第4話3部 決戦は晩餐会
「ハウゼ・マリアジェ・エル・ソーラン・ペテルギウス・ヴァレリ・ディ・エイラ・ベレグリン様御一行。お成りぃ!」
ヘリアディスの凛とした声が晩餐会に響き渡る。
臙脂色に濃紺の縁取りが入った詰め襟に、兜を模した帽子を被り、扉の前で旗を掲げている。
誇らしげに胸を張った立ち姿は、まさしく一つの絵画のようだ。
来場者の呼び出しも、立候補しただけあって堂に入っている。
こういう時だけは、騎士で貴族のお姫様なんだなぁ。と気付かさせられる。
世が世なら、俺とは交わらない類の人間で。
それが仲間としてここにいてくれる。そんな人生のいたずらが面白い。
「さぁって。初っ端から本命登場ね」
脇に控えるは、本日目一杯おめかしモードのテーダ。
人物の情報を一番握っているのが彼女だ。
スパイの本業をさておいて、俺のために骨を折ってくれるのは、本当に有り難い。
「本日はご機嫌麗しゅう、市長様。あなたのデラが参りましたわよ」
黒い法衣の長身のエルフがやってくる。
引き連れているのは、十人ばかりの人間と。
「まずは、フルルツゥク様をご紹介いたしましょうか」
それに台車で運ばれてきた巨大な金魚鉢。
の、中から出てくるタコの脚。
「水槽から失礼いたす。フルルツゥク・ミ・ミ・ブデグ。我が触手の伸びる限り。市長殿が御為に尽力いたしましょう」
逆立ちしたイカだった。
一見すれば流氷の妖精クリオネだ。
あれの頭から、イカタコの触手が髪の毛のように生えている。
そういやクリオネも、あの頭がバカッと開いて牙の生えた口と触手が出てくるとか。
とするとこのフルルツゥク氏も、クリオネの一族なのかもしれない。
顔の半分近くを占めるでかい瞳が、ギョロギョロと周囲に視線を向けていた。
「竜皇国の貴族種の
高貴な種族出身の貴族様だった。
竜皇国の王宮は海底にあると言う。
やはり、イカやタコやタイヤヒラメが舞い踊っているのだろう。
「フルルツゥク様は、お名前の通り名門ツルゥ家の出身でございます。今回、市長様のお話を聞き、是非にと」
「なに、継承権の無い五十七男坊が口減らしに追い出されたまでの事。是非ともこき使っていただきたい」
名門貴族の一族か。
なんともはや。
これから彼を据えるのは、小さいとは言えこの街の中枢だ。
ゆくゆくはさらに大きく飛躍する街だ。
そこに、そういう者を据えるというのか。
露骨な事をしてくれるじゃあないの。
つまりこうだ。
この晩餐会が、戦闘開始のゴングだと。
そう宣言しているのだ。
「それから、もうお一人。紹介したい方がおられますのよ」
「ほほう、それはそれは。大物ばかりで覚え切れるかなあ」
こちらも白々しく言ってみる。
フルルツゥク氏並に、二度と忘れられない個性の持ち主等、そうそういるはずも無し。
時折嫌味で顔を忘れてしまったとでも言ってやろう。
そう考えていると、今度は壺が台車で運ばれてきた。
壺か。
また水ものか。
さっきがクリオネなら、今度こそタコなのだろうか。
「ブロブ・ザ・リビングアイランド様でございます」
ずるりと壺から出てきたのはスライムだった。
映画でお馴染みの、半透明のぷるぷるした原形質の塊だ。
目も鼻も口も何も無い。
それでもそれが、こちらを見ている事が何故だか分かる。
【これからよろしく。仲良くやろうよ】
直接脳に響く声がした。
間違いなくスライムが発した声だった。
思念が出てくる方向が分かるというのも何だかおかしいきがするが、実際そう感じるのだから仕方ない。
「……うわぁ……」
テーダは完全に引いていた。
分かる。
よく分かる。
というか、何なんだこれは。
タコの次はスライムだ。
竜皇国ってのは、軟体動物の国なのか?
