第4話 軽トラ、声かけ、リサイクルショップ
寄っていきたいお店がある、と言い出したのは
空とは違う、上と横からだけそよいでくる風が、そっと背中をなでる。
「ああゆぅ商店街って、平日の昼間しか開いてないからぁ」
「おじいちゃんの店ってそうだよねー」
「深夜のコンビニでさ、お年寄りの店員がレジにいたりすんじゃん。ああいうの、見ててしんどくない?」
「わかるー。閉めていいのに、って思うよねえ」
4人で行動していて、3人とひとりに分かれてしまうのは、私にとってはよくあることだ。会話に入るタイミングがちょっと合わないと、なんだかそのまま取り返せなくて一歩引いてしまう。みんなが楽しく話しているのを眺めるだけで、私自身も楽しくなるから、それが苦になるというわけじゃないけれど。
函名ちゃんが、すこし歩調をゆるめて、私のとなりに来た。
「歩くの、だるい?」
「そんなことないけど……」
私は、何となく制服のスカートの裾をいじりながら、函名ちゃんのふんわりした微笑みに振り返る。
「足が重たい気がするよね」
「重力ってすごいんだ、って思うよねぇ」
函名ちゃんはふと、苦笑する。
「
「想像つかないね」
「20歳過ぎるのって、実感わかないよねぇ」
「うん……」
「函名ちゃん、道、どっちだっけ?」
輝理ちゃんが振り返って問いかける。函名ちゃんは、輝理ちゃんの肩越しに大通りの前方を眺めて、首をかしげる。
「確か、どっかで曲がるんだけどぉ」
「商店街なら、このへんじゃなかったかな。キャリーが駐まってる家があったと思うんだけど」
ぼんやりした記憶を掘り起こしながら私が言うと、みんながいっせいにこっちを見て首をかしげた。代表して「何それ」と玲蘭さんが問う。
「え? 軽トラ。スズキの」
「知らんし軽トラの車種とか」
玲蘭さんに即答されて、思わず私は目を見開いた。そうか、知らないのか……
「あそこの駐車場のぉ?」
「あれはキャンター」
「いや区別つかないよ!」
「そもそも車って目印にならないよねぇ」
「典型的な道に迷う人のムーブ」
「そんな一斉攻撃することないじゃないの……」
キャリーは見つからなかったけど、目印は函名ちゃんが思い出した。パチンコ屋の跡地と、コンビニ居抜きの薬局の間。
角を曲がると、いっぺんにあたりの町並みは灰色に変わった。古くて背の低い家が建ち並ぶ狭い路地は、なんとなく見通しが悪いように感じてしまう。ふたたび気温が下がったような錯覚。
つぶれた美容室のある角を、放置されたマネキンに見つめられながら曲がる。静かな路地はゆるやかに曲がりながら上り坂に変わっていく。
壁のタイルがはがれたままの廃屋のそばに、だるだるの服を着た白髪の男性が座り込んでいる。誰にもわからない言葉を、何もない空間に向けてうなっている。無精ひげで半ば隠れた口元が涎で濡れている。
輝理ちゃんが、彼のそばにすたすたと近づいて笑顔で話しかける。
「お元気ですか?」
両手を後ろで組んで、膝を軽く折ったその仕草は、一見すれば隙だらけだ。でも、輝理ちゃんはたいていの事態には対処できるはずだから、私たちも心配せずにふたりを見守ることが出来る。
男の人は、輝理ちゃんの声には答えることなく、単語にもならない低い声を発し続けている。目やにのたまった両目は灰色に濁って、あらぬ方を向いたまま動かない。青白い肌に、うっすら血管が浮いている。
目は何を見ているのか、膝の上に置かれたカバンを握る手は何を大切にしているのか、かすかに発する声は何を意味しているのか、つま先はどこを向いているのか。
この、誰もいない場所で、彼は……
「
輝理ちゃんに肩をたたかれて「あっ」と声を上げた。彼女が男の人のそばを離れて、こっちに近づいてきていたのにも、まるで気づかなかった。何度もまばたきする私を、輝理ちゃんは同じようにまばたきしながら見つめ返す。
その、輝理ちゃんの表情と向き合っていたら、気持ちの焦点が定まってくる。男の人の存在感は彼女の後景に退いて、廃屋の壁と同化したみたいだった。
「……もういいの?」
「うん。心配ないよ」
輝理ちゃんが言うのなら、きっとそうなのだろう。彼女は揺るぎなく、強靱で、曲がったものを放ってはおかないけれど、無害なものにあえて害を加えるようなことはしない。あの人はあのままで大丈夫なのだろう。
もう、魔法を使って戦う季節は終わったのだ。
