[2-17] 操り人形


 僕はウォルファ・フェンだ。


 糸が心臓を締めつる度に、意識は下へ下へと押し込められていく。僕はどうなってしまうのだろう? という疑問はあったが不安はない。僕ではレヴィを助けられない。僕は彼女のお父さん、ウォルファ・フェンの代わりなのだ。


 ——レヴィ、ああ、我が娘よ。


 ごめんなさい。レヴィのお父さん。

 あなたの娘を守る、と約束したのに。僕は結局何もできなかった。あの時から変わらず、僕は卑怯なままで、最後には他人任せの臆病者だ。

 自分の意識はどんどん沈んで、体から離れていく。

 女の子を見殺しにして逃げた自分は、光輝く強い体を手に入れた。きっと大丈夫だ。レヴィを助けてくれるだろう。あの人は本物の英雄なのだから。


 ああ、結局、僕はなれなかったなぁ。

 本当はね。僕が君を……。



 ◇


 鏡に映っている宗谷は、いつもの宗谷じゃなかった。


「お父様、やめて! ソーヤが、ソーヤが死んじゃう!」


 レヴィアちゃんの叫び声がすべてを物語っていた。

 光の糸が息子を操っている。それは顔をびっしりと覆って、鎧の隙間からも光をこぼしている。まるで菌糸のように息子に寄生していた。


「あれは何だ! レヴィア」


 横合いからの声はハルという人のものだ。だが、その問いに答えたのはユリアという女性の奴隷だった。


「糸を体内に埋め込まれているようです。しかも、あれほどの魔力を巡らせるなど……。レヴィア、答えなさい」

「……ごめんなさい」


 レヴィアちゃんの声が震えた。


「ごめんなさい。お義母さま」


 彼女が首にさげた鏡のペンダントを掴んだのだろう。こちらが覗き込む鏡の端に彼女の指がかぶさる。


「殺されたソーヤを蘇らせるために、綾取りの銀糸で心臓を縫い合わせたました。だから、ソーヤは呪われているのです。お父様の怨念に」


 周囲の男たちから「それが聖王国のやり方か!」と非難が巻き起こる。

 その罵詈雑言を遠くに聞きながら、息子の姿を見る。鏡に映る彼は、まるで操り人形みたいに剣を振り回していた。あんなに頑張って特訓していた剣技は見る影もない。勢いは凄いだけの、ただのぶん回し。

 ひどい、と思った。

 息子はずっと頑張って強くなろうとしていたのに、人を殺してしまった時には泣いていたのに、今度は僕が守るんだ、と念仏のように唱え続けていたのに。


 それなのに……。


 操られてしまった宗谷と槍を構えた大男が戦い続けている。

 戦いに疎い私でも分かる。

 怨念に取り憑かれてしまった宗谷は、それでも負けそうだった。

 剣戟が交わされるたびに、少しずつ確実に宗谷の体が傷ついていた。相手はとても強い人なのだろう。宗谷の暴風のような剣を、巧みにかわしながら槍を繰り出す。宗谷はもう何箇所も刺されているはずなのに、怨念は息子の体など構わず剣を振り回し続けている。

 目を背けたくなるような光景。

 詰まった息を吐こうとして「こんなのって」と言葉がこぼれたら、涙もあふれてきた。


「宗谷」


 ずっ、と鼻水をすすりあげて、もう一度、息子の名前を呼ぶ。「宗谷ぁ」と、鏡に手を伸ばして綾取り指輪が鏡面に触れた。

 その時、鏡が波打った。向こうの景色が歪む。大男はいよいよ余裕をもって息子に槍を向ける。

 私は喉をさけるほどに泣き叫んだ。


「宗谷ぁ!」



 ◇


 戦場に似つかわしくない、女の声が聞こえた。

 泣き混じりの乱れ声のうえ、槍を踊らしている最中では聞き取りづらい。が、確かに少年の名を叫んでいた。あの少女にしては年が合わぬ、が、泣き枯らしたのかもしれない。

 いずれにせよ、この勝負はすでに決した。

 心待ちにした戦いではあったが、しょせんは傀儡くぐつの相手。膂力こそ異常ではあるが、かつての技の冴えは見る影もない。本当は、その膂力と技をともにした少年と存分に競ってみたかったのだが……。


