第10話 夜の会話、隣駅、瞳
ジギタリスさんとの待ち合わせは、
そのうらぶれた駅前に立ち、私はひとり、落ち着かない気持ちになる。魔法を使っているわけでもないのに、どこの誰ともすれ違わないような気分。
『ひとりで行けば』
『じゃましちゃ悪い』
「じゃまなんてことないですよ」
『意外とじゃまになるよ』そのひとことからちょっと間があって、『クリエイターと会うと 人前じゃ話せないこと 話したくなる』
そういうものだろうか?
何かを創作しているひとに直接会いに行こうなんて考えたこともなかったから、そのとき、どういうふうに感じるのか見当もつかない。何を話すのか、そもそも話したいことがあるのかどうか、何の準備もできていない。どう準備していいのかさえわからない。
だから、音月さんを呼んで、代わりに話してもらいたかった。CGデザイナーをしているという音月さんなら、作り手どうし、会話のやり方を知っていそうな気がしたから。
「そうですか……」
口に出してつぶやいた言葉は、スマホに打ち込まれずに消えていく。私はベッドの上でぐるりと寝返りを打ち、音月さんの言葉が残るスマホを見上げた。
そんなわけで、音月さんにつれなくされて、私はジギタリスさんと一対一で会うことになった。音月さんにそう言われた以上、ほかの友達を呼ぶ選択肢はなかった。
駅の向こうから、線路のふるえる音が聞こえる。
とん、と、つま先で路面を叩く。
同時に、メールが着信する。
『改札の前にいます』
素っ気ない文面は、ジギタリスさんのものだった。会う約束を何となく取り付けられてしまってから、幾度かメールのやりとりをしたが、彼女の文章には飾りとか社交辞令というものがなくて、いつも短くて端的だ。何しろ、メールアドレスを確認して最初に送られてきたメールが『何日の何時にしますか』の一文だった。
寂れた街路から、改札の方に向き直ると、彼女は忽然とそこにいた。
背が低く、ほっそりとした体は中学生みたいだった。丈の長いベージュのコートが膝まで届いていて、体の大半はその色で覆われている。真っ黒いタイツとスリムなスニーカーで包まれた足と、険しい表情を浮かべた顔だけが、景色の中に浮き上がって見える。
癖の強そうな髪を後ろでひとつにまとめている。青白い顔は、他人を拒むような厳しさを漂わせる。
分厚く丸いメガネのレンズの奥で、細められた目が、こちらをにらんでいた。
「……あなたが、太刀川さん?」
幼い容姿と対照的に、いくぶん嗄れたような低い声からは、老成した雰囲気がする。玲蘭さんから訊いたところでは、ジギタリスさんは二十歳を過ぎたばかりらしい。見た目の雰囲気も、声の色合いも、イメージしていたジギタリスさんの姿にはそぐわなくて、私は虚を突かれたような気分だった。
険しい目で、彼女はこちらを見つめている。私は戸惑いがちに、とにかく答えを返そうとして、
「あっ、は、はい……えっと、」
「イクエミ」
「……?」
「生江見、
言って、つかつかと距離を詰めてくる。ほっそりして頼りなさそうな見た目に反し、彼女の仕草は乱暴で、足音もやたらに大きい。
そして、私の目と鼻の先で立ち止まり、ジギタリスさん……じゃなくて、生江見さんは背伸びしそうな勢いで私をにらんだ。
「魔法少女なんでしょう?」
「……はい」
「後悔したでしょう?」
今度こそ、私は二の句が継げなかった。私の首ほどの高さから私を見上げる生江見さんの視線が、突き刺さるみたいに感じられる。指先の切り傷から目が離せなくなるような、好奇心にも似た不安感で、私は生江見さんの顔を見つめ返す。
その灰色に濁った両目は、哀れむような、慈しむような、柔らかな形をしていた。すくなくともそこに悪意はなくて、だからこそよけいに、私は生江見さんの言葉がわからなかった。
「どうして私に会ってくれたんですか?」
アンティーク調のテーブルを挟んで座り、私は生江見さんに、気になっていたことを訊ねた。
