[2-16] 狼の騎士

 軍司令のハルは固唾を呑みこんだ。


「強すぎる。あれがフェンの騎士団か」


 その眼下では、無残にも第二軍団が蹴散ちらされている。

 帝国が誇る市民候補の重装歩兵の密集防御をだ。それを一瞬で敗走させてしまった。

 周りの将官たちもその光景に唖然としていた。特に年配の者たちの動揺は激しく「フェンの狼だ」「本物だ。ウォルファだ」などと呻いている。


「ハル様、お逃げください」と、初老の秘書官が進言してきた。「フェン公であれば、このような寡兵ではひとたまりもありませんぞ」

「寡兵?」


 こちらの方が多いのに寡兵と表現するのは正確ではない、などと言いそうになったのを思いとどまる。表現の厳密さはおいておいても、あの騎兵突撃を受け止めるのに十分な戦力が手元にないのは確かだ。


「ハル様」

「……だめだ」

「お願いいたします。あなた様は名門ユリウス家の、ひいては帝国の未来を背負っておられるのです」

「そういうことじゃない」


 僕個人が助かっても意味はない。今、ここにあの騎士団が突撃してくれば、帝国が負ける。この本陣を壊滅させられ、フェンはそのまま聖王軍を反包囲している軍団の背後を襲うだろう。そうなれば、壊滅の可能性が出てくる。


「ここで時間を稼いで第五と第六の救援と合流する。三万の兵があれば、なんとかしてみせる」

「では、せめて御身だけお逃げください。我々だけで食い止めますから」


 必死に進言を繰り返す秘書官には、もう目もくれずにハルはじっとフェン軍を見下ろした。


「まだだ。やれる駆け引きは残ってる」


 フェンの騎士たちは、すでに肉眼で言える距離にまで詰め寄っている。

 先頭はあの黒い鎧をまとった銀狼の騎士。その左右には、ローブをはためかせた聖騎士が羽鞭を唸らせ、背後には屈強な騎士たちが槍を掲げて刃の林をつくっていた。

 恐ろしいほどに統制された隊列だ。まるで馬の踏み足の左右すらそろっているかのように見えた。


「凄まじいあつだ」と、真横でリュウの唸り声をもらす。

「感じる物があるかい。武人として」

「あの狼の騎士が厄介だな」


 リュウは先頭の騎士を指差した。


「群れを手足のように統率している。初戦を制した直後に、部下たちを抑えて息を入れ直させた。闘争は炎のようなものでな、一度燃え上がった勢いを水で消せば二度と戻らぬものだ。だが、奴は高ぶった気勢をそのまま殺さずに、再び群れに戻した。など並みのおさにできる芸当ではないぞ」

「君がそこまで言うなら、そうなんだろうね」


 だとしたら本当に厄介だ。

 勝敗を分ける要素には計画や作戦とは別に、士気と呼ばれる心理的なものがある。これが厄介で、どんなに有利な状況を整えても、敵にたった一人の勇将がいるだけで逆転されてしまうことがある。

 自分の知る中で最高の勇将であるロンシャンのリュウがそういうのなら、あの狼の騎士も相当な将だろう。


「もしかしたら、本当にあのウォルファ・フェン公爵が蘇ったのかも」

「かもな」


 となれば、いよいよこちらの切り札はレヴィアだけだ。


「ハル様」と背後からユリアの声がした。「レヴィア閣下をお連れしました」

「おお、待っていたよ」


 ユリアに首輪の紐を引かれたレヴィアが姿を表した。

 彼女は歩兵の隊列が並ぶ間を急かされ不安そうな表情をしていたが、目の前まで引っ張り出されると口元を引き結ぶ。


「何よ」

「懸念した通りフェンが参戦した。こうなっては、君を人質として扱わざるを得ない。ごめんよ」と頭を下げる。「ユリア。レヴィアに命じてあそこの処刑台に登らせてくれ。フェンの軍によく見えるように」

