[2-09] 聖王家とフェン家

 大騒動になった五指の茶会の数週間後、いよいよ深まる秋が肌寒くなってきた。この世界でいうところの木衣きごろもから月永つきながと呼ばれるこの季節に変わったことで、飛竜傭兵の襲撃事件からまる一年が経過したことになる。

 宗谷がそんなことを思い出していると、ソファの横に腰掛けたレヴィアが問う。


「どうして、こんな郊外になったわけ?」

「ウリエル殿下の招待がこの離宮だったからさ」

「はぁ、面倒くさい。なんでわざわざこんな所まで、別に私は会いたいわけじゃないのに」


 ザトキエル夫人にお願いしたレヴィの母親との会見。それがまさに実現しようとしていた。

 名目上はウリエル王子からの招待茶会だ。喫茶日記にのるほどのテーブルを出したことを称え、ザトキエル伯爵夫人も招いての茶会。夫人はここにレヴィの母親を連れてくると約束してくれた。

 てっきり宮廷に招かれると思ったのだが、招待状には郊外の離宮が指定されていた。先ほど着いたばかりで、ようやく中に通されたばかりだった。


「馬を飛ばして半日。かなり遠い上に、警備の兵はミハエル様の聖騎士ばかりだった」

「何か聞いていないの? あんた、ミハエルのお気に入りなんでしょ」

「あの人は油断ならないよ。必ずしも全ても教えてもらえるわけじゃない。場合によって、僕らの不利になることも平気でやるだろうし」

「ふ〜ん、それで?」

「まっ、今回は母さんじゃなくてレヴィだからね。聖騎士程度なら何とか切り抜けられるさ。それにしても、てっきり母さんに押し付けるのかと思っていたよ」


 レヴィは自分の母親のことを嫌っていたはずだ。父親が殺されてすぐに聖都へ戻り、連絡を絶つような女とは絶対に会いたくないと言っていたのに。


「ん、ああ。今でも大っ嫌いよ」

「なら、どうして?」

「……ソーヤのお母様よ」

「母さん?」


 どうやら、母さんはレヴィにも説教っぽいことをよく言っているらしい。

 聞く耳なんて持たないだろうに、と思っていたが意外にもレヴィはそれなりに耳を傾けているように見える。だが、母さんから言うと、レヴィアちゃんはあまり人の言うこと聞かない、だそうだ。

 まぁ、母さんの言う事を全部聞いてしまっても、色々とままならないだろうし。


「なんて言われたの?」

「ん〜、親子の再開なんて貴重な体験よ。漫画の参考になるかも、って」

「そいつは、また随分な言い方だ」

「ま、あとは今回は絶対に身代わりはしないってさ。喧嘩になってもいいから自分で会いなさいって」

「ふ〜ん。以外だな、それをレヴィが聞き入れるなんて」

「あら、舌の根まで青いひな鳥どもが陰で噂しているほど、私はわがままではないわ。十分に道理が通っているなら、ちゃんと聞き入れるわよ。まぁ、今回はハメられた感はあったけども」


 ハメられたって、母さんはまた何をしでかしたのだろう?


「黒薔薇会の前の定期配信が兄弟モノだったのよ」

「兄弟モノって?」

「兄弟の絆を美しくそれでいて耽美的に描くジャンルよ」


 ああ、BLか。


「この作品の優れていた点はそれを母親の視点から描いていたことね。長男が反抗期でね、母親にはツンツンしてるのだけど、弟のことになるといつも必死になるの。それを母親視点で描いたのがこの作品の素晴らしいところよ」

