第11話 画風、古傷、形而上

 魔法少女として”リガ”と戦うのは、夢や幻の出来事じゃなかった。それは現実で、現実というのはいつだってきっぱり割り切れるものではなくて、境目には白とも黒ともつかない灰色の領域がある。

 結末は、生きるか死ぬか、でシンプルに割り切れるわけじゃない。死なずにすんだからって、魔法がすべてを万全に回復してくれるとは限らない。傷ついた生き物を元の形に戻すのは、壊すことよりずっとずっと難しいからだ。


「油断していたつもりはなかったのよね。多少、浮かれてはいたかもしれないけれど」


 治りきらない傷を負ったままの、薄く灰色に濁った瞳で、生江見いくえみさんは私を見つめた。目の色と、苦笑にも似た声に宿った感情が、私の胸にじかに響いてくるみたいだった。悔恨を通り越して、自分の失敗とその代償を受け入れるしかない、という、静かなあきらめ。

 私には、生江見さんの気持ちがわかる。魔法少女として、尋常でない力を手に入れ、戦いに身を投じる。そんな、冒険みたいな体験のまっただ中にいるときに、冷静でいられるはずはない。


「それが、普通だと思います」


 私が何気なく返した言葉に、生江見さんはすこし首を傾げた。


「普通、というには、一般的な出来事ではないと思うけれど」

「……そうですね、すみません」

「そんなに恐縮しなくてもいいのに」


 生江見さんは気安い笑みを見せて、手元のティラミスを口に入れた。口元をゆるめて、手でこねるみたいにほおを動かして食感を楽しんでいる生江見さんの様子は、私よりすこし年上なだけの、どこにでもいる女性の姿だ。

 考えてみれば、年上といっても、音月ねつきさんより年下なのだ。それなのに、戦いの末の突然の事故で、視力を奪われてしまった。

 いまも、目の前のカップを手に取ろうとして、生江見さんは指先を取っ手にぶつけた。赤い水面に波が立つ。そういうかすかな不便が、彼女の生活のそこかしこに生じているはずだった。

 ふたたび生江見さんと目が合う。同情はいらない、と、その顔がいっていた。


「目が悪いのも、善し悪しでね」

「え?」

「視力が下がったせいで、画風が変わったの。ものすごく拡大して細部を描きこむようになった。見たなら、わかるでしょう?」


 私はうなずく。生江見さん――ジギタリスさんのモチーフは、少女と虫。どちらも極端に細密な描写によって描かれていて、間近で見るとグロテスクなのだけれど、距離を置いて全体を眺めれば、そこに不思議な調和が生じている。精度の高い細部が幻想性の高いモチーフに説得力を持たせていて、ひとつの世界が絵の中に成立している。そんな作品だ。


「細部があいまいなままだと、どうしても満足できなくて。ソフトで何十倍にも拡大して、ぎちぎちに線を引いて、それでようやくまともな絵に見える。他の人が見たら気持ち悪いかもしれない、と思ったのに、逆にファンが増えたのは、なんだかおかしかったわね」

「……わからないものですね」


 生江見さんの楽しそうな声につられて、私もほほえむ。


「やっと笑ってくれたわね」


 そういって、生江見さんはかすかに息を吐く。


「どうも、見知らぬ人に会うのは慣れなくてね。知り合いや、ビジネスで会う人は、アタシが多少つっけんどんでも受け入れてくれるし……それはありがたいけれど、逆に、まっさらの相手に会うのは心配になるのよ」


 そうか、生江見さんもだいぶ緊張していたのか。その緊張感が、私にも伝染していたような気がする。その空気感がようやくほどけて、ふたりとも、すこし気安い態度で互いに向かい合えてきた気がする。

 生江見さんは軽く椅子を直す。がたん、と、板張りの床が大きな音を立てた。


「前は、もっと外向的だったのよ。六ヶ斗ろくがとで魔法少女をしていたころは」


 彼女はそんなふうに、昔の話を切り出した。

 妖精の誘いを受けて、魔法の力を手にしたときの生江見さんは、好奇心旺盛で前向きな高校生だったそうだ。それで、魔法少女になって戦うのにも、むしろ積極的に乗っていったらしい。

 生江見さんには、仲間はいなかったという。それでも彼女は不自由しなかったし、むしろ順調に戦っていた。彼女の魔法は具象的で、強い好奇心と観察力に裏付けられた豊富なイメージは、魔法の強度を高める武器になっていたようだった。


「順調だったわ。ほんとうに、アニメの主人公にでもなれた気分だった」


 そうつぶやいて、生江見さんは唇をかんだ。


 ”刃のリガ”は、表向きはおだやかで人当たりがよく地位も人柄もある女性で、その心の内に荒ぶる悪意と殺意の吐き出し方を知らないひとだった。自分の心が邪であることを自覚できるほど理性的で、なのに心にわき上がる無対象の破壊衝動をうまくコントロールできないほどに感情的で、かなしいほどに善良だった。

