5.

 最近の緑川の行動は同じで、家に帰ると、まずテーブルの上のパソコンを立ち上げる。スーパーで買った夕食の総菜を並べる。ご飯はタイマーを用いて炊けている。お湯を沸かし、その間に着替える。味噌汁は日替わりのインスタントで、沸いたお湯を注げばできる。夕食の準備が終わる。毎日この手順だ。

 テーブルは広めなのでパソコンを見ながら食事ができる。ネットを見ながら食べることが多い。キーボードが汚れるのが気になり、キーボードカバーをするようになった。マウスはどうにもならない。定期的に買い換えるしかない。

 ネットを見るつもりが、最近はまずトリメロースを起動させる。画面が開き、まずランダムに緑、黄、赤のドットが並べられ、ルールに従ったステップが開始される。何ステップかのうちに、画面は赤い核を持つ三色で構成された生命体らしいものがうごめくプールとなる。毎日同じ感じで見飽きていると言えばそうだが、遺伝的アルゴリズムで進化させたこのルールは、他のライフゲームのルールと違う「命の気配」のようなものが感じられ、それが何だか好きだった。常にウィンドウで表示させておくと、ペットとまでは言わないが、生き物の水槽みたいな感じがする。水槽の画像でも作って、合成しても面白いと思ったが、遊ぶだけではどうも吉野に悪い気がする。そう、吉野の言葉、この世界はセルオートマトンではないか、という言葉を確かめるためのプログラムだ。

 その日もいつものように夕食を並べ、トリメロースを立ち上げた。初期状態としてランダムにドットが配置されたが、右下あたりに二十から三十ほどのドットで構成された見慣れないパターンがあり、ステップが進むと、それは移動体になった。それは黄と赤だけで構成され、それ自体は無秩序な配列に見えたが、次のステップで、ほぼ同じ形で斜めに移動した。移動体だが、このパターンは今まで見たことがない。緑川は食事を忘れて画面を見続けた。黄と赤の移動体は、移動先に赤い核を持つ生命体(らしきドット群)があって、それと衝突すると、しばらくはそれと反応してパターンを変えるが、結果はその生命体を吸収してしまい、元の移動体は残っていて移動方向が変わっていた。かなり強いパターンらしい。しばらく見ていると、あたかもそれが自由意志を持って、何かを探し回っているように見えた。今まで見てきた赤い核を持つ生命体は、意志というより漂っている感じだったが、このパターンは明らかに違った。何かを探しているかのようだ。

 また何ステップか過ぎ、また生命体にぶつかると今度はきれいに二つに分裂した。移動体の分裂は小さいものでは珍しくはないが、これぐらい大きなパターンでは珍しい。移動体をよく見ると、全く同じパターンの移動ではなく、部分的に若干の変化はしているらしい。ただ、何ステップかで元に戻るループ状態にはなっているようだ。今までにないものが出てきた……緑川は興奮する。分裂した移動体も同じように移動していき、出会ったものを吸収しては方向を変えた。そして何ステップかでまた分裂が起こり、同じ移動体の数が増えてきた。赤い核を持つ生命体は、次々とこの移動体に吸収されていった。緑川は冷たい汗が出始める。何が起こっているのだ? この移動体は何をしたいのだ? 何か目的のような意志を感じる。この黄と赤の移動体は生きているのではないか? 画面内はこの移動体が増殖していった。この移動体同士は吸収し合うことがなく、画面はしだいに同じ移動体で埋められていく。緑川は呆然と見続けた。とうとう画面がうごめく黄と赤の移動体でいっぱいになった。

 そして、画面全体がこの移動体で埋め尽くされるその瞬間、最後に閉じたところを中心に、黒い、何もないところが円形に広がっていった。それは急速に広がり、パターンを全て消し去った。

