第25話 嵐、隠れ家、相席

 古色蒼然としたセーラー服に似た服を纏い、大粒の指輪をはめた右手の中指を左手で覆うようにして握りしめると、深窓の令嬢が清らかな祈りを捧げるかのようだ。しかし、あたりを吹き荒れる魔力の嵐は、無心に浸ることを許さない。

 私は、祈りとは無縁の瞳で、前方を睨む。嵐の中心である”リガ”は、視界の半ば以上を塞ぐほどに巨大な漆黒の螺子の形をしている。理涯境域りがいきょういきにおいては大きさも距離もあまり意味をなさないが、その威容はそれだけで魔法少女たちの心を動揺させる。百戦錬磨といえどもしょせんは二十歳にも満たない子供だ。それに、大きなものに視界を塞がれ、先を見通すことのままならない不安は、大人でもめったに経験するものではない。

 あざやかな装いで輝くばかりのカリスマを包む輝理きりちゃんも、優雅な姿で落ち着き払った物腰を崩さない函名かんなちゃんも、ポップなファッションで怜悧な知性を隠した玲蘭れいらんさんも、みんな心の底に緊張を押し隠している。

 私の生まれつきの魔法は、みんなの心の揺れ動きを感じる。

 同時に、”リガ”の発する絶望を感じる。触れるもの皆傷つける嵐の、その奥深くに隠されたちいさな孤独を感じる。

 どうして私たちだったのか、どうして彼女だったのか、わからないままだ。あの妖精には深い理由などなく、世界に穴をうがつために必要な条件を持っていたのが、たまたま彼女だったにすぎないのだろう。ほんのすこしだけ、世界の平均よりも非凡だった彼女。そんな人はどこにだっていただろうに。

 でも、彼女が”リガ”であったからこそ、私たち魔法少女が彼女と遭遇したのだ。

 だから、私は言わなくちゃいけない。

 真っ暗な嵐を見据えて、その中心で眠りにつこうとしている寂しい心に向けて。


「私があなたの友達になるから!」


 私はあの日から、一歩でも先に進んでいるのだろうか。

 魔法少女の力はいまだ私の体に残っているけれど、私はもう、ほんとうには魔法を使っていない。



 川沿いの隠れ家のような喫茶店は、日曜の昼前でも閑散としていて、私たちの発するいささか場違いな笑い声だけが、コーヒーのすすけた香りをつんざくみたいにして店内に響いていた。

 私の前に輝理ちゃんと玲蘭さんが並んで座っている。いつも笑うのは輝理ちゃんで、玲蘭さんはスマホを見下ろしながらたまに隣に目をやるだけ。私は輝理ちゃんの笑いに苦笑を返す係。函名ちゃんは今日は来ていない。たぶんデートだ。

 輝理ちゃんが、昨夜出くわした人の話をしている。誰もいない空中に大声で話しかけながら歩いていた人の話だった。のりのきいたスーツを着て、靴も鞄もピカピカで、髪だってつやつやで整っていたのに、ただ目だけがうつろで声がやたらに大きかった。最近はハンズフリー通話をしながら歩くひとも珍しくないけれど、イヤホンもスマホも持っている様子はなかったらしい。

 彼女は、そんなひとにも恐れず話しかける。相手が危なくないか、話し合う気があるかどうか、ひょっとしたら言葉が通じるかどうかすら頓着しない。こないだは、まったく言葉の通じない海外からの観光客に日本語で話しかけて、なんとなく笑い合って「意気投合した」らしい。

