美しい夕焼けとキレイなお嫁さん

西田彩花

第1話

「私の夢は、お嫁さんになることです!!」

 その少女は笑顔で言った。大きな声が響いた後、会場にはたくさんの拍手が鳴り響いた。少女を微笑ましく見つめる大人たち。「お嫁さん」という言葉に何の疑問も持たない子どもたち。

「わー、柚季ちゃん可愛いお嫁さんになれるよー」

 園長先生は少女の頭を撫でて、飴やチョコレートが入った袋を渡した。

「うん!!」

 少女は笑顔で頷いて、お菓子が詰まった袋を抱きしめながら席に戻っていった。


「お母さん、この前のお嫁さん、キレイだったねぇ」

 少女は家に帰り、幼稚園でもらったお菓子の袋を開けながら言った。母は優しく頷いて、食べすぎちゃダメよ、と諭した。父もその様子を微笑ましく見ていた。少女は数週間前に親戚の結婚式へ行き、純白のドレスに目を輝かせたのだ。その美しさが忘れられず、「私もお嫁さんになりたい」と思った。




 中学生の頃、両親が離婚した。原因は父の不倫だった。泣き崩れる母を見て、複雑な気持ちになった。私も頑張らなければ。そうしないと母が壊れてしまう。そう思うと同時に、結婚って何だろうと疑問を持った。一生愛し合うと誓うのが結婚式ではなかったのか。あの日見た親戚のお姉さんが誓ったようなことを、両親もしたのではないか。

多分、結婚って、脆い。人の誓いって、脆い。簡単に破れるんだ。父は他の女を愛し、母と私を捨てて出ていった。私が「お嫁さんになりたい」と言った日の優しい目は偽物だったのか。それともあのときは本物で、今はなくなってしまっただけなのか。

 父は私を生んだことを後悔しているだろうか。母は私のことをお荷物だと思っているだろうか。




 それから母は昼も夜も働くようになった。家で1人待つのは寂しく、寝ようと思っても眠れない日が続いた。

 ある日、学校から帰る途中に寄り道をした。いつもとは違った道を歩いて、人がたくさんいるとことを探した。たどり着いたのはゲームセンターで、お金がない私は、みんなが楽しそうにしているのをぼーっと眺めていた。

「あれ?高橋さんじゃん」

 振り向くと、中学の同級生がいた。派手めなグループの人たちで、一度も話したことがない。女の子が1人いたけれど、その子も話したことがなかった。女の子を取り囲むようにして、3人の男の子が笑っていた。

 なんとなく嫌な予感がしたのだけれど、毎日寂しかった私は、彼らの声に返事をした。

「高橋さんもゲームやるの?意外ー」

「ううん、お金がないから見てるだけだよ」

「はは、何だそれ。あ、そうだ。お金なくてもできるゲームがあるよ」

「ホント?」

「うん、ちょっと外にあるんだけど。一緒に行こ」

「うん」


 彼らに着いていくと、だんだん人気がなくなっていった。もう帰ろうと思ったときには遅かった。男の子たちが私を抱え、路地裏まで運んだ。3人は笑いながら私を犯し、助けを呼ぼうとすると殴られた。ふと横を見ると、女の子が無表情でスマホを向けていた。自分が撮られているのだと思った。私は、涙を流しながら空を見た。恨めしいくらいに美しい夕焼けが、私の目に映っていた。


 全てが終わると、自分の身に何が起こったのかしばらく理解できなかった。ひんやりとした風が身体中を舐め、ぼーっと空を眺めた。やっぱりその日の夕焼けは、気味が悪いくらいに美しかった。





 私は父が嫌いだ。父はどうして私を生んだのだろう。母を裏切るくらいなら、私を生まなければ良かったのにと思う。私は母も嫌いだ。母は夜の仕事で愛する男性と出会ったらしい。母は最低限のお金だけ置いて、ほとんど家に帰らなくなった。私がお荷物なのであれば、殺してほしいと思った。「血がつながった家族だから大切」というありふれた言葉が、理解できなくなっていた。




 それからは、人並みに生きてきたのではないかと思う。私はあの日のことを思い出さないようにした。大切にしてくれる彼氏もいれば、裏切る彼氏もいた。最初から期待しなかった分、裏切られても楽だなと感じた。


 私は今26歳だ。身近な友達から結婚という言葉が聞こえてくるようになった。婚約しているだとか、20代で結婚したいだとか。私はそれに上手く答えることができなかった。




 ある夜、 SNSを眺めながらベッドに寝転がっていた。SNSを見るのは日課になっている。適当に流し読みして、”いいね”ボタンを押しておくだけ。自分自身で更新することはない。


 そんなとき、たまたま目に入ってきた名前があった。中学生の頃、ゲームセンターで声をかけてきた同級生の1人だ。共通の友達がいたようで、なんだかゾッとした。怖いもの見たさで彼のページに行くと、結婚式の写真があった。隣には、私が幼い頃憧れた、”キレイなお嫁さん”がいた。

 コメントを読むと、そのお嫁さんには既に子どもがいるのだと分かった。彼は、何を求めて結婚したのだろう。何を求めて子どもを生む選択肢を取ったのだろう。あの日と同じように、欲望に身を任せたのか。その結果がその子どもなのか。


 脳裏に父の顔が浮かんだ。父もそうだったのかもしれない。ただ欲望を満たしたくて、その結果が私だっただけなのかもしれない。だから父は、母を捨てた後も、私と一切会っていない。


 そう思うと、”キレイなお嫁さん”も”キレイなお嫁さん”の中にいる赤ちゃんも、不憫に感じた。その男は子どもが欲しかったわけではない。ただの結果なのだ。彼は私の父と同じように、”キレイなお嫁さん”とその子どもを簡単に捨てるかもしれない。そうでなければ、どうなるのか。彼はあの日のことを一生隠して、子どもを育てていくのか。それとも彼にとってあの日の出来事は、覚えておく価値もないものなのか。


 そんな彼から生まれた子どもも、きっと私が幼い頃のように「可愛い」と微笑んで見つめられる。だけどその子どもも、大人になるのだ。「可愛い」と言われるのはいつまでなのか。


 子どもには罪がないと思いたい。彼が身勝手に生んだだけなのだから。だけど、そう思うと私にも一切非がないように思えてしまう。私は母のお荷物で、生まれるべきではなかった。その点で、あの子どもと私は異なる。


 今、母からも連絡が来ることはほとんどない。母は母で幸せに生きているのならそれで良いと思う。私はお荷物なのだから、母と関わらない方が良い。


 極力思い出さないようにしていたあの日の出来事が、鮮明に蘇った。声も息遣いも感触も。そして気味が悪いほど美しい夕焼けも。涙が止まらなくなり、呼吸ができなくなるかと思った。このまま呼吸ができなくなっても良いと思った。でも、しばらくすると呼吸ができるようになり、私は深呼吸した。私は生きているのだと思った。立ち上がって窓まで歩き、カーテンを開いた。そこには夕焼けなどなく、ただ街灯が光る暗闇があるだけだった。あの日の夕焼けは、幻だったのかもしれない。


 幻かもしれない夕焼けを、その暗闇に重ねながら、私はもう一度深呼吸した。私は生きている。

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