第5話3部 八卦良い。残らなかった。

 俺の時代、金持ちの家のどこかには、必ずシャケを咥えた木彫りの熊が鎮座していた。

 主に玄関口か暖炉の上だ。


 今思うと、あれは一体何だったんだろう。

 何か、金持ちだけに伝えられた決まり事でもあったのだろうか。

 それとも、熊の大きさで何かを競っていたのだろうか。


 まあ、それはいい。

 それくらいに、定番の組み合わせと言う事なのだ。

 熊とシャケ。


「いやぁ。これはこれはでっかいシャケですねぇ」


 熊人ビョルンさんを迎えての野外鍋パーティである。

 用意したのは巨大な鍋。

 いや、これは釜か?

 直径2メートルを超える金属製の釜だ。


 これを一杯にするために、皆で食材を持ち寄ってくださいな。

 そんな感じに出席者にはお願いしてある。


 そうやって、熊さんが持ってきたのはシャケである。

 見事にでかい。

 巨大な熊さんが持っても小さく感じない程の大物が三匹。

 目玉に綱を通したそいつを、肩に担いで歩いてくる様は、まるで昔話の風景だ。


「それじゃあ、どんどん作って行きましょうか。皆さん、宜しくお願いしますよ」


 はーい。と元気に応えるゴブリン達。

 その数実に十五人。

 サーティの娘さん達が、着々と増えている。


 ……新しい娘はまだ産まれてない。

 念の為。


「……近日中には。できる」


 気合入ってるなぁ。


「……オギノ式というの」

「知っています」


 そうか。

 こっちにもオギノ式は伝わっているのか。

 しかも正しい使い方。

 荻野先生も喜んでおられる事だろう。


 がうがう?


