[2-13] 帝国軍司令ハル・ユリウス

 帝国軍の総司令のハル・ユリウスは「う〜ん、あ〜」と唸りながら本陣の天蓋でぐるぐると歩き回っていた。


「……ねぇ」


 と、それに声をかけたのは囚われの身であるレヴィアだ。

 囚われといっても縄や鉄錠などで拘束はされてはいない。あてがわれた服も上等なもので、寒くないようにコートまで着せられていた。軍の備品にこのような女物などはなかったはずだ。おそらく占領したイジヴァル領都から調達か略奪した品だろう。

 ただし、首輪をはめられていた。

 それは帝国が奴隷につける魔道具で、その紐を握った者の命令を直接脳に叩き込む。ただ、レヴィアの紐を握っているのはハルではなく、側に控えている奴隷の女だった。


「ねぇ!」

「……ん?」とハルが振り向く。「ああ、レヴィア・フェン公爵閣下ですか」

「私は公爵じゃない」

「そうでしたっけ……。ああ、フェン家の次期当主でしたね。だったらどう呼ぼうかな」


 と、ハルは唇を曲げる。歳は四十歳近いはずだが振る舞いが妙に子供っぽい。


「では、レヴィア・フェン次期公爵閣下。何用でこのようなところに?」

「あんたが呼んだんでしょうが」


 目を丸くしたハルは、レヴィアの後ろに控えていた奴隷女に問いかけた。


「そうだったけ?」

「はい。レヴィア閣下を連れてきてほしいと、私めに命じました」

「……そうだったかも」とレヴィアに向き直る。「これは失礼した。わざわざご足労を頂きまして」

「……」

「それで、え〜と、なんだったかな……。いや、重要なことは間違いないのです。あ〜、ところで何か不自由はございませんか。レヴィア・フェン次期公爵閣下」

「レヴィア!」

「はい?」

「レヴィアでいい。長い、しつこい、うざい」

「うざい、ですか」


 ハルは拗ねたように唇をすぼめた。


「なぁ、ユリア?」

「はい」と奴隷女が応じる。

「聡明なるお前のことだ。私が何用でレヴィアを呼んだのか知っているのでは?」

「本当にお忘れですか」

「いやはや面目ない。この世界には考えるべき謎が多すぎる。特に人間相手ではね。これが天体なら、頭を空っぽにして寝てしまっても朝になれば太陽が規則通りに登る。実に法則的で安心だ。それなのに人間ときたら、朝になれば別人みたいに不機嫌になることがあるだろう。まったく、軍など率いるものではないねぇ。一人の人間でも難しいのに、それを十万も集めたらもう滅茶苦茶だよ」

「左様でございますね」


 ユリアと呼ばれた奴隷の女は、そのハルの早口をうやうやしく聞き流した。


「それでレヴィア閣下をお呼びした理由ですが」

「知っているのか」

「ええ。レヴィア閣下に今の戦況についてご相談があったのでは? ハル様は悩まれると、よく人を呼んでおしゃべりされます。それにレヴィア閣下はハル様のお気に入りでございますゆえ」

「……それだよ」


 ぱん、と手を叩いてハルはまるで全ての謎が溶けたように笑った。


「はっはっ。そうだった、そうだった。ユリアはやはり聡明だ。君なら太陽までの歩数だって計算できてしまうに違いない」


 その意味不明な絶賛を、ユリアは会釈でやり過ごしてレヴィアの後ろまで引き下がった。


「ねぇ」とレヴィアが目を細めてハルを見る。「こっちにも質問があるんだけど」

「なんだい。レヴィア」

「レヴィア様、よ」

「ん」

「呼び捨てにしないで、馴れ馴れしい」

「……はい、レヴィア様」


 レヴィアは、ふん、と鼻を鳴らした。


「このユリアとかいう女」とレヴィアが顎で背後をしめす。「魔術師よね」

「ああ」

「しかも、奴隷の」

「そうさ。ユリアは我がユリウス家の優秀な奴隷で魔術士なのさ」

「……なんで、あいつは首輪してないの?」


 帝国では奴隷に首輪をはめて使役する、とレヴィアは聞いていた。

 帝国は市民階級が権力を握り、多数の奴隷を従えている。典型的なのは農作業に従事する農奴たちだが、医療や政務の秘書を担当する専門家たちも奴隷だ。そして、聖王国では貴族階級に属するはずの魔術師たちでさえも、奴隷として所有されている。

