第6話4部 悪党どもの凱歌
太陽はサンサンと照り輝いて。
大河はゴウゴウ唸りを上げて。
観衆はガヤガヤ騒ぎ出し。
油を満載した釜がジュウジュウと芋と白身魚を揚げていく。
「さて、皆さん。準備の方はいかがですかね」
河原は熱狂に包まれていた。
トロウルと
それぞれの種族の塊が、それぞれ交わる事なく、テーブルを囲う人垣を作っている。
「では、この【
食卓に立つのは、各種族の精鋭三人。
「ひとつ、敗者は己の非を公式に謝罪する」
トロウルの若者は、山のように盛り上がった筋肉を誇示し。
全身に塗りたくられたオイルを輝かせている。
暑苦しい笑い顔は、すでに勝利を確信したか。
後ろに控える仲間達も、期待を込めた声援を揚げている。
「ふたつ、勝者は謝罪を受け入れ、再び問題を持ち出さない」
鱗は丁寧に磨き輝き、棘状のトサカは赤く染められて。
黄金色の縦に割れた瞳がじっと食卓を見上げている。
「みっつ、この【
首をこきこきと回して、大きな口をひんまげて。
視線は虚空を泳いでいる。
俺から見てもやる気の無さがよくわかる。
「以上だ」
厳粛に宣言する。
俺の右側にはベッピン。
いつもの歯を剥き出しにしたあの笑顔。
やや紅潮した頬。
周囲には彼女のつける香水なのか、甘い果実のような匂いが漂っている。
左側には金魚鉢。
鉢の水面から、触手とフルルツゥクの顔が覗いている。
微動だにしないその瞳。
ぬるぬる忙しげに蠢く触手。
後ろに控える台車係の青年も、緊張した面持ちで控えている。
「異議なしですだっ!」
マッスルポーズを決めるトロウル代表。
匂い立つような男臭さ。
というか臭い。
実際に臭い。
テーブルを挟んだ先にいるのに、その体臭が臭ってくる。
脂の臭いも相まって、まったりとして、それでいて酸っぱい臭気が襲ってくる。
確かにこれは、評判が悪くもなるだろう。
「決着の後には、トロウルどもを頭から食らってくれようぞ」
剥き出しにした牙は、長く鋭く尖っている。
地面を掴む手足の蹴爪は、まるで鎌やナタのよう。
180度まで開く顎は、確かにトロウルを頭からバリバリできるだろう。
違う。
そうじゃない。
趣旨を理解してくれ長老さん。
試合の後はノーサイドだって言っているでしょう。
「良いから早く始めようぜ。終わったら頼むぜ市長さんよ」
目配せしてくる
くりくりとした目が半眼になっている。
とりあえず。
参加することに意義がある。
それを地で行く表情だ。
今回一番の収穫は。
そんな気がしないこともない。
「それでは。位置について」
正面にトロウル。
右側に
左側に
それぞれが食卓前に陣を敷く。
ここが、長らく続いた憎しみの。
血を流し尽くす決戦場だ。
運び込まれるは、熱々に湯気を発するフィッシュ&チップス。
脂で揚げた小麦粉の香ばしさ。
淡白な白身魚の旨味とジャガイモの甘みのシンフォニー。
かけて食らうは塩か胡椒か醤油か塩か。
お好みの味をつけて食べるのが、フィッシュ&チップスのしきたりだ。
揚げたてアツアツの熱気の残る内にいただきましょう。
「さて。これは見ものですねぇ」
残った最後の一辺を陣取るのは俺たちだ。
特等席で見物と、端麗な顔を歪めるベッピンさん。
憎しみが流し尽くされるより、この戦いでさらなる争いの種が産まれる事。
それを望んでいると、その笑顔が言っている。
まったくもって小憎たらしい。
「それでは、参加者は席について」
トロウルと
そして同時に席につく。
やれやれと、毛のない頭を一撫でしてから。
残った俺達は食卓に臨んで仁王立ち。
と、台車担当の青年が、席を抱えて忍び寄る。
ベッピンの高い位置にある黒衣の肩に手をかける。
そして、合気。
「……ふぇ」
肩に走った神経系と、無意識レベルの肉体運動を制御する神秘の業。
道場主の叔父に、若い頃から仕込まれた技術は、妙な所で役に立つ。
「え、あれ? どういう……?」
ベッピンの膝が落ちる。
落ちた尻を椅子が支える。
