第7話3部 大洋を越えるもの

 眼下に広がる一大パノラマ。


 平地の多いこの大地、高所に立つと遙か彼方まで視界が通る。


 北に見えるはどこまでも続く雄大な大河。

 そこから続く幾筋もの川の流れ。


 拡張工事はみるみる進み農水路、もとい運河の工事は。

 みるみる内に掘り進められ。

 今にもこちらに届く程。

 急ピッチで進められている。


 南に見えるは山脈で。

 幾層にも重なる地層を露わに見せて。

 その頂上は靄に隠れて見通せない。

 こちらにも着実に、線路網を進める計画が進められている。


 やはり、広大な大地を走る蒸気機関車と蒸気船は。

 男の子の浪漫をくすぐって止まない。


「この視界の端から端までが。主様の手の内ですのよ」


 エリュアレイは、鉄籠に寝そべる火蜥蜴サラマンダーに石炭を食わている。


 頭の上に広がるのは、真っ白い布の風船で。

 俺達は風船に吊られた籠の中にいる。

 最近新たに作った気球だ。


 風船を膨らませているのは、エリュアレイが餌をやっている火蜥蜴サラマンダー

 ではなくて。

 風船の中で踊る半透明の虫のような生き物たち。

 エリュアレイは風精シルフと呼んでいる。


 風精シルフは熱が餌で。

 火蜥蜴サラマンダーの熱で元気になって風船を膨らませて持ち上げる。

 そう言う仕組みになっている。


 なんと言うか。

 俺の知っている気球と似ているようで微妙に違う。


 なんだか少し、座りがわるい。

 靴紐のあまりの長さが左右違う。

 そんな感じの座りの悪さ。


 座りは悪いが。

 今はもう、高い所にいるのは事実。


 目眩のするようなこの景色を、存分に視察することにしよう。


「この端から端までが俺のもの。ねえ……」

「ええ、それはもう。貴方はエリの主様ですのよ?」


 クココココ、と。

 硬いものを転がすような笑い声。

 釣り上がった赤い唇の中には、二つに割れた舌があるんだなぁ。


「大食いだけが取り柄の男なんだがね」

「錦の御旗はもう、掲げられてしまったのですの。後はもう、集まりて征くばかり」


 ぺろり、と舌が唇を撫でる。

 はしたないその動作も、彼女がやると気品すら漂ってきて。


「どこまで? ――行き着くところまで」

「それが視界の端までか。そいつはちょっと、遠すぎやしないかね」

「竜皇国は運河掘削技術は常軌を逸しておりますの。年の終わりを待たず、予定の運河網は完成しますの」


 おいおいマジか。

 運河用水洪水対策は、死傷者も多い難事業。

 そんな事は俺でも知っている。


 黒部ダムの苦労話は子供の頃によく聞かされたし、どこの郷土にも、用水を掘った逸話や洪水伝説はいくらもある。

 そんな大事業が年内に出来ると言う。


「河川を住処にする者にとっては、既に流れる川を広げるくらいの事は、陸の者が道を作るのと変わらぬそうですの」

「それはまた、凄いな」

「なにしろ、水を流したまま作業が出来ますの。しかも、河川の動きを熟知してるとなれば。陸の常識では語れは出来ませぬの」


 大河の流れを手にすれば、海はもうすぐそこだ。

 大洋から竜皇国の物資人材が流れ込んできて、大河流域を埋め尽くし。

 運河を作り、線路を敷き。

 源流の山脈までその手を伸ばし。


 見渡す限りのこの大地を、人と街で埋め尽くす。


「とんでもない話だ」


 そんな光景が、眼下の平原に重なって見えた。

 しかも、その旗印がこの俺だ。

 少し前の俺に話したら、笑うどころか正気を疑われる事だろう。


「当人は、昔なじみの爺さん一人に汲々しているんだけれども」


 『時そばの升伝』の行方はようとして知れない。


「散発的に目撃証言はあるのですの」


 まんまるい垂れ目の丸顔。


 どこにでも有るような無いような。

 そんな顔の目撃証言が、散発的に集まってくる。


 ある時は、どこぞで飯を食っていた。

 ある時は、誰それと立ち話をしていた。

 ある時は、街から出ていくのをこの目で見た。

 ある時は、住民として登録するのを見かけた。


 そんな感じの報告ばかりがやってくる。

 一つとして、確かな情報は入ってこない。

 その姿を探す程。

 それは霞のように朧になって。


 探して探して。

 探して探して。

 探して探して。


 最後に蕎麦屋の亭主の顔見てみたら。


 『そいつはこんな顔じゃなかったかい?』


 そんな事もある訳で。


 それじゃまるで『のっぺら坊』だ。

 落語の演目に呑まれちまったら、そこは『時そばの升伝』の独壇場だ。


 勝敗決まった高座の上で。

 舌先三寸丸められてポイ。

 そんな未来が待っている。


 気にするものではないと皆は言う。

 俺もそう思う。