 レヴィアはチラリと後ろの女の首元を見た。

 だが、彼女には首輪をつけていない。代わりに飾り布が首に巻かれているだけだった。これも隷属魔道具かと疑い、調べてみたがどうやら単なる布に過ぎない。


「しているじゃないか。我がユリウス家を示す首巻きだ。彼女によく似合ってる」

「あれは単なる布飾り。なんの魔術も施されていなかった」

「……?」

「彼女が野放し状態だっていうの」


 レヴィアの見立てでは、ユリアはかなりの魔力を持っている。

 もし、聖王国に生まれていれば上級魔術師になっていただろう。強い血を取り入れたい貴族たちから、婚姻の申し込みが殺到してもおかしくはないほどだ。


「あ〜、なるほど。そこか」とハルは腕を組んだ。「ふむ、面白いことを聞く。やはり人間相手は難しいね」

「あんたが奴隷を犬猫みたいに愛するのは勝手だけど、」

「いや、それは全然違うよ」


 レヴィアが言いかけた先を、ハルは手を振って止めた。


「私がユリアを愛しているのは事実だが、犬猫のようにというのはまったくもって論外だよ。聡明なレヴィアの口から出たとは思えない愚言だね」

「……」

「いいかい。大切なことだ。基本的なことで単なる事実だ。真実と言い切っても問題はない」


 ハルは指先をくるくると回す。


「奴隷は人間だ。市民も人間だ。貴族も人間だろう。犬や猫ではない。同じ動物ではあるけれど」

「……じゃあ、どうして私の首にこんなものをつけているのよ」

「ああ! そこが難しいところだよ。レヴィア」

「……様をつけなさい」

「失礼。そこが難儀なところでございます。レヴィア様」


 レヴィアはハルのことが苦手だった。

 気絶から目覚め、帝国軍に誘拐されたと気がついた時は流石に不安にもなった。どんな時でも何とかできる自信はあったが、首輪で意思を縛られ魔術を封じられてはどうしようもない。

 側に宗谷がいないことでなおさら心細くなり、正直に言うと初日の夜は「ソーヤ、はやく助けて」と泣いてしまったくらいだ。魔術が使えないだけで、こんなに自分は弱くなるのかと情けなくなった。

 そして次の日、総司令のハルが呼んでいると連行された。くっころされる、と絶望的な気持ちになった。くっころ、とは「くっ、私をころせ」というセリフを略したもので、漫画やアニメで囚われた女が悪者の慰み物にされそうな時に気丈に言い放つ展開のことだ。

 ……はたして、本当に私に「くっころ」と言えるだけの勇気があるのか。

 しかし、実際にハルの前に引き出されたら、いきなり占星魔術について質問をされた。不安な気持ちも手伝って一生懸命に答えたところ、ハルの天文学についての造詣の深さに驚き、星と暦の解釈について最後の方は拳を振り上げて熱弁をふるってしまったのだ。

 それ以来、妙に気に入られてしまい、こうやって理由もなく呼び出されては話し相手をさせれるようになった。


「はぁ。あんた、ここの一番偉い奴なんでしょ。この軍の」

「そういう事になってるね」

「なのに、天文や魔術の話ばかりでいいの?」

「生まれた家の義務には抗えないのだよ。でも本性にも逆らえない。それでこんな感じに適当にやっているが、それでも上手く行っている。太陽がちゃんと動いている時は誰も文句は言わないだろう。これが日食で形がちょっと欠けた瞬間に、ギャーギャーとみんなが騒ぎ出す。まぁ、そんなところさ」

「はぁ」

「要は、帝国軍はそれなりに良く出来たシステムだって事さ。名門のユリウス家だというだけで天文学者に司令官を任せたのだけど、システムが優秀だから問題が起きなかった。勝手に連戦連勝したから、なんとなく私が指令官のまま」

「……」

「どうだろ。ユリア、今の説明は的を射ているか?」


 と、ハルは奥に控えていたユリアの方を見る。


「分かりかねますが。同じ帝国でも、他の軍団では連勝はしていませんね」

「僕の配下が優秀過ぎるのだろうね。はやく彼らを元老員に推薦して、僕のかわりに指令官にすべきだ。そして、僕は神祇官あたりに落ち着いて、星を眺める暮らしに戻りたいよ」


