第3話 空、すれ違い、シュガーポット

「やっぱ空から行く?」


 玲蘭れいらんさんの提案で、私たちは校舎の屋上に出た。屋上に通じる扉は施錠されているけれど、魔法を使えば誰にも見つからずにかんたんに開けられる。

 高い屋上に立つと、澄んだ色の空が間近に見えた。ひとけのない広い空間を風が吹き抜けて、冷気が体の芯に届く。ちょっと肩を縮めた。


「変身したら、すこしはマシだねぇ」

「こっちのが薄着っぽいのに……」


 そう言う函名かんなちゃんと玲蘭さんは、すでに変身を完了していた。

 函名ちゃんの衣装は、腕も脚も覆い尽くす漆黒のワンピースと、高い三角の帽子。上等な絹のようになめらかな生地は、陽射しを一切反射せず、その一帯だけ真っ黒く切り取られたようだ。スカートの裾がくるぶしのあたりで揺れて、その奥のつややかなロングブーツがちらちらとのぞく。胸元には、そこだけ血のように赤い宝石のブローチが輝いている。


 玲蘭さんは、対照的にカジュアルな格好だ。赤を基調にした半袖のパーカーは、たくさんのアップリケやバッジで着飾っている。腰から下は、ホットパンツとゆるめのベルト、それに左右で長さの違うストライプ柄のハイソックス、足元はスニーカー。両手に持った2台のスマホに、魔法の光が灯っている。


 で、私の変身衣装はといえば、深い藍色と黒を基調にしたおしゃれなセーラー服、という感じだ。胸元の細いリボンもねずみ色。右手の中指にはめた大粒のリングを、そっと左手で押さえる。魔法少女として戦ってきたときの高揚感と使命感が、胸の奥によみがえってくる。


 16歳にもなって魔法少女でもないよな、とは思う。でも、私たちはこれで世界を救ったのだ。今さら恥ずかしがることでもない。

 前に向き直ると、函名ちゃんと玲蘭さんは、屋上の手すりのそばで私を見ていた。正面から吹き付けてくる秋風は、魔法で守られたこの衣装でも身に沁みる。

 くしゅん!


「早くあったまろっかぁ」


 函名ちゃんの右手から、すっと光の束が延びて身の丈ほどの箒になる。手前に放り出すと、箒はくるりと空中で回転。函名ちゃんは軽やかに箒の軸に飛び乗った。両足で器用にバランスをとるたたずまいは、まるでスノーボードの選手みたい。

 そのまま、函名ちゃんは音もなく空に浮き上がる。

 玲蘭さんも、その背を追ってジャンプした。彼女の周囲に、無数の星が散乱する。クレーンゲームの目玉景品のクッションみたいに、大きくてふかふかの星。玲蘭さんがスニーカーで星の真ん中をひと蹴りすると、彼女の体はピンボールみたいに宙に飛び出す。

 私はふたりの後ろ姿を見やる。薄青い空の真ん中に敷かれた、細いレールが見えた。この街にうっすらと漂う魔法の力の濃淡が、道となって遠く続いている。

 数歩駆け、手すりを飛び越えるみたいにして、私は空の道に乗る。

 ぐん、と、目に見えない圧力が私を前に押し進める。足先だけが勢いよく前に飛び出して、あとから体が追いついてくる。

 ちょっと前にのめった頭を上げると、視界は空。深い秋の、澄んだ青空が一面に広がって、一瞬、解放感で意識がからっぽになる。水に身をゆだねるみたいに、両手をすこし広げる。

 地上から空を見上げれば、あるいは私たちの姿が見えるかもしれない。でも、認識を妨げる魔力のおかげで、空を飛んでいるのが星林学園の生徒であるとも、太刀川真依であるとも気づかれることはない。私たちは、いつもうっすら魔法に守られている。

 私はふたたび宙を蹴る。


 人気のない路地裏に降り立ち、私たちは変身を解いた。肌寒い日陰から逃げるように表通りに出ると、昼の陽射しにつかのま目がくらむような気がした。

 大通りの先を見はるかすと、星切大橋が見える。六ヶ斗の街の西の端、星切川にかかる古くて巨大な橋だ。その橋のたもとから、六ヶ斗の街は放射状に広がっている。地図で見ると、横に長い六角形の右端を内側に押し込んだような形……いわゆる「若葉マーク」みたいな形をしているのがわかる。

 私たちのいる大通りは、ちょうど若葉マークの緑と黄色の境目にあたる。街を駆け抜ける車やトラックを横目に、歩道を進んでいく。

 昼下がりとあって、人通りはまばらだ。カートを押すおばあちゃんとすれ違ったけれど、私たちには目もくれない。変身は解いていても、認識阻害の魔法はうっすら効いているから、平日の昼間に高校生が出歩いていることの違和感にはみんな気づかない。


「みんな何飲む? うち最近ティーラテにはまっててさ」

「わたしエスプレッソ~」

「マ? ニガない?」

「でもぉ、なんかそうゆぅの、わかりたくなんない?」

「んー……まよりんは?」

「お店で決める」

「またまよりんが最後まで迷って決まんないヤツじゃん」


 とりとめなく話しているうちに、橋の袂にさしかかる。車の煤煙が吹き渡るような大橋を横目に、川沿いの遊歩道へと左折する。

 舗装のない遊歩道に踏み入ると、足の下から砂利の感覚が刺さってくる。道沿いから内側に伸びるススキの葉の先っちょがソックスをくすぐるのが感じられて、つい笑みが漏れる。大きな通りからすこしそれるだけで、空気がいっぺんにきれいになったような気がする。

