[2-08] 映画デートの後にカフェでBL漫画を読む


「う〜ん、今回の映画はハズレだったわね」と中年の女はコーヒーに口をつける。

「そうか? 僕は楽しめたけどな」と少年はやけに大人びた口調で肩をすくめた。


 喫茶店のテーブルに向き合うその二人は、一見すると母親と息子のように見える。

 しかし、今は平日の昼下がりだ。普通なら息子は学校に通っている時間なのに、母親は気に病む様子もなくくつろいでいるのが奇妙に見えた。


「え〜。あのオチはないわ。脚本家は最後まで仕事するべきよ」

「いいじゃないか。ヒロインが救われてハッピーエンド」

「二人は幸せなキスをして終わり、ってね。けれん味をもっと効かせなさいよ。無難な受けばかり気にして粗製版のハリウッドになってるじゃない。イナゴじゃないんだからさぁ」

「イナゴ?」

「流行りのアニメに浮気して二次創作で金を稼ぐサークルのこと。あっちの畑が美味そうだから群がっていく感じね」


 中年の女は頬杖をつく。


「まっ、私はそれも悪いことじゃないと思っているけどね。漫画描くモチベーションなんて人それぞれなんだらさ。原作が好き、描きたい、みんなに読んでもらいたい、お金が欲しい。別に貴賎はないわ」

「はぁ、……レヴィって、こっちの世界に順応してるよね」


 ため息をつき、宗谷は頬杖をついて彼女を眺めた。

 見た目は母親だが中身はワガママお嬢様。この状態の彼女と話していると車酔いみたいな困惑がある。逆のパターン、つまり見た目はレヴィアで中身が母親には随分と慣れたが、こちらはまだまだだ。


「ソーヤほどじゃないわよ」

「ん、」と宗谷は目を丸くする。

「あんたこそ、あっちの世界で頑張っちゃってさ。こっちの方が楽しいのに」

「……そう?」

「何よ。反論ある?」

「う〜ん、そうだな」


 宗谷は腕を組んで「そうかな」と言うが、それっきりで黙ってしまった。


「ちゃんと言いなさいよ」

「僕は君みたいにうまく言葉にできないんだ」


 彼女は頭の回転がはやく、他人と歩調を合わせることを億劫に思う節がある。何事も白と黒をハッキリと断じてしまう傾向もその一つだろう。


「レヴィの世界も楽しいよ」

「はぁ、どこが?」

「僕にはBLの方が分からないよ」

「ふむ、そう来たか」


 母さんの姿をしたレヴィは、カップをぐいっと飲んだ。


「BLの素晴らしさをどう伝えたものか……」

「ところで、どんな漫画を書いているの?」

「ん? えっと、興味あるの?」


 レヴィアの目が泳いだ。


「なんか興味が出てきたよ」

「意地が悪い子ね。ソーヤってそういうところあるわ」

「急に母さんみたいなこと言うのはやめてくれ。そういえば、読んだことなかったな。レヴィの書いた漫画」

「……」


 レヴィは急に真剣な顔つきになってコーヒーを飲み干すと、スマホを取り出してテーブルの上においた。


「読む?」

「うん?」

「私の書いた漫画。そこにデータが入ってる」


 テーブルの上に放り出されたスマホを手にした瞬間、


「そのかわり、ちゃんと読んで感想を言って。思ったことをそのままちゃんと。いつもみたいに誤魔化さないで」

「なんかものものしいね」


 スマホの画面に映る漫画の表紙絵には『操り人形』と書いてあった。


「私が初めて書いた漫画。頑張って何度も書き直した、本当に書きたかったもの」

「……操り人形、か。これって、僕の体と」

「ちゃんと読んでから感想を言って」


 予想外に、深刻な流れになってしまった。


「何度も言っているけど、僕は君に感謝している。恨んでなんかいないよ」

「読んでから言って」


 ため息をついて覚悟を決め、画面をスライドする。

 その漫画の元ネタは僕にとっては明らかだった。

 主人公は父親を亡くしたばかりの男の子。彼は形見の操り人形に生命を吹き込んで、自分の父親の真似事をさせる。

 つまり、それはレヴィと僕の物語だった。

 命令に忠実な人形は父親を演じようとするが、なかなか上手くいかずに主人公を怒らせてしまう。そういえば、最初の頃はレヴィに似たようなことを言われたっけな。お父様みたいに一緒に馬に乗せろ、とか、お父様みたいに寝る前に本を読んでくれ、とか。