 レヴィアはこの茶番が苦手だった。

 監禁されてもう二週間くらいになる。ハルが帝国軍の中で特異な存在なのはすぐに分かった。ハルのもとには将官たちがよく姿を見せるが、鍛え抜かれた体のいかにも軍人、と行った風貌ばかりだった。なのに、それを束ねるハルは線が細く背も低い小男だ。部下たちは普段から鎧姿なのに、彼だけ平服でひょいひょいと陣中を歩き回っていた。

 だが、この小男こそが帝国で最も優秀な司令であるらしい。それは、周りが彼を敬う様子からも、また話している時に時折見せる質問の鋭さからも、なんとなく察していた。


「で、今日は何の話よ? 光と炎の違いについて議論する?」

「ああ、レヴィア。なんて魅力的なテーマなんだ。是非にそれを議論したいね」と目を光らせたハルは、急に声を落とした。「だけど、今回は戦争の話なんだ」

「……」

「イジヴァル平原を抜け、我々がとうとう聖王領に到達したのは知っているね。ここまでは大した抵抗もなかったが、とうとう聖王軍とぶつかることになった。相手の数は二万。こちらが前線に出せるのは六万かな。徴用した農奴まで投入するのは、合理的じゃないからね。彼らに剣を持たしても土を耕そうとするだろう」


 自分で言ったことがツボに入ったらしく、ハルは手を叩いて笑いだす。「はぁ〜」と目尻を拭ったハルは、レヴィアに睨みつけられて慌てて表情を戻した。


「でね。聖王国の動きがまったく合理的ではないんだよ」

「何がよ」

「あっちにとって最悪のタイミングなのに、彼らから会戦を仕掛けてきた」

「……私、戦争とか政治にはまったく興味がないのだけど」

「なんて羨ましいことを言うんだ。それでその若さでこれだけ深い洞察ができるに違いない。だけど、残念ながら君は戦争の真ん中に置かれている」


 ハルはまた地面をにらみつけながらぐるぐると歩き始めた。


「何度も考えてみても理解できないんだ。軍を統括する王指おうしヴァン・インリングは名将で僕の数倍の戦争を経験している。それに迎撃軍を率いているミハエル王子はヴァンの教え子で相当な切れ者と聞いていたのに。その二人がこんな最悪のタイミングで仕掛けてくるのが不可解なんだ」

「だから、私には何のことかさっぱりよ」

「あっ、すまないね。そうだった、そうだった」


 ハルはピタリと足を止めて、レヴィアを見る。


「これが一週間前なら、戦略的に正しかった」

「戦略ぅ?」

「一週間前だったら、聖王国の貴族をあげて軍を起こせたはずだ。ちょうど、こっちがイジヴァル領都を包囲している最中だったんだから、それを救援するという大義名分を掲げれば、聖王国の貴族は誰も断れない。そうすれば、今の倍は集まっただろう」

「……聖王が無能だったんじゃないの?」


 ハルの口元が歪んだ。

 天体や自然現象についての議論であれば子どものように目を輝かせるこの軍司令は、戦争の話しには枯れた反応しか見せない。


「そう、その情報は色んなところから入ってくる。それで聖王領に侵入された頃にようやく軍が召集されたが、応じたのは聖王の門下貴族だけ」

「ええ」

「だったら、今度はもっと奥まで引き篭もってどこかの要塞で迎撃すべきだ。聖王国が誇る魔術師団は、籠城戦こそ真価を発揮するのだから」

「でも、あんたはイジヴァルの領都をあっという間に落としたじゃない」

「飛竜傭兵をたくさん雇ったからね」

「ああ」


 かつて、聖都で飛竜と戦ったことのあるレヴィアは思わずうなずいてしまった。

 城壁を軽々と超え、鎧すら貫く勢いで槍を投げつけてくる飛竜傭兵によって多くの魔術師が殺された。難攻不落とうたわれた聖都ですら、あれほどの大混乱だったのだ。領都くらいでは持ちこたえる事など出来なかったのだろう。


「だったら、籠城しないのが正解じゃない」

「それで平原での会戦を選んだと? なおさら、こちらが有利じゃないか。もはや、飛竜傭兵も必要ないくらいさ。数も圧倒的な上に、帝国の誇る重装歩兵がいるんだよ。聖王国の歩兵とはわけが違う。しかも、今回はあのフェン騎士団が参戦しないはずなのに」