プルプルとヌルヌルがグネグネしながら会議とかやっているのか?
一体どういう国か想像もつかない。
「ご存知の通りブロブ様は竜皇国の宰相を務められる方でございます」
知りませ……ん?
「はあ、宰相…………宰相!?」
言っている意味が分からない再び。
スライムが宰相なのか。
やっぱり軟体動物の国なのか、竜皇国。
これは、竜皇様も実は軟体動物という線もあるぞ。
いやいや。
そんな妄想はどうでもいい。
宰相だとして、自分の国の仕事はどうする気だろう。
こんな辺境の地に出張して、一体何をする気なのか。
【貴方が実に面白い人物だと聞いてね。久しぶりに分体を遠出させる事にしたんだ】
「……分体……ですか」
なんだそれは。
謎のワードに惑わせれっぱなしだ。
今の俺は、謎の海に浮かぶ葦の小舟だ。
太平洋に一人ぼっちだ。
「ブロブは大洋に浮かんでいる島一つ分の巨大スライムよ」
テーダが耳打ちをする。
そうだ、彼女がいた。
一人ぼっちではなかった。
「それで、目の前にいるスライムがその分体なんだ?」
「うん。巨大化した結果手に入れた高度な知能と精神感応能力で、遠くのスライムを操る事が出来るって話」
【正確には、ぼくの身体から分離したモノを精神同期させているのだけどね】
はあ。
よく分からない。
なんだか、昔読んだSFみたいだ。
集合精神生命体の侵攻。
アタック・オブ・ザ・キラー・ブロブの上映だ。
ちょっとわくわくする。
【市長さんへの協力は完全にぼくの趣味でやっている事だから。まあ、気にせず何でも頼って欲しいね】
任せて下さいと、ブロブは胸を叩く。
外見上は、何だか原形質の固まりがうねうねしているだけしか見えない。
それでも何故か、やりたい事が伝わるのは、これもテレパシーの為せる技か。
しかし、これは参った。
この布陣はガチだ。
いにしえのリングの上では、銃を示すハンドサインで、今日は
客に知られぬように行う符丁であった。
試合のゴングの鳴る前に、いきなりサインを向けられた。
それも、観客に分かるようにおおっぴらに。
そんな感じの状況だ。
もう少し、真意を隠蔽をするフリくらいは見せるべきではないだろうか。
「と、このように。市長様におかれましてもわたくしの本気の程がおわかりいただけたかと思いますわ」
眦を下げ、歯を見せて笑う。
なんともはや。
完璧に近い綺麗な顔立ちが、びっくりするくらいに下品に見える。
これは、趣味でやっている。
趣味でやっていると、顔が語りかけてくる。
そして、趣味のために全てを犠牲に出来る人だ。
出来る事なら、絡まない方がいい類の人だ。
絡まないとならない我が身が恨めしい。
「確かに受け取りました。身の引き締まる思いですね」
締めると言えば昆布締め。
軟体動物達の方が、そっちの締めには向いている。
酒の肴にちょうどいい。
熱燗の日本酒が欲しくなる。
【あー。フルルツゥクくんは食っても不味いと思うよ。後、ぼくは味がしないみたいだ】
「クラゲは好きですよ。コリコリしているのがちょうど良くて」
「相手が食えるかどうか、吟味するのがこちらの流儀なのですかな?」
「まあ、そのようなもので」
魚介類を見ると美味そうまずそうという印象が出てくる俺は、やっぱり日本人である。
水族館のイワシの群れも、脂が乗ってて美味そうという感想しかなかった。
