第8話4部 朝練

 両の手を胸の前で合わせて一礼。

 頭を下げて尚、視線はお互い外さない。


 ゆっくりと自然体に戻り。そして左半身に構える。

 久しぶりに身につける道着が肌に擦れる感触がする。

 明日には、首筋や背中は赤いひっかき傷だらけになっているだろう。


 対するエルフは片耳が欠けていた。

 とてつもなく強い握力で握り潰された。そういう風に見える欠け方をしていた。


 クレボルンは悠然と。

 自然体のままこちらに向いている。


「ゆくぞ」


 声がした。

 瞬間、拳があった。


 右中段正拳。

 そうと分かった時には打ち払っていた。

 その時には、エルフの左手が襟首を掴んでいた。


 下がる。

 脚が払われる。

 姿勢を戻そうと腰を引く。

 それよりも早く、エルフの背中が懐に潜り込む。


 バァン!


 心地よいくらいの音を立てて、俺は畳にひっくり返った。


「……ぐぅ……っってて…………」

「どうかな?」


 触診をする医者みたいな顔をしてクレボルンが見下ろしてくる。

 どうかな、って。

 投げられりゃ痛いのは当然な訳で。


「内臓に来ますね」

「やはりダメージはあるか。成程面白い」


 今日は朝からクレボルンさんの実験の付き合いである。

 俺としてはあまり乗り気では無いんだが。

 むしろ、まったく乗り気では無いんだが。

 日が上がる前から部屋に押しかけられて、無理矢理道場まで引きずられてきた訳で。

 一回限りの約束で、投げられマシーンをやらされている。


 というか、落下事故があったと言うのは本当らしい。

 殴っても斬っても撃ってもノーダメージのこの世界で、投げられると普通に苦しい。


「概ねの所は理解した。打撃は無効化。関節技は痛みと固めにしか使えず、折れる外れるまでには至らない」

「痛いだけというのも微妙な所ですね」

「むしろ。折れぬ外れぬの分、固め技としては使えるな。そして投げ技は威力を発揮する。まあ、七割程度の威力であるが」


 ふむふむと、頷きながら歩いて回るクレボルン。

 それはまるで裏ワザを見つけた子供のようで。

 一見すれば微笑ましい。


 実験台ですらなければ、俺も微笑ましいと思えただろう。


「七割ですか?」

「骨が折れるのは相当な場合のようだな。おそらく、落下の衝撃だけが威力となるのであろう」


 それでも、高い所から落ちれば怪我もすると言うものだ。

 というか、内臓にガッツリ来るので結構な重症になると思う。


「しかし。こう言うのを研究して何か意味が……」


 ああ、無いのか。

 意味の無い事を楽しむ人なんだっけか。


「いや、意味はある。例えばこの結果と怪我人の統計を組み合わせるとだな。テロリストが侵入している事が分かる」


 いきなり何を言い出すんだこの人?


「テロですか?」

「入院患者の数が多すぎる。落下の威力が衝撃だけと言うのならば、殆どが二、三日も休めば治る打ち身や脳震盪だ。手足が折れると言うならば、相当の高さから落ちる必要がある。が、そのような高さは安全帯を付けるように指導が徹底されている。そうだな?」


 なんだか、雲行きが怪しくなってきたぞ。

 確かに、高所作業には安全帯をつけるように指示を徹底されている。


「と、言っても。うっかりと言うこともあるでしょう?」

「そうだ。うっかり忘れた瞬間に、うっかり落下しなければ骨折はしない。そういう事だ。確率は非常に低い」

「その割には怪我人が多い。と」

「安全対策を軽視するように働きかけ。安全帯を着けない者が高所作業をしている時に、落ちるように細工をする。やるにはそれなりの組織でなければ不可能であろうな」


 サボタージュという奴か。

 テロというものは、意外と身近な代物で。

 暴力の示威で意見を通す事を許してしまうと、暴力はさらに加速する。

 待っているのは無法地帯だ。


 昔の事務所に居た時も、時々そういう仕事が舞い込んできて。

 闇から闇へ、事件を葬った事は何度かあった。


 燃え上がる前の初期消火。

 関係組織の根絶。

 テロにはこれが重要だ。


「背景を調べる必要がありますね」

「ある程度想像はつくがな」

「……どこの誰です?」

「『七辻の神』の信徒共だ」


 ……いやぁ。

 流石にそれはどうだろう?


「忘れたか? 連中には派閥がいくつもあるのだぞ。市長殿が封印者イスラエルであると言うならば。『七辻の神』そのものを奉ずる者にとっては不倶戴天の敵だぞ」

「確かに。それでは、その連中が入り込んでいると?」

「ただ、封印派にも色々あってだな。封印者イスラエルが増える事を歓迎しない者もいる」


 クレボルンは困ったものだと腕を組む。

 困ったものだって言いたいのはこっちの方だが。


「何で歓迎しないんですか?」

「予言でな。七つの封印が揃った後、一千年の栄耀栄華が保証されるのだが」

「結構な事だと思いますが」

「その後、『七辻の神』が封印を破って復活するのだそうだ」


 ああ。そういう事か。

 つまり逆に言うと、七つの封印が永遠に揃わなければ。

 『七辻の神』の完全復活も永久に起こらないと。


「そう信じる連中もいると言うことだ。その中には実力行使も辞さない連中もいると聞く」

「宗教は面倒だなぁ」

「救世主様が何を言うか」


 好きで救世主になった訳でも無いんだが。

 そもそも、俺が救世主というのも正直眉唾ものだと思うのですが。


「実は俺、救世主ではなかった。という事は無いですかね」

「そのように認識している者が多数いる以上。救世主であった方がマシであるな。まあ、世の中などそのようなものだ」

「はあ。今までの封印者イスラエルもそういう感じだったんですかね」


 英雄という人たちも、それまでの苦労というものがあったのだろうか。


「いや。前もって封印者イスラエルと騒がれたのは、市長殿と竜皇くらいであろうな」

「やっぱり、面識あるんですね」


 流石二億歳。

 歴史の生き証人である。


「我もその一人であるからな」

「え?」


 今なんと?


「まあ。そんな事はどうでもいい」

「いや、どうでも良く無いでしょう」

「どうでも良い。それよりも重要な事はだな。ちょっと市長殿そこに立て」


 有無を言わさぬ真剣な顔。

 流石に個人的な感情は後回しか。


「立ちましたけど。それで?」

「うむ」


 がつん。

 と、腹に衝撃が走る。

 痛い。苦しい。酸っぱいものがこみ上げてくる。


 膝をついて崩れ落ちていた。


 拳が腹に突き刺さった事に気付いたのは。

 地面に伏した後だった。


「やはり効くな。流石は我だ」

「な……にやってるんですか。というか、何をやったんですか」


 打撃効かないはずじゃないのか?

 なんでこんな事になっているのか。

 そもそも、この人な何者なのか


「発勁だ。所謂、押す打撃だな」

「それが何で効くんですか。打撃無効じゃなんですかここ」

「長くなるぞ?」

「短くお願いします」


 流石に説明を受けないと納得できない。


「発勁で吹き飛ばされたお前は足で着地をした。その着地の衝撃が腹に来た」

「吹き飛んでないじゃないですか」

「を、最短でやった」


 説明されても納得できなかった。


「まあ、市長殿も出来るようにしてやるから勘弁しろ。体得すれば感覚で分かるようになる」


 結局朝の修行は。

 テーダが報告があると呼びに来るまで続いて。


 体得しても。

 結局理屈はよく分からないままだった。


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