「へ〜」


 それだけを聞くと普通の漫画みたいに聞こえるから不思議だ。でも、実物を見ると耽美的な絵図があったりするのだろう。淑女たちにそんなもの見せていいのだろうか。


「それを読んで、母親に会ってみる気になった、と」

「う〜、まぁね。他の理由もあるけど」

「他の?」

「この会談、ソーヤが頑張ってようやくこぎ着けたんでしょ」


 ……。


「だから、まぁ、会うくらいならいいかなって」

「……会って、火球で焼き殺さないでくれよ」

「何よ。人が素直になってやったら」

「慣れないことされると反応に困るんだよ」


 本当に驚いた。

 あのワガママ放題の癇癪持ちに不意打ちでこんなことを言われるとは。これがツンデレというやつか。


「お父様を殺した犯人が分かれば、ソーヤの悩みがなくなるのよね」

「少なくとも真相がわかれば対処法が見えてくる。僕たちがどうすれば良いのかも」

「お父様を捨てたあの女がそれを知っている」

「まだ可能性だ」


 その時、部屋の扉が開いた。

 先頭に立っているのはザトキエル夫人だが、その背後に小柄な女性が隠れている。一目で、ああ、この人だなと察することができた。姿形がレヴィによく似ている。


「お母様」と、漏れたレヴィの声はいつもの勝気さをひそめていた。

「レヴィなの」


 と、面を上げた顔はやはりレヴィとそっくりで、小柄な体も髪の色も同じだった。

 ふと、思うところがあって、自分の心臓に手を当てる。

 心臓の糸はとてもゆったりとしたリズムで鼓動を刻んでいた。耳を澄ませば「リリィ、ああ、リリィなのか」と父親が安堵をもらしている。この人は本当にレヴィのお母さんなのだ。


「お久しぶりですね。今まで、ずっと会えずに、ごめんなさい」

「……」

「本当にごめんなさい。ごめんなさいね」


 レヴィのお母さんは戸口からなかなか中へ入ろうとせず、ついにはその場に崩れ落ちてしまった。


「さぁ、リリス様」とザトキエル夫人がその肩を支える。「せっかく、ここまで娘さんが来られたのです。まずは座りましょう」

「でも、でも、私は」

「ええ、ええ。でも、本当に久しぶりに会えたのでしょう。前からずっと会いたかったと言っていたじゃないですか。だからまずはお近くに。大丈夫です、あなたの娘は立派な淑女レディになられました」

「だけど、私は」

「ほら、ソファにお座りください。お茶の用意いたします」


 老齢の夫人に寄りかかるようにしてレヴィの母はソファにたどり着く。娘の向かいに座って、しばし躊躇っていたようだが、ようやく面を上げる。


「レヴィ……」

「……お母様」


 二人はそう呼びあっただけで、また沈黙が立ち込める。

 席を立ったザトキエル夫人は向こうのテーブルでお茶を淹れはじめた。この茶会の主催であるはずのウリエル様も、同席すると言っていたミハエル様も姿を見せない。おそらく、久しぶりの親子の再会に配慮したのであろう。

