3.

 送別会の会場は居酒屋で、小野も来ていたが、緑川とは離れた席だった。しかし座敷だったので、機会を見て緑川はいそいそと移動して、小野の隣に座った。普段は酒の席で移動などほとんどしないのだが、今日は酒の勢いも手伝って、やりたい行動に出ている。小野に話しかけた。

「小野さん」

「あれー、緑川さん、あっち追い出されちゃったの?」

 小野は笑いかけてくる。自然体な感じだ。

「ん、まあ……」

 実際は自分からやってきたのだが。

「あのさ……今日、管理部の島に行って机見ちゃったんだけど、モルフォジェネティクを聴いてる?」

 小野はそれを聞いて、のけぞるようなまねをした。

「おーモルフォを知ってるのー? なんで? すごい意外だなあ」

「うん……二重ラセンって人の音楽をネットで探してて、モルフォジェネティクも見つけた」

「あーラセンさんね、うん、あの人すごい音楽作るよね。まあでも、あたしはリルカちゃんの歌が好きなんだけど」

 リルカはヴォーカルだ、というか今初めて名前を知った。

「緑川さん、モルフォのライブ来たことある?」

「ライブ? いや……別に、ないけど」

「モルフォは結構ライブ中心でやってるんだよ」

「うーん、まだ動画サイトで見ているだけなんだけど」

「それもったいないなあ。高円寺のパワーレスとかによく出てるんだよ。あたしはよく行ってるよ」

「パワーレス?」

「ライブハウスだよ。大きくはないけど」

「へえ……行ってみようかな……」

 ライブや音楽イベントなんて行ったこともないが、何となく勢いで答えてしまう。

「行きなよー! でも意外だなあ。緑川さんああいうの聴くって。なんかおとなしそうなキャラだと思ってたんだけど」

 実際はライフゲームの映像を探していて、二重ラセンを見つけたのだが、小野に感心されているのが気分いいので、あまり細かい説明はしない。続けて何か話そうかと思ったら、横に中年の部長が移動して来てしまった。

「お、緑川君、ちゃんと飲んでるかい? 美女とおしゃべりとはうらやましいな。ちょっと俺も入れろ。なあ知ってる? こないだあの山崎課長がさぁ……」

 そう言って、部長は勝手に仕事関係の話にしてしまった。緑川はじゃまされて腹立たしいというか、憎らしいというか。ただ、小野はうまく話を合わせている。

「あの課長とよく車で同行されてますよね」

「あいつの運転は危険だよ。信号待ちで居眠りしやがって。叩き起こしたんだがな。緑川もあいつと一緒に乗ったことあるだろ?」

「え、ええまあ。危ない感じです」

 部長はどこかに移動するでもなく、とにかく仕事というか社員の品評ばかりして、それもほとんどは悪口で、そのまま宴会がおひらきになってしまった。二次会もあったが、小野は参加しないらしいので、緑川も行く気が起きず、逃げるように離脱してしまった。別に誰も引き止めない。一人で家に帰る途中、緑川は思い返す。なかなかいい収穫があった。小野はモルフォジェネティクのライブに行っている。自分も行ってみれば、小野に会えるかもしれない。行きなよと言われたし……

 家に帰ってもしばらくは小野のことを考えていた。小野はどんな格好でライブに行くのだろう。やはり会社に行くのとは全然違う格好なのだろうか。あんな音楽だし、髪を立てていたりして。いや、普段でもちょっと変わったラフな格好をしているので、どこに行ってもあのままかもしれない。そうして考えたまま夜遅くなって、眠くなってきてから。やっと作りかけのライフゲームを思い出し、手を加えてみる。二種類の生命体を使うライフゲームの骨格はできたが、テスト的に走らせてみようと思っても、ルールをどう付ければいいのか見当がつかない。どんな条件でどの生命が生まれ、どんな条件で死んでいくのか。あるいは生命体は二種類あるので、条件により種類を変えることもできるだろう。複雑なパターンができる。

 二種類の生命体。色は緑と黄にしてある。あるセルの状態を見て、まず、そのセルが現在どうなっているか、何もないのか、緑なのか、黄なのか、また、そのセルの周囲の生命体の数を数える。緑がいくつで、黄がいくつか。そしてそれぞれの場合に、その次のステップで、そのセルがどうなるかを条件として設定する。例えば「現在のセルに何もなくて、周囲に緑が一つ、黄が二つあった場合、そこには黄が誕生する」とか「現在のセルが黄であって、周囲に緑が三つ、黄が三つあった場合、そこは緑となる」など。条件そのものは、これも配列変数を使っているが、表のようなものに数字を入れていくだけで設定できるので面倒ではない。ただ問題は、どんな条件を入れると、どんな展開をし、どんなパターンになっていくのか、全く予想ができないことだった。それに条件の組み合わせの数はこれまでと同じではない。一色に比べて膨大な数になる。

