第5話1部 ある日、杜の中

 人生山ありゃ谷もある。

 雨の後には晴れ間が見える。


 それにそうだ。

 山は風景良く爽やかで、雨は恵みの水を俺たちにくれる。

 何事も思い一つで全ては変わる。


 さて、本日も山。

 前回よりも険しく、道も街道化されていない。

 半分獣道のような道を、俺は荷物を背負ったロバを引き連れ登っていく。

 それでも、山賊退治の時よりも足並みが軽いのは、やはり俺の気持ち一つの違いなのだろう。

 自覚と自信は、やはり重要だ。


「市長殿。しばし、動かないように」


 声の方向に顔を向ける。

 眼の前にあったのは二つの指先。

 人差し指と薬指の先が、視界一杯を覆っていた。


「ちょまっ?!」


 反射的に顎を引く。

 目突きを額で受ける。

 三本の指に額を掴まれる。

 そして今度こそ、小指と親指が下からまぶたをぐりりと抉る。

 流れるような連続攻撃。

 殺意しかない。


「……うむ。やはり傷はつかぬか」

「いきなり何するんですか。クレボルンさん」


 思案顔で腕を組むのは、本日のお付き。

 素手格闘エルフのクレボルン氏。

 今日も手で千切られた片耳がやたらと目立っている。


「ここは人を傷つける事は出来ぬだろう? ならば、人を殴り殺す技法を新たにせねばなるまい」


 何を言っているんだこの人は。

 いきなり人の目玉を抉ってきて、挙げ句の台詞とは思えない。


「ここは良い」


 わかった。

 この人会話が出来ない人だ。


「拳の技法を根本から新たにする等、ここ数万年無かった事だ。素晴らしい。楽しい」


 こういう人は、相手にしないのが一番だ。

 素直に本日の仕事に専念しよう。

 一仕事をキチッと終えて、美味いメシを食うことにしよう。

 それが精神衛生上よろしい。


「市長殿はしかしあれだな。カラテであるかな?」

「それにしても、目的地は遠いですね」


「流派の根幹は捌きであるな。であれば、唐手であるかな。それともクンフーか。南派と見た」

「上手く話を纏めても、ここを開拓して道を作るっていうのは大事業になりますね」


 サーティの打ち出した領地の大きさは、大体埼玉県と千葉県を合わせたくらい。

 かなりでかい。

 戦国時代なら、ちょっとした大国になる程だ。


 その間は山あり谷あり。

 それらを一つに纏めるには、やはり道が必要だ。


 全ての道はローマに通じる。



「受け手の業が根幹というのが面白い。師匠はどちらかな?」

「まあ、俺の代で終わらなくても、ある程度の筋道を立てられればそれでいいですかね」


 そしてローマは一日にしてならず、だ。

 俺は身の丈の事だけをやって、後は後の人々に任せればいい。

 どこまでも続く未開の土地を見ていると、そんなおおらかな気持ちになれる。


「人の強さとはまさにその事よ。一代にて成らずとも、脈々と代を繋いで一流を作り上げる。素晴らしき事かな」

「適当な所で、責任は他の人に振って。俺は気楽な放浪旅をしたいんですがね。本当のところ」


 あっはっは。

 会話が出来ているようで、全然繋がっていない。

 この人、人の話を聞かない上に、自分の言いたい事が言えればそれで満足なタイプだ。

 厄介だなぁ。


「時に市長殿」


 突き出た腕をがっしと受ける。

 打ち合った場所で腕が回る。手首に絡みつく。

 それを体捌きで躱す、背中に回るべく脚を巡らせる。

 袖口と掴まれる。動き始めの脚を払われる。

 自分から、膝をついて転倒だけは避ける。

 その膝上をエルフの靴が踏みつける。


 そして前蹴り。


「駄目であろうが。ちゃんと業を受けてくれんと」


 仰向けに倒れた俺を、クレボルンはやれやれと見下ろした。


「いきなり攻撃してくるのをやめてくれませんかね」

「我の相手が出来るのが市長殿しか居らぬ故仕方なかろうが」


「せめて、別の時にお願いできませんか」

「思いついた時に事を為すのが大成するコツであるぞ」

「別に大成したい訳ではないので」

「その割には、我の業を四手まで受けるのは大したものだぞ」

「……はあ……」


 どうしてこう、武術家というのはこういうのばっかりなんだろう。

 うちの叔父さんもそうだった。

 十代の時には毎日半泣きになるまでしごかれたものだ。

 おかげで彼女も出来なかった。

 カップルがいちゃつく砂浜で、倒れるまで蹴り上げとかやらされた。


 くそう。

 今思い出しても悔しさがこみ上げてくる。

 暗黒の十代の思い出だ。


「……あのう。市長様、ですだかね?」


 坂の上に、小柄なおじさんが立っていた。

 薄汚れた野良着に、布の帽子をくしゃくしゃに潰して両手で持っている。

 頭頂部は綺麗に禿げ上がり、モシャモシャのヒゲの中から鷲鼻が伸びている。

 田舎の農家のおじさん(洋風)を、絵に描いたみたいなおじさんだ。


「あ、はい。そうです市長です。そちらは……?」

「へえ。これからお供えだでよ。ついでに市長様のご案内せえって言われやして。荷物は持って来ておられやすか?」


 申し訳無さげにもじもじとしている。

 相手が膝立ちで仰向けに倒れていれば、そうもなるか。


「立たれるがよかろう。案内人が困っておるぞ」


 ひっくり返した張本人もそう言っている。


「それで、この辺りの主っていうのは近くに住んでいるんですかね?」


 よっこいせと立ち上がる。


 この山は、大河と街を繋ぐ要所の一つだ。

 山を貫く道を通すか、さもなくとも麓に沿って走る川を運河に変える必要がある。