 となれば、自分も席を外すべきだろうか。


「しばらく、席を外すよ」

「ダメ」


 ところが、すぐにレヴィアに手を掴まれる。


「一緒にいて」

「……」

「その方は?」


 お母さんの問いかけに、レヴィは正面から見据えた。


「私の好きな人です」


 夫人が注ぐお茶の音が、一瞬だけ途切れて、またはじまった。


「そう、そうなのですか」

「私の従者で平民です。生まれも育ちも定かではありません」

「きっと素敵な方なのね」

「まるで、他人のようにおっしゃるのですね」


 ここにきて、ようやくレヴィの発言に棘が出た。

 お母さんはびくりと体を震わし目を伏せる。


「……申し訳ありません。そういうつもりでは、でも、私が言う資格なんて、もう」

「なぜ。何があったのですか」

「それは、その……」


 レヴィの言いたいことは分かる。

 実の娘が、それも公爵家の跡継ぎが、素性も知れぬ男を好きだと言い放ったのだ。これが普通の母親なら、驚いて説教を始めるだろう。少なくとも事情を問い詰めるはずだ。


「さぁ、お茶がはいりましたよ」


 夫人は穏やかな声で二人の沈黙に割って入った。ソファの前のテーブルにカップを並べるとお茶を注いでいく。


筒長つつなが花の茶ですか」と聞いたのはレヴィだ。

「あら、ご存知?」

「効能は精神鎮静、花言葉は悠久」

「久しぶりの再会です。つつがなく関係が続けば良いなぁ、と思ったのですけど」

「……」


 レヴィは茶を飲み干した。そしてカップを置くと同時に、正面の母親を睨みつける。


「教えてください。なぜ、お母様はお父様を裏切ったのですか」

「違います」と答えたのはザトキエル夫人だった。


 そう断言した夫人は、レヴィの母の隣に寄り添うように腰を降ろす。


「断じて違います。リリス様はウォルファ・フェン公爵を愛されていました。もちろんレヴィア様のことも。……事件のあと、身を隠されたのもゆえのあってことです」

「ゆえ、とは?」

「リリス様、腕をお見せしてもよろしいですか」


 夫人の問いかけにリリス様は躊躇っていたが、やがて腕を差し出した。夫人はその手を取り、彼女の袖をまくり上げ、手首のあたりを露わにする。

 その細い手首には赤黒くなった傷跡が幾重にも重なっていた。


「自殺をはかられたのは、もう四回になります」


 レヴィは息を呑んで夫人に目で問いかける。


「レヴィア様、どうか落ち着いてください。母と娘がずっと会えなかったのには、それなりの事情がございます。リリス様も大きな決心をした上でここにいるのです」

「……」

「さぁ、リリス様、お話くださいませ。大丈夫です。レヴィア様はもう子どもではありません。聡明な方ですよ」


 そう諭されたリリス様は、ようやく伏せていた目を上げる。


「ねぇ、レヴィ。お願いがあるの。これからのことを聞いても過激なことは考えないでちょうだい。お父様のかたきを取ろうなんて、考えないで」

「犯人をご存知なのですね」

「お願い、約束してちょうだい」


 レヴィがこちらを見る。それに黙ってうなずき返すと、彼女は視線を戻した。


「分かりました。お約束します」


 リリスはいよいよ決心を固めたのだろう。一息だけつくと、手を腹に当てて告白した。


「今、このお腹には子どもがいます」


 レヴィが勢いよく立ち上がろうとした。その肩を掴んでソファに戻し、暴れようとするのを抱き寄せて押しとどめた。


「それが」とレヴィに代わって事情を聞く。「自害されようとした理由でしょうか」

「……はい」

「その子の父親を教えて頂けますか?」

「この子の父親は、」


 母親の虚ろな目でこちらを見た。


「私の兄。……聖王陛下です」



 ◇


「ミハエル様はこのことをご存知だったのですか?」


 母親の会見の後、レヴィアは離宮であてがわれた部屋に閉じこもってしまった。宗谷もしばらくそれに付き添っていたが、ひとしきり癇癪をぶつけられた後は「もう、寝る」と追い出されてしまったのだ。

 その後、宗谷が真っ先にミハエル王子の部屋の扉を叩いたのだった。


「いや、知らなかったさ」


 すでに夜もふけてきたこともあり、ミハエルは正装ではなくゆったりとしたローブを羽織っていた。片手に葡萄酒のグラスを持ちながら、豪奢な金髪をかき上げて宗谷をみる。


「しかし、予想はしていた。あの聖王ならそういう下衆ゲスもやるだろう」

「……」

「飲むか」とグラスを掲げる。「胸糞が悪いのは酒で流すのに限る」

「いえ」


 酒を断った宗谷は、聖王のことを「下衆」と呼んだミハエルとその周囲の反応に視線を走らせた。

 部屋には彼の五指もいた。すなわち、騎士団長のヴァンと第二王子のウリエルだ。

 この会見の名目はウリエル王子の招待茶会のはずだ。なのに、軍の最高司令であるヴァンまでここに呼ばれている。どうやら、この会見には仕組まれた意図がありそうだ。

 思えば、レヴィの母親をここに招いたのはザトキエル夫人で、彼女は王子と懇意の仲のようだった。


「ミハエル様の目的はなんですか」

「ソーヤよ。やはり酒を飲もう」

「飲みません」

「つれないな。さては怒っているのか」

「いえ……。故郷では僕は酒を飲んではいけない年齢なのです」

「ほう、ソーヤの故郷の話か。酒を年齢で禁ずる法とは興味深い。そのような禁令をどのように執行するのか。実施は難しかろう。思うに、隠れて飲んでいる輩は多いのではないか?」