 それを思い返すと、笑いがこぼれてしまった。


「何よ?」

「ん、……まだ、途中」

「それギャグじゃないんだけど」

「でも面白いよ。だって、なんか見覚えがあるからね。それに評判も良かったらしいじゃないか」


 母さんは僕に色んなことを話してくる。特に、レヴィが日本でしでかした事は絶対にだ。多分、この漫画はレヴィが勝手に母さんの名前でコミケに出したやつだろう。


「ふん、お義母さまから?」

「ああ。褒めてたよ」文句も言ってたけど。

「お世辞はやめなさい。まだまだよ」


 彼女の向上心が鼻を鳴らした。


「そう」

「別に、上手いとか下手とか、そういう感想は求めてないから。ちゃんと読んで、ちゃんと感想を教えて」

「分かってるよ。でも、面白かったのは本当なんだ。この主人公はレヴィみたいだろ」

「人形は……」と言いかけたレヴィの唇が、ぎゅっと強張った。

「うん、分かってるよ。続きを読ませてよ」


 指を滑らせて次のページを読み進める。そう、これは彼女と僕の物語だ。


 父親になれない人形は男の子をイライラさせるが、ずっと一緒にいてピンチになれば必ず彼を助けた。男の子はありがとうを言いたいけれど、なかなか素直になれない。思わず、お父さんならもっと上手くやる、とか心にもない事を言って、人形をますます困らせてしまう。

 う〜ん、僕はこの人形みたいにカッコ良くレヴィを助けた覚えがないんだけど。


「何よ、今度は変な顔して」

「う〜ん」

「今、どこらへん?」


 真剣に読んでほしい、と言っておきながら、ちょくちょく口を挟んでくる。


「男の子がツンデレなシーン」

「どこよ。全ページがツンデレよ」


 それだと、レヴィが常にツンデレだと言うことになるが。


「ページ数でいうと……、36だね」

「ああ。だったら山場ね。それって、実際にソーヤが助けてくれたことを参考にして書いたんだから」

「ん?」


 このシーン、男の子が誘拐されているのだけど、そんなことあった? 


「まさか、覚えてないの?」

「覚えてない、というかさ。レヴィって誘拐されたことあった? あったとしても、自分でなんとかするじゃん。あんまりレヴィが頼ってきた記憶ないけどなぁ」


 どちらかと言えば、レヴィがやらかした事の後始末をさせられた記憶しかない。


「あったじゃない。ウソ、本当に忘れたの? 信じらんないわ」

「え〜、こんなさらわれたお姫様を助け出すような事してないよ」


 BLだから男同士だけど。


「フェンの領都で子どものたくさん失踪したじゃない。それを馬泥棒と一緒に解決した時よ」


 馬泥棒といえばヘイティだ。


「子どもを生贄にした魔術をしていた貴族の一派をまとめてやっつけたじゃない。そのときの事よ」


 ああ、最後にブチギレてしまったレヴィが魔術師たちを一網打尽にしたあの事件か。


「あれってレヴィが雷とか炎とかでやっつけまくったよね」

「そこはほら……思い出補正ってやつよ。漫画なんだから」

「あれにどう補正をかけたら、こんな可愛い男の子になるのやら」

「うっさいわね。ちゃんとソーヤが守ってくれたでしょ、私の背中を」


 それを漫画にしたら、僕は人形になり、レヴィは守ってあげたくなるツンデレな男の子になったわけだ。

 もはや、ツンデレしか原型をとどめていないじゃいか。


「……まぁ、いいか。漫画だしね」

「そうよ。あ〜、なんかソーヤが変な事を言うから、自分のことをツンデレとか言っちゃったじゃない」


 母さんの顔で頬を染めるのはやめろ。

 さて、物語はとうとうクライマックスだ。男の子になったレヴィと人形になった僕の物語の。

 誘拐から救い出された男の子は、だんだん人形に心を開いていく。人形の父親とは違う部分を見つけ出してはそれを好きになってしまった。

 だけど、父親を模倣して作られた人形はその変化についていけない。いつも命令されていたように、就寝前に本を読み聞かせようとした。かつて父親が言っていたように人形は男の子にこう問いかけた。


 今日は、どの本がいいかな?

