第9話1部 ある事務所の日常

 吉祥寺ジョージに看板を構えてもう十年。


 『よろず調査承ります』

 『犬猫探しから国家機密まで』

 看板下に書かれたモットーは今も昔も変わらない。


 引っ越し六回。

 看板を取り替える事三回。


 ホームページも立ち上げて。

 ブログとか言うのも定期に書いて。

 ようやく仕事も安定して。


「そろそろちょっと、もう一波乱。なんて思うのはワガママか」


 四畳半のアパートに、無理矢理デスクとソファを詰め込んだだけの薄汚いオフィスが懐かしい。

 初代オフィスは見た目のみすぼらしさ通り、仕事の方もクソばっかりで。

 カネにならない辛い仕事ばかりをしていた。


 それも、思い出となっては懐かしく、どこか輝かしい。


「ワガママだヨー。それヨリ、ちゃんと仕事しないとダメ、シャッチョサン」


 今ではオフィスも清潔で。

 リースのデスクが綺麗に並び。

 パーテションで区切られた応接室まであって。


 口うるさい社員達まで完備と来ている。


「その辺は男の浪漫って奴だよ。グェンさんには分かんないかなぁ」

「ボクも男だけど分かんなイヨ! シャッチョサンの言うコト変ヨ」


 口うるさい社員その1。

 褐色肌のグェン君。

 日本語こそはたどたどしいが、英語フランスタガログヒンディその他十数カ国の言葉を理解する、工業大学で勉強中の留学生だ。

 正直俺より遥かに賢い。

 なんでこんな事務所にいるんだろう。


 いや。英語くらいは喋れるよ俺も。

 言っても何故か誰も信じてくれないけれど。


「後、オフィスは禁煙ですよ! 今時分、煙草なんて人前で吸う人はいやしないんですからね!」


 そして口うるさい社員その2。

 オブラートに包んで言えば妙齢の美女。


 年齢四十五歳。

 会社員の夫あり。二人の子持ち。

 料理好きの美味しいもの好き。

 体格太めで、趣味はダイエット。

 口がでかくてよく喋りよく笑う。

 正直決して美人ではないが、愛嬌のある顔立ち。


 上から見ても下から見ても右から見ても左から見ても。口うるさい専業主婦のおかーさん。

 これが凄腕の探偵だとは、お釈迦様でも気付くめえ。


「喫煙の自由と言うものがあってだね」

「ありません」

「ナイよネ」


 酷い社員達である。


 ここにいる三名と、外回り中の四名。

 それにパート契約の調査員が十数名。

 それが我が『新吉祥寺興信事務所』の総勢だ。


 いやぁ。

 俺一人で回していた頃に比べると、大所帯になったものだ。

 浮気調査や犬猫探しなんかは本当に楽になった。


「でもほら。そろそろ犬猫じゃない方の仕事もしたいじゃない」

「社長。都合が悪くなるとそればっかりじゃないのさ」

「ニンゲン。堅実ガ一番ヨ」


 逃げ道くらいは欲しいものである。


「と、言いたインだけどネ。メール、来テるヨ。シャッチョサン」

「メール?」

「ナイトーさんヨ。『じゃない』方の仕事ヨ、多分」


 内藤か。

 俺の昔の同僚で。

 今では内閣調査室のエリート様。


 独立直後の赤貧洗うが如き俺に、仕事を寄越してくれるという名目で。

 クソのような厄介事を押し付けてくる。

 そういう奴だ。


「どれどれ……っと、また用件は無しで。『酒でも呑もう』か」

「行かないのが一番よね」

「その選択肢は無いんだよなぁ」


 何しろ社員には内緒だが、奴には多額の借りがある。


 と、言うと格好いいが、一言で言えば借金だ。

 今のオフィスが借りられたのも。

 ノートパソコンを全部のデスクに置けるのも。

 社員全員に社用ケータイを持たせられるのも。

 全部その借金のお陰なわけで。

 とりあえず、今の内は。

 いつかは、この借りも返してやるつもりではある。


 いつかが、いつになるかは分からないけど。


「酒だけ呑んで帰ってくるよ」

「仕事はいらないわよ」

「仕事はいらナイヨ」

「わかってるって」


 冷ややかに見送る二人の声。

 今回ばかりはプライベートでやるしか無さそうだ。


 前回もそうだった。

 その前もそうだった。


 いつも結局プライベートでやっていた。


 悲しい。

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