第4話1部 蜘蛛の糸のように

 事務所は男の城だ。

 自分の城は、自分の趣味で固めたい。

 吉祥寺で構えていた事務所もそうやっていた。

 やっていたかったんだが、パートのおばちゃんが許してくれなかった。


 悔しい。


 悔しいのでこっちではなんとかやりたかった。


「応接にも使うので整理整頓しないと駄目です」

「マホガニーのデスクとかローラー付きの椅子とか真っ青なピース缶とかあるわけないじゃん」

「……汚い。邪魔」


 駄目だった。

 黙って出した注文は全部却下された。

 拾ってきた家財道具は、捨てるか売られるか別の場所で使われている。

 分厚いカーテンは明るい色のチェック模様に代わり。

 灰色の絨毯は、清潔で明るいフローリングに張り替えられた。

 せめて残してと言った、ガラスのでっかい灰皿も、撤去されて花瓶に化けた。


「最後に残ったのはこれだけか……」


 コルクボードに貼り付けられた大量のメモ。

 それらが色とりどりの糸で結び付けられている。

 ウェビングとかイメージマップとか言うアレだ。

 やっぱり、事務所にはこれがなくっちゃ。

 という飾り程度のもので、実際はただのスケジュール表。

 ……のはずなんだが。


「……なんか、でっかくなってない?」


 昨日見てから数倍に育っているような……。

 地図は大洋の向こうまで加えられ。

 貼られているメモも幾重にも重ねられて、さらにイラストも添えられている。

 メモを繋ぐ糸は複雑に絡み合い、まるで本物の蜘蛛の巣のようだ。


「蜘蛛は巣を一晩で作り上げると言うけれど」


 ウェビングを作る蜘蛛がいるものだろうか。


「……邪魔」


 いた。

 蜘蛛の正体はサーティだった。

 山ほどのメモ帳を抱えて凄い速度でコルクボードに貼り付け始める。

 ちょっと、メモの張るスペースがもうあんまりない。


「もっと大きいの。発注」

「それは普通に通るんだ」

「必要だから」


 デスクと灰皿とソファは必要だと思いますがどうでしょう。


「お客様向けのにする」


 関白宣言した後に、お財布握られるお父さんのようだ。

 財布は嫁に握らせるなと、年上の同僚が言っていた。

 本当に、正しい意見だった。


 実際にやるのは無理という事を除いては。


「……すうじは、すごい」


 サーティはコルクボードをじっと見ている。

 その瞳は震えるように、四方八方視線を向ける。

 その姿勢のまま、手にもったメモ帳に新たに何かを書き加えている。


「あたしは、18年しか生きていない。もうちょっとしか生きられない」


 そう、彼女達の寿命は短い。

 短すぎる程に。


「……あと、10年くらい」


 大分長生きする気だぞ、この娘。


「でも、数字は。100年前の事も教えてくれるし、もしかしたら100年後の事も教えてくれる」


 新たに書き加えたメモをコルクボードに貼り。

 繋ぐ糸にさらにメモを加える。

 こうやって彼女は、この複雑な蜘蛛の巣を作ったのか。

 自分一人で。


「数字は、すごい」


 テーダは背後に誰かがいると言っていたが。

 サーティの後ろには誰もいない。

 膨大な情報を貼り付けた、このコルクボードがそれを知らせてくれれる。


 ……天才の方、だったのか。


「サーティは、何でこんなに協力してくれるんだ?」

「できるから」


 分かりやすい。

 シンプルな生き方だ。

 出来る事を、求められるがままに、自分の全部を使って生きる。

 男だったら、こう生きたいと思う。

 彼女は女の子だけど、男の理想ハードボイルドに性別は関係ない。


「あと、子供」

「シータの事か?」

「シータは一人で生きていける。あたしのさんすう、教えた子供がまだいない」


 サーティが俺を見上げる。

 深い黒い瞳は、俺を見ているようで、ずっと遠くを見ているようでもある。


「その子を産んで、育てて。一人で生きていけるまで。教える場所、守らないと」

「それがここか」

「てきとうな、貴族の屋敷でも良かったけど」


 首を傾げる。

 褐色の長い耳が揺れた。

 黒目がちのアーモンド形の目が、何かとても大人びて見える。


「あなたは、おもしろい」

「面白い、か」

「いいパパになる」


 パパ扱いか。

 まあいいでしょう。

 賢いお嬢さんの、優しいパパになりましょう。

 一度背負うを決めたのだから、小さな妖精の一人や二人、軽いものだ。


「それならば、パパは頑張りますかね」

「……みんな。お許し、出た」


「「「「「「「「「はーい!」」」」」」」」」


 ハモった声がした。

 同時に足元にタックルを受けた。


「っつ? なに」


 更に頭に、腰に、両肩に、足首に。

 褐色のエプロンドレスの妖精が、俺に殺到して引きずり倒す。

 シータとサーティと、後顔が似ているゴブリン娘達。

 ゴブリンは、一人いるとどんどん増えると聞いていたが。

 いつのまに9人も。


「これ飲む」

「ぶえっ!?」


 馬乗りになったサーティが俺の口に何かを突っ込む。

 娘たちが手慣れた様子で俺の手足を縛ってくる。

 飲まされた何かのせいか、身体がなにか熱くなってきたんだが……。


「ママ。毛布持ってきたよ!」

「そこ、敷いて」

「はーい。クッションも用意しまーす!」


 ちょっと。

 ちょっと待って。

 これ、何これ。何?


「……パパになれ」


 サーティがエプロンドレスを脱ぎ捨てる。

 娘たちが手慣れた様子でスボンのベルトを外してくる。

 小さい手が首筋や太ももを撫で回し、耳や頬にキスを降らす。


「ママの次は私達ね!」

「ちょ。ちょっと待て! 何これ!」

「ゴブリンは、雇い主のお手つきで増える」

「本当かよ!」

「本当」

「本当ですよ」

「本当よね」

「本当ですぞ。主殿」


 ちょっと、しれっと混ざるなヘリアディス。


「ここは私もお手つきに逢うべきでありましょうが」

「お、いい事やってんじゃーん。アタシも混ぜてよ」


 テーダまで。

 誰かタスケテ……。


「おお、これはお取り込み中でしたな。ベレグリンさんの人材の歓迎会の準備が出来た報告でしたが……」


 よし、仕事あるならそっちを先に……。


「ここはワシが対応いたしましょう! なに、お任せくだされ!」

「……よろしく」

「ワシも役に立つという所をお見せいたしましょう!」


 お任せしないでいいから。

 俺の仕事は俺がやるから。


「では……ごゆっくり……」


 逃げるな。


「……逃げない……」

「諦めたら? こういう立場なんだからさ、アンタ」

「そうですぞ。立場に合わせた振舞いを願いますぞ主殿」


「いやぁあああ」


 嫐るという言葉の意味を。

 俺は知った。

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