第5話2部 熊さんとお見合いを

 熊である。


 鉛筆の芯の如き剛毛。

 分厚くぶっとい肉と皮。

 牙は鋭く、太く。

 肉体は限りなく強大。

 輝くその目は野生の炎。


 情け容赦無く熊である。


 並の熊と違うのは、二本足で立っている事。

 それと、桁違いにでかい事。

 身長は3mを余裕で超え、横幅も2mは超えているだろう。

 もう、半分くらい怪獣だ。


「……こちらが……」

「ええ、熊神さまですだ」

「古来から熊人ビョルンは山の守護者と言われてきた」


 がう。


 熊神さまが小さく唸った。

 何かを伝えようとしている。

 良かった。知性はちゃんとあるらしい。


 それはなんとなく分かったが。

 分かったんだが、何を伝えたいのか分からない。


「供え物を食って良いのかと尋ねておる」

「この人の言葉が分かるんですか。流石ですねクレボルンさん」

「いやぁ。熊神さまの言葉を知っとる方は初めて見ましたわ」


 流石エルフは長生きしている。

 亀の甲より年の功。

 やはり年長者は敬うべきだろう。


 出来る事ならこの年長者には、年齢なりの落ち着きを持ってもらいたいものではあるが。


熊人ビョルンはよく分からない生き物でな。知性があるのは分かるのだが、同種同士で群れや文化を作る様子が無い。そもそも、独自の言語や文字は無い」


 突然、種族についての解説を始める。

 そういう部分なんだよな。

 この人がよくわからないのは。


 と言うよりもだ。

 独自の言語や文字が無いのなら、何で言葉が分かるのだろうか。


「むしろ単純に、たまたま賢い熊を熊人ビョルンを呼んでいるのではないか。とすら言われている」


 そこまでか。

 いい加減だな異世界ファンタジー

 しかしそうなると、さらに疑問は深まった。


「言語が無いなら、どうして話している事分かるんですか?」

「エルフは山野の獣と意思疎通が出来るのだ」


 あ、そっちの技能なんだ。

 森の生き物とエルフの語り合い、というのはおとぎ話でもよくあるシーンだ。

 問題は、このエルフが何かと俺の知ってるエルフ像とかけ離れている事くらいだ。

 世の中には、こういうスパルタンなエルフがいるんだなぁ。

 と、驚かさせられる。


 がるぅぅ。


 熊が唸った。

 目が泳いでいる。

 俺とロバの方向を行ったり来たりしている。

 口から涎が垂れている。


「焦れておるぞ。おあずけ食ってるようなものだからな」


 それは見た目ですぐ分かる。

 何かこちらに食いつきそうな勢いがあるけれど。

 熊は、人肉なんかよりも甘い物の方が好きという。

 今はそれを信じよう。


「ああ。食べて下さい。すぐに全部でも」


 がうがう。


 俺でも分かるくらい嬉しそうに、熊人(大)は貢ぎ物に駆け寄る。

 一足先に蜂蜜漬けリンゴを堪能している小熊を、ちょこんと膝の上に乗せ、爪先で器用にリンゴを摘んで口に入れる。


 むぁぁぁぁああ……。


 何かよくわからないが、歓びの声を発して、二人で地面をゴロゴロ転がる。


 微笑ましい。

 遠くで見ている分には微笑ましい。

 遠くで見ている分には。


 近付き過ぎると下敷きになりそうだ。

 土煙を上げて転がる姿は迫力満点。

 あの体重はそれだけで脅威だ。

 大自然の脅威の前には、人間などちっぽけなものなのだ。


「さてと。それでいつ始めるのだ?」

「相手が落ち着いたら、順序を追って話し合いましょう」

「悠長だな」


 クレボルンが鼻で笑う。

 空手バカ一代な言動の多い彼だが、そう言う仕草はエルフらしい。

 高慢で傲慢で、優雅な所作が身についている。


「出来るだけ争いで相手の意を曲げるような事はしたくないんですよ」

「我らにはしたではないか」

「貴方達は『出来るだけ』の範囲を完全に無視してたので」


 完全に宣戦布告だったよなぁ。

 あの晩餐会で、一応はこちらの意に従う事にはなってくれたんだが、クレボルンあたりは信用しきれない。

 またぞろ、厄介事のタネを持ってくるような気はする。


「まあ、やってみるが良い。そろそろリンゴも尽きる頃合いだ」


 貢ぎ物を食べ尽くし、満足した顔をした熊がこちらを見ている。

 話をするつもりはあるらしい。

 顔に砂がついているのがご愛嬌。


