にいいじゃないか。

 祈る分にはタダなんだし。

 いや、賽銭入れてるんだけど。


「神様は汚れを嫌うんだから。欲望剥き出しにしてると逆に祟るわよ」

「そういう事はもっと早く教えてくれないかなぁ」


 今まで初詣でやらかしまくってたよ。

 川崎大師とか氷川神社とか。

 出先の神社仏閣でも色々。


 まさかこれは、今まで神様の祟りを受けていたのか……?


「まあ。これに懲りて反省しなさい。心清らかに。嘘はつかず」

「反省いたします」

「じゃあ、嘘は無しで」


 そこまで言って、かなめは俺と目を合わす。

 黒い瞳の、奥の、僅かに混じった翠色。

 それがただの黒さより。

 遠く、深く、黒く。

 何かがその奥にいるようで。


「なんでここに来たの?」


 何も言う事が出来なかった。


「まったく。だからオジさんは困るのよね……」


 はぁ。と、かなめは息をつく。

 形の良い眉を下げて。

 半笑いの口をひん曲げて。

 それでも真っ直ぐ俺を見つめて。


「助けて欲しいなら言ってよ。オジさんと私の仲でしょ?」

「かなめちゃんには、お願いばっかりしてるだろ。だからまあ、あんまり、な」


 昔の話だ。

 昔、色々あった。


 だからまあ。

 年下の女の子に、いつまでも頼ってばかりもいられない。

 大の男としてはやっぱりね。


「大の大人が何言ってるのよ。頼れる人にお願い出来るのが大人なのよ」

「いつの間にか説教される側になっちゃったなぁ」

「私もいい歳って事よ。ああ結婚したい」


 それじゃ俺が貰ってやろうかと。

 唇の裏まで出てきてなんとか止めた。


 ちょっと、俺達の歳だと。

 そいつはもう冗談にならない。


 三十路を過ぎても若々しい、かなめの姿を見ていると。

 冗談にならなくてもいいかなと思ってしまう。


 そう言うのが良くない。

 身軽さが無くなるのは。

 窮屈で良くないと思う。


 事務所を背負う事になってから、余計にそう思う。


 だから、なんでもないように口を開く。


「『天喰会』ってあるだろ?」

「ああ。あの新興宗教ね。評判はまあまあ悪くは無いわよ。この間支部長さんと話したけど、真面目そうな人だったわね」

「あれの調査をしてるんだ。ちょいとワケありで」


 ふーん。と、かなめは天を仰ぐ。

 誰かと話しているようで。

 何も考えていないようで。

 昔から、俺はその仕草が好きだった。


「ま。いいんじゃない? ちゃんとご加護があるように、神様に祈っていてあげる」

「頼むよ。上手く行ったらお布施は弾むから」

「なんだったら、ピンチの時は呼びなさいよ。白馬に乗って助けに行ってあげるから」


 この娘の場合。そいつを本当にやりかねない。

 だからそれは最後の手段としておこう。


「その時はメールするよ」

「ラインくらい入れてよね」

「そもそもスマホじゃ無いんだよな、俺のケータイ」

「いつの時代の人間よ、オジさん」

「このご時世で、トレンチコート着てるくらいだからな」

「前から思ってたけど、暑く無いのそれ?」

「正直暑い。特に夏場は」

「じゃあやめなさいよ」

「師匠の形見なんだよ」


 参道を下って。

 鳥居に向かって歩き出す。


 ゆっくりと。

 ゆっくりと。


 なんでも無いような話しをしながら。


 いつまでも。

 鳥居につかなければいいなと。

 ちょっと思っていた。

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