お好み焼きの匂いが漂う薄暗いアーケード街の、鍼灸院と布団屋の間に、目的のリサイクルショップが店を開けていた。雑然と並べられた冷蔵庫だの棚だの有象無象の小物で、店内を見通すことが出来ない。こういうのを「鰻の寝床」というらしい。
言い出しっぺの函名ちゃんが、うれしそうに笑いながら店の品々を見に行く。ハンガーに無造作に吊された古いTシャツや、棚に飾られたよく分からない電子機器を興味深そうに見つめている。
「函名ちゃんがこういうのに興味あるなんて、知らなかった」
店の入り口で立ち止まって、つぶやく。床に無造作に置かれたダルマをしゃがんで見ていた輝理ちゃんが、こちらを振り返った。
「違うと思うよ」
「何が?」
「誰の趣味かなー、って」
ああ……何となく察して、無言でうなずく。たぶん函名ちゃんと、その、関係がある女の人の誰かの趣味なのだろう。つきあっている相手によって趣味が変わる、というやつなのかもしれない。私がよほど微妙な表情をしていたのか、輝理ちゃんは笑った。
すたすたと、函名ちゃんは店の奥に歩を進めていく。きつきつのスペースの片隅、押し込められたみたいに鎮座するレジで、白髪の店主さんが分厚い眼鏡の奥から函名ちゃんの様子をうかがう。函名ちゃんは、レジの後ろに設置されたガラス棚のいちばん上の段を指さした。
「あのセット、おいくらですかぁ?」
函名ちゃんの目当ては、手のひらサイズの動物のミニチュアのようだ。深緑色の肌をした何かの……トカゲだか恐竜だか、それともモンスターだか、とにかくそういう感じのものが13種類。
店主と函名ちゃんの値段交渉はすぐに終わった。スローモーションで商品を取りに行く店主を待つ間に、私は函名ちゃんの方へと近づく。
「それ、おうちに飾るの?」
ゆっくり振り向いた函名ちゃんは、小首をかしげた。
「真依ちゃんにあげよっかぁ」
「は?」
やぶからぼうに何を言い出すんだろう。私がそんな、爬虫類マニアみたいな話をしたっけか? どっちかといえば苦手な方だし、”獣のリガ”に対しても腰が引けていたはず。
函名ちゃんは、笑っているような、あきれているような、あいまいな表情をした。唇の右端が、ちょっと上がる。
「ただしくはぁ、真依ちゃん経由で、音月さんにぃ」
……それって、最初から、そのつもりで来たってことだろうか。
「音月さんから頼まれたの?」
「そうじゃないけどぉ。たぶん、好きそうかな、ってぇ」
「……そうなんだ」
うなずくしかない。函名ちゃんが言うなら、間違いではないだろう。函名ちゃんは、私と知り合うより前から、音月さんのことを知っている。
だから、たぶん理屈に合ったことをしているはずだ。
「まぁ、いらないって言われたら、
もったりとしたしゃべり方と、人なつっこい笑み。人当たりのよさでカモフラージュして、函名ちゃんはいつのまにか物事を進めてしまう。
悪く言えば強引な一面だ。それでも彼女が他人に好かれて、たくさんの女の人とつきあえてしまうのは、函名ちゃんのすることがいつも誰かのためだからだ。自分の都合や願望はめったに主張せず、人を気遣い、人をうかがい、何をしてほしいかを察して行動する。
そういうのを、優しさというのだろう。
だけど。
「……分かった」
「そういえば、さっき、音月さんに会いそびれちゃったねぇ」
裏も表もなさそうに、函名ちゃんは言う。私は「うん……」と、胸にささくれた思いを感じている。ふしぎなことはどこにもないはずなのに、うまく受け止めきれないものが胸の中にわだかまって、息苦しさを感じる。お店が狭苦しいせいではない。
棚の商品を、店主がゆっくりと箱に詰めていく。昼下がりの寂れた商店街そのもののようにに、両手も腰も鈍くぎこちない動きをしている。玲蘭さんが「動画、録ってもいいですか?」と話しかける。こんな、世界中のほとんど誰も興味なさそうな街の片隅の出来事を、世界中に流すつもりなのだろうか。プレミアのついたアイテムを見つけて、世界のどこかから買いに来る人がいたりして。そういう奇縁が、世の中にはあるのかもしれない。
函名ちゃんは、黙って私の方を見ている。私はすこし顔をそらした。箱に詰められそうになったトカゲの真っ赤な目と、ちょうど視線がぶつかった。
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