 そして、黒い画面だけが残っていた。そこに生命体は一つも存在しなかった。生まれることもなかった。  

 緑川はしばらく画面を見続けた。今起きたことが信じられなかった。ライフゲームは、決まったルールで次のステップを計算しているに過ぎない。複雑な変化ではあるが、同じルールに従っているので、大抵場の雰囲気は決まっている。雰囲気が劇的に変化することはまずない。トリメロースも、今まではそうだった。しかし、今起きたことは、明らかに違う。

 いや、それでもルールが支配している場である以上、ルールから逸脱したことは絶対に起きないはずだ。このような、まるで魂が宿ったかのような……そう、その言い方が最もしっくりくる……そんな移動体でも、ルールには従っているはずだ。あくまでルールの中に、それが含まれているのだ。同じパターンを作れば、同じように振る舞うはずだ。

 緑川はまず、何度かトリメロースを起動しては終わらせてみる。当然のように同じ現象は起こらない。確かランダムに配置した最初からあのパターンが出ていて、画面の中を動き始め、分裂していった。それならと、記憶に従って、自分で黄と赤の生命体を配置して、それでステップを進ませてみた。パターンといっても不定形に近く、黄と赤とが無作為に並んでいるだけに見えたので、記憶に従っても限度がある。パターンは何度似たようなものを作っても、同じ挙動をすることなく、すぐに崩壊して、元の生命体のスープのほうに飲まれてしまった。配置するものが正しくないのだ。緑川の全身が熱くなる。何とか再現したい。あれはきっと生命だ。

 結局再現できることなく深夜になって、完全に冷めてしまった夕食を口に押し込み、倒れるように寝た。いや、なかなか眠れない。明け方近くになってやっとウトウトし、すぐに起きて出社した。ひどい寝不足だった。


 数日後、二重ラセンから返事が来た。

『あまりメールを見てなかった。返事が遅くなって申し訳ない。動画を拝見したが、なかなか興味深いと思う。生命体が集まって、あたかも一つの生命体のようにふるまっている。思えば我々の細胞なども、設計図に基づくタンパク質生産工場という、それ自体が独立したふるまいを持っている。ただ、僕が先日言った通りで、やはりライフゲームごときでは魂が宿るとはとても思えない。たとえ、この世界がセルオートマトンであり、全ての多世界への分裂が決定論だとしても、あらゆるものはもっと複雑だ。この世界の複雑さを示す有名な話で「北京の蝶」というものがある。北京で羽ばたいた一匹の蝶の空気のゆらぎが、世界をわずかに変え、アメリカにハリケーンを起こすかもしれない、という話。それぐらい世界はパラメータが複雑に入り組んでいる。パラメータは原子レベルの微細なものだが、そのパラメータにより地球規模の事象が左右される可能性がある。今日吐いた吐息の空気の分子は、数年後には世界中に拡散しているのだ。しかし、決定論を恐れることはない。我々にとって自由とは、自由を感じることだ。同様に魂とは、魂を感じることだ。それが全てだ。僕が音楽から離れられないのはそのためだ。自由と魂を感じる一番近い場所にいる。そう、何も恐れることはない。なんて言いつつ、最も恐れているのは僕かもしれないけどね。そうそう、動画を僕の音楽の映像に使っていいだろうか? できればプログラムそのものもいただけると嬉しいが。他に渡したり、悪用したりしないことは約束する』


 二重ラセンに起こったことを伝えるべきだった。しかし狂ったと思われるかもしれない。あれは魂だ……緑川は既にそう確信していた。魂が宿った何かが生まれ、それは世界の中を動き回り、分裂を繰り返し、それが満たされた時に全て消滅した。誕生から死。

 あれから何日も、あのパターンを再現しようとしているが、うまくいかない。パソコンはつけっぱなしで、一つのウィンドウでは常にトリメロースを走らせている。常に走らせておけば、いずれあのパターンが生まれないとも限らない。ただ、今のところ、生まれた様子はない。生まれたら増殖し、しまいには全ての生命体が消滅するからだ。もう一つのウィンドウは、時間の許す限り、パターンの再現を試みている。いずれも進展が見られない。