 危なくないか、などというのは愚問だ。それは輝理ちゃんにとって重要なことではない。


「なだめて、静かにしてもらって、どうにか家まで送り届けたの」

「家まで行ったの?」


 さすがにびっくりして訊いてしまった。


「玄関前までだよ。奥さん、かな? 家のひとがすごく驚いてて。疑われてたみたいだけど」

「そりゃそうだよね……」


 苦笑するぐらいがせいぜいだ。疑われてた、ですめばラッキーな方だろう。どちらかといえば、輝理ちゃん自身が火種を撒いているようなものだ。


「おうちに預けて、それでおしまい?」

「家族がいるなら、まずはその人との問題になるでしょ? 私がどうこうすることじゃないよ」


 輝理ちゃんの態度はあっけらかんとしていた。やたらにひとに声をかけて手を差し伸べるのに、突然糸が切れたみたいに離れてしまう。そういう振る舞いを、私たちもときおり目にしてきた。

 輝理ちゃんが口を開きかけたとき、スマホが鳴る。ずっと下を見ていた玲蘭さんが、ふと視線をあげる。輝理ちゃんは、流れるような仕草で自分のスマホを確認して、


「ごめん、ちょっと用事できちゃった。行くね」

「あ、うん。またね」


 たぶん生江見いくえみさんだろう。たいていの友達なら、輝理ちゃんは私たちの方を、へたをすると家族よりも優先してくれる。この雑談の時間を切り上げるほどのこととなれば、よほど重大な用事か、あるいは、たいせつなひとか、だ。

 輝理ちゃんが席を立つと、同時に玲蘭さんも立ち上がった。いつのまにか2枚のスマホをしまいこんで、代わりに手の中には機能的なデザインの青いサコッシュ。


「払うよ」


 しれっと言う玲蘭さんに、輝理ちゃんが不思議そうな顔をする。


「どうして?」

「なんとなく。次のときに返して」

「それならいま返しても同じでしょう?」


 そう言って、輝理ちゃんは魔法のように財布を取り出してカウンターで3人分の支払いを済ませてしまった。何もかも理屈に合わないような、ある意味筋が通っているようなやりとりに、私は首をかしげることしかできない。

 というか、私の分まで払ってない?


「ねえ、輝理ちゃん」

「ごめんね、真依まよりちゃん!」


 輝理ちゃんはすたすたとドアを開けて出て行き、玲蘭さんも後を追うように店を出た。古風なベルの音だけが、店内に幻のように残った。

 つかのま呆然とドアを見つめていた私は、ふと振り返って「あの」と店長に声をかける。彼女は小首をかしげてこちらを見ると、ちいさく笑う。


「すごいね、あの子たち」

「はあ……」

「でも、貸し借りはちゃんとしておいた方がいいよ。長引くと変にこじれて、」


 そう言いかけた店長の言葉を遮るみたいに、ドアベルが鳴った。店長の視線を追うように、何気なく振り返る。

 立っていたのは、琥珀のように輝くひとだった。つややかな褐色の肌。長い黒髪には赤い差し色がされて刃物のように見える。肩や腰の体つきのまろやかさを除けば、性別すら判然としないが、おそらく女性。この肌寒い季節には似つかわしくない薄着のせいで、恐ろしく細くて長い手足の印象が際立つ。

 そして、深く彫り込まれた美しい顔立ちの真ん中で、底の見えない深い色の黒い瞳が、すっと店内を一瞥した。


「あら」


 つぶやいたのは、店長だった。彼女の柔らかな声が遠くで響いているみたいに聞こえる。


「ひさしぶりじゃない。いつ帰ったの?」

「今朝!」


 きっぱりと笑う声は鋭くて大きくて、店のおだやかさを引き裂くみたいだった。力強く太くて形のよい眉が斜めに垂れると、その面差しがやけに人懐っこく変わる。


「こっちは寒いな、まったく。亜熱帯になったっつうから向こうと変わんないかと思ったのに、全然だ」

「クアラルンプールと日本でしょう? さすがにね」

「この世は嘘っぱちばかりだ。なんでもかんでも誇張して、極端にするから」そう言ったはしから「これ自体、誇張した極論だ」と首を振る。


 目が合った。

 吸い込まれそうな瞳に見つめられて、私は一瞬、息をのむ。

 そのひとは私を見つめ、言う。


「相席いい?」

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