 ただ、喉に引っかかった小骨のように。

 靴の中の小石のように。

 忘れた時に存在を主張してきて、気に障る。

 そんな、影のように纏わり付いてくる。


「今はそれを出来るだけ集めて。情報の精度を上げる段階ですの」


 まあ、ゆっくりやりましょう、と。

 エリュアレイは眼下を見やる。


 つられて見下ろす街並みを、ひときわ目立つ牛の頭が走っていた。

 岡っ引きの元締めをやることになったミノタウロスの親方は。

 今日も骨折り駆け回ってくれている。

 入ってきた情報も、多くは彼が集めたものだ。


 まったくもって有り難い。


 そこまでやってくれるのだから。

 俺も、もっと大きく構えないと駄目なんだろう。

 彼らを不安にさせないためにも。

 フリだけでも大人物の姿を見せなきゃならんか。


「それで情報を精査してみたのですが。エリには気になる事がございますの」


 いつの間にか、すぐ横に侍っていたエリュアレイ。


「主様の話の通りの者であれば。もっと無軌道に動くと思われますの。ここまで確かな足跡を辿れない。ましてや、【暴食フードファイト】が例の蕎麦屋の一件だけと言うのはありえませんの」

「何かの目的があって潜伏している。か」


 そもそも、だ。

 『時そばの升伝』が現れた事が間違いないとして。

 何のためにやってきたのか。それが分からない事には始まらない。


 仕事や金の無心のためか。

 それとも、俺の立場を奪うためか。

 はたまた別の理由があるのか。


 金の無心なら、姿を隠す必要はない。

 へらへら笑って向こうから顔を出すだろう。


 立場を奪いに来たのなら、もっと派手に動くだろう。

 いきなり勝負を挑んでくるなり。

 逆に俺の目の届かない所から、足場を切り崩しに来るなり。

 街で無差別に【暴食フードファイト】を挑んで回るテロを仕掛けた方が、俺へのプレッシャーは遥かに高い。


 隠れるならば。

 隠れるなりの理由がある訳で。


「……わからんなぁ……」


 しゅるりと、鱗の生えた尻尾が脚に巻き付いた。

 長く大きく、ふかふかの羽毛が生えた翼には、いつも香の匂いが焚き付けられている。


「やらないと言うことは、出来ないという事ですの。エリは思うのですの。『時そばの升伝』は存在しないと」


「存在しないと言われても、なぁ」


 色々な理由で、俺の知る文化がもたらされているこの世界。

 しかし、『時そば』なんて落語の演目。この世界では知っている者は多くない。


 加えて。

 噺家だった真剣師がいた事。

 そいつと俺が関わり合いがある事など。

 知っている者は皆無だろう。


 ましてや、それを使って俺を挑発しようなど。


「全部たまたま起きただなんて。それこそ考えられないだろう?」

「ですので。存在しないのではないかと思うのですの。”ここには”」


 ここには、か。

 ここにいないとなると。

 いる場所はどこか。という事になる。


「それともう一つ。テーダさまのお話ですが。マーナーン魔王国に動きあり。との事ですの」


 テーダの上司の政敵で、大食いの研究をしている貴族がいるらしい。

 目下の所、敵対しそうな勢力の急先鋒だ。


 折角の全く無駄な技術体系を、役に立つ物とされてしまったその腹いせに、その技術を活用させてくる。

 そんな展開が、マーナーン魔王国では度々起きているらしい。


 例えば貴族本人やその弟子が、こちらの侵略に乗り出してくる。

 無駄無意味が尊重される魔王国でも、金と物資は役に立つ。

 役に立つから。それを忌避して遠慮無く使う。

 巨大な植民地を切り取れるというならば、乗り出してこない道理も無い。


「テーダ様一派の政敵であるマーナーン魔王国サルバドレ侯爵家。そちらの間者の動きが活発になっておりますの。加えて、外征準備を進めている。と」


「そうか。とうとう動いて来たわけだ」


 『時そばの升伝』に続いて、弱り目に祟り目だ。

 内政が上手く回ってきたと思えば今度は外敵か。

 苦労は続くもんだなぁ。


「調べでは。最初に情報を出してきた蕎麦屋の店主にも、接触があるようですのよ」

「嫌な所で繋がったな」


 参ったな。

 敵は最初っから組んでいて。

 今度は『のっぺら坊』を演じてきた。

 そういやあれも、『時そばの升伝』の得意演目の一つだった。

 こいつはまったく厄介だ。


 他に得意と言えば『そば清』で。

 次は大蛇にでも注意するか。

 蛇含草を『時そばの升伝』が食ってくれたりしないもんか。


「さらに一つ。サルバドレ侯爵家が大食いで名を馳せるようになったのは、この十年足らずの事でございますの。次期当主シェイデン・サルバドレが幼くして創始した技術で。本人も若干十四歳ながら稀代の傑物として知られておりますの」


