第18話 頭蓋骨、新境地、大人

 輝理きりちゃんの机を囲んで、4人で顔を突き合わせる。もちろん主役は輝理ちゃんだ。


「うわあ……」


 輝理ちゃんが差し出したスマホに写っている画像を見て、函名かんなちゃんがうめいた。私は口元に手を当てて、うなることしかできない。玲蘭れいらんさんすら、かすかに「キモ」とつぶやいた。

 それは、頭をぱっくりと割られた輝理ちゃんの姿だった。鼻の頭からつむじのあたりまで、のこぎりで断ち割ったかのように頭蓋骨が切断されて、隙間から肉や脳みそとおぼしき物体がのぞいている。

 割れた頭蓋骨の奥からは、微細な繊毛を逆立てたイモ虫が這い出してくる。腹にはくの字に曲がった足が生え、いまにも動き出しそうだ。

 顔の半ばまで割かれているというのに、輝理ちゃんの口元は笑っていた。愛する人を抱き留めようとするみたいに両腕を大きく広げ、まっすぐに脚を揃えて立つ。その姿は、おぞましくもあり、美しくもある。

 画面の中の輝理ちゃんと同じように、スマホを手にした輝理ちゃんも笑っていた。


「いいでしょ?」


 私たちの顔をぐるりを見渡して、平然と言った。私と函名ちゃんと玲蘭さんは、おずおずと視線を交わす。一様に、困り顔だった。


「1日でここまで仕上げてくれたの。びっくりした。アーティストさんってもっとじっくり仕事するものだと思ってたけど、筆が乗るとすごいんだね」

「うん……」


 私たちが見ているのは、ジギタリスさんの新作なのだった。

 輝理ちゃんをモデルにしたその作品は、前にギャラリーで見たジギタリスさんの作品と同じスタイルでありながら、微妙に発している空気が違っていた。過去の作品の少女たちには悲しみや嘆きがつきまとっていた――虫に体を喰われているのだから当たり前なのだけど、ここに描かれた輝理ちゃんには、どこか底抜けの明るさというか解放感というか、そういう強靱なものが宿っているように見える。

 モデルの違いゆえなのか、生江見さんの心境の変化なのか、ともかく、それは新境地とでも言えそうななにかだった。


「細かいところは、これから詰めていくって言ってた」

「これからまだ細かくなるのぉ……?」


 函名ちゃんはため息交じりに言うが、私や玲蘭さんは、輝理ちゃんの言葉に納得した。このラフな下描きも充分精密だが、ジギタリスさんの作品はここからさらに偏執的に細密な線を描き込まれる。虫の表面に浮かぶ大まかな模様も、あいまいにごまかされている頭の内部も、まだ荒っぽい線で描かれている輝理ちゃんの衣服も、さらにリアルな質感を増していくはずだった。


「完成したら、あたしにくれるって」

「そうなの? 売ったり展示したりしないわけ?」


 輝理ちゃんの言葉に驚いて、私は思わず口にした。函名ちゃんと玲蘭さんが、きょとんと私を見つめる。


「意外ねぇ、真依まよりちゃんがそんなこと言うなんてぇ」

「むしろ私の言いそうなこと」


 そうかな、と、ちょっとドギマギしてしまう。


「でも、ほんとにそう思ったの。価値がある、って……表現は、ちょっとあれだったかもしれないけど」


 いちおう、私もジギタリスさんのファンの端くれだ。傑作であり、新境地になる作品であるのは、想像がつく。そんな作品を、モデルひとりに譲ってしまうなんて。


「インスタには貼るって言ってたよ」

「うーん……でも、実物が公開されないのは、やっぱりもったいないなあ」

「うちに飾っとくから、見たかったら来たらいいじゃないの」

「まあ、私たちはそれでもいいけど……」

「輝理ちゃんの家、しばらく行ってないねぇ。また遊びに行くよ~」

「うん、いつでも来てね」


 函名ちゃんに笑いかける輝理ちゃんは、絵の中の彼女そのものだ。頭がぱっくり割れてるとかじゃなくて、胸襟を開いて他人を迎え入れようとする姿、壊れた自分の有様さえも平然と肯定してしまう心持ちが、まさに輝理ちゃんだった。傷ついて、壊れても、彼女は堂々とひとりで立っているし、ひとに心を開くことをやめようとしない。

 さすがはプロのアーティストだ。生江見いくえみさんは、輝理ちゃんの性質をあざやかに絵の中に封じている。

 ふと、輝理ちゃんと目が合うと、彼女はまっすぐこちらの瞳をのぞき込んでくる。魔法少女になってからずっと友達でいるけれど、彼女と向き合うのはなかなか慣れない。きれいすぎる。


「そ、そういえば、土曜日は大変だったね」

「なにが?」

「生江見さんから聞いたよ。なんか、めんどいおじさんを追い払ったとか、なんとか」


 なにそれ、と、函名ちゃんと玲蘭さんが輝理ちゃんを見て首をかしげる。ふたりには話していないのか。そういえば、私も生江見さんから聞いただけだ。


「追い払ってはないよ」


 あっさりと輝理ちゃんは言う。


「すこしお話ししただけ。ちょっと頑固で、思い込みが強かったみたいだけど、目を見て話を聞いたらわかってくれたよ」


 なんでもないふうの彼女の言葉を聞いて、私と函名ちゃんと玲蘭さんは、ふたたび顔を見合わせる。輝理ちゃんとそこそこつきあっていれば、実際に彼女のしたことがそんなたやすいことでないのは想像できる。

 ほんの数十分か、数時間かで、彼女は人の心を完全に解きほぐしてしまったのだ。

 大人の男の人というのは、私たちとは別の生き物だ。日本史の便覧のいちばん後ろに載っているような時代に生まれ育ち、いまとは全く違う空気を吸って成長してきた、何を考えているのかわからないもの。ニヤニヤと私たちを見つめて、最後には害をなすもの。

 それが、輝理ちゃんによって許され、認められ、もっとよいものに変貌させられてしまった。

 私にとっては魔法ですら戦いたくない敵を、魔法なんかに頼らずに倒してみせる。そういうことができるのが、直利すぐり輝理だ。

 私は改めて、絵の中の輝理ちゃんを見下ろす。毒々しいイモ虫が、いまにも動き出しそうだった。

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