座った彼女の肩を上から掴む。
自らの肉体の制御がどうか。
それすら彼女が理解出来ぬ内。
俺は厳粛に宣言していた。
「それでは【
かくして戦いははじまった。
「ええええええええええええええええええ!?」
ベッピンの悲鳴。
まん丸に見開いた瞳が俺を見上げる。
いつもは歯を剥き出した笑みを浮かべる口元が。
今回ばかりはあんぐりと、阿呆のように開いている。
もう遅い。
【
「ガッハッハ! エルフのほっそいねーちゃんじゃ、オラの相手は無理でねえか?」
「然り然り。そのような御婦人が我らと同等に食えるとも思えぬな」
「まあちょっと、俺の事も忘れないでもらいてぇけどなぁ」
男どもはメシを食う。
揚げた白身魚に塩をかけ。
酢で味を整えて。
出来たてアツアツのフィッシュ&チップス咀嚼する。
「美味しいマヨネーズもありますので。是非使って下さい」
「故郷から魚醤も運ばせたぞ」
それを加速させる。
俺たちの差し入れ。
油モノの【
油の味に飽きる事だ。
それを防ぐそのために、次々と食材の味付けを変える必要がある。
今日はマヨネーズで、明日はケチャップ。
塩に魚醤に見度にお酢。
レモン汁も忘れちゃならない。
味に対する貪欲な探究心が、油モノ【
「って。ちょっと待ってくださいフルルツゥクさん。海苔の佃煮じゃないですか。こんなのもあるのか!」
「うむ。竜皇陛下に献上した一品であるぞ。これが米に実に合ってな。竜皇陛下も実にお喜びになられたのだ」
なんという事だ。
なんと違いの分かるドラゴンか。
やはり海苔は佃煮だ。
ああもちろん、焼海苔も最高だ。
それはそれとして、海苔の佃煮とご飯のコンボは反則と言ってもいい。
米の白と海苔の黒。
米の甘さと海苔のしょっぱさ。
その、対極のコントラスト。
その、対極のシンフォニー。
まさに『ごはんですよ』の一言だ。
「分かっている。分かっているなぁ。竜皇陛下は」
「当然である。竜皇陛下であるぞ!」
岩海苔を食うドラゴンの姿が想像できない。
まあ、そんなものは些細な事だ。
結構、庶民的な味もいけるのだろう。
いつか、庶民メシを一緒に食べてみたい。
「そのようなたわけた事を言っている場合ではありません。どうしてわたくしが【
高慢ちきな女性が窮地に立つ姿というやつは、どうして男の心をくすぐるのか。
しかも往生際悪く、半分以上敗北は理解しているのに、僅かな可能性にしがみつく様は。
目は小刻みに泳いでいて。
すがるように。
媚びるように。
震える頬が、不自然な笑みを形作る。
紅潮しきったうなじから、甘さの濃い匂いが香ってきた。
「そりゃあもう。ねえ?」
「うむ。この件の功績と責任を負うべきは一人であろう?」
「正直な話しすっと。オラァ、このアマッ子の事気に入らなかったんだぁ」
「珍しく意見を同じくしたではないか。トロウルの」
「こいつは奇跡かなんかか? 俺も同じ意見だぞ」
にんまり。
下衆な微笑みだ。
男どもは同じ顔をしている。
思う所は唯一つ。
志は唯一つ。
「「「「「お前の泣いている顔が見たい」」」」」
高慢なこの女を泣かせたい。
本気で泣かせるとちょっと引いちゃうから。
困って涙目になるくらいにイジメたい。
なんだろう、この気持ちは。
小学生男子が、好きな女の子にちょっかいを出してしまう。
そんな下衆な習性が男の奥底に流れている。
それは暗く、黒く、ドロドロとした情念だ。
俺もかつてはそうだった。
好きな娘をブスと言い。
彼女の消しゴムや鉛筆を隠したりした。
とても悪い事をしたものだ。
そんな事をやるくらいなら、好きな気持ちを素直に示せば良かったものを。
それが出来る勇気がなかった。
まあ、それはそれとして。
そういう暗く黒くドロドロと鬱積した黒いマグマが、男の腹には流れている。
わかっちゃいるが止められない。
止められたのなら、争いなんて起こるはずもない。
男の生理はそういうものだ。
浪漫と言う名目の欲望が。
