5.

 視界に誰かが入ってきた。若い女だ。こっちに近づいてくる。自分に用だろうか。誰とも話したくない。二重ラセンはワタルにしがみつく。ワタルは無口なので助かる。女は自分の前で立ち止まった。やや緊張しているようだ。

「あのう、二重ラセンさんですね」

 二重ラセンは黙ってうなずいた。

「世界が分裂していると、いつもおっしゃっているとか」

「誰に聞いた?」

「あちらの、カラスさんという人に」

 よけいなことをしやがって。二重ラセンは遠くにいて、こっちを見ているカラスをにらみつけた。カラスはニヤニヤ笑っている。科学のことなど全く知らないくせに、妙な直感力のある似顔絵描きだ。嫌いであると同時に気になる存在でもある。彼の紹介か。

「別に僕だけが言ってるわけじゃない。世界が分裂しているのは、『多世界解釈』と言って、エベレットという科学者が言い始めた。説明していると量子の話からしないといけないんでやらないけど。なんなら本を読んでみるといい」

「はい……あの、そこに愛の話も出ていますか?」

「アイ? 虚数のことか?」

「いいえ、あのう……」

「もしや、愛情の愛のことか?」

「はい、そうです」

 この女はふざけているのか、カラスの入れ知恵で自分をからかっているのかと思った。ただ、表情が真剣ではある。

「多世界の本に愛なんて書いてあるのは見たことがない。まあ科学者が公式を愛するのを愛と呼んでいいなら、何か書いてあるかもしれないが」

「私は絵を描いてるんですけど……無数に分裂した世界で、愛の光をなるべくたくさん灯すのが、人の命だと思って、いえ、思うというか、多分、科学的じゃないんでしょうけど、私にとっては確かなことなんです。事実なんです」

 この辺によくいる思い込みの強い女か。リルカもその毛がある。二重ラセンは機械的な調子でしゃべった。

「多世界に分裂しているとすると、それは宇宙規模というか、次元規模というか、そんな現象だ。だから人間の愛がどうこうなんて関係ない。科学はまずそんな人間中心の考え方など捨てなければならないんだ。まあ、人間のような高等生物がいなければ、この宇宙は認識できないから存在理由がない、なんていう『人間原理』といった考え方もあるがね。それでも人間の愛などという話にはならない。人間の愛なんて、人間世界にしか使えないものだ。まして、それで宇宙の説明などできるわけがない」

「そうなんですか……」

 相手は何度も瞬きをしている。話していることが難しくて分からないのだろうが、少なくとも否定されているらしいというのは分かった顔だ。

「やっぱり、夢でしかないんでしょうか?」

「まあ、そうだな……」

 その時、二重ラセンが思い浮かべていたものは、あのトリメロースだった。エデンの園配列が、分裂して、分裂して、分裂して、画面を覆い尽くしたら一気に消滅する。

「愛の光を灯して、それを誰がどうするんだ?」

「それは……分かりませんが。そう……そういえば、昔はその夢も見ていて。今も時々見ますが、私達は地上に這っている不定形の生き物で、空から飛んできた槍に刺されて、連れ去られてしまうんです。それと関係あるなら……私達の愛の光も、誰かが狙っていて回収しているのかも」

「愛の光エネルギーが回収されて消滅するのか?」

「さあ……分かりませんが」

 妙な感じがする……二重ラセンは考えた。たかが一個人の夢にしては、嫌な感触として残る。あのトリメロースでの分裂と消滅。少し前に発表された。超弦理論と多世界解釈をつなぐ仮説。そんなものが頭に残っているからか。

 命というものは、この世界がセルオートマトンであるとすれば、エデンの園配列であり、分裂していくもの……だろうか。

 それなら、そのエデンの園配列を配置するのは誰か? いや、それ以前に、セルオートマトンのルールを決めたのは誰か? そもそも何のためにこんな仕組みになっているのか? もっとも、科学では何のために、などということは考えない。世界はどうなっているか、ということだけを追いかけている。