生江見さんは、うっすらと水の浮いたガラスのコップに口を付ける。かすかに唇を湿らせるだけのその所作を、彼女は何度も繰り返していた。
駅からすこし街路の奥に入ったところの、こじんまりした喫茶店だ。ほのかに赤みを帯びたランプの灯りが、頭上から私たちの顔を照らしている。絵本やアンティークドールが壁一面に並べられた店内には、現実からすこし離れたような雰囲気が漂い、私たちを外の世界から切り離しているみたいだった。私や生江見さんにとっては、たぶん馴染みの空気だ。
「会いたがったのは、そちらでは?」
「あれは友達が勝手に……いや、それはどっちでもよくて。ただのファンに会ってくれるのが、不思議で」
「作家もアーティストも、ファンには会いたがるものよ。さびしがりやだし。知り合いのイラストレーターも、ファンと会うときはおおかた満更でもなさそうにしてるわ」
「はあ」
首を傾げつつも、納得いく点もあった。先日のギャラリーでも、アーティストが客と隔てなく言葉を交わす姿を見かけたものだ。あれもマーケティングのうち、と音月さんは言っていたけれど、それだけというわけではないらしい。
「アタシの絵を実地で気に入ってくれたんでしょう? なら無碍にすることもないし」
「……ありがとうございます」
「ネットでは受けやすいけれど、ギャラリーではいまいちなのよね。上客になってくれるのは実地に足を運んでくれるひとだから、そういうひとは貴重」
言って、生江見さんはうっすら笑みを浮かべた。さびしがりだというのは、嘘ではないらしい。そんなふうに思わせる微笑だった。
生江見さんは緩やかに「ごめんなさい」と首を横に振る。
「別にセールストークではないわ。押し売りになる気はないから」
「……そんなことは思ってませんけど」
「それを疑っていたんじゃないの? さっきの質問、そういう含みがあるのかと」
じっ、と、メガネの奥の瞳が険しくゆがむ。思わず背筋を伸ばした私を見て、かすかに生江見さんは息を吐いた。苦笑らしかった。
「純朴なのね。魔法少女をしていたにしては、意外」
テーブルに注文が届けられた。私の前にはミルクたっぷりのカフェラテ、生江見さんは紅茶とティラミス。香りが混じり合って、鼻先をうっすら甘みがよぎったような感じがした。
”リガ”の作り出す理の外の領域を思い出す。現実とはかけ離れた理外の論理が通じる空間では、空気のにおいすらも外とは変わる。狂ったお茶会にも似た非現実的に甘い香りは、”リガ”がしばしば生み出す夢と空想の香りだ。
魔法少女の戦いは、この世ならぬ甘みに包まれている。私も、生江見さんも、それを知っている。
生江見さんは、フォークでティラミスをすっと切り取り、口に運ぶ。フォークのとがったあたりを凝視するみたいな視線が、一瞬ギラリと光った気がして、私はつかのま居住まいを正す。
椅子の足が軽く音を立て、生江見さんは目を上げた。ティラミスを飲み込んで、すこし口の端をあげる。
「ごめんなさい、怖がらせた?」
「え、いえ」
うろたえて首を振る私を、生江見さんはふたたび険しい目で見据える。メガネを軽く動かし、こちらに焦点を合わせようとする。何度かまばたきして、また、にらむ。
声にトゲはない。仕草にも、私を傷つけようとするような様子は見えない。それなのに、目つきだけがひどく場違いで、不思議だった。やっぱり怖がらせるつもりじゃないだろうか?
「よく誤解されるのよね」
私の心の声を見透かしたみたいに、生江見さんは吐息をこぼした。誤解?
ふたたび生江見さんは、右手の指でぎこちなくメガネのブリッジを押す。
「威圧するつもりでにらんでいるんじゃないのよ。ただ、目が悪くてね」
「それは……」
「リガと戦って、両目を傷つけられたのよ。失明は免れたけど、全部は治りきらなかった。だから、今でも、アタシの目はうまくものを見られない」
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