第20話 マジシャン、凹凸、女の子の音
朝の学校に行くと、
明らかに画面を見てはいないけれど、スマホ断ちしているわけでもない。彼女にしては珍しい、中途半端な状態みたいだった。表情も、顔の右半分だけが落ち込んでいるみたいな、微妙な顔。
「おはよ、玲蘭さん」
「……あ」つぶやいて、玲蘭さんは2枚のスマホを裏返しにして両方机の上に置いた。
「おはよ、まよりん」
「あ、うん」
くっきりした声、シャープな微笑。どうやら、いちおうスマホ断ちモードということでいくらしい。こちらを見る目も、明るく上向きだ。でも、ほおの片隅にうっすら暗いものがまとわりついているように見えて、向き合う私の方もちょっと落ち着かない。
玲蘭さんは、首をかしげて問う。
「
「ううん?」
きょとん、と見返す私を、玲蘭さんがちょっとにらむような目つきで見る。
「珍しい、とか思ったっしょ」
「そんなこと……」
すこしある、と思って、私は口ごもりつつ苦笑した。
玲蘭さんは、輝理ちゃんの行方のことを人に訊くことなんてあんまりない。
ふたりは魔法少女になる前、小学校のころからの友達だという。断片的に話を聞いたところでは、輝理ちゃんが玲蘭さんに何かと気配りしては、玲蘭さんがウザく思いつつも受け入れている、というような関係だったらしい。
玲蘭さんは、机の上のスマホに手を伸ばし、表にして、また裏にする。ケースに描かれていたのは、古いゲームを思わせるビビッドな色のドットで構成されたキャラクターの絵柄。
「スマホケース変えたの?」
玲蘭さんは、またスマホを裏返そうとしていた手をピタリと止めて、ケースの表面を軽く指でなぞった。薄い凹凸の上を滑らせる指の下で、ざらつく音が聞こえたような気がした。
「ああ……うん。いいでしょ? スマホでリメイクした昔のゲームのキャラなんだけど、シンプルなのに、いろいろ想像できる感じで」
「前は、ジギタリスさんの絵だったよね。私、あれも好きだったなあ」
「……あれは飽きた」
ぴしゃっ、と言い切って、玲蘭さんはぺたりと手のひらをスマホの上にのせた。さっきまで軽やかではっきりしていた玲蘭さんの声が、ふっ、と重しでも乗せたように沈んだ。その声の響きが、私の胸の内にもかすかな重みを生む。
それは、興味をなくしたものを捨てたのとは違う、何かに執着するみたいな重みを感じさせる。
私、何か変なことを言っちゃっただろうか?
「あの、なんかごめん」
「何が」
反射的に謝ってしまった私に、玲蘭さんの短い言葉が飛んでくる。なんだか、ネットに潜っているときの玲蘭さんに移り変わりつつある気がする。どうやら、今日はひときわ不安定らしかった。
その理由がわからないので、私も、足下がおぼつかない気持ちになる。輝理ちゃんが早く来てくれないかな、と思う。重力を持たないみたいに飛翔しながらでも、いつだって、地に足のついている彼女がいれば、この重たい危うさを解消してくれそうな気がする。
足音が聞こえる。教室のドアの向こうから、こちらに近づいてくる音に、私と玲蘭さんは勢いよく同時に振り返る。
「おはよぉ~」
いつにも増して間延びした、
「どうしたの? 熱烈歓迎じゃない?」
「なんでもない」
切って捨てて、玲蘭さんは机の上のスマホを表にして、視線を落とす。
私はそのかたわらで、すこし苦笑する。
「輝理ちゃんかな、って思ったの。あの子の話してたから」
「わたしと輝理ちゃんの足音って、そんな似てない気がするけどぉ……テンポも、全然違うしぃ、聞き分けられるでしょ」
「足音なんて、そんなに区別できるものなの?」
「女の子の音は、いろいろ区別できないと、困っちゃうからねぇ」
いろいろってなんだろ? 訊かない方がいいような気もする。そんなに大変なことになりそうなのは函名ちゃんだけかもしれないし……
「で、輝理ちゃんが来なくてぇ、
「寂しい?」
「寂しくはない」
オウム返しした私を、食い気味に玲蘭さんが否定する。スマホを見ているはずなのに、彼女はすぐに私たちの会話に舞い戻ってくる。
ふふ、と、ゆったりしたふくらみを感じさせる声で、函名ちゃんは笑った。
「そういうこと言うときが、いちばん寂しいんだよねぇ。玲蘭ちゃんはぁ」
「知ったふうに言わない。輝理よりウチのこと知らないくせに」
「ムキになってるぅ」
函名ちゃんがクスクスとつぶやく。めずらしくやり込められた形の玲蘭さんは、逃げるみたいにスマホに目を落とした。そうすると、玲蘭さんの感情がつかのま遠ざかったみたいに感じられて、私の方がすこし寂しくなる。
結局、その日は輝理ちゃんは学校に来なくて、玲蘭さんは両手のスマホをくるくる表にしたり裏にしたりしながら、午後には早退した。
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