「もし、愛が何なのか、分かったら教えてくれ。愛してくれと言ってるんじゃない。僕は女との恋愛に興味はない。もし愛が説明できる何かだったら。そう、僕の周囲には説明できるつもりになっている連中が山のようにいる。そいつらはポエムを書いて歌うんだ。反吐の出そうなポエムをな。僕が言いたいのはそんなじゃない。愛で宇宙が説明できるのなら……」

 思うまま言っているのだが、相手は熱心に聞いてくれている。そしてうなずいて答えた。

「愛も宇宙も、無限だと思うんです」

 それを聞いて二重ラセンは苦笑した。そういう陳腐な言い回しこそ聞きたくないものだ。

「私はその絵を描き続けているんです」

「そうか、がんばってくれ」

 愛は無限だなどと、どうせ大した絵ではないだろう。

「あの、そう……絵はがき持ってきました。ギャラリーのですけど、もらって下さい」

 そう言って彼女が差し出したはがきの絵を見て、二重ラセンから苦笑が消えた。その絵は自分の意識をつかむものだった。記憶が刺激される。

「なんか見たことあるな……」

「上野に行かれましたか? そちらのジャケットの絵を描いた人も、同じ企画に出ていたみたいですが。私の絵もあったのです」

「そうか、あれか。樹が並んでいたやつだ」

「はい」

 妃紗は嬉しそうにうなずいた。二重ラセンは絵はがきを見つめている。枝が分岐している樹で埋められた世界。

「この個展は終わっちゃったんですけど、ギャラリーに行けば私の絵は常に何枚か出ていますし、また個展もやると思います。ギャラリーのホームページ見て下さい。あ、あと名刺差し上げます」

 そう言って、名刺も差し出した。名前が出ている。山吹妃紗。携帯の番号とメールアドレスだけが載っている名刺だ。二重ラセンは受け取った。

「分かった。個展はぜひ行ってみたいね」

 そろそろ休み時間も終わる。彼女は去っていった。

 二重ラセンは手に持った絵はがきを見つめ続けた。無数の樹が並んだ絵。上野でもそうだったが、妙に惹かれるものがあった。その理由は何となく分かる。世界の分裂と同じように、この樹の枝も分裂しているのだ。言っていることと合っている。では樹に点々と灯っているのが、愛の光か……ふと思ったが、なぜ花ではないんだろう。樹といえば花ではないだろうか。なぜ愛の花ではないのだろうか。


 結局二重ラセンという人は科学者なんだ、と妃紗は思った。自分にとっては、得られた愛も、得られなかった愛も、心の中心に……いや、自分という存在そのもののために居座っている。二重ラセンは冷めた言い方だった。それは人間中心でしかないと。そんなもんだと思ったし、じゃあ彼が寄り添っている相手とは、どんな関係でいるのだろう。彼の隣にいて、一個も口を開かなかった太った男。彼は自分の感情も、自分自身で説明して納得しているのだろうか。

 ただ、それでも、二重ラセンとは自分と何か近いものがあるような気がした。それは、分裂してゆく多世界というものを、ごく普通に受け入れてくれたようだったから。いずれまた、何か話し合うこともあるかもしれない。

 妃紗はもう帰ろうとしたが、心残りがあった。リルカに惹かれていた。もっと言えば、リルカをモデルに絵を描きたかった。あの存在を紙の上に描き残そうとすると、自分はどうするだろうか、その予想がつかなかった。とてつもなく、あふれてくる何かを残そうとして……自分は何をどうするだろう。

 妃紗は他の人とおしゃべりしているリルカに声をかけた。

「あのう……リルカさん、できたら……」

「なになに?」

「今度、あなたの絵を描いてみたい」

 リルカは素直に喜んだ。

「おお、それいいね! あたし、カラスには描いてもらったことあるけど、また違う感じになるかもね! ぜひお願い」

 そうして、今度の休日に会うことにした。


 静かな寝室。上半身裸のワタルはもう眠っている。二重ラセンも上半身裸だったが、暗い中で目を開けていた。眠れない。睡眠薬を飲もうかどうしようか。いや、今は眠りたくない。考えたいこともある。

