[2-19] 王指

 リビングから聖壇に戻ると、聖王家の重鎮たちが僕を注視していた。

 まったく母さんは話が長くて困る。この状況を見れば無駄話はダメだって分かると思うのに。なのに、レヴィがどうとか、BLとか、ヴァン様によろしくだとか、まったく。

 そう内心で悪態をつきながら、大鏡から素早く降りてテーブルに近寄る。いよいよだ。クヴァル様の言葉を借りれば、さいの仕込みは終えたのだ。後は良い目が出るまで投げ続けるだけだ。


「聖王陛下」とミハエル様の側まで駆け寄る。


 膝はつかない、頭も垂れない。その前に確認すべきことがある。この返答次第ではミハエル様は僕の敵になるのだから。


「申し上げたいことがございます」

「あのご婦人がソーヤの母上か」

「え」


 せっかく固めた決心をかわされたようで、少し戸惑ってしまった。ミハエル様の目線は後ろの大鏡を呆然と眺めていた。振り返ると、まだリビングと繋がったままでハラハラとした様子で母さんがこちらをのぞいていた。


「ええ」

「……なるほど。あれが母とはいうものなのか」

「はぁ」

「お前が羨ましいよ」


 さて、腐女子の母を羨ましいと言われてもどう答えたものか。


「……ありがとうございます」

「で、綾取りの件だが」とミハエル様は僕の左手に視線を落とす。「なるほど。そうか、レヴィア嬢の薬指はお前の母上が預かっていたのか」

「え、ええ」


 母さんに預けていたレヴィとの綾取りは、今、僕の薬指に結ばれている。


「それで?」


 そういって、ミハエル様は笑った。

 恐ろしい人だ。すでにこちらの意図を把握している。カーラ様はミハエル様がすでに感づいているとおっしゃっていた。おそらく、その通りなのだろう。


「フェン家を代表して申し上げます」

「おう」

「聖王陛下と当家の次期当主レヴィア・フェンとの糸、切らせて頂きたい」

「なんと」と肩をすくめられた。「しかし、当家に落ち度があった覚えはない。如何なる理由でフェン家は五指の約を違えるか。建国以来、長らく聖王家の盟友であった名家とは思えぬ蛮行だ」

「ごもっともです。陛下に落ち度はありません」

「では、なぜだ?」


 なぜだ?

 名門の両家の間でかわされる婚姻の糸は政治的な契約だ。それを無下にしては秩序など保てない。誰もが納得する形で、と僕は言ったけど、レヴィが主張するようにそんな事は初めから無理だったのだ。結局、最後にはこれしかない。


「僕がレヴィを愛してしまったからです」


 ミハエル様の口元がゆがむ。


「なんと、平民が我の薬指を奪うつもりか」

「はい」

「なんたる不遜。そのような戯れ言が通ると思うか」

「非礼は承知しております。しかし、受け入れて頂かねば、フェン門下が陛下に従うことはありません」

「つまり民を巻き込んで殺し合おうと言うか。だとすればお前の愛は歪んでいるぞ。多くを不幸にしてまで、自分の我欲を通すとは」

「……」

「愚か者よな。まさかヴァンはこのような者に我が指を託したか」


 ミハエル様はちらりとヴァン様の方に視線をやった。

 ヴァン様は小さくうなずいただけで、それ以上は何も言わない。ただ、先ほどまで固く閉じていた目が緩んでいるように見えた。


「さて、」とミハエル様も笑う。「茶番はここまでにしようか。まさか、フェン家を味方につけたか。お前は本当に慎重だな」

「陛下、」

「もとよりあれはお前の女だ」


 ミハエル様は肩をすくめると両手を広げた。

 それに応じて、ミハエル様の抱擁を受け入れる。王族にしてはよく鍛えた体つき。僕よりも背が高く耳元に口がくる。ミハエル様は耳元で呟きかけてきた。


「ソーヤ、交換条件だ」


 黙ってうなずく。


「俺の中指になってくれ」

「かしこまりました。もとより、そのつもりです」

「ああ」


 抱擁をとき、その足元に跪く。懐にしまっていたヴァン様の切り指を包んだ布を取り出して、それをミハエル陛下に捧げる。

 陛下は受け取った布を左右に開いて、乾燥してしぼんだ指から綾取りの指輪を抜き取った。


「ソーヤ・カガミよ」

「はっ」

「汝を聖王ミハエル・ヴァハルの中指とし、我の第一位の王指おうしに任ずる。我が身に万が一のことがあれば、我の代理として聖王国を導け。またレヴィア・フェンをなんじの薬指とすることも承知した」

「ありがたきお言葉」

「手を出せ」


 左手を差し出した。

 この世界に来た時は空っぽだった僕の指はすでに四つの綾取りが結ばれていた。小指はカーラ様、親指はクヴァル様。人差し指は親友のヘイティで、薬指は愛するレヴィ。

 そして最後の中指にミハエル陛下との糸が結ばれる。

 この国では糸を結んだ大切な人と歩む慣習がある。そして、僕はこの世界で生きていくことを決めた。


 大変な糸ではあるけれど、ちゃんとしようと思う。



 ◇


 聖王国の黄金期といえば、中興の祖である聖王ミハエルから続く三賢王の時代である。

 賢王の名を冠せられたこの三人の治世はいずれも長く、ミハエルで二十五年、その王弟の息子に引き継いで二十年、その次の代は十八年におよんだ。

 この三賢王に中指として仕え続けたのが名宰相ソーヤ・カガミである。


 この物語を終えるにあたり、これ以降の英雄たちの軌跡をなぞってみよう。


 ソーヤ・カガミ。

 厳格な身分制度をしく聖王国で、平民出身ながらも大貴族レヴィア・フェン公爵を妻に娶り、フェン公爵領を統治した。フェン公爵領だけではなく、聖王国の宰相として多くの内政改革を実施したことでも知られる。