 相手がどうであれ、それは、ふだんの戦いの延長線上にあった。真剣に相手の思いに寄り添うことも、知恵と力を駆使して”リガ”を制圧することも、幾度か繰り返せば、慣れて日常に変わる。

 だから、いつも通りに倒せるつもりでいた。


「手強かったけれど、勝てなくはなかった」


 破壊と切断が飛び交う理涯境域りがいきょういきを、生江見さんは魔法を駆使して攻略した。

 透明な鏡の盾は、闇色の刃をはじいて身を守った。鋭利な水晶の槍は、敵の核を正確に射抜いた。

 紙一重で攻撃をかわす緊張感に、彼女の背筋は冷たい興奮を覚えた。刃の嵐の隙間を突いて敵の本体を貫き、敵の悲鳴を聞いた瞬間、彼女の心は悲しみと喜びに彩られた。この世ならぬ闇ときらめきにあふれた戦場で、魔法少女自身の感情も、普通のままではいられない。

 その奇妙な感情さえも、魔法少女にとっては戦いという日常の一部分だった。

 どこかに隙があったのだと、そう言われれば、納得するしかない。あるいは不慮の事故だったのだと、受け入れるしかない。プロスポーツ選手だって、スケジュール通りにこなしている試合の最中に、選手生命を絶つような傷を負うことがある。晴れの舞台の興奮と、ルーティンワークの油断が絡み合う、不条理が生まれる時間だ。


 いずれにせよ、”刃のリガ”を制圧した生江見さんを、最後の反撃が襲った。彼女の怜悧な顔を、無数の刃が切り裂いた。

 理涯境域の崩壊に巻き込まれるのは、魔法少女にとっても危険だ。脱出と回復を、混乱状態の中で同時に行うことは、どんなに熟練した兵士でも難しい。ろくな訓練も受けず、実戦で技能を磨いただけの魔法少女にとっては、いっそう困難だった。

 半狂乱のまま、夜の町中に飛び出して、生江見さんは地を這った。ビル街の灯りの在処さえわからないまま、ひどい悲鳴を上げて転がりながら、彼女は必死に自分の顔を治癒しようとした。

 治癒の魔法は、魔法少女にとって特に困難な仕事だ。銃を持った兵士が敵を破壊するのはかんたんだが、壊された兵士を治す医師には熟練の技術と冷静な精神が必要になる。

 生江見さんは、失敗した。


「あいつ、あのとき、アタシを助けてくれなかったのよね」

「そういうところ、ありましたからね」


 ふたりがしみじみとうなずきあったのは、妖精に対する恨み節だった。ひとを戦いに巻き込んでおきながら、いざというときのサポートがいい加減で、すこしも悪びれない。信用したら裏切られるタイプの、たちの悪い妖精だった。

「そういえば」と生江見さんが言う。


「あの妖精、あなたたちがやっつけたの?」


 む。

 私は生江見さんの顔をじっと見つめてしまう。灰色の、すこしいびつな円形をした瞳が、淡い照明を反射して光の玉を乗せているみたいに見えた。


「怪我してから、アタシ、六ヶ斗を離れちゃったのよね。戦うのはもうこりごりだったし、そもそもまともに戦えなかったし。それからしばらくして、いつのまにか六ヶ戸が静かになって、リガも現れなくなったみたいで……

 どうなったのか、知ってるんじゃない? あなたは」

「ええ、まあ」


 知っているも何も、当事者だ。

 私と輝理きりちゃんと函名かんなちゃんと玲蘭れいらんさん、4人の最後の戦いは、妖精との直接対決だった。魔法少女とリガを戦わせ、私たちみんなを犠牲にして、この星を無尽蔵のエネルギー源に作りかえようというのが妖精の企みで、私たち魔法少女はそれをすんでのところで阻止したのだ。

 怒り狂った妖精を、私たちは、六ヶ斗の地下に封じ込めた。地下……というよりはもっと形而上的な感じらしいが、そこのところは私たちもよくわかっていない。ともかく、妖精の体と力は六ヶ戸にあって、もう地上で悪さをすることはできない。


 かいつまんで、そんなふうに話した。生江見さんは、興味深そうに私の話を聞いて、何度もうなずいていた。そして、ひとつだけ質問をした。


「そのリガはどうなったの?」


 私は、つかのまいいよどんだ。その言葉を紡ぎ出すには、やっぱりほんの少し勇気がいる。

 脳裏に音月さんのかすかな苦笑を思い浮かべて、いう。


「いまは、私の友達です」

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