「ミハエル様」


 宗谷は思わずにじり寄る。

 その無礼な態度にウリエルが「おい」と声を荒げたが、ミハエルは鷹揚に手を振って遮った。ヴァンは腕を組んで、何やら思案しているようだった。


「まぁ、落ち着け。俺も久しぶりに思い出すものがあって、はらわたが煮えているのよ。酒で冷まし、下手な冗談で誤魔化さなければやってられん」

「どういうことですか」

「大した理由などはない。あの聖王のやる事に大した価値などあるわけがない」


 酒を飲み干し、手酌で新たに注ぐ。


「フェンの先代当主ウォルファのことは知っているか」

「はい。話だけですが」

「偉大な名君だった。魔術師を騎兵とする聖騎士戦術を生み出し、外敵を幾度も退けて聖王国の守護者とまで呼ばれてたそうだ。それだけではない。フェン領の統治についていくつも改革がなされていてな。実のところ俺が進めている軍の再編もウォルファ公の改革をなぞったものばかりだ」


 首を横に向けると「そうだな、ヴァン」と問いかける。


「左様で」

「まぁ、ウォルファの偉業はその家宰クヴァル伯の敏腕によるところが多い、という評も聞くがな。であれば、人材を扱うに長けた者であったということだ。いずれにせよ、俺たちの上の世代で大人物となれば、まずはウォルファ・フェン、ヴァン・インリング、クヴァル・スヴェロと名があがるものだ」

「それが、どのような」

「まぁ、落ち着け。ゆっくりと話そうじゃないか。酒が飲めぬと言うなら何か食え」


 と、テーブルに並べられた果物を指し示した。

 その側にあったナイフを取りあげると、リンゴを切り分けはじめる。


「レヴィのお父さんが関係あるのですか」

「学院という制度があるだろう? 貴族たちは少年時代をあそこで学ぶ。あれは実のところ、聖王家が貴族から人質をとるための制度なのだが、まぁ、そんなことは今は関係ない。重要なのは、聖王もかつてはあそこで学び、そして、同級生だったウォルファと相指を結んだ、ということだ」


 宗谷は切り分けたリンゴを皿にのせ、ミハエルの向かいの椅子に腰掛ける。


「それは有名なので知っています。学生時代から中指を結び、そのまま両家の当主になっても相指であり続けたとか。先代の死後も、聖王陛下は新たな中指を選ばず空指のままにしていることも」

「ああ、美談だな。あの聖王の唯一の美談と言ってもよい」

「それがなぜ」

「ウォルファ公への劣等感だよ」とミハエルは声を落とした。「ヴァンの話を聞く限りでは、少年時代のはごくまっとうな対抗心であったようだ。若き聖王もウォルファを認めていた。それがゆえに、妹であるリリス様を嫁がせもした。だが、良好な関係も若者のころまで、互いに正式に家の当主についてからは二人の差が明らかになる」