 賢王三代に渡り宰相をつとめたことで、老齢になった頃には絶大な影響力を有していた。しかし、それにおごるようなことはなく、まだ経験の浅い聖王をないがしろにすることはなかったと言う。

 また、その生涯を通して妻をよく愛したことでも有名だ。妻のレヴィアは非常に強力な魔術師であったが、妻を戦争に利用しようとはしなかった。これを揶揄して「フェンの箱入り当主」という風説が流れたほどである。

 その妻に代わりフェン領の統治も采配した。その政治的手腕でフェン家をも全盛期へと導く。だが、それによって強大になりすぎた公爵家は、彼の死後に独立戦争を起こしフェン公国となる。

 宰相としての後半生があまりに有名なため忘れがちだが、北の雄であるフェン軍を統括する大将軍でもあった。


 レヴィア・フェン公爵。

 広大なフェン領を統治する責務を完全に放棄し、ほぼ全ての権限を夫のソーヤに移譲した。幸い、夫は優秀な統治者であり、フェンは大きく発展する。

 統治者よりも、魔術とサロン文化の革新者として歴史に名を残した。

 数々の魔道具を発明し、広く普及させた。通常、新たに発明された魔道具は家門の中で秘匿とするものが、彼女はこれらを公開し、後の魔道科学へと発展させていく。

 遠隔会話を可能とする手鏡型の魔道具、映像を保存する鏡の魔道具などが特に有名。フェンではこれらの新魔道具の製造が一大産業となり、ヘイティ商会などの大財閥が生まれる。

 また、彼女は多くの耽美芸術家をサロンに招き、そのパトロンとなった。それだけでなく自らも創作しこれが大反響となる。彼女の絵画と文章を巧みに組み合わせた表現技法は、今でいうマンガへと発展を遂げる。

 彼女が創始したとも言えるマンガだが、当時は男性の同性愛をモチーフにしたものが主流だった。マンガの登場人物に女性が登場するのはこの後、数十年を待たなければならない。

 また彼女は二重人格であったと疑われている。当時の人でもそれを疑っていた記述はいくつもある。彼女のサロンに出入りしていた人物は手記に以下のように書いている。

 ある日は母のようにおおらかな淑女だったのに、次の日には学士のように批判的な人物となるので大いに困惑させられる。しかし、いずれの場合であっても有意義な時間を過ごさせてくれるのは間違いない。母なる日には悩みを打ち明けて、学士の日には助言を求めればよい。


 聖王ミハエル・ヴァハル。

 あまりにも有名な人物で多くの歴史書がその生涯をまとめている。よって、ここでは簡単に記すだけにとどめる。

 聖王国の黄金期を導いた中興の祖。封建的な貴族制を廃止、聖王国の近代化を推し進めた。死の間際に自らの中指を切り落として、次の聖王に譲ったエピソードは有名。これが次代でも慣習化し、ソーヤが三代にわたって聖王の中指となった。

 非常な美形であり生涯を通して浮名を流しつづけたが、薬指はついに定まらなかった。そのせいか、この時期にレヴィアが後援した耽美文化のかっこうの題材とされたようだ。彼が登場するマンガが多く発掘されている。


 王弟ウリエル・ヴァハル。

 先王と正妃の息子でミハエルの腹違いの弟である。母はイジヴァル公爵家の女であり、その血統から聖王ミハエルに反感を持つ貴族から持ち上げられることも多かった。しかし、彼の兄に対する忠誠は揺らぐことはなかった。

 その兄の命令でスズリ聖騎士伯と指を結び、その娘アーニャを正妻に迎えている。彼はこの妻をよく愛し第二夫人は迎えなかった。これは当時としては異常なことである。強い血脈を継承するためにより複数の夫人を持つことは義務とまでされていた。

 ところが、子は血ではなく愛されて育つものなのかもしれない。次の賢王はこの二人の息子から選ばれることになる。


 ヴァン・インリング。

 元聖王国の騎士団長。先代聖王の人差し指である。

 ミハエルの聖王都奪還と同時に引退し、表舞台からは姿を消す。その後、レヴィアとの手紙が多く残っている。手紙の言葉遣いが丁寧なことから、多重人格の母のようなレヴィアが書いていたと思われる。


 ヘイティ・フォア。

 大財閥ヘイティ商会の会長。レヴィア・フェン公爵が発明した魔道具を製造し世界中に売りさばいた。これにより、聖王国からは軍事利用される魔道具を敵国にも売り渡したと非難されたが、フェン公爵家の庇護にあったためうやむやにされている。

 そのほかにも、飛竜の畜産、大陸横断街道「狐の道」の整備、魔道具を使った放送事業の創始など、多くの事業を成功させ巨額の富を築いた。その一方で、子供達に読み書きを教える教育施設を各地に建てた慈善家でもある。

 当時の民謡にこのような一句が残っている。どうやら鉱山の採掘で歌われたものらしい。


 今日も黙って石を掘れ。

 家では妻にどやされ、子供は狐が教えた屁理屈をこく。

 黙って石を掘れ。

 へとへとになれば、すぐに眠れるぞ。


 さて、ここらでこの物語を終わろうと思う。

 この時代の聖王国は貴族文化の最盛期で、五指の綾取りを中心にして風雅な社交が紡がれていた。現代人から見れば非効率だと笑う者もいるだろうが、そのような読者諸君にはこの言葉を贈ろう。


 あなたは自分にとっての五指をちゃんと大切にしているだろうか?


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