「知らないわよ。ミハエルのことだからなんか企んでるんでしょ」

「……」


 ハルはじっとレヴィアの顔を覗き込んだ。


「何よ」

「フェン家は本当に参戦していないんだよね?」

「はぁ? どういうことよ」

「……やっぱり、こういう駆け引きは苦手だよ」


 ハルはため息をついて、また歩き回り始める。


「何なのよ。さっきから」

「合理的に考えて、この状況はフェン騎士団が参戦した、としか思えないってことだよ。あの騎士団がいるのなら、聖王国があえて平原での会戦を選んだ理由にはなる。実際、過去の二度の戦争は聖王国ではなくフェンだけにやられたと言った方が正確なくらいだからね。君という人質に構わずフェンが参戦したとなると全てのつじつまは合うんだ」

「それで、私にカマをかけたってわけ?」

「君がそのペンダントに向かって、誰かと話していることはユリアに教えてもらっていたからね。それって遠くと会話できる魔道具だよね。それにも非常に興味があるんだよ。こんな戦争なんてとっとと終わらせて、僕はレヴィアとそういう話をしたいんだ」


 レヴィアは口をへの字に曲げた。やはり念話には気がつかれていたのだ。


「残念ながら知らないわよ。あっちに知らせているのは私の無事だけ」

「へぇ。それで、なんて返ってくるのさ」

「待っていなさい、って」

「待っていなさい? それは君の叔母のカーラ小公からかな」

「全然違うわよ。私が言われたのはただ一つだけ。ソーヤは頑張ってる。待っていなさい。ただこれだけよ」

「ソーヤ? ふむ……、変わった名だ。フェンの有力貴族ではないよね。どこかで聞いたことがあったような」


 そうぼやきながら、ハルが天蓋の中をもう一回りしたところで「鏡の少年のことだ」と野太い声が外から飛び込んできた。


「おお、リュウ」とハルが振り向く。「よく来たね」

「随分と打ち解けたようだな」


 飛竜傭兵を率いるリュウ・ロンシャンが天幕に入ってくる。

 鍛え上げられた体躯を見て、レヴィアは顔をしかめた。この男が自分をさらったのだ。

 リュウはそのままズカズカとレヴィアに近づき問いかけた。


「そうか、少年はここに来るか」

「どういうことだい」と横からハルが割り込んだ。「それはフェンが参戦したってことかい。それはあまり良くないよ。場合によってはレヴィアを殺さないといけない」


 レヴィアの体がビクッと震える。

 ハルはとぼけた様子を崩さずにさらりと残酷なことを言うことがある。そう言うところが本当に苦手なのだ。


「さぁ、フェンがどうかは分からんな。だが、あの少年は必ずここに来るだろう。この娘を取り戻しにな」

「……あっ、思い出したよ。ソーヤって、リュウのお気に入りのソーヤじゃないか。少年ソーヤだ」

「そうかもな」


 リュウは椅子を引き寄せると、ちょうどレヴィアの向かい合うように腰をかけて、じっとレヴィアを覗き込んだ。


「な、なによ」

「……」

「何か、言いなさいよ」

「ハル」


 リュウは問いかけを無視して、背後に呼びかけた。


「なんだい」

「この娘を殺すのか?」

「最悪の場合はね。できればやりたくない。レヴィアは我がユリウス家の奴隷になるんだから」

「何を勝手に!」とレヴィアが怒鳴る。

「落ち着きなよ。申し訳ないけど、こうなってしまってはそれが一番なんだ。悪いようにはしない。そのためにユリアに君の紐を持たせてある。首輪慣れしてない女性は、男に紐を握られると発狂してしまうことがあるからね」


 頭に血が上ったレヴィアが立ち上がろうとした瞬間、リュウの腕が蛇のようにうねり、彼女の喉元に短剣を突きつけた。

 その白刃の鋭い感触が、レヴィアの汗を冷やした。


「少年の女……少しは自分の立場をわきまえたほうが良い」


 低く落ち着いた声だが、暴力が潜んでいた。


「ハルはとぼけてはいるが優秀な罠師だ。捕まえたウサギに同情したからと言って、首をひねることに躊躇などはしない。今、お前の命はこの手の中だ」

「リュウ、乱暴はやめなよ」


 と言いよるハルを、リュウは無視した。


「お前はここで少年を待っていろ。すでにお前ができることなど何もない。ウサギが鳴き喚いても煩わしいだけだ」


 そう言いながらリュウが短剣を滑らせ、レヴィアの首の皮を薄く裂いていく。

 そこから小さな血泡がふいて幾筋かに分かれて流れて服を汚す。首元が濡れていく感触にレヴィアは戦慄し、声も出なかった。


「お前はただ少年を待っていろ」



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