 しかたなし、次で最後か。


 大きく振りかざしたぶん回しを身をひねって躱し、傀儡の喉元に槍を繰り出す。

 終わった……と確信した。

 だが、槍が止められた。いつのまにか引き戻された剣がその穂先を受け止めたのだ。柄元で槍を絡めるとるように、渾身の突きを受けて流して。


「……したな」


 少年の声が聞こえる。


「母さんを泣かしたな!」


 その瞬間、剣閃の光を見た。

 咄嗟に身をかがめてそれをやり過ごし、槍を持ち上げて反撃に転じるが手甲で払われた。

 追撃を恐れた一歩引けば、一歩つめられる。空間が再び剣閃で埋まる。

 立て続けの連撃は巧妙で、長物である槍を差し込む隙が見いだせない。美しくまとめられた斬撃の手順。目の前が技で飽和する。


「少年!」と槍を短く持ち直す。「蘇ったか」

「しつこいんだよ!」


 完璧だ。

 もはや後退の他に活路は見いだせない。圧倒的な力と緻密な技に押し切られていく。捌き流す余裕などどこにもない。不意に剣閃を受け止めてしまった槍は、根元から断ち切られた。空手となった左で短刀を引き抜く。


「極まったな」


 目の前には上段に剣を構える少年の姿。

 美しくも圧倒的な光を放っている。まるで天に挑んでいるような気分だ。

 少年の剣が月の孤をえがくように振り降ろされる。それを迎え入れるように短刀で受けたが、肩まで押し切られ袈裟に振り切られた。

 熱が肩から腹へと走る。筋を切られたのか半身が動かない。息が上がり、膝が折れて崩れる。

 強かった。もはや、勝利の余地などない。


「やれ」

「……」


 だが、少年は無言で脇を通り過ぎる。

 振り返ると、剣を杖のようにして、足を引きずりながら少女のほうへと歩いていた。瞠目して体を地面に横たわる。


 俺は負けたのだ。



 ◇


「ソーヤ!」


 もう、体中が傷だらけでもう歩くのがやっとだ。

 レヴィはもう目の前だ。残った障害は、処刑台の上の兵士と彼女の首輪の紐を持っている女の人だけだ。

 その女の人がこちらに向かって手を向け、そこに火球が出現した。魔術師か。だけど、この距離なら刀子を投げれば、と懐に手を忍ばせる。


「ユリア! やめろ」


 横から声がすると火球が消えた。それだけでなく、彼女は会釈をするとレヴィの首輪を手放して処刑台から降りてしまった。その左右を固めていた兵士もそれを見て急いで去って行く。

 声のした方に視線を向けると戦闘中なのに平服の男がいた。肖像画で見たことのある顔だ。あれが帝国の軍司令ハル・ユリウスか。


「ソーヤぁ!」


 と、解放されたレヴィがこちらに駆け寄って抱きついてくる。もうボロボロのこの体はその衝撃に耐えきれずに、そのまま覆い被さられて仰向けに倒れた。全身に走る激痛に思わず目を閉じる。

 でも、やっと……。


「レヴィだ」

「馬鹿ぁ! 本っ当に大馬鹿なんだから! 死にかけてるじゃないの」

「はは」


 娘の無事を認めたせいか、体の魔力がほそっていく。それと同時に、血があちこちの傷穴から吹き出し、急激に体が冷たくなっていく。


「あんた! 気を抜いてるんじゃないわよ。血が」

「まだだ。はやく、合図のベルを鳴らさないと」

「そんな戯言、ふざけないで。あんたの治療が先よ」

「はやくベルを。今、襲われたら、僕にはもう」

「誰に向かって!」


 レヴィは僕に馬乗りになったまま、指を地面に滑らせる。すると僕らを取り囲むように結界が張られた。

 それを見た兵士達が慌てて詰め寄るが、結界に阻まれてしまった。


「やっぱ、レヴィはすごいや」

「もう黙りなさい。傷口をみせて」


 マントの留め金を掴んで引き剥がした後は、そこでもう力が入らなくて大の字になってしまう。

 後は馬乗りになったレヴィに体をまかせる。彼女は僕の体をまさぐって、両手は赤黒く染まってしまった。無数の切り傷に抉られた傷穴。すでに血の凝固が始まって傷口の衣がこびりついてペリペリになっていた。