 結局二重ラセンには簡単に報告した。ある不可解なパターンが生まれ、増殖していき、やがて世界を埋め尽くし、その後全てを消滅させたこと。それがまるで魂が宿った生き物のように見えたこと。それが全く再現できないこと。しかし、あくまでライフゲームのルールであるから、生き物のように見えるに過ぎないだろうということ。冷静を装って書いたのだが、書いているうちに本当に冷静になってきた。また、三色ライフゲームのプログラムと、トリメロースの設定のファイルを添付して送った。いずれも容量は小さいもので、写真画像一枚程度の大きさしかない。この小さいデータから、あの魂ともいえるパターンが生まれたのだ。

 いや、魂に見えたのだが、冷静に考えれば魂のはずはない。緑川は、あれが何であったかを考えている。あの奇妙なパターンは、まずソフトウエアを起動した時点で生まれたのだ。それは最初画面いっぱいにランダムに生命体を発生させるところだ。ランダムだからそのパターンは偶然のはずだ。しかし、そこに魂を生み出す何かが干渉したのだろうか? ステップが進んでいる途中ではルールに従って展開しているだけだから、干渉はできないはずだ。いや、最初のランダムのところにしたって、確かソフトウエア内で使っているランダム関数というのは。あくまで種となる数値(シード値)をもとに内部計算を繰り返して出している疑似乱数のはずだ。また、その種となる数値は、ソフトウエアを起動した時のクロック、つまりパソコンの中で時間が経つにつれて増えるカウンターの数値のはずだ。種となる数値はわずかでも違うと、その後発生する乱数は全く違ってくるが、数値が全く同じであれば、その後発生する乱数も全く同じになる。あの魂のようなものが生まれた時の、ソフトウエア起動時のクロックが分かれば、再現できるだろう。ただ、あの時がいつだったか、正確に記録していないので、同じクロックも再現できない。魂を生み出す者が、クロックに干渉したのだろうか? いや、それも考えづらい。クロックに干渉できるならば、通常のルールに従った展開の最中にも干渉できてもいいはずだ。その結果、トリメロースのステップの最中に、あの移動体のパターンが生まれてもいいはずだ。生まれないとすると、あれは何なのか?

 ソフトウエア起動のタイミングがクロックから初期値を決めるとすれば、自分が起動する時間に干渉することは可能ではないか……緑川はそこまで考えた。魂を生みだす神が、自分をコントロールして、トリメロースに魂を降臨させた? 神よ! ……しかし、何のために? あの現象は自分ただ一人しか見ていない。まさかそれが目的なのか? 自分に魂の出現を見せるために、自分に何かが干渉した。つまり、世界はセルオートマトンだ。そして神は存在する。


 いや、神ではないだろう……緑川は思った。神なら一度ではなく、二度だろうが三度だろうが自分に干渉できるからだ。自分に何かを伝えたかったら、もう一度ぐらいあれを見せてほしいものだ。緑川はバカバカしいと思いつつも、神に祈って何度かトリメロースを起動させたが、あのパターンは出なかった。神などいないだろうと、本当のところは分かっている。

 もしかして吉野か?

 自分にあのタイミングでトリメロースを起動させたのは、吉野じゃないだろうか? 吉野は死んだとはいえ、この世ではない、見えないどこかにいるのだろうか? そして自分を見ることができる。自分に何かを伝えることができるのかもしれない。

 しかし、あのタイミングは全く超常的なものだ。人間の理解が追いつかないタイミングだ。

 死んだあとの魂が、超常的なものを理解して操れるとも思えない。緑川は神も超常現象も信じていない。死んだ後の魂が、そこらに漂っているとも思わない。漂っていたところで、ライフゲームのルールとパターンを理解し、コンピュータのクロックに干渉できる能力を持つとも思えない。死んだ人間が超常的なものを理解してメッセージを伝えられるなら、この世でもっとましなことはいろいろ起こっているはずだ。だから、吉野でもないのだ。

 じゃあ、単に偶然が生み出した偶然の挙動であり、たまたま例のパターンが疑似乱数によって作られ、ルールに従った結果あのようになっただけだ……と、それは割と唯物的には納得できる答えであったが、やはりどうしても引っかかる。