「はい」

「勝手なことぬかしてんじゃないわよ!」


 と、叫び声を上げた直後、レヴィアは頭を抱えるとその場にうずくまってしまった。


「命令です。反抗は許されません」


 ユリアが首輪の紐を指に絡めて術式を結んでいた。


「ハル様のご配慮で今までは放置していました。しかし、もう加減はいたしません。命令が聞けないなら脳を壊してでもやらせますよ」

「き、貴様ぁ」

「本当に口が悪い子ね」


 ユリアが指を紐に絡めると、レヴィアが頭を仰け反らせた。


「あがぁ、くぅ」

「さぁ、早く登りなさい!」


 ユリアが強く命じると、レヴィアはびくりと体を震わして操り人形のように歩き始める。彼女は木箱を積み上げただけの簡単な処刑台に立たされ、左右から槍の刃を首元にあてがわれる。

 これであの狼の騎士からは、レヴィアが良く見えるはずだ。


「レヴィア」と歩み寄って問いかける。「あの先頭の騎士は君の父上なのか? 狼の黒い鎧を着ている」

「はぁ?」


 隷属の苦痛に顔を歪ませながらも、レヴィアはなおも反抗しようとしていた。その首輪の紐をユリアが引く。


「答えなさい! 奴隷のレヴィア。あの先頭に立つ騎士は誰?」


 レヴィアの反抗的な声は歯ぎしりに変わり、こめかみに血筋を浮き上がらせながらも頭を振って抵抗する。


「なんて強情な娘なの」


 ユリアがさらに力を込める。これ以上は本当に脳が壊れてしまうかもしれない。

 そう不安になった時、レヴィアが薄目であの狼の騎士をみた。そして、反抗的だった目の鋭さは一瞬で消え、大きく見開いた瞳はやがて目尻を下げる。そして、怒りに震えていた唇が緩んで声がもれた。


「ソーヤ?」


 それを聞いて、リュウが処刑台に飛び上がり、レヴィアの顔を覗きこむ。


「あの狼はあの少年か?」


 レヴィアは答えない。リュウには目をくれずに、あの騎士をじっと見つめていた。

 リュウはその様子を確認すると笑みを浮かべる。


「そうか」

「なぁ、リュウ。どういうことだい」

「少年が来るぞ」

「まさか。あのウォルファ公の正体が噂のソーヤって言うのかい」

「間違いない」


 リュウはなぜか勝ち誇ったかのようだ。


「だとしてもやる事は変わらない。むしろ、あの英雄ウォルファでないのなら、まだ勝機はある。ほら、そこをどいてくれ。あっちからレヴィアが見えないと効果半減なんだ。ユリア、山彦やまびこの術を僕に」

「はい」


 ユリアが術式を展開するのを確認すると、ありったけの大声を張り上げる。


「フェン公爵軍に告ぐ! 今すぐ停止しろ! さもなくば、レヴィア・フェンの命はない」


 先頭の狼の騎士がそれを聞いて手を上げる。すると、背後の軍勢が一斉にピタリと停止した。

 よかった。止まってくれた。


「そこから一歩でも軍を動かせば、レヴィアを殺す」


 あとは前線からの援軍が来るまで時間を稼ぐだけだ。問題は、その間にあの狼の騎士がどう出るかだ。

 固唾を飲み込んで、その動向をうかがう。

 撤退すれば良し。だが、それはあり得ない。ここまで来て撤退するのなら、フェンは初めから参戦などしない。

 もし、警告を無視し突撃されたら最悪だ。本陣は壊滅して司令部は機能不全になり、戦闘は泥沼になるだろう。そうなれば勝敗は五分になる。レヴィアという強力な魔術師をみすみす渡すわけにもいかないから、彼女はここで殺さなければならない。

 そして最も可能性が高いのは、狼の騎士から講和が申し込まれること。彼はフェンの撤退を条件にレヴィアの返還を要求してくるはずだ。そうなれば、こちらは適当な条件をつけて長引かせるだけだ。

 援軍さえ到着すればこちらはより有利になる。場合によっては講和に応じる必要性もなくなる。


 狼の騎士が馬を前に進めた。

 背後の騎士たちは待機させたままで、たった一人で前に出てきた。おそらく、講和の呼びかけだ。よし。交渉を長引かせてやる。まずは、山彦の術に失敗したように見せかけて、意図的に返答をぶつ切りにしてやる。