 ミハエル王子の口は酔いも手伝ってか、次第に滑らかになっていく。

 彼の口調にこめられた聖王への憎悪。それを黙って聞いているウリエル王子とヴァン騎士団長の硬い表情。宗谷は自分がまだ知れぬ事情があることを予感した。

 ウォルファ・フェン先代公爵の暗殺事件はどのようにして起こったのか、そしてレヴィのお母さんがなぜ実の兄の子を孕み自殺しようとしたのか。

 宗谷はミハエルの話にじっと耳を傾けた。


 ミハエルの話はおよそ三十年前に遡る。


 当時、帝国が聖王国への侵略を開始する。この時の活躍が若きウォルファ・フェン公爵の名声を決定づけた。 

 ウォルファ公は聖騎士を初めて編成し、精強なフェン騎士団を率いて帝国に対して連戦連勝をおさめた。この戦役での勝利はほぼ彼によるところと言っても過言ではなかった。

 聖王も自ら聖王軍を率いて参戦したが、こちらは全滅といってよいほどの惨敗をきした。

 特に、魔術士の盾として運用される歩兵はほとんどが戦死。彼らは徴発された平民であり、この戦役後には働き手を失った農村で飢餓が発生したことから聖王家への不満が高まった。

 宮廷ですら若き聖王は無能だと公言する者も出た。聖王軍の全滅によって、大事な後継者を失った老臣たちは「ご自身の中指を少しは見習ってはどうか」と諫める者もいた。

 聖王はその批判に耐えられなかったらしい。次第に後宮に引きこもり、ついには政務を放棄した。次第に、その乱心が噂されるようになったのはこの頃からだ。


「乱心?」


 と、宗谷が聞く


「門下の人妻を後宮に召し上げるようになったのよ。それも、魔力の強い子を産んだと評判の女ばかりをな」

「……」

「自身の無能が魔力の弱さにあると勘違いしたらしい。ウォルファ公は魔術師としても優秀だったからな。しかし、それを女に産ませて何とかなると思ったところがまた救いようのない」

「まさか、リリス様も、それで」

「だろうな。自分の妹だというのにいよいよ狂ったとみえる。大方、災厄とまで呼ばれた強い子を産んだ女であれば、自分の弱さを棚に上げても王の務めを果たせると勘違いしたのだろう」

「僕は、暗殺事件の犯人は保守派貴族だと考えていました」

「それも間違ってはいない。これまでお前が調べ上げた通りだ。狂った聖王にウォルファ公の暗殺をそそのかしたのは奴らだろう」


 人心を失った聖王と英雄となった公爵。

 相指であるはずのこの二人を取り巻く状況は、かなり不穏なものだっただろう。


「しかし、奴らの言い分も間違ってはいなかった。実際に狂王に愛想をつかした一部の貴族が、妹殿下リリス様を聖王に即位させようとしていた。そして、実際の政務はその夫であり名君と名高いウォルファ公が行えば良い、とな」

「それをご存知だったのですか」

「教えなかったのを恨むか? だが、教えたところで信じなかっただろう。お前はここまで調べ上げて真実にたどり着いた。最後に俺がその確認をした。それだけのこと」

「……ミハエル様は、聖王陛下をお恨みになっているのですね」


 ミハエルは立ち上がり、窓辺に歩み寄って窓を開けた。冷たい空気が中に入り込んでくる。


「ソーヤ、外に何人潜ませた?」

「……六人です」


 宗谷はミハエルの意図を捉えかねた。

 周囲に潜ませていたフェン家の密偵を見抜いたことに、ではない。その程度のことはかなり前から見抜かれていた。それを承知で、時にはフェン家の諜報活動を支援さえしていたのだ。


「フェンの聖騎士か?」

「……ここには狐の目を配置しています」

「ほう、確かお前の直轄部隊だったな」


 ミハエルは宗谷を振り返った。


「これから話すことは、ここの部屋にいる者だけだ」

「分かりました」


 宗谷は懐から魔道具である鏡を取り出し「しばらく連絡をたつ」と小さく告げる。レヴィアが発明したスマホの魔道具を使う伝令部隊『狐の目』から、鏡を通して了解の旨が帰ってきた。