下の方に漂っている、面白い顔をした大きい魚も美味しそうだった。
【ちなみに、ぼくには聞こえてるからね】
「聞かれて困らない事を考える事にしますよ」
「嗚呼。もうこんなに仲良くなられて。ご紹介した甲斐がありましたわ」
「ヌレソル商工会元締め。前市長バ・ザム殿お成りぃ~」
陰険漫才を遮るような。
よく通る澄んだ声。
声の主はエリュアレイ。
晩餐会の扉の前で、ヘリアディスとおそろいの格好で門番を努めている。
胸を張るその姿は、凛々しくそして艶っぽい。
まさしく絶世の美女のお姫様。
二人揃うともう、芸術品の類にしか見えない。
まるで光輝くように美と高貴さに溢れている。
実にブリリアント。
でも、本性は蛇の妖怪。
油断すると頭から呑まれちまう。
それも物理的に一口だ。
女は怖い。
女の中でもエリュアレイは特に怖い。
「おお。少々遅れてしまいましたかな。失敬失敬」
考え事をしている間に前市長がすぐ近くまで来ていた。
福々しい笑い顔にぴちぴちのタキシード。
縁がピンと張った黒いシルクハットで決めている。
「いえいえ、バ・ザムさんの活躍の場はこれからですから」
「そうですとも。ワシはこれからも末永く、この街のために尽くしていく所存ですぞ」
あっはっは、と裏の無い会話。
さっきの陰険漫才の後では、とても癒やされる。
その相手が、太った豚面のおっさんというのが、少しだけ不満の残る所だが。
「時に市長殿。ワシも周囲から頼りになる者を集めさせていただきましたぞ」
ちょっと待って。
それで呼んだエルフが、侵略する気まんまんで人材突っ込んできている所じゃないか。
もう少し、考えてから行動をしてもらえないだろうか。
「まずは、街を通る行商人の元締めが五人ばかり。それから大手の塩商人と人足手配人が……」
「……ちょっ、ちょっと待って。多い。多すぎて覚えきれませんよ」
「大丈夫ですよ。ワシも顔と名前一致しておりませんからな」
「……それでやっていけるんですか」
「利害が一致すれば大丈夫ですな。まあ、今夜は顔合わせと思って……」
促されて紹介されるのは、いずれ劣らぬ脂ぎった中年ばかり。
類は友を呼ぶとはまさにこの事。
俺も周囲の人間には気をつけよう。
……奇人変人ばかりだな……。
気をつけようと思う。
「おおう、市長さん。こんなオレも招待してくれてありがとうよ。その分働かせてもらうぜ」
「いやぁ。親方さんには格別の期待をしていますから」
この間平定した山賊の
彼には治安業務についてもらう事になっている。
現在、この街に交番とか警察とかを作る規模は流石に無い。
そもそも、警察をやらせる人材があまりに足りない。
なので、冒険者等を雇用して、パトロールや治安維持をやってもらおうと言う訳だ。
つまりは江戸時代の番所制度。
親方さんにはその元締め、岡っ引きの親方をやってもらおうと言う訳だ。
正直、食うに困らない上に殺し傷つける事も出来ないここで、そんな大した悪事がある訳は無いんだが。
流れ者に定期収入を与えて、時間をかけて社会復帰をしてもらおう。
そんな狙いが実はある。
考えたのはサーティだ。
「オレも心当たりを当たってみたから……」
「ここで紹介とかやめてくれよ」
流石にもう覚えきれない。
「心配しなさんなって。おいおい個別に”話し合い”しに行きましょうや」
「いや。助かります」