 条件をいくつか適当に入れてみて、プログラムを走らせてみたが、ノイズのような状態になるだけだった。すなわちセルオートマトンのクラス3の状態ばかり。何度かその状態を確認して、あきらめてベッドにふらっと移動すると、そのまま眠ってしまった。歯も磨いていない。


 翌日から、家に帰ると、この二色ライフゲームのルール作りばかりしていた。適当なルールを設定していたが、いくつか作っていくうちにクラス4をいくつか見つけることができた。どれも今まで知っていた一色のライフゲームとは全く違う、複雑なパターンが展開される。特に、生命体の集合で表される移動体の豊かさは、緑川を興奮させた。一色のライフゲームでのグライダーどころではない。四つほどの集合体で上下左右に高速で動くものから、他の移動体にぶつかると分裂するもの、アメーバのようにまとまった数が動くもの、アメーバの分裂も見た。あるいは決まった形状が、そのまま斜めに移動していくもの、直線状のものが移動していくもの、直線状のパターンが成長と消滅を繰り返すもの、方形が出現しては消えるもの。条件の組み合わせは無限というほどあるので、クラス4のルールを見つける度に、そのパターンに見入った。

 こうした集合体は生命なんだろうか、と、ふと思ったりする。いや、パターンがいくら生命のように見えたところで、これは条件に従って、次の状態を計算して表示しているだけだ。あくまでセルオートマトンだ。誕生や死があるわけではなく、ましてや進化するわけではない。いや、そもそも、パターンが移動しているというのは、生命体が移動しているわけではなく、生命体を表すセルが、その場で誕生しては消滅する、その現象が移動して見えるというだけなのだ。生命体が動いているわけではない。とはいえ、二色に増やしただけでこれだけ豊かになるとは……三色にしたらどうなるんだろうか。より複雑な挙動。無限に組める条件。もしかすると、生命や意志のようなものが生まれないだろうか。まさかと思いつつも、未だ見たことのない世界。何が出るか分からない世界に期待し、三色に増やすプログラムを組み始めた。

 さすがにプログラムも難しくなってくる。ルールを格納する配列変数も立体的な表のような、三次元の配列を使わなければならない。ただ、組めないわけではない。配列変数の処理がやや面倒なだけで、基本的には二つだったものを三つにするだけだ。骨格はいずれできる。問題はルールだ。

 週末を迎え、土曜にはモルフォジェネティクのライブがある。高円寺の「パワーレス」というライブハウス。二重ラセンの音楽を生で聴くことができる。あと、小野に会えるかもしれない。会えたら何を話そうかと、いろいろ頭の中で考えているが、あまりうまくいきそうもない。仕事の話などしたくはないし、かといって共通の話題はモルフォジェネティクぐらい。それも緑川は詳しくない。でも、これから見ることになる。期待と不安が半分ずつのような気分だ。

 パワーレスは、中央線のガード下にある。思っていたのとはずいぶん違う。店全体が小汚い感じで、薄暗く、なおかつ狭い。どこからがステージで、どこからが客席かもよく分からない。人がいるところが客席、前方の空間がステージといったところだろうか。客はほとんど立ちっぱなしだ。こんなところに、あの二重ラセンが来るのだろうか。というか、どんな人物かさえ知らない。動画にも本人は出てこない。

 他のバンドも出ていて、モルフォジェネティクは四番目だ。とりあえず最初からいるのだが、うるさいだけで、面白くもないロックバンドが続く。バンド交代の合間に客席内を見回して、小野がいないかどうか探してみた。客席の隅の方には椅子があって、そこに座れるようになっていたが、一組の寄り添ったカップルが気になっている。女はずっと男の方を見ていて、顔があまり見えないが、その雰囲気に、もしやと感じる。顔がこっちを向いた。やはり小野だった。というと一緒にいるのは恋人か彼氏だ。その男は、自分よりも明らかに顔立ちも整っていて、やや跳ねた髪型もキマっていて、明らかにファッションも上だと感じて、緑川は見ただけで気が滅入るような敗北感を感じてしまった。気分が凹んでくる。同時に、やはりうまい話はないものだという諦め。その時、小野が緑川に気づいて、笑いながらこっちに来た。