 吉野が言った、この世界がセルオートマトンではないか、ということ。もしそうなら、人類を始め、我々生命の存在も挙動も、偶然の産物である何かがルールに従って変化しているに過ぎないのではないか。そして、自分と他者の違いというのは、自分には自分の意識の存在が自覚できるが、それ以外の生命体、特に人間については、意識が自分と同じように存在しているであろうと推測できるだけで、実際のところ意識の存在は分からないのだ。

 いつまでも結論は出ない。自分一人で考えたって結論は出ないのだ。二重ラセンからはまだ返事はない。また何日も経ってから来るのだろうか。考えることが多すぎる。頭を冷やしたい。緑川はぼんやりとテレビを見ている。ニュースの時間。社会を脅かす不安な事件。世界を脅かす不安なテロ。何も心に入ってこない。どうでもいいような気がする。自分は今、自分の意識が何であるのか、吉野はどこに行ったのか、神は存在するのか、そんな考えても終わりそうもないことを考えているばかりだ。


 それは科学のニュースだった。

 ある物理学研究会にて、超弦理論と多世界解釈の融合仮説が提唱された。それによると、超弦理論でこの世界の姿とされる十次元空間のうちの余剰次元を使用して、多世界の構築が可能であるという。今後の研究で、新しい宇宙の姿が明らかになるかもしれない。

 テレビのニュースはこれで終わりだったが、多世界という言葉にに反応した緑川はこれだけでは飽きたらず、すぐにネットを使って調べ始めた。もう少し詳しい、科学系のニュースサイトがあり、そこに出ていた内容は、次のようなものだった。


 量子を構成する最小単位として最も有力なものは、現在のところ超弦理論である。超弦理論によると、この世界は十次元の空間と一次元の時間で作られている。我々が認識できるのは空間である一次元から三次元と、時間の一次元の四つ。残りの七つは余った次元、つまり余剰次元として、目に見えないほど小さく折り畳まれている。それでも余剰次元の座標は存在しており、例えば現在見えている何かが余剰次元座標方向に少しでも動いた場合、我々の認識から全く見えなくなる。

 仮説によれば、多世界への分裂は、余剰次元七つのうちの一つの方向に世界のコピーが分かれていく。それは、例えば現在の世界が二次元の紙だとすれば、紙をコピーして重ねるようなものである。分裂していった他の世界を我々が見ることができないのは、ちょうど紙の範囲で生きている二次元生物が、すぐ上に重なった他の紙を見ることができないことと同じである。厚みのない紙であれば、無限の枚数を重ねることができる。なぜなら「重ねる」というのが三次元の行為だからだ。同様に、この三次元プラス一次元の世界も余剰次元の方向にコピーすれば無限に重ねることが可能である。

 そして最も重要なことは、重力だけは次元を越えて伝わることができるということ。宇宙空間には、実際に目に見える物質よりもはるかに多いダークマターが存在しているという。ダークマターが存在しなければ、銀河が回転しながらその遠心力でバラバラにならないという説明がつかない。しかしダークマターではなく、現在の物質が余剰次元方向にコピーされていて、その影響でより多くの重力が存在しているという可能性がある。多世界の数は無限だが、重力が有限であるのは、現在の世界から分裂した世界が余剰次元方向に運動していて、その距離が離れるに連れ、重力の影響が小さくなるためである。

 細かい計算はまだ行われていないが、分裂は限りなく小さい時間に、量子が取り得る可能性の数だけ可能と思われる。それは無限の分裂が同時に起こることと同等となる。


 難しくてあまり理解はできなかったが、緑川の意識が激しく反応していた。先日より多世界ということを何度も聞いている。世界が可能性の数だけ分裂していること。その分裂はあらかじめ決まっており、不確定性原理を否定し、失われたはずの決定論を復活させること。そして生命あるいは人間の意識も決定論の範囲内に含まれるとするならば、この世界に自由意志はなく、単純かつ決定的なルールから複雑な挙動をもたらすセルオートマトンである可能性がある。

 そこに近づいたのか? 多世界の存在を認めたら、我々の自由意志は否定される。緑川はモニターの前で呆然としていた。

 いや、まだ仮説だ。何も証明されてはいない。それに、ここに足りないものがある。セルオートマトンが足りないという話ではない。そう、生命はどこから来たのか?