 ユリアのほうを振り向き、術を意図的に切るように指示をした時、


「単騎で突っ込んでくるぞ!」


 物見があげた声に、視線が引き戻される。

 指揮官のはずのあの騎士が、たった一人で白馬を疾走させて突撃を仕掛けていた。


「馬鹿な。無意味だ」


 眼下の前線には重装歩兵の槍が列を揃えている。単騎では串刺しにされて終わりだ。

 だが、狼は構わず全速で歩兵たちの槍ぶすまに向かう。

 その時、彼の背後から飛竜の影があらわれた。驚いて見上げれば、凄まじい速さで降下してくる青い飛竜。


「リュウ?」

「違う。あれは俺たちの竜ではない。あれは……」


 その青い飛竜がついに狼を追い抜いた瞬間。白馬の上から狼の姿が消えていた。


「上だ」


 と言われて、視線を向けると狼の騎士は青い飛竜の後ろ足に掴まって空に舞い上がった。


「あの狐が奪った竜か!」とリュウが仰け反って笑う。

「リュウ」

「ハルよ、お前の負けだ。覚悟しろ。少年はここに来る。自分の女を奪い返しに来るぞ」


 青竜の姿はぐんぐんとこちらに向かって大きくなっていく。その足にはあの騎士が捕まってぶら下がっていた。

 その鎧の隙間からは、奇妙な光がこぼれていた。


 ◇


「本当にやるかよ」


 飛竜の背から地上を見下ろしてヘイティは声を震わした。その眼下には無数の帝国兵がずらりと並んでいる。


「問題ない」


 飛竜の足につかまった宗谷が短く答える


「でもよ。この高さにこの速さから落ちるんだぜ。しかも下は敵のど真ん中。お前はあの嬢ちゃんのことで頭に血が昇ってやがんだ。こんなのめちゃくちゃだ」

「レヴィの近くなら問題ない」

「ったくよぉ」


 悪態をつきながらもヘイティは飛竜をさらに急がせる。

 ヘイティは自分の脇下から後ろ足に捕まる宗谷の様子をうかがった。狼の冠からのぞく顔には糸状の光が這い回っているのが見える。あの状態になってしまったソーヤは何を言っても聞かない。


「間違っても死ぬんじゃねぇぞ。お前にはたんまり貸しがあんだ」

「戻ったら、騎士団に伝えろ。ベルが鳴るまで動くなと」

「てめぇは……。いつも勝手ばかり言いやがって!」


 ヘイティは飛竜の首を押し込んで一気に落下する。

 台の上に立たされた姫様がこちらを見上げている。ちくしょう。側にはロンシャンのリュウまでいやがる。他にも完全武装の兵隊ばかりだ。こんなの、作戦でも何でもない。単なる玉砕だ。


「絶対に、帰ってこいよ!」


 ソーヤが手を離して、飛竜がガクンと軽くなった。

 竜は翼を打ち下ろして急上昇を始める。重力が背後にかかり、後ろを振り向けば、地面が見える。人影がどんどん豆粒になっていく。

 その真ん中に、キラリと光り輝くソーヤが着地した。



 ◇


 それが本陣の真ん中に落ちた時、熟練の帝国兵たちでさえ反応することができなかった。

 飛竜から投下されたのはどうやら人間らしい、と気がついたのはそれが立ち上がって長剣を抜き払ったからだ。しかし、本当に人間なのだろうか。体が発光しているし、あの高さから落とされたはずなのに平然と立ち上がっている。


「何をしている。やれ!」


 近くの部隊長がそう叫んだ。遠巻きに見ていた兵たちが我に返り、武器を構えて包囲をつめる。光る騎士は詰め寄られていることなど無視して、ただまっすぐ処刑台の上を見つめていた。