 自分はワタルを愛しているが、ワタルは自分を愛しているだろうか。これだけ受け入れてもらって、愛していないとは思えない。しかし、ワタルがこの先ずっと自分のものではいないことも分かっている。ワタルはやや知能が劣っているが、それでも毎日少しずつは賢くなっていて、やがて子供の反抗期のようなものを迎え、自分から離れていくだろうと、何となく分かっている。

 しかしそれなら、こんな会話は成り立つだろうか。

「ワタル君、僕を愛しているか?」

「うん、でも気が変わったらもう愛さなくなるよ」

 そんなことを言われたら、自分はこう答えるしかない。

「それは愛じゃないよ」

 そうだ、愛を伝えようとする時、時間的な条件を付けるだろうか? 付けないだろう。なぜなら、それでは愛ではないからだ。もっと言えば、あらゆる条件は付けられない。金がなくなったら愛せなくなるとか、病気になったら愛せなくなるとか、若くなくなったら愛せなくなるとか、少なくとも、愛の言葉と一緒に条件を添える人間はいない。いや、中にはいるのかもしれないが、相手はそれを本当の愛だとは思わないだろう。

 だから、条件を付けないことが愛である。愛は無限なのだ。たとえその時だけでも、無限でそして永遠を約束する。

 二重ラセンは暗い中で低く笑った。愛は無限だと? さっき山吹妃紗に聞いたそのままじゃないか。実に陳腐な言い回しだ。昔からあるありふれた歌詞だ。しかし、これの否定は難しい。そもそも自分がこうして愛について考えているなんて、なんとバカバカしい。滑稽極まりない。科学的であるかどうかをまず考える自分だったはずだ。科学の立場に身を置き、周囲の芸術的で感情的な連中とは距離を置いてきたはずだった。その自分が愛だと? あの絵描きの女に嫌な影響を受けたものだ。そもそも彼女が、世界の分裂などと言ってくるから、同類かと思って油断したのだ。あの時、遠くからカラスがこっちを見て薄ら笑いをしていた理由が分かるようで悔しい。絵描きなんて、どいつもろくな奴らじゃない。

 それにしても、世界は無限に分裂すると妃紗は言ったが、どこで知った話だろうか。知識よりも、何か直感的につかんでいる感じだったが。

 世界が無限に分裂するためには無限の時間がかかるだろうか? いや、そうとも限らない。分裂のペースが一定とは限らないからだ。時間を追って短くなっていくとしたら? ある分裂が起こり、次の分裂がその半分の時間で起こるとしたら……それは時間軸上にある収束点を持つだろう。そして、その点では完全に「無限」に分裂しているはずだ。

 あるいは、分裂が可能な空間が有限だったら、それこそ、あのトリメロースの現象のように、いっぱいになったら。そこで分裂も終わる。その時間も有限だ。そして消滅するのだろうか?

 無限に分裂する、というのはどういうことだろう。多世界解釈では、宇宙そのものが可能性の数だけ分裂する。これにより、観測された時だけ量子の位置が確定するという、何やら不自然な『不確定性原理』を用いなくて済む。観測されるのは、たまたま自分が所属している一つの宇宙に過ぎないからだ。

 可能性とは何だろうか? 突き詰めて言えば、それは何かが起こるか、起こらないかということだ。起こることが存在する以上、起こる可能性が存在する。起こった世界と起こらなかった世界の二つに分裂するのだ。分裂は常に二つで起きるだろう。

 いや、それはおかしい。サイコロを振ったら、世界は六つに分裂するではないか。いやしかし、こうも言える。サイコロを振った結果、一が出た世界と一が出なかった世界、二が出た世界と二が出なかった世界、三が出た世界と三が出なかった世界……と分かれていく。そう、サイコロを振っても、一から六がちょうど時間軸上の同じ点、つまり同時刻にその目を決定するわけではないからだ。だから常に二つに分裂していく考えは間違いではない。分裂は二つで起きる。一つの世界は二つとなり、二つは四つになり、四つは八つになるだろう。世界の数は次のように増えていく。

