第3話4部 光の海征く船のように

 ネオン輝く街並みは男の心の故郷ふるさとだ。


 安っぽい光を放つ看板と、右に左に流れる人の群れ。

 据えた臭いの生暖かい空気。

 しつこい呼び込みの声と、路地裏から僅かに聞こえる不穏な気配。

 その喧騒の海を、泳ぐように歩いていく。


「こちらにも、ネオンとかあるんだな」

「殆どは蝋燭だけど、中には光の精霊フォトンとか火蜥蜴サラマンダーなんかを使ってる所もあるのよね」


 テーダの露わな肩を抱く。

 身長差で顔が遠い。

 腰をかがめて、耳元に優しくささやく。


「ここで、気の利いた事でも言えりゃいいんだが」

「何? 君の瞳に乾杯。とか?」

「壱百萬弗のネオンより、君の瞳は輝いてる。とかかな」

「いいんじゃない? 好きよ、そういうの」


 ネオンの海は男の海だ。

 だが、横に連れ合う番いがいるならば、漂い浮かぶその事が特別な何かになる。


「……で、いつまでやるの? この。ハードボイルドごっこ、だっけ?」

「もう少し続けたいんだけどなぁ」


 滅多に出来るモンでもないし。

 付き合ってくれる人とか今までいなかったし。


「まあ、【暴食フードファイト】に負けた代償だから許してあげる」

「ありがてえ」

「でも、あの勝ち方は一生許さない」


 これは一生言われそうだなぁ。

 まあ、そんな一生も悪くない。

 と、思う。


「そう言えば。『どうにかする方法』ってのは……」

「やってるじゃない。今」


 ……あー。

 そう言えばそうか。

 その手があったか。


「【暴食フードファイト】ってのはべらぼうな力ね。相手の意志を曲げて従わせる事が出来る。それも、『なんとなく』。殴って言うことを聞かせたって、こんな事は出来ないわ」


 魔法や催眠術じゃない。

 この世界の在り方がそうなっている。

 なんとも奇怪で、強力な意思決定方法だ。


「それに、アンタよ。アンタ、自分の価値って気付いている?」

「……価値か。そりゃ、大食いで誰かに負けるつもりは無いな」

「それ、アンタが王様にもなれる。って事よ。それこそ、この大陸全土を支配だって出来るかもしれない」


 在野の無双武将と言うやつか。

 俺は呂布奉先だったのか。

 知らぬ間に、三国志の世界に紛れ込んでいたのか。


「アンタが国を興せるを信じて。或いは警戒して、これから色々起きるわよ」

「まあ。船に乗っちゃったしなぁ」


 ネオンの海は男の海だ。

 その海を、舵輪を握って進み征く。

 一人、海底を這う事はもう出来ない。

 俺という名のその船に、誰かを載せてしまったのだから。


「そろそろ帰らないと駄目ね。そろそろヘリアディスが騒ぎ出す頃よ」

「彼女は何で、俺の言う事聞かないんだろうなぁ」

「あの娘なりに頑張ってるのよ。ちょっと理解してあげなさい」


 不器用なんだろうなぁ。

 なんだかんだで、箱から出てきたばかりのお嬢様だ。

 心配事や将来の展望で、空回りしているのだろう。


 そんな事を考えていると、パッカラパッカラと蹄の音が近づいてきた。


「主殿! 何をしておられたのですか。私は何事かあったのではないかと思い、それはもう」

「心配しすぎ。俺が何かある時は、必ずヘリアディスに知らせるよ」

「……ぅぇ……?」


 俺の答えにヘリアディスが鼻白む。

 顔もちょっと赤い。

 そういえば、今まで敬語で離していた。

 そういう事なのか。


「ま、まあ。主殿が無事なら私はそれで良い。ああもう、こんなに酒臭いじゃないですか。屋敷に戻りますから、背中に乗って下さい」


 頭を振って馬の背を示す。

 女性の背中に尻を乗せるってのは、男としてどうかと思いはするんだが。


「じゃあ、お願いしようか。優しく頼むぞ」

「……ぅぇ……ふぃ……は、はいっ」


 腰元に手をかけて、よっこいせと背に上る。

 触れる肌の感触が、どこも柔らかく温かい。

 紅潮したうなじから、いい匂いが漂ってきた。


「ついでにアタシも乗っけてよ」

「だっ、駄目だぞ! テーダは駄目だ。私の背中は主殿専用だっ」

「えー。いいじゃんいいじゃん」


 足元でちょろちょろ纏わりつくテーダと、赤くなって逃げ回るヘリアディス。

 なんだか新鮮な光景だ。

 でも、酒が入った胃袋にはちょっとつらい。

 優しくしてって言ったのに。


「……俺は生まれも育ちも庶民でさ。部下って言ったら、仕事の後輩とパートのおばちゃんくらいでさ」

「……はい……」

「そういう不甲斐ない奴だから、足りない部分が沢山ある」

「はい」


 ヘリアディスは静かに聞いている。

 遅れ馳せながらの関白宣言だ。


「だから、足りない所は助けて欲しい。苦労は沢山かけると思う」


 不甲斐ない男だろう。

 出来ない事ばかりの男だろう。

 もっといい男もいるだろう。


「でもな」


 お前を、幸せに出来るのは。

 世界の中で俺一人。


 例え成り行きで生まれた縁だとしても。

 出来た縁を俺は裏切らない。


「俺も、俺の出来る事は全力で頑張るから。なんとか仲良くしてやってくれ」


 関白宣言は。

 お前に、俺の弱さを預けると。

 自分を晒す宣言だ。


「…………まったく、主殿。私は元よりそのつもりです」

「アタシもね」


 三人で視線を混じらせて。

 俺たちは笑った。


 ネオンの海は遥か背後に。

 空には満ち始めた月が、口を開いて笑っていた。

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