第6話6部 幸福宣言

 たいへんな事になってしまったぞ。


 祭りの夜のあの事件。

 それから、ベッピンさんの態度がおかしい。

 おかしいと言うか、露骨に接近を避けられる。


 ヌレソルに戻って報告終えて。

 次の展開の作戦会議を初めてみても。

 ベッピンだけは別用がある等と言って欠席だ。


 はてさていったい、どうしたものか。


「むしろアレで。態度が変わらん方がおかしいであろうが」


 会議の終わった会議室。

 残った二人は俺とフルルツゥク氏。

 確かに、彼の言う事ももっともだ。


 ぶっちゃけやりすぎてしまった。

 彼女の心に深い傷を残してしまったようだ。

 これから永い永い時を生きる彼女の心に、拭えない汚れを残してしまった。


「粗相をするくらいならば、もっと早く言うべきではないかと思うがな」

「女性はそういう訳にはいかないでしょうよ」


 女を捨てたように見えるパートのおばさんも。

 事務所の便所は男女別を強行していた。


 下の問題は。

 男と女で、深くて大きい溝がある。

 お互いに理解する事すら難しい。

 そんなに遠い認識の差がある。


「陸のは大変であるな。我らなど垂れ流しであるぞ垂れ流し」


 おっと。

 陸と海でも認識の差があった。

 というかその差は、言わないで欲しかった。

 俺の中のファンタジーなメルヘン感が台無しだ。


 竜宮城も垂れ流しなんだろうか。

 そんな事を考えると。

 乙姫様への百年の恋も。

 玉手箱の煙のように霧散霧消するようだ。


「……はあ……」


 そちらはまあ仕方ないとして。

 こちらの問題は、時間をかけて解決していくしかあるまい。


 出来れば早急に詫びを入れたい所ではある。

 しかし、彼女の方が避けてくる以上、詫びも謝罪も難しい。


「そもそも詫びなる風習は気に入らん。頭を下げるから許せ。等という物言いは不遜も良い所であろう」

「それならどうすれば良いのでしょうかね」

「それならほれ。嫁に行けぬと言っておったのだから。嫁にでも貰ってやればよかろうが」


 それはそれで、どうだろう。

 ベッピンは確かに美人で有能だ。

 むしろ、俺の方が釣り合いがとれない。

 妙にモテ期が来た昨今、よく思う。

 身の回りの重さを嫌うこの俺は、大分駄目な男なのだと。


 そんな、釣り合い取れない男に。

 ついてきてくれる女はもう、何人もいてくれている訳でもある。


「むしろ、ベッピンさんの方からお断りではないかと」

「さてな。それは本人に聞くと良かろう」


 フルルツゥクはひらひらと触手を振って。

 台車係が金魚鉢を運んでいく。


 会議室の入り口には、長身の黒衣の姿があって。

 紅潮した長い耳を垂れさせている。

 何かいつもと雰囲気が違う。


「……あの……あなたさま」


 声色までもがしおらしい。


「ああ、ベッピンさん。先日の件ですが……」

「デラ。ですわ」


 ……ん?


「デラ。とお呼び下さいまし。あなたさま」


 熱い吐息。

 そそと近付く姿は子犬のようで。


 長身の、視線の位置にある首筋には。

 何故か太めのチョーカーが。


 あ。これチョーカーじゃないぞ。


「首輪?」

「あの、あなたさま……こちらを……」


 震える指先が差し出したのは、無骨で太っとい鉄の鎖。

 よく分からないまま手渡され。


「…………はぅっ!」


 花開くような香り。

 そして、デラが膝から崩れる。


「ちょっ! ちょっとデラ!」

「ああ。これ。いい。思ったよりいい。すばらしい」


 呆然と、喘ぐように。

 というか、喘ぎ声そのままにデラが言う。


 なんだこれ。

 なんだこれは。

 なんなんだこれは。


「素晴らしい。年築き上げたプライドを踏み躙られるのが、こんなに気持ちいいものだとは知りませんでした。三千年生きて、この悦びを知らぬままにいたとは。まさしく不覚でございます……」


 駄目だ。

 これは完全に駄目なやつだ。


 駄目な奴に目覚めさせてしまった。


「ああ。大丈夫でございます。ちゃんと、あなたさまにご迷惑にならないよう。花開いてしまっても大丈夫なようにしてございます」

 大丈夫なよう、って何だ。

 なんなんだこの人は。


「そのために、使用人を呼び出しておむつを履かさせる。それだけで。ああ、それだけでわたくしはもう……」


 どうしてだろう。

 どうして、こう。


「あの。あなたさま……一つ、お願いがございます。少しだけ、そのままでいてくださいまし」


 どうしてこう。

 俺の回りには。

 個性の強い女性ばかりが揃うのだろうか。


「…………わん…………」


 甘い匂いを花開かせて。

 膝から落ちるデラの顔。


 甘く蕩けて紅潮して。

 それはもう、幸福そうな顔だった。

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