 その応答を聞いた後、ソーヤは人差し指にはめた白い指輪も外した。


「これで、狐の目にも漏れることはありません」

「そうか」


 ミハエルは窓を閉め、そばのベッドに腰掛ける。


「俺の母は奴隷だったことは知っているな?」

「噂で聞いていました。しかし、本当だったのですか」

「帝国の奴隷魔術師だった。相当に力の強い人だったらしい」


 宗谷はあらためて驚いた。

 ミハエル王子の出自は不確であり、奴隷の子という噂もあった。しかし、それがまさか帝国の女だったとは思いもしなかった。


「過去の戦争で、聖王が帝国軍に惨敗したと言ったな」

「はい」

「あれの原因の一つが俺の母だったらしい。母は帝国でも有名な奴隷魔術師で、聖王国の魔術師団でさえ太刀打ちができなかった。魔術戦では突出した個が集団を圧倒することがある。レヴィア嬢のようにな」

「それがどうして」

「フェン公爵の奇襲によって母は捕らえられた。聖王が捕虜となった母を召し上げ、帝国の隷属の首輪を使って母を強姦して俺が産まれた。聖王は大変喜んだそうだ。なぜなら、その俺が今までで一番の魔力を宿す子だったからな」


 ミハエル王子は顔を伏せ、表情を隠した。


「だが、流石に奴隷を孕ませたと知れればひんしゅくを買う。宮廷に漏れぬように母は後宮に監禁され、子である俺にすらその存在を隠した。ずっと、俺は旅籠の平民女の落とし子だと信じていたよ」


 ミハエルは、ぽつり、と「彼女が本当の母だと知ったのは、彼女が殺される間際だった」とつぶやいた。

「……なにがあったのですか」

「十数年後、帝国が二度目の侵略をはじめた。聖王は前回の雪辱にやっきになって、自ら軍を率いると言い出した。当時の俺は学院の生徒だったが、王位継承権を少しでも上げるために兵役に志願したよ。聖王家の王子が前線にでることで士気高揚にもなる。万が一、死んだところで馬腹の子を惜しむ貴族などいない。結果、聖王の側仕えの魔術士として幕僚に入れた。

 そこでな、首輪でつながれた女と会った。ボロボロになった手足にやせ細った体。そして、虚ろな目をしていた。操りの首紐に慣らされた馬と同じ目だ。ずっと隷属され自我を失ったのだろう。幕僚たちも影で声を潜め『聖王陛下はなにをお考えか。奴隷女を連れてくるなど』と言っていたよ」


 ミハエルは両手を広げ「分かるか?」と宗谷に問いかける。


「……戦争に利用するため」

「そうだ。聖王国が批判し続けた奴隷帝国と同じことを、奴はした」


 相手の首に銀糸を巻けば、相手の意思すらも操ることができる。

 騎士団が馬に銀糸を編み込んだ首紐を使うのと同じだ。魔術師を馬と同じように隷属化する帝国の奴隷制度を、聖王国は強く批判し続けていた。


「しかも、表向きは自分の魔術だと言いふらしながらな。隷属させた母の魔術で初戦は勝った。しかし、もともと乏しい軍才がそれで埋まるわけがない。陣形の隙から相手の騎兵が本陣まで浸透し、奴は真っ先に逃げやがった。俺と母を置き去りにしてな」


 ミハエルの奥歯を噛みしめる音がする。


「……もとより、俺は女に弱い。一緒に置き去りにされた女のことが憐れでな。逃げる前にせめてと首輪を切り解いてやった。後は自由にしろ、とだけ言って馬を探していたら、敵兵に囲まれてしまった。

 ここで死ぬのかと覚悟を決めた時だ。敵兵たちを炎壁がなぎ払った。振り返ると首輪を外してやった女が術式を展開していたよ。なんて馬鹿な女だ、と思った。護衛の騎士もいないくせに俺を助けるなんて。