「おー緑川さん、来てたんだ」

「うん、君から情報もらったもんで」

 一応空元気で答える。

「初めてなんだっけ? モルフォはもう少しで出てくるよ。期待して待っててね」

 そう言って。手を振って男の方に戻ってしまった。つまらないロックバンドをまた一つやり過ごし、立ちっぱなしがやや疲れたが、いよいよ次はモルフォジェネティクの番。狭いステージの後ろの方にキーボードが三つほど、囲むように並べられる。一人で三つも弾くらしい。前の方にヴォーカル用マイク。照明が落ちて、モルフォジェネティクの二人が出てきた。

 二重ラセン、その男の印象は、顔つきがやや知的ながらも、その他はおよそ普通だった。緑川より若干年上ぐらいだろうか。銀ぶちのメガネをかけている。顔は丸みを帯びた四角というか、痩せ形ではなく、栄養のいい学者みたいだ。でも目立たない。チェックの地味なシャツを着ている。一方ヴォーカルの女は紫月リルカといい、紫のフリルだらけの衣装。むき出しの腕、網タイツ、細くて美人だが、どこか普通でない感じがする目。客が沸き立つ。今までのロックバンドは前座だ。リルカはマイクをつかむなり、いきなり絶叫した。

「形態をロードせよ! シンクロしろーっ!」

 それは曲名なのかと思う間もなく、打ち込みで制御された電子の爆音が始まった。リルカは歌とも叫びともつかないヴォーカルで歌い始める。動画でも見たが、ライブだと桁違いに耳に突き刺さる。


 君よ結晶になれ

 君よ結晶になれ

 あたしをつらぬけ

 刃(やいば)のごとく鋭く

 錐のごとく尖りし

 透き通る結晶になれ

 そしてあたしをつらぬけ

 結晶よ立ち上れ

 天に届け

 天を焦がせ

 あたしと一つになれ

 あたしは結晶を

 溶かす血潮となりて

 君を永久(とわ)に抱く


 歌詞は意味不明なのでどうでもよかった。一方の二重ラセンは無表情だった。澄んだ電子音と、ノイズ混じりの耳ざわりな電子音が巧みに混ざり、速い鼓動のようなビートに乗せて目まぐるしく流れていく。聞いていてめまいがするような、そうだ、これが確かに二重ラセンの音楽だ。そこにリルカの耳に突き刺さるヴォーカル。三つの音が光の尾を引いて、会場内を激しくのたうち回る。それにしても音量が尋常でなく、緑川は冷たい汗が出始める。慣れていない。動画サイトで見る時は音量も加減できるが、ここではできない。

 絶叫のようなリルカのヴォーカルが一旦途切れ、二重ラセンの打ち込み音楽だけになった。その時、リルカがナイフのようなものを出し、手首を客席側に向けると、ゆっくりと手首に刃を走らせた。たちまち血が流れ出し、腕に血筋がいくつも流れ始めた。リルカはステージ上でリストカットしていた。それを見て、緑川は今度こそ血の気が引いてしまい、意識が遠くなるのが分かって、あとはそのまま何も分からなくなった。


 寝かされている。あたりは薄暗い。人のざわめき。ここがどこなのか、自分が何をしていたのか一瞬分からなかったが、すぐに思い出されてきた。ライブ会場でリルカのリストカットを見て気を失った。もう爆音は終わっていた。会場内が低いBGMだけなので、休憩時間らしい。壁際の椅子を雑に並べたところに寝かされている。ゆっくり起きあがると、どこからともなく小野が寄ってきた。やや心配という顔だが、気づいた自分を見て半分笑っていた。

「だいじょうぶー? いきなり倒れちゃったみたいだけど」

「ああ、うん……貧血かな。なんかあのリストカット見たらクラッときちゃって……」

 そこに小野の彼氏もやってきた。

「大丈夫でスカ?」 

「緑川さん初めてだっけ? 刺激強すぎたかな。あの子、いつもあれやってるよね」

 小野が彼氏に言うと、彼氏も半笑いになる。

「ま、いつものお約束ってことで。俺も初めて見た時はビビったス。今はだいぶ慣れたけど」

 そうは言うが、彼が自分を見る目も、どうも嫌だなと思う。どうしてお前みたいな地味なヤツが、こんなところに来てるのかという、相手をさげすんだ目だ。

 ステージ上は次のバンドの楽器をセッティングしている。場内を見回す。リルカがいた、腕に包帯を巻いて、女友達と楽しそうに立ち話をしている。二重ラセンは……少し離れたところの椅子に座り、隣のやや小太りの男にもたれている。会話をしているわけではない。単に寄り添っているだけのようだ。どういう関係だろう。二重ラセンと話がしたい。

