第22話 跡地、スタンプ、宗教

 なんとなく家に帰りかねて、いつもの帰り道をすこし外れた道を歩いて行く。よそよそしい白い家と、猫の額ほどのパーキングスペースと、妙に重たい熱気を吐き出すコインランドリー。歩き慣れない道の見慣れない街並みは、だからといってそう目新しいわけじゃない。

 家が解体された跡地に、柱や壁のとがった破片が散乱している。隣の家の壁面には、まるで焼き付けられたように前の家の形状の痕跡が残っている。微妙な既視感をおぼえて記憶を掘り起こすと、そういえば、ここで一度魔法少女として戦ったことがあったのを思い出す。家が壊されたのとは関係ないのだけれど、何事も同じままではないのだな、という不思議な感慨があった。

 暗い道をのろのろ歩きながら、時折立ち止まって、電信柱によりかかるようにしながらスマホをのぞく。SNSリンリンからのメッセージはもえちゃんからだ。


『イラストレーターと友達なんてかっこいいじゃん』


 デフォルメされた白い人のスタンプが添えられたそのコメントは、いかにも萌ちゃんらしい屈託のない素直なものだ。

 ジギタリスさんの話を萌ちゃんにするのは、いまが初めてだった。函名かんなちゃんの内緒話ではないが、やっぱり、あの絵の話をするのに慎重になっていたのは否めない。それに、生江見いくえみさんは元魔法少女で、言ってみれば身内だ。なんとなく、内輪の話題ですませようとしていたのかもしれなかった。

 とはいえ、萌ちゃんに話したのも、そんなに理由はない。世間話のついでに、ちょっと話題に出ただけだ。


「でも 絵がちょっと グロい っていうか」

『ますますそれっぽい』


 何っぽいんだ……と思いつつ、苦笑がこぼれる。

 『いわゆるサブカル系』と音月ねつきさんが言っていたのを思い出す。ジギタリスさん本人も、自分をそんなふうに認識しているみたいだった。人と違ったことをするのが好きな人たちにコアな人気がつくタイプ、と。

 実際、クラウドだかファンだかなんだかいう月額サービスでちょっとした収入がある、という話もしていた気がする。イラストの売買だけでなく、そういうふうにお金を払ってくれる人がそれなりにいる、ということだ。

 そのまま話の流れで、輝理きりちゃんがモデルになった話をした。どんなイラストになったか、というのはだいぶぼかしたけれど。

 すこしの間のあと、萌ちゃんの返答。


直利すぐりはどう言ってたの』

「本人は 気に入ってたよ むしろ 周りが引いてた」


 わかる、という大きな縁取りの文字がついたスタンプ。白いキャラクターの訳知り顔は、いまの萌ちゃんの顔そのままなのかもしれない。それとも、もっと爆笑してるだろうか。それは知りようがないし、知らなくてもコミュニケーションは充足してしまう。

 道ばたで立ち止まってうつむいていた私の脇を、自転車に乗った女性が通り過ぎていく。一瞬だけこっちに視線を向けていた気配はしたけれど、表情は見えなかった。小太りの後ろ姿は夕暮れの向こうにあっけなく消えていく。私も、それをきっかけにぼんやり歩き出す。

 萌ちゃんに何がわかるのだろう。

 うまく答えかねて、私はそのまま慣れない道を歩き続ける。足を動かすのがちょっとおっくうになって、このまま魔法で空を飛んで帰ってしまってもいいような気がする。私にはその自由がある。

 家に帰るのも、音月さんに会いに行くのも、私の勝手だ。


『直利ってそういうとこあるね』

「そういう?」

『持ち上げられがちっていうか』


 持ち上げている、というか、ほんとうにすごい子なのに。

 魔法少女としても、ふつうの女子高校生としてもどこか特別な、突き抜けたところがある。長く友達でいる玲蘭れいらんさんも、魔法少女として戦った函名ちゃんも、そして私も、輝理ちゃんは特別だと思っている。

 リガとの戦いで、あの子が私を助けるために幾度も傷を負ったこと。全身から血を吹き出すような死闘を強いられても、腕や足が吹き飛ぶような強敵に立ち向かっても、決して笑顔を崩さなかったこと。私を助けるために、ためらわず銃火の渦に飛び込んだこと。

 どの一瞬を思い出しても、私の胸の内には強い熱がともる。


『宗教みたいな』


 ぽつん、と萌ちゃんから飛んできたメッセージを見て、ひゅ、と、のどの奥でいやな温度の息が鳴った。

 つま先に痛みが走った。あっ、と思う前に体のバランスが崩れる。スマホに集中していた視界が大きく斜めに揺れて、赤い空がかすめる。

 反射的に、鋭いつぶやきが口をついて出る。呪文を媒介に魔法が起動する。どっ、と、強い力が私の脇腹を押し、転倒しかけていた体を支えた。衝撃の余韻を肋骨の奥に感じながら、私は姿勢を立て直し、その場に立つ。足の下には、かすれた白線。

 うっすらと、柑橘の香りがした。どこかの家からただよってきたのかもしれないし、うまく制御できなかった魔法の名残だったのかもしれない。うまく制御できずに漏れ出た魔法は、術者の感覚を狂わせることがある。

 わずかな目眩を覚えて、私はスマホを握りしめたまま、深い息をしながら立ち尽くす。呼吸するごとに、香りが薄れて消えていく。アスファルトから立ち上るような焦げ臭い街のにおいがあたりに満ちて、世界から魔法が消えていく。

 息が落ち着いて、頭がすっきりとしてくる。一度かぶりを振って、歩き出そうとしたところで、手の中のスマホが振動した。


「5> 」


 打ち込んだ覚えのない文字が入力されている。転びそうになったときに、手のひらで押してしまったのだろう。

 その下に、萌ちゃんから『ごめん』とメッセージが届いていた。


『大丈夫?』

「平気 ちょっとつまずいただけ」


 歩きスマホ注意、というスタンプのあと、


『ケガしてない?』

「無傷」


 遠いコミュニケーションをしながら、ほっと柔らかい笑いがこぼれる。

 もし、私が萌ちゃんの目の前で転びそうになっていたら、どうなっていただろう。萌ちゃんはつっけんどんだけど優しい子だから、きっと私に手を差し伸べてくれていたはずだ。それでいっしょに転んでしまったかもしれない。それとも、私がうっかり使った魔法のせいで、不安な気分にさせてしまったかもしれない。

 自分で解決できる屈託に誰かを巻き込む必要はない。なんでもかんでも共有して、どんなことにも他人を巻き込むのは、あんまりいいことだとは思えなかった。

 ……でも。


 私はスマホの画面をスライドさせる。私と音月さんだけのふたりのSNSグループ。

 いまの気持ちを共有したいのは、あの人なのだ。たぶん、まだ仕事の真っ最中でうまく会話はできないだろうけれど、せめて、こちらからの言葉だけは送っておきたかった。

 心がざわつくときのよすがにしても、許してほしい。甘えたい相手にすることを許してほしい。


「時間 ありますか?」


 音月さんに送ったメッセージは、いつどんなふうにたどり着くかわからないまま、薄暗くなった空に浮遊する。

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