 当然、ここの有力者とは話をつけなくてはならない。

 話で済まなければ平定だ。

 【暴食フードファイト】が火を噴く事になる。


「それにしては寂れておるが」


 道は変わらず荒れ果てていて、獣道がずっと続いている。


 山の風景は、一つ角を曲がるだけでいきなり別天地が開けるものだけれども。

 この近くに有力者のお屋敷があるような感じはしない。


「へえ。この先に石碑が置いてある空き地があるんでございやすがね。そこに行って荷物を開けて下せえ」


 なるほど確かに空き地になっている。

 少し開けた木々の合間に、静かに佇む石碑があるのは、歴史と静謐さが感じられてとても良い。

 森の神が棲まう地。という感じがする。


「ちなみに。我はこの石より歳上だが」


 貴方はもうちょっと、年齢なりに落ち着いて下さい。

 出来れば石みたいになって下さい。


 石碑の周りには花やらトウモロコシやらパンやらが積み上げられている。

 道祖神のお供え物、にしては豪華すぎないか。


「こちらに荷物を供えれば良いんですかね?」

「ええ、それでええですわ。丁度、来られる頃合いで」


 来るのか。

 これはあれか。

 話し合いの相手というのは、もしかしてこの山の神様とかそういうのか。

 定期的に石碑に降臨したりするとか。そういう系統の話なのか。


「ああ。来られましただ」


 おじさんが目を向ける。

 石碑の反対側の森の方向を。


「あ、そっち?」


 振り返って見る。

 小さな毛玉がそこにいた。


「ほほう。これはこれは」


 毛玉は小熊だった。

 小さくてまん丸なシルエット。

 フワフワした毛皮が、木々の隙間から覗いている。

 かわいい。


熊人ビョルンか。確かに、妥当な線ではある」


 覗いているというか、木に顔を半分隠してこちらを覗いている。

 頭半分隠して、他は全然隠れていない。

 かわいい。


 くりくりとした目がおっかなびっくりこちらを見ている。

 かわいい。


 実にかわいい。


「まるで動くぬいぐるみですね」


 アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、親を失った小熊を哀れに思い、狩りの獲物とするのをやめたと言う。

 所謂、テディベアの起源である。


 しかしそれは正しくはない。

 現実はこうだ。

 小熊のあまりの愛らしさに、向ける銃口が震えて狙いがつけられなかったのだ。


 かわいいは兵器だ。


「それでは、こちらの贈り物を開けましょうか」


 ロバの背の荷物を開く。

 ぷぅんと、甘い匂いが漂い広がる。

 甘さの中に、どことない清涼感が混じっている。


「林檎の蜂蜜漬けか」


 はっ、と小熊の目の色が変わった。

 木の向こうで迷ったようにウロウロとする。

 と思うと、我慢できないとばかり、トテトテと二本足でこちらに駆けてくる。

 かわいい。


「効果てきめんですね」

熊人ビョルンの大好物であるからな」


 ロバの背の蜂蜜漬けにかぶりつくように両手を当てて。

 それから、くりくりした目をこちらに向けて首を傾げる。


 いいの?


 と、聞いているのが言葉が無くてもよく分かる。

 口からはダラダラヨダレが落ちていた。

 かわいい。


「贈り物ですから。どうか食べてくだ……」


 言葉が終わるよりも早く、小熊は蜂蜜漬けにかぶりつく。

 一口噛み切って、口の中でよおっっっっっく咀嚼して。

 ぽやんと宙に目を泳がせて甘さを堪能し。

 それからゴロゴロ転がって、甘さと幸福を堪能している。


 かわいい。


 もう、このまま帰っても大満足だ。


「熊神さまも大喜びですだな」


 おじさんもほっこり。

 いやいや。今日は良い事をした。

 さあ、この良い気持ちを抱いて家に帰ろう。


「つまらんな」


 クレボルンさんは、こういう可愛さに興味は無いらしい。


「このサイズだと殺してもつまらん」

「熊を見ると殺せるか考えるのは、武術家の悪い癖ですよ」

「その生態を知っておる貴殿も同類であろうが」


 俺はおじさんがそういう人だったから知ってるだけです。


「わしらはこうやって、熊神さまにお供えをして。お返しに色々なものをいただけるのを糧にしておるのですだ」

「ちょっとした交易になっているのか」


 畑の恵みを捧げる事で、山の恵みを与えられる。

 山と里の交易だ。

 そうでなくても、こんな神様ならが進んでお供えをするだろう。

 かわいい。


「ということは、お返しは後になるんですかね?」


 喜んで貰ったのは良い。

 かわいいし。

 しかし、よく考えてみるとこの後に交渉をしなくてはいけない。

 交渉相手はこの小熊で良いのだろうか。


「ああ、いえいえ。これからいらっしゃいますでよ」

「はあ」


 やっぱり侍従とかがいるのか。

 そんな事を思って振り返る。


 真っ黒い壁があった。


「ん? なんだこれ?」


 壁は剛毛で出来ていた。

 肉と皮と剛毛の壁。

 熱いくらいの体温と、荒く定期的な呼吸音。


 見上げると、巨大な熊の顔があった。


「おお。これならば楽しいな」

「おお、当代の熊神さまが来られましただ!」


 それは、大きすぎて視界に入り切らないほどの、巨大な黒いヒグマだった。


「……これが交渉相手なんですか?」


 がう。


 熊人ビョルンが、応えるように低く唸った。

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