一つの志に引き寄せられてスパークする。
「……ヒィッ」
ベッピンの顔色がみるみる内に蒼白に変わる。
形の良い歯がカチカチと音を立てている。
開きっぱなしの瞳孔。
力なく。
揺れるように。
いやいやと首を振る。
群衆の男どもは、その姿に勢いを更に増す。
女性たちは見てみぬふりを決め込んだ。
同性からの助け舟が無いのは厳しいなぁ。
「た、食べればいいのでしょう? 食べてしまいますよ!」
震える指で揚げ物を摘み上げる。
男どもは既に、遥か先へと走り去っていた。
芋を二つに割って塩を振り、そして口の中に放り込む。
その間に、男どもは揚げ物二つは腹の中に収めている。
追いつけない。
その目はもう負けていた。
ギギギ、と油の切れたブリキ人形みたいに、俺を見上げて唇を震わせる。
「…………」
何かを口の中で呟こうとして。
涙目で唇を噛んだ。
あ、ちょっと。
ちょっと駄目だ。
今の顔は、ちょっと駄目すぎる。
完璧に整ったエルフの顔が、苦悶と苦痛に歪んでいる。
これは。
その。
駄目なアレに目覚めてしまう。
「ほら、食べないと。追いつけませんよ」
ぼそり。
ベッピンの長く尖った耳元で、彼女だけに聞こえるように囁いた。
歯が食い込んだ唇が歪む。
うなじに朱が差す。
耳の先まで赤くなる。
ぶわっ、と。
溜まった何かが破裂するように。
彼女の匂いの濃さが増す。
ああいかん。
これは駄目だ。
何かに。
悪いなにかにもう。
俺は目覚めてしまっているかもしれない。
「ギブアップしても、いいんですよ」
紅潮した耳元に、悪魔の囁きを流し込む。
流し込むほどに。
彼女の項は赤くなり。
吹き出す体臭は、甘だるいものへと変わっていく。
「今なら悪いようにはしませんよぉ」
くっくっく。
わざとらしく、笑い声を混ぜてやる。
エルフの腰が力を失って折れ落ちる。
肘をついたその腕が、かろうじてその上体を支えている。
これ楽しい。
悪役ムーブ本当に楽しい。
世の悪人達が、同じような事をする理由が分かった。
連中の愉悦というものが分かった。
わざわざヒーローに自分のやる事を説明してから実行する。
三文芝居の悪役が、どうしてそんな事をするのか。
それは。
そうする事が楽しいから。
いやはや、これは本当に駄目だ。
駄目すぎる。
楽しすぎる。
「……あの……どんな……?」
腰の力が折れているならば。
心も既に折れている。
それでも交渉を狙うあたり、まだまだ余裕はあるのかもしれない。
「土下座……は、皆さんの心が晴れません……よねぇ?」
誰にともなく言った言葉。
群衆達が騒ぎ出す。
「おう!」
「そうだそうだ!」
「何で下に置かなきゃならんのだ!」
「上げろ! 上に晒せ!」
おうおう。
出るわ出るわ。
過激な意見が飛び出してくる。
「とは言えだ。こやつは本来陸のいきもの。高い所に置いても屈辱には感じぬであろう。が、下に置けば皆が納得せぬ……」
ううむ。
フルルツゥクは腕を組む。
その姿は、まさしく考える人。
いやさ考えるタコである。
その後ろで、台車係がロープと柱を持ってくる。
考えるまでもない。
既に決めていた。
満場一致で決めていた事だ。
皆、実にノリノリである。
「ということで。屈辱を感じるように、磔晒し者にすることにいたそう」
「いいな。それがいい」
「ハリツケ! ハリツケ!」
「ハリツケ! ハリツケ!」
「ハリツケ! ハリツケ!」
「ハリツケ! ハリツケ!」
声を合わせる男ども。
眉を潜めならがも、見なかったフリをする女達。
ベッピンの丹精な顔が青くなり赤くなり。
それからもう一度青くなる。
うなだれ。
唇を噛み。
小さな声で呟いた。
「……わたくしの負けです」
「「「「「「イィィィィヤッホーーーーーー」」」」」」
そして響き渡る。
それは。
いつまでも。
いつまでも。
いつまでも続いていた。
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