 自分が知りたいのは生命現象だ。もっと言うと……緑川は吉野を思い浮かべた。彼は死んだというが、本当はどこに行ったのか? 人は人とつながっていなければ、何かが足りないと思う。なぜか? いや、足りないと思うことも、なぜかと思うことも、すべてセルオートマトンのルールの中にあるのか? 決定論の中にあるのか? いや、そうは思えない。それなら何だろうか?

 トリメロースで増殖して消滅していったあの移動体のようなものは……あの生命のようなものの分裂は、もしかして多世界の分裂を意味するのではないだろうか?

 多世界、決定論、自由意志、ライフゲーム、そして吉野、自分の心、自分の想い……緑川の頭の中で、それらが渦を巻く。


 そして、気づいた。

 世界は分裂している。しかし、可能性の数だけ分裂しているのではない。

 分裂は、セルオートマトンに従った厳密なものである。しかし、その数が膨大なため……

 可能性が存在しているように見えるに過ぎない。


 しかし……

 ではあの消滅は……分裂しきった時の終わりを意味するのだろうか? するとこの世界も、いずれ暗黒が広がり、消滅してしまうのだろうか?

 緑川は目の前に、トリメロースが終わる時のような、暗黒が広がっていく幻を見た。終わる? いや終わらない。いくらトリメロースに真実を感じようとも、あれはたかがライフゲームの一ルールに過ぎない。

 そもそも無限の増殖なんてあり得ない。世界の分裂が永遠に起こり続けたところで、無限に達することなどできないだろう。達することができないから無限なのだ。しかし……しかしもしその時が来たら、消滅してしまうのか?

 緑川は、沸き上がってくる暗黒を振り払う力がなかった。その力をどこかに求めていた。そして、ふと光を感じた。何だろうか。自分に力を与えてくれる何か。その光は見えない。その光はどこから来るか。

 それは遠い。とても遠い。それはきっと、宇宙の果てだ。宇宙の果て? なぜここで宇宙の果てが出てくるのだろう。

 自分は何かを分かりかけている。つかみかけている……緑川は思った。なぜ宇宙の果てなのだろう。分限の分裂、無限の増殖を考えてなぜ宇宙の果てなのか……しかし他に言葉が思いつかない。

 そして自分の変化に気づいた。

 宇宙の果て、というものは、今までは単に無限に広い空間、はるか遠くの果てといった、せいぜい三次元での量の話に過ぎなかった。しかし今、宇宙の果てというものは、空間ではない。何かに満たされた光のようなものだ。無限の向こうが光であり、この世界の全てを包んでいる何かだ。この世界は無限を越えた何かに包まれている。しかしそれは空間的に包んでいるのではない。空間そのものを包んでいるのだ。そんな「何か」だ。これは宗教的な、心のありようではない。心につながってはいるけれど、この世界の実相に違いないという確信がある。今までつかんだことのない、この世界の実相をつかんだのだ。

 緑川は震えていた。世界の見え方が変わっていく。自分に何が起きたのか? 息苦しい。部屋の窓を開けた。外が見える。樹々が見える。風に揺らいでいる。しかし、風に揺れる葉を見ることができなかった。葉の輪郭をとらえられない。絵の具で塗ったかのように、形態を失った色彩が揺れているだけだった。色彩が揺れる。風に吹かれ揺れているのではない。風に吹かれたことにより、世界が次々と分裂して、次の姿を現していく。一つの条件が、次の世界を無数に生んでいく姿だ。

 吉野、こういうことなんだな……緑川は思った。君の言った通りだ。世界はセルオートマトンだ。

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