「ちっ」とレヴィの眉間に皺が刻まれた。「お父様の鎧なんて着せられて、きっとクヴァルの奴ね。あいつ、処刑してやる」


 レヴィは鎧を脱がしにかかった。結びの硬い部分は魔術で切り裂き、血糊でこびりついた部分は指をかけて引き剥がす。その激痛に顔を歪めながらも、レヴィの手を握る。


「ベルを慣らしてくれ。君の結界だって、そう長くは」

「うるさい」


 彼女は引き剥がした鎧を投げ捨てた。露わになった胸には、鎧に守られていたせいか大きな傷は負ってない。

 レヴィは心臓のあたりに指を滑らした。

 その指の軌跡は光を放ち、次第にそれが術式をかたどっていく。それは心臓の糸を調整するときの術式だ。それを結ぶところで、レヴィアの指がはたっと止まり胸から垂らしたペンダントを掴んだ。


「お義母さま、実は」と彼女の顔がゆがむ。


 そっと手を伸ばして、彼女の頬にふれてやる。これは彼女のせいじゃない。


「レヴィ、続けてくれ。母さんには僕から言うから」

「……うん」


 レヴィの胸元のペンダントに目をむける。そこに埋め込まれた鏡から、母さんがこちらを見ていた。


「母さん、見てくれた?」

「宗谷?」

「僕はやったよ。ちょっと、母さんを心配させちゃったけど、やっと出来た」

「……」

「レヴィ」と手が止まっていたレヴィに言う。「はじめてくれ、時間がない。もう、僕は逃げない。誤魔化しもしない」

「うん」


 レヴィの指が術式を結び、そして心臓の封印が解除された。

 その瞬間、無傷だった胸元に無数の傷が出現する。手足から覗く生傷とは違う、銀糸で縫い合わされていた古傷だった。


「ひっ」母さんの引きつった声がペンダントから漏れる。

「母さん。僕はね、本当はもう死んでしまったんだ」


 レヴィが指を回すと古傷を縫っていた銀糸がほどけて傷口が開く。その中でもひときわ大きな傷からは、糸で縫い縛られた心臓が見えるはずだ。


「それをレヴィが、こうやって糸でつなぎ止めてくれた」


 レヴィはその傷口に指を入れて心臓を掴む。その途端に全身が輝きはじめる。ウォルファ・フェンの魔力とは比べものにならない強烈な光。これは彼女自身の魔力だ。

 すると、激痛はやわらぎ、古傷も新しい傷も含めて光糸が這いより、縫い付けてふさいでいく。彼女が手を挿入した心臓の傷穴を残して。


「ねぇ、母さん」

「……なに」

「ごめんなさい」

「宗谷は悪くないでしょ」

「うん。でも、嘘をついていたから。だから……ごめんなさい」


 母さんは何も言わず、鏡の向こうで頭を左右にふっている。この続きは家でたっぷりと怒られよう。


「レヴィ、終わったか」

「うん。後は胸の傷をふさぐだけ」

「ふさがなくていい。そのまま君が糸は持っていてくれ」

「いいの?」

「ああ、絶対に君を守るから」


 レヴィの両脇を抱えて、馬乗りからどかす。

 最後の心臓の傷穴はふさがず、そこから伸びた糸は彼女の手にある。そこから流れ込んでくる膨大な魔力があたりを照らす。


「ねぇ、ソーヤ」とレヴィは祈るように糸を両手で持ち直した。「私は何を命じればいい?」

「そうだね」


 地面に放り出していたスヴェロの剣を拾い上げる。


「レヴィのBL、あの続きが読みたい」

「なによ。それ」

 

 笑顔になったレヴィが魔力を抜いたのか結界が消え去った。

 行く手を阻んでいた結界が消えても、兵達はこちらに近づこうとはしなかった。レヴィの魔力による体の発光は、呪いとは比較にならないほど強い。それを警戒しているのだろう。