 1→2→4→8→……∞

 世界の全てというのは何だろうか? 世界全体。世界の総量だが、分裂した世界の数は総量ではないだろう。なぜなら、時間も一つの次元に過ぎないからだ。二重ラセンは妃紗の絵を思い浮かべていた。あの樹だ。幹から進んでいって、分裂して増殖していく枝。これがそれぞれの世界であるが、総量というのは樹の全体のようなものだ。分裂を含めた全てだ。世界の総量は次のようになるだろう。

 1+2+4+8+……∞

 待てよ、これは……二重ラセンは何かに気づいた。何かを思い出した。これは見たことがある。世界が誕生し、世界が分裂する。その果てにあるものは……しかし今になって眠りがやってきて、そのまま眠ってしまった。


 妃紗はスケッチブックを抱え、もらった住所を頼りにリルカの家に行くことになったが、地図を手に迷っていた。妃紗は地図を読むのが苦手だった。自分の向きを変えた場合、地図をどう回したらいいのか、いつまでたっても身につかない。最近持つようになった携帯電話でリルカにかけてみるが、出ないばかりか留守電にすらなっていなかかった。付近を三十分ぐらいうろうろしてやっとたどり着いた。二階建ての狭そうなアパートだった。階段を上って一番端の部屋。ドアのチャイムを押すが、何度押しても誰も出てこない。電話にも出ないし、すっぽかされたかと思い、帰ろうとした時にいきなりドアが開いた。

「ごめん……寝てた」

 リルカの髪はボサボサで、ロックバンドのロゴらしき柄のよれよれなTシャツを着ていて、メイクをしているというか、昨日のメイクを落としていないらしい。声もやっと出しているという感じで、妃紗は引いてしまう。

「だ、大丈夫? ……また来ようか?」

「あーだいじょうぶだいじょうぶ! 入って!」

 むりやり目を覚ましたかのように言うリルカに促され、妃紗は上がることにした。

「おじゃまします」

 靴を脱いで上がったものの、ワンルームで床からベッドの上から結構散らかっている。

「ええと……」

 どこに座ったらいいのか考えていたが、いきなりリルカが妃紗のスケッチブックとバッグを乱暴に取り上げた。

「えっ?」

 ついでに肩をつかんで、バスルームの方に無理矢理連れて行く。かなりの力だ。

「い、痛い、痛いです」

「いつから風呂入ってないの?」

 目が覚めたかのような怖い声。

「え?」

 そういえばいつから入ってないか、よく分からない。思い出せない。前もカラスに文句を言われたが、また忘れていた。食べては絵を描くだけの生活が続いていたのだ。リルカは妃紗の服に手をかけ、乱暴に脱がそうとする。

「さっさとシャワー浴びて体を洗え!」

「あ、は、はい。やめて自分で脱ぐから……」

 何とか自分で脱いでバスルームに入ったが、見ると、決してきれいとは言えない場所だった。壁のタイルも薄汚れているし、何となくカビ臭い。自分といい勝負だと思った。ただ、シャンプーやボディソープは、何やら外国の、高そうなものが置いてあった。

 かなりの時間をかけてシャワーを浴びて体を洗う。身が軽くなったかのようだ。借りたタオルを頭と体に巻いて出てくると、リルカは部屋をのろのろと片づけていた。いつの間にか乱れたメイクを落として、違うメイクにしていたが、ステージ上のように濃くはない。ロックバンドらしきTシャツは同じだが、きれいなものに着替えていた。

「いやー来るのを忘れていたよ。ごめんごめん。まあ適当に座って」

 妃紗はタオル巻き姿のまま薄い座布団の上に座る。脱いだ服をまた着たくない。今となっては脱いだ服が妙に汚いものに感じてしまう。かといって他にないのでは着ないわけにもいかないだろう。