 あれは何? と、熊さんが釜を指差した。

 うん、分かる。

 なんとなく、言っている事が分かる。

 山の麓の住人たちとも、こんな感じに交易しているのだろうか。


「あの釜に、みんなで持ち寄った食材を煮て、楽しく鍋をつつきましょう。という趣向ですよ」


 同じ釜の飯を食う。

 食事の場を同じとし、思い思いに話し合う。

 そういう事が、共感を作り出す。


「一足飛びに信頼してくれとは言いませんが。知らなかった者たちが揃えばこんな事が出来る。そういうのを見てもらえれば、と」


 ふんふんと、熊さんは鼻を鳴らしている。

 漂うのは味噌の匂い。

 味の濃いめの田舎味噌だ。


「味噌はご存知ありませんか?」


 ふるふると首を横に振る。

 それから、少し、と指でサインを作る。


「こちらの味噌は美味しいですよ。土がいいんですかね」


 うぉう。


 と小さく吠える熊さんは、ご満悦の様子だった。


「さて、これから忙しくなりますからね。あれだけの釜をかき回すのも一苦労ですから。お手伝いいただけますか?」


 釜の回りでは、ゴブリン娘達が忙しく駆け回っている。

 山のような食材を切る娘。

 調味料だって、そのまま入れる訳にもいかない。調理前に湯で溶かしている娘がいる。

 風呂より多い水を持ってくるだけでも大変だ。


「力仕事は俺らに任せろって。ほれほれ、お嬢ちゃん方はこいつを頼むぜ」


 ミノタウロスの親方が、担いできた野菜を渡して水桶を担いでいる。

 かと思えば、バ・ザムさんが釜にかける炭を並べている。

 背の高いヘリアディスとエリュアレイの二人が、モップみたいなハケを使って釜の内側に油を敷いている。


「とりあえずそうですね。水の用意が最初ですかね」


 水を運び。

 火を焚き。

 食材を切っては放り込み。

 調味料で味を整えて。


 これだけ大きい釜ともなれば、それをやるのは大仕事だ。

 ゆるりゆるりと作業する内、知らぬ人たちも見知った顔に変わっていく。

 そこに酒もちょいと入れて。

 ゆっくり、ゆっくり。

 陽が傾いていく。


 さて。

 そうこうする内もう夕暮れ。

 釜の準備はもう出来て。

 食材がくつくつと煮え始めている。


「それでは皆さんお疲れ様でした。良い感じに鍋も煮えて参りましたので、本格的に始めるといたしましょう」


「もう始めているけどね」

「腹減った~!」

「まだ食べたら駄目だったの?」


 もう食ってる者もいる。

 酒は大分、空になっている。

 よきかなよきかな。


 うぉう。


 熊さんも小さく吠えて、待ちくたびれたと言っている。

 その横にはミノタウロスの親方。

 先程まで、力比べで盛り上がっていた。


 結局、熊さんの圧勝だったけど。


「あーはいはい。それでは。いただきます!」


「いただきます!」

「いただきま~す!」

「いただこう」

【前回のピザが消化しきれてないんだけどなぁ】

「さて、どんな味になっている事か」

「酒持ってきてよ~!」


 いただきます。くらいはちゃんと言おう。

 特にテーダ。

 食事前に出来上がるのは、ちょっと良くない。


「罰として飲んでいるお酒をよこしなさい」

「いいけど。口移しにする?」

「待て待て。そういう事は私も混ぜよ」

「それでは、わたくしはこちらのにごり酒を……」


 いやはや大変かしましい。


 ぅうお?


 お酒の匂いに誘われて、熊さんもやってきた。


「貴方もいける口ですか?」


 ジョッキを渡すとぐびりと一口。

 なかなかの酒豪である。


「テーダさんとどっちが上ですかね」

「酒に関しちゃ負けないわよアタシ。反則さえ無ければ」


 まだ根に持っていた。


「はいはい! お鍋をよそいますから集まって~!」


 拡声器のシータの声。

 腹減り組がいそいそと集まっていく。

 俺もその一人。

 横には熊さんもついてくる。


「いやぁ。楽しみですねぇ」


 鍋は味噌味。昆布出汁。

 白菜ネギに、豆腐春菊椎茸しめじ。

 キノコは麓の民の持ち出しだ。


 魚はシャケにタラ。

 シャケの旨味の存在感がすごく強い。


 さらに、フルルツゥクさん持ち出しの、肉厚アサリが隠し味。

 深い旨みと深味を出している。


 肉は鶏肉。モモ手羽先。

 まんまるいつみれがくつくつと、鍋の中で踊っている。


「これは温まるなぁ」


 湯気を上げる器を傾け、汁を味わう。

 うむ。これは紛うこと無くちゃんこ味。

 大部屋力士達がお疲れ様と作って食べるあの味だ。


 ちゃんことは、元来力士が作る料理全般を指す言葉である。

 だから、ちゃんこ味という物は存在しない。

 敢えて言えば、力士が作るものがちゃんこの味だ。


 だが、この鍋は間違いなくちゃんこだ。

 ちゃんこ味だ。


 陸の野菜と鶏肉と。

 山のキノコとシャケと。

 海の魚介類と。

 そして人類の叡智の結晶たる味噌とが、鍋という土俵でくんずほぐれつ組み合っている。


 鍋の中の食材は。

 どれもが個性をもった関脇だ。

 それが真剣勝負に向き合って。

 押し、引き、そしてぶつかり合う。


 その響きが渾然一体となって。

 このちゃんこを創り上げている。


 だから、この鍋はちゃんこ味だ。


 混沌と、混在と、調和と。

 それによって作られた、ちからの合わせたなにものか。

 それが大相撲ちゃんこの醍醐味だ。


 見合って見合って。

 八卦良い。


 滲み出た出汁の一滴が。

 汁を吸った野菜の美味さが。

 椎茸の滋味が。

 つみれが生み出す肉の脂の旨味が。


 ちゃんこ鍋の土俵で繰り広げる大一番。

 これは、食べるの千秋楽だ。


「それじゃ追加行きますよ! 食材はまだままたくさんありますからね!」


 どさどさと追加される食材は。

 肉に野菜が舞い踊り。


【今回のは、ボクがちょっと奮発した奴だからね】

「実家に最初に頼むのがこれというのは。正直いかがなものかと言われたものであるが」


 そして、満を持しての牡蠣投下。


 そうか。

 牡蠣か。


 俺は牡蠣は断然カキフライ派。

 しかし、鍋の牡蠣も負けてはいない。

 ぶるぶるとした大ぶりな牡蠣は、見ているだけでも美味しそう。


 うおぅ?