 お前が読みたい本。

 ……坊っちゃま。それは、お父上の読みたかった本でしょうか?

 いや、お前自身が読みたい本。それを僕が読んでやろう。

 私が読みたい本、でございますか……。


 そこで物語は終わる。


「読み終わったわね」

「……ああ」

「感想は?」


 これは難しいよ、レヴィ。

 多分、君の言いたいことは分かった。でも、言葉にして君に返すことが難しい。もしかしたら、僕も漫画を書かないと伝わらないのかもしれない。


「……とても複雑なんだ」

「そうやって、ソーヤはすぐ逃げる。全部、なんとなくで誤魔化してしまう」

「誤魔化しては……。でも、間違ってしまう」

「それでもいい。だって、不公平じゃない。私ばっかり。私は、ずっと自分のことをちゃんと言っているのに」


 彼女は唇をかんで、俯いてしまった。

 彼女はありのままの自分に躊躇などしない。それで他人と衝突したとしても、それは必要なことだったと割り切ってしまう。

 僕は多分その反対で優柔不断なんだ。目の前で女の子が殺されそうになっても真っ先に逃げ出した卑怯者だから。


「ちゃんと答えてよ。あなたの気持ち」

「……」


 レヴィは僕のことを「好き」と言う。

 だけど、僕がレヴィを「好き」と思うのは、多分、違う「好き」なのだ。

 この心臓が脈打つたびに君のお父さんの声がする。この体はもう自分のものではない。だったら、この気持ちは本当に自分のものなのだろうか?

 そして、彼女の漫画はその不安に問いかけていた。


「何か言ってよ」

「……」

「私のこと、嫌い?」

「好きだよ」


 それは間違いない。疑ったこともない。


「だったらどうしてよ。どうして、ミハエルなんかと仲良くできるのよ!?」

「仲良くはしてないよ」

「しているじゃない。なんか裏でコソコソと密談して、勝手に色々と決めちゃってさ」

「レヴィだって、今の状況は分かっているだろ」


 レヴィのお父さんは暗殺された。その黒幕はおそらく聖王都の宮廷に潜んでいる。


「分かっているからって何だって言うのよ。私は頼んだ覚えもない。お父様のかたきなんて、……そんなの、もういいわよ」

「復讐だけじゃない。必要なことなんだ」

「必要って何よ! 私が知りたいのはそんなことじゃない。私のことを好きって言ったくせに、どうしてミハエルなんかと協力とかできるのか、ってこと」

「だったら、君をさらって聖王国から逃げてしまえばいいのか?」

「そうよ」

「それは命令か?」


 と口にした瞬間、しまったと思った。

 レヴィが母さんの顔で鬼の形相を作った。これが彼女自身の姿だったら慣れているのだが、母さんの顔でやられると、ぐっと胸に迫るものがある。


「命令、してほしいの?」

「……」

「分かっているでしょ。不可能じゃないわ。私が命令すればあなたは従わざるを得ない。そして、私達なら聖王国を敵に回したとしても何とかできる」


 母さんの目が僕を睨みつけた。


「私があなたの糸を掴めば、誰にも止められない」

「レヴィ……」

「答えなさい。ソーヤ。その心臓の糸を私に操らせて、あなたは私に何をさせたいの?」


 母さんに言われたことが頭よぎった。

 宗谷、あなたは何をしたいの。それをちゃんと決めなさい。


「卑怯だよ」


 母さんの姿で、母さんと同じことを言うなんて。


「答えて、ソーヤ」

「僕は……」と乾いた唇を舐める。「確かにミハエル様は君の婚約者だ。だけど、それは分けて考えるべきだと思う」

「……それで」


 レヴィは、まるで母さんのように頷いて、続きを促す。


「僕は……僕らが幸せになるために、他人に迷惑をかけても構わないとは思えないから」


 その続きは慎重に言葉を探す。

 僕は、から始める言葉はなかなかしっくりくるものが見つかれない。手当たり次第に探りだしても、大体が自分の形とは全然違っている。もしかしたら、言葉では自分に当てはまるピースなんてないのかも知れない。