今一番、心遣いが出来るのが牛の頭のおっさんというのはどうなのだろうか。
人は外見ではない。
俺は今、それを実感している。
というか、親方は曲りなりにも山賊の頭をしていただけあって、その辺の調整が上手いのが面白い。
立場は人を作るという事か。
「……ざっとこんなモンかしらね」
ふう。と、俺の横でテーダが一息ついた。
彼女はずっと横に侍りながら、密かに相手の立場や特徴のメモを作ってくれていた。
今日、一番働いたのは彼女かもしれない。
ご苦労様でした。
「マーナーン魔王国より大使様、おなりぃ!」
緩みかけた空気をヘリアディスの声が再び引き締めた。
テーダの顔も微妙に引きつる。
「アタシの報告を聞いて、うちんちの偉い人が興味持ったらしいのよね」
テーダの故国、マーナーン魔王国は奇妙奇天烈な価値観で出来ている国だと言う。
「価値の無い物事ほどに価値がある」。
そういう価値観だ。
だから人々は、その無駄無意味を極めるために生き。
金持ち権力者は金と権力を傾けて無駄なことをする。
誰よりも先に高山を縦走してみたり。
逆立ちで国を一周してみたり。
麻雀の確率論的必勝法を計算してみたり。
そんな事をするために、人々は研鑽し、稼いだお金をつぎ込んで行く。
そうやって無意味を極めた者が、政治や経済に強い発言力を有するようになる。
実際的な暴力よりも、その格付けで戦いの勝敗が決する。
そんな社会だ。
「てか、その偉い人なんだけどさ。政敵に大食いの研究をしているのがいるのよ」
そして、それが役に立つ事こそが、物凄い屈辱なのだと言う。
なので、『他の者の研究成果を役に立たせる』という嫌がらせも横行しているんだとか。
魔王が降臨し【
役に立たないスキルの代表格としての地位を欲しいままにしていた『大食い』は、その大陸侵略の切り札になるのではないか。
そんな不名誉な地位へと転落させるべく、テーダの上司が動き出したと言うことだ。
聞いている人は混乱していると思う。
自分で言っていて意味が分からない。
「それで、上司自らが様子を見に来た感じか」
「自らは無いんじゃないかなあ。一応有力貴族だし。まあ、誰か名代が……」
「マーナーン魔王国。【欠け耳】クレボルン殿。おなりぃ~」
そのエルフは片耳が千切り取られていた。
長い耳の半ばから、握り潰され引きちぎられた。そんな感じに欠けていた。
「世に我と貴方の愉悦が有りますことを」
握手を求める動きは典雅で一部の無駄も無い。
微笑む瞳は俺を見ているようで、何も捉えていないようにも見える。
差し出された指先は、一見の優雅さとは真逆の太くて分厚い傷だらけの指だった。
というか、爪がやばい。
猛禽類みたいな爪をしている。
これは、やばい爪だ。
やばい人だ。
「……よりにもよって。ウチがいちばんエグいの出してきた」
天を見上げるテーダ。
正直、触りたく無い。
俺の脳内で、危険を告げるシグナルがビンビンに鳴っている。
とは言え、握手を求められて俺の立場で返さない訳にもいかないわけで。
「若輩ですがよろしくお願いします」
「年齢ならば、我が無駄に重ねておる故に。合わせて丁度良しとしよう」
がっしりと握手。
コキリと小指を極められ……ちょっと待て。
「……あの……」
「ほう。ならばこれは如何?」
捻りを入れて手首を極めてくる。
と、思わせて重心を崩そうと狙ってくる。
待って。