「初めまして、私はヌレソルの市長です。本日はお日柄も良く……」

熊人ビョルンに時節の挨拶と言う概念は無いぞ」


 確かに。

 親子で首を傾げている。

 まんまるの瞳は、こちらの意図を測りかねていると語っている。

 さて、どうしたものか。


「礼に何かをくれてやりたいが、この価値に見合う物を今は持っていない。だそうだ」

熊人ビョルンさんの支配域を併合したいのです。と言っても、ちゃんとお互いの利益を……」


 熊が首をかしげる。


「意味がわからん、だと」

「それは俺にも分かる」

「こやつらは抽象概念は理解出来ぬぞ。具体的に言え。具体的に」


 具体的にかぁ……。

 まあ、そういうネゴシエーションもそれなりに慣れてはいる。


 探している猫が、既に拾って育ててる人がいる事とかはよくあった。

 情に訴えかけないと駄目なんだよな。こういう時は。


「道を通したいんです、この山に……」

「いいんじゃないか?」


 いや、あんたが答えてどうする。


「と、言っておるな」

「はあ」


 熊はこくこくと首を縦に振っている。

 よほどリンゴが気に入ったのだろう。

 実にご機嫌なご様子だ。


「そもそも、熊人ビョルンに所有の概念は薄い。この地も自分のものとは思っておらぬぞ」

「それは、あちらがそう言っているんですか?」

「いや。我が知り得た物事だ」


 まあ、見るからに熊だしなぁ。

 所有とか伝来とか、そういう概念は持っていない感じはある。


「そして経験上。その所有の概念の相違で人間と揉め事になる」

「それは先に言えなかったんですか」

「先に言ったらつまらんだろう」


 人生楽しんでいるなぁ。エルフという生き物は。


 しかし困ったな。

 マンハッタン島をガラス玉で買った故事を出すまでも無く。

 先住民との価値観の相違をそのままにする事は、禍根を残すだけだろう。

 行き着く先はジェノサイドだ。


 ここは一つ、ちゃんとした説明をしなくてはならないが。


「何かあれば、その時改めて文句をつけに来る。だそうだ」

「いや、それが困るんですって。基本事項の決めごとを先にしないと、お互いの為になりません」


 熊が揃って首を傾げる。

 いみはつうじていないようだ。

 目の前に具体的事象が発生しないと駄目らしい。


 事後に相談は、一番揉めるパターンなので避けたい。


「お前の言う事はおかしい」

「クレボルンさんの感想ですよねそれ」

「起きてもいない事を先に取り決める事など出来るはずが無かろう。お前は知らぬものを知らぬままに取り決められるか?」


 ……むう……。

 確かにそれも理屈ではある。


「故に暴力が存在する。ああ、ここでは【暴食フードファイト】か。勝者と敗者を峻別する事ではじめて、敗者は自らの在り方を納得する事が出来るのだ」

「それは納得しかねる理論ですがね。お互いの利益となる選択肢もあるでしょうが」

「だが、敗者は『どの利益を得るか』の選択は出来ぬであろう。そういうものだ」


 価値観が違うなぁ。

 それも根本的に。


 所詮は、平和ボケした生まれ育ちのこの俺と、群雄割拠の時代を生きる者たちとでは、人も文化も違いすぎる。

 同じ時代同じ国に産まれた者同士ですら、価値観の違いでくっついたり離れたりする。


 夫婦生活が上手く行く秘訣は、相手に期待をしない事。

 結婚式の挨拶でよく使われるフレーズは、しかして真実を語っている。

 人と人は違うのだから。

 違うと言う事を理解して、調整して行くしかない。


 諦めが肝心だ。

 と、お釈迦様も言っている。


「まあ、そうなりますよね」


 それを踏まえた上で、だ。

 その上で、お互いを納得させる事が今回の仕事ということだ。


 というか、ネゴシエーションにおいても「納得」と「共感」は何よりも重要だ。

 そしてそれを作り上げるのは、何も戦いと勝敗ばかりでもない。


「そうだろうと思いまして。歓待の準備をしております。是非、ご参加を」

「我らと同じやり方か」

「違います」


 こちらでこういう言い方はするのだろうか。


「一緒に美味しいメシを食べるだけですよ。同じ鍋をつついた仲と言うじゃないですか」


 ん。ちょっと違ったかな?

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