 それこそ彼女みたいに漫画で表現するのが一番なんじゃないか、と思えるくらいに。


「僕は、みんなから僕らの関係を認めてもらえるような、そんな方法を探したい」ようやく探し当てたのはそんな言葉だった。「だから、君の婚約者であってもミハエル様と対立するのは違う気がする」

「それって、ヴァン騎士団長のような結婚を考えているの?」


 平民からの成り上がりであるヴァン騎士団長が貴族の魔術師と結婚したのは有名だ。


「簡単にはいかない事は分かっている」

「そうよね。あの騎士団長の結婚は、聖王の人差し指になって初めて許可された。それでも、妻の貴族身分剥奪という形で落とし前もつけた」

「うん。だから、フェン公爵の次期当主であるレヴィとは、ヴァン様のようにはいかない」


 一介の魔術師であれば身分剥奪も大きな問題ではない。しかし、レヴィは公爵家の次期当主だ。


「まったく。だからカーラのババァに当主を継がせとけば良かったのよ。門下貴族の連中もあいつの方が良いって言ってるし。何で、私に無理やり」

「それはカーラ様なりのお考えがあってのことだよ」

「どうせ、お父様がいなくなった後の統治が面倒なだけでしょう」

「半分はそうかも知れない。でも本当はもっと複雑なんだ」

「そうかしら?」とレヴィは遮る。「単に私の魔力が目的でしょう? 戦争になったら有利だし、強い子も生めるだろうってね」

「そういう考えもあるかもしれない。……だけど、もっと複雑なんだ」

「なによ」


 先代当主のウォルファ・フェンは名君であり、北方貴族たちの忠誠を一身に集めていた。その彼が暗殺された後、フェンは二派に分裂したのだった。


「暗殺事件の後『犯人は聖王都の保守派だ』と報復を主張する門下が多くいた。先代が率いた騎士と聖騎士の一派で、独断で聖王都に出撃しかねない勢いだった」

「……いたわね。お父様への忠義がひどく暑苦しい連中が」

「それを阻止するために、クヴァル様とカーラ様は一計を案じた。クヴァル様が家宰として主戦派の騎士を抑えつけ、カーラ様が穏健派の魔術士をまとめる。こうやってフェン家は分断をなんとか食い止めている状態なんだ」

「その穏健派というのがカーラを公爵に推している連中?」

「そうだ。カーラ様は小公爵となり、レヴィが正式な当主に成長するまでの後見人だと約束している。それを反故してカーラ様が公爵になれば、主戦派の騎士たちが黙ってはいない」

「はぁ、また勝手に面倒なことに私を巻き込んで」


 まるで他人の家のことのようにレヴィはため息をついた。


「だけど、先代が殺されてすぐのころ、君は部屋に引きこもっていた。小公爵が教育するというが、本人が出てこないなら意味がない、なんて騒がれもしたらしい」

「そういえば、カーラのやつ、しつこく毎日来ていたわね」

「そんな時に、レヴィは僕を抱えてあの部屋から出てきた」


 フェン家の中枢を担う人たちが、ずっと開かないレヴィの部屋の前で気を病んでいた。フェン家の運命を握る少女は、亡霊となった父親の糸につながれたまま死ぬつもりだった。

 しかし、その扉が開く。

 レヴィは血まみれの僕の体を抱えて大人たちを睨みつけたらしい。亡霊との糸は切り解かれ、僕の心臓を縫い合わせていた。死にたがっていたはずの女の子は開口一番にこう言ったという。


 さっさと手伝いなさい! この子は絶対に助けるんだから。


「……だからさ、僕はレヴィを愛している」


 レヴィは驚き、続いて顔を真っ赤にした。


「なによ急に。つながってないわよ」

「僕の中ではつながってる」

「なんなのよ。ちゃんと説明しなさいよ」

「それは間違いないと思うんだ」


 レヴィの漫画のラストシーンに続きがあったら操り人形はどんな本を選ぶのだろう。

 僕だったらレヴィが書いた漫画かな。


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