 緑川はゆっくり立ち上がり、二重ラセンの方に向かった。彼は隣の男にもたれたまま、近づいてくる緑川に気づいた。隣の男は前を向いたままで、目の焦点が合っていない感じだ。

「二重ラセンさん、ですよね」

 彼は緑川を見て、しばらく間をあけてうなずいた。

「うん」

「すいません、途中で倒れちゃって」

「あ、いいよ。たまにいるからそういうの」

「俺、あなたの動画を見て、ライフゲームを使っている作品がすごくよくて、それでここ来たんです」

「ライフゲーム? 僕の?」

 彼は一瞬緑川を疑うような目つきで見たが、すぐに元に戻った。

「そうかライフゲームか。そんなのあったな。うん思い出した。面白いだろあれ。古い生命シミュレーションだけどね」

「知ってます。俺、今二色のライフゲームを作っているんです。あと三色も作りかけていて……」

 彼は軽くうなずいた。やりたいことは分かっている、というような顔。

「ふふん、でもあまり意味ないと思うな。そもそもライフゲームは最初はフォン・ノイマンが考えたものなんだが、その時は四十九も法則があったらしい。それを究極に単純化したのがコンウェイのあの有名なやつだ。よく見るあれだね。洗練され、究極に単純化したものをわざわざ増やしても意味がない」

 緑川は立ったままで、またふらついてきたので、二重ラセンの前にしゃがんだ。

「でも二色使ったら、なんかまるで生き物みたいなのが出てきたんです」

「生き物みたいなもの。へえ、まあ法則を複雑化したら、それだけ複雑に見えるものも出るかもしれないなあ」

 なんか反応が薄くてがっかりする。それから何か言うかと思ったが、二重ラセンはいつまでたっても黙っていた。もう会話は終わりかと思って、緑川が立ち上がろうとすると、いきなり口を開いた。

「それは生物だと思うか?」

「え?」

「君の目の前に出てきたやつだ。生物だと思うか?」

「うん……と、生物じゃないですよね。法則に従って動いているだけだから」

「生物の定義は?」

 いきなり突っ込まれて戸惑う。二重ラセンは何やら真剣な目つきになっている。

「定義って……自分の意志で自由に動けるってことですかね……」

「君は自分が生物だと思うか?」

「そりゃ……俺、自分の意志あるし……」

「ラプラスの悪魔の話は知っているか? 決定論だ」

 宇宙が誕生して以来、起こるすべてのことは厳密に計算でき、決定しているという話。

「……知ってます」

「あの悪魔は死んでいない」

 そう言って、二重ラセンは笑みを浮かべた。笑ったのを今初めて見た。

「え? でも不確定性原理で……」

「不確定性原理は幻だ。存在しない」

「……え? ……なんで?」

 その時、二重ラセンの隣の男がもぞもぞと動いた。二重ラセンはすぐに彼の方を向く。

「どうしたの? 起きたの?」

 自分に向ける声とは違う、妙に優しい声だ。男は二重ラセンの耳元に何やら囁いた。

「うん、行っておいで」

 男は立ち上がって、どこかに行った。

「あの人……」

「ああ、トイレだって……それより」

 二重ラセンは、緑川の方に身を乗り出した。

「僕は科学者になるつもりだった。だから科学の世界は今でも追いかけている。科学者の友達もいるしな。不確定性原理は存在しない。なぜなら、世界は全ての可能性の数だけ分裂しているからだ。そう、いわゆるパラレルワールド。我々が生きて、認識できるのはその中のたった一つだけだ。多世界解釈は知っているか?」

「ええと……」

 パラレルワールドや平行世界だの、先日カラスから聞いた。少し調べてはみたが、どこか違う世界に別の自分がいる。それも何人もいるとか、全く信じられない。

「不確定性原理の不確定性の根拠は?」

「ええと……量子は、観測するまでは位置が確定していない……」

 量子は運動量を確定、つまり観測すると位置は確定せず。位置を確定しようとすると運動量が確定しない。よって、量子は確定的な存在はしていない。全てのものは量子からできているので、全てのものは観測されるまで位置も運動量も確定してしない。つまり何もかも不確定だ。

