第2話7部 月が笑っている

 暗い空に三ヶ月が笑っていた。


 デ・ヴゥ……いや、バ・ザム市長はまだ、眠り続けていた。

 苦しげな呻きはもう、聞こえない。



 民にヤサ――

 我が民の下にエエンヤサノ

 威徳持ち来たれ座所へドッコイショ


 栄あれハァ

 威徳持ち来たれ座所へドッコイショ

 威徳持ち来たれ座所へドッコイショ



太陽神ソーランを送る歌が始まりましたか。祭りももう終わりですな」

「なんか、悲しくなるのよね。この歌聞くと」


 閉店間際の蛍の光を聞くと、俺も寂しい気持ちになる。

 昔の同僚の内藤は、あれを聞くと気が焦ると言っていた。

 内藤らしい。

 あいつ、いつも仕事に追われていたから。

 公務員も大変だ。


「日は沈み。そして翌日また昇る。か」

「新たなる日の再生を祈るのです」


 太陽は沈む度に死ぬ。

 そして新たな生命を得て再び昇る。

 世界のどこにも、そういう神話が遺されている。

 本当に神々がいるここは、それが現実に起きている。


「地上の方々は、そう祈るのですな」


 大きな腹から出た声がした。

 ずいぶんと力が抜けた声だった。


「地上の方には意外かも知れませんがな。オークには太陽神ソーランを奉る者も多いのですよ」


 身を起こし、ベッドの上にちょこんと座る。

 昼間の印象よりも二回りくらい小さく見える。

 声色も、近所のおじさんのものと言われた方が違和感が無い。

 なんだか萎んだ風船みたいだ。


「オークは太陽の光に弱いと聞いていましたが」

「ええ。ですから祈るのですよ。明日くらいは顔を出さないでくれ。明日くらいはワシらを強く差さないでくれ。と」


 オークやゴブリンの言葉で「空色」というのは「黒色」の事を指すと聞いた事がある。

 きっと、そういう事だろう。


「そう祈り、恐れ、そして土中に籠もっていれば。太陽はワシらを傷つけ過ぎはしない」


 はぁ。とオークは息をつく。

 肩が落ち、両目が垂れている。

 笑った顔は、何だか以前より幼く見えた。


「お客人。貴方が名を名乗らぬと言った時、ワシは本当に怖かった。貴方が、『七辻の神』の遣いではないかと恐れました」


 『七辻の神』は地中に突如現れる光と破壊の邪神だと、バ・ザムは言った。

 闇の中で安穏とするオーク達を、光の元に引きずり出す神だと。

 そしてオークは、その名を呼ぶ事すら恐れたと。

 ただ、その神を示す名が『七つ字』であった事。それだけをなんとか伝える程に恐れたと。


「実のところ、ワシは人前に出てどうこう、という物事は苦手でしてな。力を振るい、皆を守る市長。という役回りは、ワシにとっては苦痛でしかありませなんだ」

「それでも、バ・ザムさんはその役割を演じ続けた。立派な事ですよ」

「出来る事なら。適当な所で貴方に負けて、ワシは引退してどこか田舎で暮らしたいと思っておりました。そのために、来訪者に【暴食フードファイト】を挑み、様々に便宜を図って来たのですが。どうも、そういう事にはなりませんでした」


 負けようとした事が、結果的に妨害工作になっていたのか。

 誤解と誤解がかぶってしまったか。

 ただ、何の裏も無い風来坊と、重圧に苦しむ一人の男がいただけだった。


「ワシは必死でした。今度こそ。この御使いに勝ってしまっては。きっと本物が現れて。それと戦う事になってしまうのではないかと。世間という眩しい光の中に、無理やり引きずり出されてしまうのではないかとね」

「主殿相手には、無用の心配でありましたな」

「いやまったく。お恥ずかしい話です」


 バ・ザムの顔は重圧から開放された男の顔だった。

 周りのそうと見せているよりも、ずっと若い男だったのだと、その顔を見て初めて気がついた。


「それでお客人。これからいかがなさいますかな」


 いかが、と言われても。

 話の流れで受けた【暴食フードファイト】だ。

 あまり、一つの場所に捕らわれるのも、身の回りが重くなって嫌だ。

 ましてや、権力だとかと言うものは、俺にとってはおもすぎる。


「しばらくここで美味しいものを食って。次の街に行く準備をして。それでこの街とはお別れ。というつもりなのですが」


 と言ってみたものの。

 なんだか無理そうな雰囲気だぞ。


「そんな事が通るはず無いでしょうが、主殿」


 ヘリアディスが言うのか、それ。


「勝利者には、勝利者の責任があります。敢えて暴虐狼藉を働け、とまでは求めませぬが、勝ってそれで終わりとはまいりませぬ」

「守る者がおらねば、権力を求める者が流れてくる事でしょう」


 勝者として、バ・ザムに市長の権限を委譲して、俺は旅に出る。

 と言うのは流石にダメか……。


「ダメです」

「駄目に決まってるじゃない」

「流石に勘弁していただけないでしょうか」


 口にする前に駄目出しするのはやめてもらえないものだろうか。


「政治とか外交とかは知らないのですが」

「主殿。私がいるではありませんか」

「この世界の常識も無いですよ」

「アタシがいるじゃない」

「制度とか司法とか……」

「及ばずながら、ワシもおります。市の役人達も協力してくれましょう」


 いかん。逃げ道が無い。


「光は、全てのものにとって恵みではない。輝ける場が、いたたまれぬ程の苦痛となる者もいる。その事を知る者であれば、ワシは安心してこの街の未来をお任せ出来ます」


 輝ける場がいたたまれない。

 俺もその一人なのですが。

 当人の意向は無視ですか。


「是非も無い、ですか」


 だけれどもまあ。

 それで全てを投げ出せるほど無責任にもいられない。

 流石にそこまでやってしまえば、人間としてどうかと思う。


「わかりました。微力を尽くしますよ」

「大丈夫。ワシが出来た仕事です」


 結構大人物ですよ。貴方。


「支配者など、仕事を任せた相手を信頼する度量さえあれば、誰にも出来る仕事でありますぞ」


 俺にはそういう度量、無いんだよなぁ。

 せせっこましくて、細かいの大好き。

 後、暗くて狭い場所が好き。

 というか、男の子は押入れの隅が好きだ。

 秘密基地って感じがする。


「まあきっと、なるようになるわよ」


 テーダが歯を見せて笑っていた。

 釣り上がった唇が、空に浮かんだ月のようだった。




 竜皇歴199X年

 異世界に魔王が降臨した。

 四海は結界に封ぜられ

 ことわりは歪み

 歪んだ理により、すべての暴力は意味を失い

 争いは【暴食フードファイト】によって決着する世界となった


 しかし、人々の営みは変わることなく。


 街の男は、営みを守るために疲れ果て。

 旅の男は、自由と引き換えに、その責務を背負った。


 男がどこから現れてどこに行きつくのか。

 それはまだ、誰も知らない。


「ところで。市長就任のセレモニーで使うから。アンタの名前を教えてよ」

「……なんだか、もの凄い今更感がありますね」


 旅は続く。


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