ちょっと待て。
やっぱりやばい人だこいつ。
「ここまでとは。成程大したものだ。もう少し本気を出しても良いな?」
どうやったのか、勝手に膝が折れる。
と思えば親指から肩を徹して全身の筋が引きつって極められる。
さらに俺自身の力で関節が軋みを上げる。
「ギ、ギブアップ! 勘弁してくださいっ!」
「確かにな。完全に極め切るには真面目に組み合う必要がありそうだ。大した主を得たものだな。テーダよ」
なんだその褒め言葉は。
そりゃあ、俺も若い頃は体力が有り余っていて、握手で力比べとかもやっていた。
手四つからの力比べは、男の戦いの定番だ。
静かにぶつかりあう力と力。
そんなロマンがそこにはあった。
そんなのはずっと昔のお話だ。
俺だって、年齢なりに落ち着いた。
それに、力比べで本気の技なんかはかけない。
「……この人。神代から生きてるエルフの一人なのよ」
ごめんねー。と背中に隠れたテーダが言う。
「二億年くらい、素手格闘の修行に明け暮れてたって
「役に立たない事が価値がある国だったんじゃ?」
「役になど立たぬぞ、素手格闘など。武器を持った方が遥かに早く、遥かに容易く、より強くなれるであろ」
じゃあ何で、億年単位でそんな事やっているんだ。この人は。
「暇つぶしだ」
心を読まないでもらいたい。
「エルフは千歳くらいでやりたい事をやり尽くすか、目指すものに成れぬと知るって。後は永遠の暇つぶしをやるばかりの人生よ。汲めど尽きぬ暇つぶしの種を持った我は幸運であった」
「……ちなみに、デラさんは」
「あれも、趣味の国家転覆のために生きておる」
趣味でそういう事をされても困るんだがなぁ。
「エルフが二人、国家運営に絡む事になった市長殿は幸いであるぞ。クレボルンの名の下に、決して飽きぬ人生を約束いたそう」
「平々凡々とした人生が良いんですがねぇ」
「それは無理だな。己の器を考えよ」
俺は、小さな事務所が精々の器だと自認していたんだが。
それとも、こっちに来て器が広がったのか。
広がっているようには思えないんだけど。
「地位が人を作るとも言うぞ?」
どっかで聞いた言葉だった。
「あらあら。クレボルン様までもがご出馬頂けるとは思っておりませなんだわ。これから楽しくなりますわね」
「ベレグリンの小娘にどれほど期待出来るか分からぬが、若輩共を束ねて来るが良い」
【逢うのは七竜大戦以来だったっけ? あの時は楽しかったねぇ】
「ベレグリン殿はともかく、我ら皇国を侮るのは感心しませんぞ」
「わっはっは。皆々様仲のよろしい御様子で、ワシは嬉しく思いますぞ」
うわあ。
「うわあ」
完全にとんでも無いことになっちゃったぞ。
「これは壮観ですな」
「楽しくなってまいりましたわね」
そこに、ヘリアディスとエリュアレイも合流してくる。
さて、出席者も全員揃い、宴もたけなわになってまいりました。
「それでは皆様。宴たけなわになってまいりました!」
お立ち台の拡声器で、シータがアナウンス。
さて、予定通りの流れである。
「本日は、皆様のためにシェフが腕によりをかけた料理をご用意したしました!」
運び込まれる食材。
ピザ。
ピザ。
ピザ。
ピザが群れを為してやってくる。
その一つ一つがテーブル1つ分ほどもある。
舞うように会場を回り、招待客を取り囲む。
飛来する円盤の群れは、まさに
「大変な事になりました!