 熊さんも興味を惹かれたらしい。


「美味しいですよ。どうぞ食べて下さい」


 ぷりぷりの身と、染み出す滋味がたまらない。

 熊さんも、目を細めて味わっている。

 やはり、牡蠣は海のミルクだ。

 海の旨味の王様だ。


「食材はもっとありますから。どんどん食べてくださいね」


 入れるほど。

 食べるほど。

 鍋の旨味は凝縮されていく。


 雑味?

 味の調和?

 そんな物は食べながら調整していけば良いものだ。


 それに見てみろこの釜を。

 海原の如き釜の中では、一つ一つの個性等は小さなものだ。

 どんどん入れてしまえば良い。

 どんどん混ぜてしまえば良い。


 インドの神話では、混沌を海で混ぜ合わせ、不死の妙薬が作られたという。

 この海原でも、混沌の如く旨味を混ぜ合わせ、命永らえるちゃんこ鍋になっていく。


 そう、ちゃんこは命だ。


 命の続く限り、俺は食う。


 白菜を。春菊を。ネギを。椎茸を。しめじを。

 肉を。つくねを。手羽先を。

 シャケを。タラを。あさりを。牡蠣を。


「奮発して河豚を用意したぞ。毒抜きは完璧である」


 なんという。

 ふぐちりまで入るというのか。


 ふがふが。


 と、熊さんが指を指す。

 くたくたに煮えた肉がそこにある。


「この匂いは。イノシシですか?」


 ぶんぶんと首を縦に振る。

 貰いっぱなしはプライドが許さないのか。


 これはいい。

 山と海と平野と川と。

 出会わざるもの達が集まって。

 一つの滋味を作り出す。

 これがちゃんこだ。


 これが、俺が作りたかった街の姿だ。


 それが、少しくらいは伝わっただろうか?


 うがが。

【そうそう。こういう大雑把なのがいいんだよね】


 スライムと熊が談笑している姿を見ると。

 少しは理想に近づけたかもしれない。


 安心した。

 張り詰めた気持ちが和らいだ。

 和らいだので……。


「腹が。減ったな……」


 コートを脱ぐ。

 さらに上着も脱ぎ捨てる。

 ワイシャツを袖まくりにし、器を片手に鍋に向かう。


 さあ来い!

 河豚にイノシシなにするものぞ。

 巨大シャケにキノコに野菜。

 並み居る敵をばったばったと投げ捨て食らう。


 今の俺は、この土俵の横綱だ。


 どんどんと食う。

 どんどんと食う。

 どんどんと食う。


 さあ。次は何だ?


「さ……それじゃあ。締めに入りますね~!」


 出された締めの具材はいかに?

 うどんか?

 おじやか?

 チーズをかけてドリアにするのも美味しいぞ。


 構えて出てきた挑戦者は。

 そうか。

 やはりお前か。


 お餅ちから

 お前だったのか。


「どうして、モチの入ったうどんを『ちから』と呼ぶのだろう?」


 粘りが力をイメージさせるのか?

 モチの炭水化物が力の源だからか?

 それとも、『ちからもち』のただのダジャレか?


 いいや違う。

 モチは神事に用いられる。

 祝い事には必ず顔を出す


 力士ちからびとの祭典である相撲もまた神事だ。


 正月には力士がモチを投げるイベントもあるだろう。


 そういう事だ。


 この、ちゃんこと言う名の土俵において。

 モチを除いて締めるに相応しいものなど無い。


 そうだ。

 お餅ちからこそがまさにちゃんこの締めだ。

 力士ちからびとに力を与えるお餅ちからの締めだ。


 おお。見るがいい。

 味わうがいい。

 山と川と海と平野が渾然一体となり。

 山のものとも海のものともわからなくなったこのちゃんこ。


 その滋味のすべてを蓄えた。

 このお餅ちからの美味さを!


 讃えよ。

 讃えよ。

 お餅ちからを讃えよ。


 この出会いを讃えよう。


「ごちそうさまでした」


 感動し、そして全てを食い尽くした後。



「……いやぁ。やっぱアンタには負けるわ」


 うが。


 俺を除いて、立っているものは居なかった。



「やはり【暴食フードファイト】で勝負をつけたではないか」


 あれぇ?

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