 案の定、女は背後から敵に斬られて倒れた。

 馬を駆って女に群がる敵兵に火球を投げて追い払ったが、もう虫の息だった。それを馬の背に乗せて逃げた。どうせ助からんとは思ったが、こっちも助けられた命だ。

 ……今でも、時々思い出すよ。

 馬の背で死にかけの女がしきりにこっちに聞いてくるのだ。『貴方のお名前は?』『お母さんは?』『いくつになったの?』『そう、本当に大きくなったのね』

 ようやく、ヴァンの援軍と合流したところで女は息絶えてしまった。後少しだったのにな、と悔しくてな。丁重に埋葬してやってくれ、と女の亡骸を見せたらヴァンが『オクタヴィア』と驚いた。

 すぐにヴァンを問い詰めたさ。そこで初めて理解した。俺の母は旅籠の平民女ではなく、オクタヴィアという名の帝国奴隷だったこと。そして、父親が最低のクズ野郎だってこともな」


 ミハエルの手が握り拳をつくり、絞り出すような声がもれた。


「俺は、聖王を殺すぞ」


 その断言を耳にした宗谷は、同じ部屋にいるヴァンとウリエルの様子をうかがう。いずれも表情に驚きはない。すでにこのことを知っていたのだ。


「もはや隠し事はするまい。ソーヤ、俺の言いたいことが分かるか」

「……聖王陛下への反逆にはフェン家の協力が必要だ、と」

「そうだ」


 彼の目が燃えている。ここまで感情をむき出しされるのは珍しい。


「僕はレヴィの従者に過ぎません。ただ、先代暗殺や現在の状況を鑑みれば、フェンも無縁ではないでしょう。正式にフェン家と協議する場を手配します。そこで、」

「違うぞ」とミハエル様がさえぎる。「俺はお前に言っているのだ。ソーヤ、俺を助けてくれ」

「……なぜ、僕なんかに」


 これはクーデターの計画だ。

 四公一聖を敷く聖王国で、北のフェン家から支持を得ることが重要なのは理解できる。先代を暗殺されたフェン家側にも十分な動機はある。

 本来ならフェン家を代表するレヴィに要請すべきだ。気難しいレヴィを避けたいならば、クヴァル様やカーラ様が適切だろう。今なら、この三名が同席する正式なテーブルだって手配できる。


「そろそろ認識を改めろ」とミハエル様が頭をふる。「お前はすでにフェンに大きな影響を与える存在だ。フェン家の上層部はお前を聖都宮廷の魔窟に派遣し、その惨状を実際に体験させた上で、お前自身の判断を待っている」

「僕はレヴィの従者です」

「お前はフェン公爵家次期当主の従者だ!」


 その断言にぐっと声がつまった。


「由緒ある名家では、」とミハエル様は声を戻した。「後継者には同年代の従者をつけて腹心として一緒に教育する。普通なら、門下貴族の子息から選んで相指を結ばせるがな。思い出せ。フェン家は平民のお前にレヴィア嬢と同じ教育を施したはずだ。違うか?」


 この世界に来たばかりの頃、僕はレヴィアと一緒にクヴァル様から教わっていた。でも、あれはレヴィが帝王学をサボるから。僕と一緒に机を並べれば彼女もしぶしぶだけど講義を聞いたから。


「それに、その左手の指輪は何だ? 小指はカーラ・フェン小公、親指は名家宰クヴァル・スヴェロ伯のフェンの二大貴族との相指だ」

「……」

「この二人が正式に認めている。お前は聖都おいてのフェンの代理人だ」

「ここにはレヴィがいます」

「レヴィア嬢はお前の言いなりだ」


 ぴしゃりと言われ、反論するタイミングを失った。


「頼む、俺を助けてくれないか?」


 燃えるような瞳がまっすぐにこちらを見つめ、手を差し伸べてくる。

 この手を取ればフェン家はミハエル様と共に歩むことになる。それはフェン家にとっても悪いことではないはずだ。彼のお陰でようやく暗殺事件の真相にたどり着けた。

 ……だけど、


「お時間をください」と頭を下げる。「あまりお待たせはしません。この件はフェン家の皆さんと相談して決めるべきです」

「そうか……、頼んだぞ」


 ミハエル様はため息をついて僕の肩を叩いた。


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