 その背後に忍びよった兵が槍を繰り出した時、騎士は光の尾をひいて舞った。

 槍を身を捻ってかわし、振り向きざまに剣でなぎ払う。

 他の兵は愕然として足を止めた。切られた兵の胴が腕ごと真っ二つに分かれ、上半身が地面に転がっていたのだ。

 重装で知られる帝国の鎧ごと切り裂いた剣は、折れることなく刃こぼれすらない。その剛剣を振り抜いた騎士の異常な膂力を察して、兵の頬に冷や汗がたれる。

 数瞬の空白。


「一斉にかかれ!」


 部隊長のかけ声に応じて、兵達は怒声をあげて騎士に殺到する。騎士の光がふたたび尾をひいて舞い。兵たちを縫うように動いて次々と切り飛ばしていく。

 数十秒もしないうちに、十人はいたはずの兵たちは全員、地面に伏して血で濡れていた。


「やめろ!」と野太い声が陣中を貫いた。「無駄だ」


 リュウは帝国兵を押しのけて前に出ながら「ハル!」と後ろに呼びかける。


「リュウ。あ、あれは」

「俺が負けたら大人しく女を返して降伏しろ。余計なことはするな。あの少年が怒り狂えば、もはや駆け引きの余地などないぞ」

「あ、ああ」

「兵ども、引け!」


 リュウの啖呵に気圧されて兵たちは後ろに下がり、二人を囲むようにして控えた。その真ん中へと歩を進めたリュウは槍を構え、騎士と対峙した。


「少年よ。とうとう来たな」

「……レヴィに何をした」


 その凍てついたソーヤの声に、リュウは下半身が痺れるような震えを感じた。


「ようやく、極まったな」と光るソーヤの顔を見る。

「答えろ」

「首輪で隷属してある。……だが、お前の女は強情だ。帝国の司令は残虐ではないが無理強いをすることもある。あの状態が続けば、いずれは心が壊れ虚ろにもなろう」

「……」


 無言でも、殺意が押し寄せてくる。

 リュウは槍の後ろ手を握り直した。汗が背を冷やし、噛み締めねば舌の根が震えそうになる。久方ぶりの緊張感だ。まだ未熟だった頃に飛竜を狩ったことがある。あの時以来の絶対的な強敵だ。このせり上がるような歓喜は性交に似ている。

 少年の光がパッと強まる。

 その瞬間、少年が突撃してきた。半身を伸ばしての片手突き。はやい。咄嗟に槍を回して受け、そのまま撃ち落とすつもりが、びくともせずに刃が絡まる。

 これがあの少年の剛腕か。


「レヴィ、レヴィ」


 少年はまるで呼吸のように、少女の名をつぶやいている。

 ほぼ同時に足を引き、合わせた刃を互いに払う。足を組み替えて、切り結び、火花を散らす。受け流さねば、腕ごとへし折られるような斬撃の圧。その合間に、


「レヴィ。すまん、怖かったろうに。レヴィよ」


 少年の声が変わっていく。

 どこか老い枯れた、世に悔いをむせび嘆くような、そんな虚ろな声に。

 それに応じて、剣撃も変化していった。槍の握り手を痺れさせた鋭さが、まるで濡れ袋で殴りつけられたような重みに変わる。それはそれで厄介であるが、なにかがおかしい。

 これは少年の剣ではない。


「可哀想なレヴィ」


 もはや技とは呼べぬ大振りだ。

 そこに生じた隙に下段を払って少年の足を切りつける。だが、少年は足に傷を負ってもそのまま踏み込んで大振りを叩き降ろした。

 咄嗟に槍でうけたが、あまりの膂力に体ごと吹き飛ばされた。


「ああ、我が娘よ」


 少年は剣を構えてもなかった。まるで幽鬼のように切られた足を引きずって、のろのろと進む。

 その虚ろな目はこちらを見ていなかった。ただ、背後の処刑台に立たされた少女だけを見据えている。

 どうした少年。お前が鍛え上げた技はどうしたのだ。その不可思議な光をまとった最強のお前と戦えるのを、俺はずっと……。


「やめて!」と少女が叫んだ。「お父様、やめて! ソーヤが、ソーヤが死んじゃう!」


 幽鬼と化した少年が「ああ、我が愛しのレヴィ」としわがれた声をこぼす。

 そういうことか。

 槍を構え直して幽鬼をにらみつける。その体をはしる光はさらに強まっている。全身を這い縛るような糸の光。なるほど、そういう仕掛けだったのか。


「興が冷めたぞ。少年」


 息を吐きすて、槍を幽鬼の喉に向けた。


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