 そして遊歩道の先に、ちょこんとたたずむ建物が見えてくる。丸太小屋を模した黄土色の外装が、川沿いの緑の中に浮き上がる。夏休み前からずっとおなじみの店、つまりは魔法少女のたまり場だ。


「体冷えちゃったねぇ」

「早くあったまろ」


 お店の玄関の前には、さっき写メで見たブラックボード。微妙な笑顔の猫が私たちを出迎える。

 先頭に立った玲蘭さんがドアを押すと、からんからん、とベルの音がする。肩越しに、私は店の奥をのぞき込む。


 南向きの大きな窓から、店内に淡く日の光が射し込んでいる。壁に掛けられたランプ型の灯りは力弱くて、店内をはっきり照らすには到らないけれど、その薄ぼんやりした感じがむしろ好ましい。ニスの色が濃い木目調のテーブルがいくつか並んでいるが、ほとんど席に人はいない。カウンターの向こうで、エプロン姿の店長が振り向いて、私たちになじみ深い柔らかな笑みを向けてきた。


「いらっしゃい」

「あっ、来たんだ!」


 窓際の席で、輝理ちゃんが私たちにぶんぶんと手を振る。テーブルの上には、空っぽのお皿がひとりぶん。

 向かいの席の椅子が、すこしだけ斜めになっていた。

 ほかに、お客さんの姿はない。


音月ねつきさんは?」


 ぽつりと、口からこぼれた問いに、輝理ちゃんが笑顔で応じた。


「さっき帰っちゃったよ。すれ違いだったね」

「……そう」


 その声は、自分でもびっくりするほどに低く、か弱く響いた。


 輝理ちゃんのいるテーブルに、まとまって座る。函名ちゃんと玲蘭さんが席に着くのを見計らって、私は輝理ちゃんのはす向かいの椅子に腰を下ろした。革の座面は、あたたかくも冷たくもない。

 音月さんは、きっと輝理ちゃんの向かいに腰を下ろしたのだろう。今その席には、玲蘭さんがいる。暖房の効いた店内の空気を浴びて、自然解凍されるみたいに肩の力が抜けていた。

 私はそれを横目に、すこし肩を縮めてメニューを見つめる。「やっぱ決まってないやつだ」と玲蘭さんが笑うのに苦笑を返して、もうちょっとだけ悩んでから、いちばん無難なブレンドコーヒーを頼んだ。

 注文を終えてすぐ、函名ちゃんが横目で輝理ちゃんに話しかける。


「何話したのぉ? 音月さんと」

真依まよりちゃんはかわいいねー、って話」


 待ってましたとばかり、輝理ちゃんは私を見つめて言った。


「何それ」


 なんとなく両手を顔の前で組み合わせてしまう。真正面からほめられると、いつもどうしていいかわからなくなる。うれしいけれど、なんだか遠慮してしまう自分がいて、心の落ち着きどころがなくなってしまう。


「そのあざとい仕草がかわイーよね、まず」


 玲蘭さんに横から茶化されて「え」と思わず硬直してしまう。指に力がこもりすぎて、一瞬手の甲が痛くなった。玲蘭さんはそんな私をにやにや見つめるだけだ。いつもなら、手にしたスマホで即座に写メして保存しているところだろう。


「拡散したい」

「やめてってば」

「だよ。真依ちゃんはあたしたちの財産だから。勝手に共有したら訴えちゃうからね」


 輝理ちゃんが勝手なことを言う。所有された覚えもないんだけど……


「『あたしたち』ってどの辺まで~?」

「あたしと函名ちゃんと玲蘭ちゃんと、それから音月さん」

「勝手に権利者を取り決めるなよー。契約書よこしてよ、弁護士に見せるから」

「私を置いて話進めないでよ……」


 私のツッコミを輝理ちゃんは笑って受け流した。


「そんなわけで音月さんにも真依ちゃんの価値を知ってもらわなきゃだからね。隅から隅までレクチャーしたよ」

「ほんと何言ったの……」

「それは本人の前ではちょっとなぁ」

「言えないようなこと話したの?」

「悪いことは言ってないよ。だいじょぶだいじょぶ」

「ほんとに……?」


 釈然とせずに首をひねっていた私の前に、注文が届く。ふわふわのスチームで彩られたティーラテと、ちっちゃくて濃厚なエスプレッソ。私の前には、素っ気ない褐色のコーヒー。私はテーブルの端からシュガーポットを引き寄せて、スプーンでほんの5匙ほど砂糖を入れる。「甘そ~」と、エスプレッソのカップを手にした函名ちゃんがつぶやく。


「音月さんはブラックだったよ」


 さらっと言われた情報に、私はスプーンを持った手を空中で止めた。輝理ちゃんは、何でもなさそうな顔に、赤みの混じる澄んだ瞳を輝かせている。まん丸で大きな瞳は、けれど、私を貫くみたいに研ぎ澄まされていた。


「そうなんだ」


 つぶやいて、私は両手でカップを覆うように持ち、天井を見上げる。「音月さんもそれやってた。クセ、似てる?」と輝理ちゃんが言うのを聞きながら、すこし息を吐く。クセが似てくるなんて、家族になってからだ。

 唇をカップに寄せて、ひと口。舌を包む甘さを、そっと飲み込んだ。

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