「そうだ、しかし多世界解釈では、量子を観察したことも、単にその世界が選択されているに過ぎないとする。時間とともにその道を進んでいるに過ぎない。他の状態の量子を観察したのならば、その状態の量子の世界に進んだに過ぎないんだ。世界は分裂していて、分裂は宇宙が始まって以来全て決定されている。宇宙が巨大なライフゲームであってもおかしくはない」

 ここで吉野のことを思い出した。二重ラセンも同じことを考えていたのか。

「……俺の死んだ友達が、やっぱり同じことを言ってた。世界はセルオートマトンじゃないかって。それで俺は……」

「じゃあ、ライフゲームで生物が生まれたか?」

「いや、それはまだ」

「まあ、無理だろうね」

 急に今までと逆のことを言うので戸惑う。

「え? ど、どうして?」

「そこには魂がない」

「魂?」

 二重ラセンはまた笑みを浮かべる。そこに隣の男が戻ってきて、立ち上がる前と同じように座った。二重ラセンは当然のように、彼にもたれかかる。

「そう、生命は魂だ。僕がどうして科学者にならず、こういうところで音楽をやっているか? 僕は魂を探している。残念ながら、科学は魂の存在に関心がない。物質はどこまで行っても物質。いや、最近じゃ時空に浮かぶ紐みたいなヤツにしかならない。それに、生命は化学反応だと。分子の運動だという。僕は違うと思うんだ。命や魂、そういうものが実在するはずだ。僕がリルカと組んでいるのはそのわけだ。リルカの存在や叫びは、僕の科学的な直感からすると、一つの魂の実在と思う。確固たる何かだ。それが何かはまだ分からない。でも僕はここに、魂を感じる位置にいたいわけだ」

 今まで二重ラセンの話を感心して聞いていたが、あのリストカットの絶叫が魂だと言われると、どうも違和感が生まれてくる。

「でも、全てが確定していたら、そこに魂なんか入る余地ないんじゃないですか?」

「どうして?」

「いや……魂って、自由なものだし」

「なぜそう思う?」

「ええと……」

 吉野の死後、命とは何かとか考えてはいたのだが、じゃあ魂は何かと訊かれてもうまく答えられない。

「まあ、正直まだ僕にも分からん。ここにいると、魂がものすごく現実だと感じるのが、ある意味困るとも言えるな。人間の考えることになんて、何の価値も意味もないのかもしれない」

 その時、エレキギターの音がして、次のバンドの演奏が始まった。二重ラセンは、緑川に手を上げて挨拶し、隣の男にもたれたまま目を閉じた。もう何も話す気はないらしい。


 それから何日も、三色すなわち三種類の生命体によるライフゲームのルールを作っていた。色は、緑、黄、赤の三つ。しかし、あまりに項目が多く複雑だ。「現在のセルに何もない場合で、周囲に緑が一つ黄が二つ赤がゼロの場合、生命が誕生する」というこんな条件を、現在のセル三色分プラス何もない場合の分全てについて設定しないと、ルール全体ができない。そしてやっと適当ながらルール全体を作って走らせてみたところで、クラス4は全く現れなかった。何度かルールを変えて行うと、それらしいものは一応出てはくるが、想像していたほど劇的ではなく、どこかで見たような感じだった。生命体が集まった移動体が多く出現するのはいいのだが、その印象は二色の時と大して変わりない。色、つまり生命体の種類を増やすことで、もっと素晴らしく、もっと命が宿っているような世界が出現するのを期待したのだが。

 現在のセルに何もない時、周囲に緑一つ黄一つ赤ゼロの場合、そこに緑が誕生する。現在のセルが黄の時、周囲に緑三つ黄ゼロ、赤一つの場合、そこは黄のままである……

 二色でも設定できるルールの種類は膨大だったが、三色だとその数はほとんど無限だと分かっていた。その中からクラス4のルールを拾い出すのは容易ではなく、偶然見つけるぐらいしかない。結局二重ラセンの言うように、究極に単純化した結果が一色の、あのコンウェイのライフゲームなので、色を増やしたところで意味などないのかもしれない。結局はあの一色の世界を越えられないのだ。あれ自体で万能計算機、チューリングマシンでもあるし。

緑川は数日後にはルール作りもやめて、三色ライフゲームのプログラムも放り出してしまった。やっていられない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る