「もう描く?」

「う、うん、そうね」

「じゃ、こんな感じかな」

 リルカはやや気取って窓辺に座った。妃紗は着替えることもなく、スケッチブックを手に描き始めた。リルカは腕に包帯を巻いていた。切った痕がまだ治らないかもしれない。黙ってこちらを見ているリルカは、ステージ上の激しさとは全く違う感じがする。でも内側から何か光るようなものを感じるのは同じだ。そして、それこそが妃紗の描きたかったものだった。黙ったまま濃い鉛筆を走らせた。

 ふと、カラスのことが思い出された。彼もまた、こうしてリルカを描いたはずだ。

「カラスがあなたを描いた絵はどんなだった?」

「ん? ……普通にうまかったよ」

「輪郭について何か言ってなかった?」

 カラスは輪郭にこだわっていた。

「うん、言ってたよ。お前の輪郭はしっかりしている。線が一本しか見えないって。そんなの当たり前じゃんって思ったけどね」

「心が揺れてる人は、輪郭がぶれてるって」

「言ってた。超能力みたい。でもラセンはそれが気に入らないって。彼は超能力を信じてないから」

「世界を重ね合わせた輪郭が見えるって、カラスは言ってた」

 その時、何か気に入らないと言う目でリルカは妃紗を見た。一瞬殺気を感じたが、それはすぐ消滅した。気のせいだと思った。カラスの話題は、あまりしない方がいいのかもしれない。

「ねえ、あんたも多世界って信じてるの? ラセンはしょっちゅう多世界とかパラレルワールドとか言ってるけどさ、あたしは信じられない」

「信じる信じないより……私のは実感だから。命は樹みたいに枝を分裂させながら成長していくっていうのが。小さい頃から幻覚も見てるし」

「今も見てるの?」

「今は……」

 絵を描いている。その時だけ、頭の中はそれだけなので、幻覚だか現実だが、単に考えているだけだかよく分からない。

「今はあんまり見ない」

 愛の灯のことを言うべきだろうか迷った。信じてもらえないのは当然としても、笑われたりするのは嫌だ。

「あたしの実感は世界は一つだな。あたしが選んだもの以外、どこにも世界は存在しない」

 リルカは独り言のように言い、妃紗はくしゃみをした。やはりタオルだけで過ごしては湯冷めしてしまう。

「着てきなよ」

 妃紗はしかたなく脱いだ服をまた身につけた。それでスケッチの続きをしようとしたが、今度はリルカが顔をしかめた。

「あのさ、やっぱそれ脱いで。それ洗濯しよう」

 体どころか、着ているものもそんな状態だったのかと思い、情けなく恥ずかしい。結局またタオル姿になった。リルカは洗濯機を動かした。

 それからスケッチを続けたが、描き込むに連れ、妃紗は人の存在を間近に感じていた、スケッチが生きているのが分かる。薫子以来かもしれない。でも薫子とはずいぶん違う。あの包み込んでくれるような優しさはない。そのかわり、自ら光っているそのエネルギーのようなものを感じる。光を描くのだと妃紗は思った。

 かつてフランスの印象派の画家達は、光を描くのだと言って外に出ていった。それは外光が明るいからではなく、外光に照らされた自然物が命の輝きを発しているからだ。妃紗はリルカを描きながらそんなことを思う。

「まだー?」

 リルカがあくびをしながら言う。退屈してきたらしい。

「う、うんもう少し」

 もう少し描き込みたい。妃紗は焦って鉛筆を動かす。

「できた」

「見せて」

 妃紗はスケッチブックを見せた。リルカは何度か瞬きをする。

「……すごいね」

 そう言う割には素っ気ない言い方だ。明らかに喜んでいる風ではない。

「こんな濃く、塗っちゃうんだ」

「え? う、うんまあ」

 確かに結構鉛筆を激しく走らせ、顔が黒に近い灰色だった。妃紗としては、それは存在感の表現だった。リルカは作り笑いをした。

「じゃあ飲みに行くか!」

「え……だって着るものが」

「貸す」

「お金ないし」

「奢る……というか絵の代金ってことで。じゃあ行こうか」

 そう言ってリルカは、妃紗が着る服を選び出した。

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