「ハル!」とレヴィが声を張る。


 すると、兵士たちに守られていたあの平服の男が前に出てきた。


「なんだい、レヴィア」

「教えてなかったわね。炎と光の違い」

「……ああ」


 レヴィは人差し指を上に立てた。すると、その上に小さな光球が出現する。



「炎はね、魔術的には風に雷を通して発生させるの。この効率がいいほど強力な火球になり大きな光を発する。私もあっちの世界で知ったのだけど、この光の正体は波よ」

「波?」

「電磁波っていってね。大きなエネルギーが波になって光る。そこで私は思いついた。術式を重ねてその波をそろえ、増幅させたらどうなるのか?」

「……」


 レヴィアは指に集めた光球をハルに向けた。


「あっちの世界ではね、これをレーザーと呼ぶそうよ」

「レヴィ」とその手を掴む。「やめろ」

「ちょっと、ソーヤ。人が決めドヤしてる時に邪魔しないで」


 彼女が放とうとしたレーザーの魔術は、ふっと消滅してしまった。


「いや、殺すのはダメだよ」

「はぁ? あんたいつも戦争だから〜とか、平和のため〜とか、言ってたじゃない。他人のことになったら手の平を返すような薄っぺらいこと言ってんじゃないわよ!」

「はいはい」と頭をぺしぺしと叩き。「そんな事より、ベルを鳴らしたいんだ。レーザーなんかよりも、音を増幅してくれ」

「はぁ? 山彦やまびこを私にさせようってわけ? レーザーを使えるこの私に、そんな下級魔術士のような真似を」

「はやくしてくれ。間に合わなくなる」

「なによ、命令するつもり?」

「命令だ」


 何よ、元気になった途端に勝手なんだから。まったく、なんでこの私が山彦なんて木っ端魔術師みたいなことさせられるのよ……。などとブツブツと唱えながらも、レヴィは術を展開した。

 懐から銀製のハンドベルを取り出す。


「それってカーラの魔道具じゃないの」とレヴィアが頬を膨らます。

「これが合図なんだ」

「レーザーは?」

「必要ない」


 ふて腐れたレヴィを横目に、ハンドベルを振り鳴らす。

 魔術的には鎮静の音響に属するその音は山彦の術を通して、この戦場で戦っていた何万もの兵士たちの鼓膜をなでた。

 このベルは合図で、待機させていた五千のフェン騎士がゆっくりと前進を開始する手筈になっていた。ほどなくして、後方から「フェンが動きました!」と伝令の絶叫が飛び交った。兵士たちは動揺を隠せずに己の最高司令官の方を見る。

 僕も軍司令のハルのほうを見る。彼はフェンの進軍再開の伝令を聞いても動揺せず、じっとこちらを観察していた。

 彼と目が合った時、「それで」と彼はこちらに問いかけてきた。「そちらの提案は?」


「これから言います」

「そうか。早くしてほしい。動揺した兵が暴走すれば余計に死ぬ」


 この人は信用できる。


「レヴィ、」と彼女の耳に口を寄せる。「今から僕が言ったことを、戦場全体に呼びかけるんだ。山彦の術で、君の声で」

「また命令?」

「お願いだ」


 ふん、と鼻を鳴らしながらも、こくり、とうなずく。

 そして、戦場に少女の声が響き渡る。


「我はフェン公爵家次期当主のレヴィア・フェンである。フェンの名において、帝国軍司令ハル・ユリウスに停戦を提案する。すでに我が軍馬は貴殿の本陣を突破する用意がある。しかし、これ以上の戦闘に意味はないだろう。ハル・ユリウスよ、私のテーブルにつき茶を楽しまないか?」


 その呼びかけの間も、フェンの騎士団はその歩みを止めない。いよいよ突撃の距離に迫り、その槍の林が水平になぎ倒された。

 その時、増幅されたハルの声が戦場に響き渡る。


「帝国元老院議員および東征軍総司令のハル・ユリウスである。私はフェン家の招待にありがたく応じよう」


 その瞬間、フェン騎士団の前進は止まった。


「世界に知られるフェンの喫茶を楽しみにしている。願わくば、聖王国軍の指揮官ミハエル・ヴァハル王子も同席されんことを」


 聖王国歴1004年。

 かくして、イジヴァル平原の東端で起こったこの大会戦はここに決着を迎えることになる。この後、ミハエルからも同席を承諾する旨が響き渡り、後世に語り継がれるハル・ミハエルの戦中和平がなるのである。

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