シータのアナウンスもノリノリだ。
ここまでお膳立てが整えば、招待客も理解する。
「それでは【
そして俺は修羅となる。
外宇宙の敵を倒す護国の修羅だ。
その左手にはピザカッター。
迫りくる
その右手には鋼のへら。
切り分けた
まさに無双。
まさに無敵。
俺の後ろに
俺の前にも
鎧袖一触。
まるで一筋の嵐のようだ。
地球を守る、
「え、ええ? ちょ……」
【……ああ。【
「うむ。唐突ではあるが、常在戦場であるならば、備えるべきものであろう」
「ほほう。なかなかの味ではないか。これならば、皿一つ食うもの容易かろう」
「はっはっは。エルフ殿もやりますな。しかしワシとてかつては不敗の市長と呼ばれた身。そうそうには負けませぬぞ」
反応の早い者、遅い者。
その対応は種々雑多だが、【
ここは【
甘えた事は許されない。
「
上に乗ったチーズが熱くとろけている間こそ、
それを過ぎると、岩石の如く固くなった
当然、それを流し込むために大量の水分を必要となる。
故に、美味しい内にどれほど食べられるか。
それがこの【
疾きこと風の如し。
動く事雷霆の如し。
荒ぶる姿は嵐の如く。
兵は拙速を重んじる。
宮本武蔵も言っている。
左手にピザカッター、右手にヘラを持つ俺は、まさに現代の甦った宮本武蔵だ。
二天一流のピザ捌き。
近らば寄って目にも見よ。
「……あちゃ。つあああああ」
遠くで来賓の一人が舌を出して転げ回っている。
そう、速さこそ命ではあるが、それにも限度がある。
限度を超えれば、チーズの熱で口内を灼かれてしまう。
適度に水を含み、熱を冷ます必要もある。
拙速も重要なれば。
遅巧もまた重要。
柔よく剛を制すの言葉の後には。
剛よく柔を断つの言葉もある。
速と遅。
剛と柔の二刀流。
二律背反を揃えてこそ、
「……やるではないか。若輩にしては」
【もうちょっと大きい分体用意すべきだったよ、これは】
「水槽の水が湯になりつつあるぞ。替えの水を用意せい!」
戦いはいつ果てるとも無く続いた。
生き残りった勇者は四人だけだった。
顔色を変える事無く軽々と喰らい続けるクレボルン。
ひたすら半透明の身体にピザを突っ込み続けるブロブ。
水槽の中から忙しなく触手を伸ばすフルルツゥク。
そして、嵐の二天一流。すなわちこの俺。
体格においては軟体動物二体が勝る。
経験においてはどうだ? 俺か? クレボルンか?
素手格闘を極めたと言う事は、それに至る食を極めたと言う事か?
だが、俺は負けてはいないぞ。
ここは俺の
侵略者には絶対負けない。
心は熱くチーズのように。
頭脳は怜悧に氷のように。
その二つを使いこなして、ベストを尽くす。
それこそが、相手への。そして食材への尊敬の気持ちの現れだ。
【……もうちょっと行けると思うんだけど、そろそろ消化酵素の限界なんでギブします】
チーズが固まり切った頃。
ブロブは手(?)を上げて宣言した。
半透明の身体には消化しきれないピザがふよふよと浮いていた。
「水が汚れてもうかなわん。リタイアだ」
そしてフルルツゥクも手を上げる。
水槽の中の彼は、チーズが熱い間は強力なアドバンテージとなっていた。
しかし、一点冷え固まった後は凶悪なまでに脚を引っ張る事になった。
水で膨れた生地も、足を引っ張る要因の一つだったろう。
「さて、一騎打ちという事になるな。定命の子よ」
「勉強させていただきます」
言いながら、ピザを切る、切る、切る。
巨大な塊を呑み込むのは、今の戦力では最早難しい。
それならば、口に入れる前に調理をすれば良い。
元々のチーズの味は良いものだから、これでも十分に食べられる。
できればビールが欲しい。
コーラでもいい。
目線の外に見える炭酸水が恋しくなる。
でも、あれを入れると一気に腹が膨れるんだよなぁ。
今は我慢だ。
対してクレボルン氏は無心でピザを切り、口に運んで咀嚼する。
そこに一切の遅滞も迷いも見られない。
まるで侵略者のロボットだ。
「感情と動作を切り分ける術を修めておれば、この程度は容易い」
恐るべき男だ。
これは、生半可な事での勝負はつかない。
摂取した小麦の生地も、糖質に換算すると凄まじい量になるだろう。
となると、お互いに
「……やるか」
「ほほう?」
合掌。
俺が手を合わせるのと鏡写しに、クレボルンも手を合わせる。
まさか。
まさか、やるのか?
奴もまた、あれを出来ると言うのか?