 そう言って、エリュアレイは睫毛の長い目を伏せる。


「……噂では、転生者であるとか」


 まじか。

 あのじじいが貴族様か。

 あの、壱百萬からの大金を一晩で呑み尽くしたあのじじいが。

 あの、名人になれる才覚を飲む打つ買うでフイにしたじじいが。

 あの、酒と女とバクチと飯で、寝所潰して孤独死したあのじじいが。


 一端の貴族様に産まれ変わって。

 しかも幼少から傑物で知られてるってのか。


「世の中ってのは分からんなぁ」


 俺の知っているあのじじいなら。

 侯爵様の寝所を潰して笑っている。

 そんな感じなんだがな。


 人は変われば変わるもの。

 男子三日会わざれば。

 そういう事と言うのだろうか。


「翻れば、良き事でもありますの。有力貴族の御曹司ともなれば、密かに動く事は出来ません。侵攻の準備を終え、それから大洋を越えてやってくる。その間に対応をとる余裕は十分ありますの。知らせだけならば、より早く伝える手段もございます」


 大洋は竜皇国の領土も同じ。

 その竜皇国でも、船で大陸から大洋を渡るならば、半年近くはかかるらしい。


 支配権の無い他国がこちらに渡るためには、相当な時間と準備が必要になる。


 対して、遠距離の情報伝達の手段は割と多く存在する。

 飼い慣らした風精シルフを使って手紙のやりとり。

 空を高速で飛べる種族達の飛脚便。

 古代の技術や魔法の遺物。

 電信技術も研究されているらしい。


 とすると、時間的余裕は十分にあって。

 敵の動き出しを待って、その後ゆっくり対処すれば良い。

 そういう結論になるわけだ。


「おそらく。現時点の情報戦は、シェイデン・サルバドレ本人が侵攻に乗り出した時のための下準備かと存じますの」


 【暴食フードファイト】は心理的な影響の強い戦いだ。

 プレッシャー一つで最大値の半分も食えなくなる。

 そんな事は日常茶飯事だ。


 いるかいないか分からない。

 噂の真偽も分からない。

 ただ、肥大化した噂ばかりが駆け回る。


 そういう状況は、寝技得意の真剣師にとって、さぞや有利に回る事だろう。


「対策は簡単ですの。エリ達が一つ一つ、出てくる噂を潰して回ります。裏工作を排除して、五分に構えて戦うならば。エリの主様が負けるいわれがございませぬの」


 エリュアレイの長い身体が巻き付いた。

 上空の風で冷えた身体に、彼女の体温が温かい。


 こちらの有利は、大洋を渡る「時差」だ。

 それがある限り。

 五分で戦う事は出来るだろう。


 であれば、俺は負けるつもりはない。

 例えそれが蕎麦喰いであっても。

 地力で勝ちを奪ってみせよう。


「…………」


 至近距離のエリュアレイの顔。

 その視線の隅に、空に浮かぶ船があった。


「……飛行船……」


 気球の原理を利用して、空を旅する飛行船。

 この大地の空にも、時々浮かんで走っている。

 その殆どは、金持ちや大陸貴族が道楽で使っている。


「……飛行船ってのは……」


 口に出して考える。

 いや、流石に無理だろう。

 そりゃあ、普通の船よりは遥かに早く飛ぶだろうが。

 積載量も少ないし、風の影響にも弱い。。

 大洋を越えるなんかは、流石に無理無理……。


「……できますの……」


 エリュアレイは、大きな目を見開いていた。

 縦に割れた瞳が、この時ばかりはまん丸に見開いて。

 小刻みに視線の先が揺れていた。


「大量の風精シルフ火蜥蜴サラマンダー。それを積載出来る巨大な船体。新鋭蒸気機関に、風雨避けの加護……が、あるならば。という前提がつきますけれど」


 それをやるのにどれほどの金がかかるのか。

 俺には想像もつかないが。


 それを、世界で初めて実行する事は。

 それはそれは。

 凄まじいばかりに無駄で無意味で偉大な事柄で。


「マーナーン貴族にとってそれは。むしろ望むべき事ですの」


 浮かんでいた飛行船は。

 どんどんと、その姿を大きくして行って。


 遙か彼方に見えるその姿だけでも。

 誰も見たことが無い程に。

 巨大な船であると分かった。

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