「――震!」
合わせた掌が、震える。
震える。
震える
掌から腕へ。
腕から胸へ。
胸から胴へ。
胴から全身へ……。
全身を
二つ吸って一つ吐く。
二つ吸って一つ吐く。
ヒッヒッフー。
ヒッヒッフー。
特殊な呼吸法により取り込まれた酸素が、全身に周る。
見る間に額に汗が流れる。
全身の筋肉が収縮し、細胞の一つ一つが脈動する。
解糖系始動。
クエン酸回路全開。
エンジン最大出力。
血中の糖分をガソリンに、俺の全身は熱を作りだしてゆく。
ATPよ、俺のこの身を燃やし尽くせ。
熱が汗を生み。
汗が蒸気に変わって陽炎を生み出す。
ウォォォン
炎と化したこの身体が、血中に忍び込んだ
今の俺は、生ける火炎放射器だ。
その目の前で、鏡写しに炎が上がっていた。
「内気の練火まで習得しておるか。若輩にしてはやる」
そういう事か。
クレボルンも又、
いいだろう。
いいだろう。
いいだろう。
俺の手札がこれだけだとは思わぬ事だ。
二億年の鍛錬が何物か。
二億年の片手間と、三十余年の本気の差。
その差を今こそ見せてやろう。
ピザを切り分け、口に運ぶ。
クレボルンもまた、ピザを切り分け、口に運ぶ。
ピザを切り分け、口に運ぶ。
クレボルンもまた、ピザを切り分け、口に運ぶ。
ピザを切り分け、口に運ぶ。
クレボルンも鏡に映したようにそれをなぞる。
ピザを切り分け、口に運ぶ。
クレボルンも鏡に映したようにそれをなぞる。
――
先行する相手と同じ動きをする事で、体力を温存し相手にプレッシャーを与える技術だ。
なるほど、格闘を極めたならば、
並み居る
待っていたのは鏡写しの我が身であった。
ならば良い。
全身全霊全能力をかけて、最後の敵を滅ぼすだけだ。
「……ヘリアディス。炭酸水を」
ピザに交えて炭酸水を流し込む。
レモンを加えた爽やかなシュワシュワが、俺の喉と心を潤わせる。
「ベレグリン。我にも同じく」
クレボルンが俺に従い炭酸水を口に含む。
ぐびり、と喉が鳴るのが見える。
さらにピザを一欠片口に入れ、炭酸水を口に含む。
クレボルンもそれに従う。
ぐびり、と二人の喉が鳴る。
黙々と食を進めていく。
黙々とピザを食う俺。
黙々とピザを食うクレボルン。
ぐびり、と音を立て吸い込まれる炭酸水。
千日手のように、同じ光景が延々と続く。
戦いは永遠に続く。
鏡写しの大戦争。
一人ぼっちの宇宙戦争。
それは終わりなき戦い。
そのように思われた。
しかし。
「……狙ってやったな?」
いつしか、鏡写しの天秤は傾いていた。
クレボルンは頬を歪めている。
その腹は限界を超えて膨れていた。
テーブルに置かれた炭酸水は、一瓶空になっていた。
俺の炭酸水は、三口目から減っていない。
いつしか、鏡は歪み割れていた。
「まんまと謀られたものだ」
「さすがに、鋼の精神力が必要だった」
唇に触れた炭酸水を、口に入れずに戻す瞬間は、身を切られるような思いだった。
だが、その覚悟がこの差を産んだ。
魂を削って得た勝機だった。
火星人は地球の細菌によって撃退された。
この戦いの趨勢を決したのは、大気中のどこにでもある物質。二酸化炭素だった。
「……嗚呼。敗北を認める等、何千年ぶりの事であろうか……」
億年を生きたエルフは天を仰ぐ。
瞬きする程の年月しか生きていない人間に、まんまと謀られたその気持はいかほどか。
「貴殿の勝ちよ。市長殿」
それが、我らの故郷が
その凱歌だった。
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