[2-07] 王子二人がご来客

(あっひゃ〜! 見た? 見ましたか? お義母さま。イジヴァル選手をまさかのスルーですよ。おっふぉぅ)


 頭の中で、レヴィアちゃんが奇怪な笑い声で喚き立てる。


(静かにしてちょうだい)と、ようやく使えるようになった念話でたしなめる。

(いや、だって。あんなの見せられたら笑うしかないじゃん。ほら、周りの人たちも見て見ぬ振りするので必死じゃない。いやぁ、最高だわ。流石はイジヴァル公の淑女レディだわ〜。お笑いを取るのも超一流。ああ、憧れちゃうな〜)


 などと、フェン公の淑女が犬並みに煽りはじめる。


(そんなことよりも、ミハエル王子がこっちに来るんだけど。しかも、隣にいるのはあの弟王子君でしょ)

(ああ〜、なんかこっちに来るみたいね)


 弟王子君ことウリエル王子には、レヴィアちゃんの計画にのせられて暗殺未遂で捕まった経緯がある。それなのに彼女が黒幕だったことはおおやけにはされず、その罪も彼が被った形になっている。

 これって控え目に言ってもかなりヤバくない? ヤバくなくなくない?


(さては仕返しに来たか? 返り討ちにしちゃる)

(返り討ちにしてどうするのよ。ああ、あなたはどうして、そんなに血の気が多いのかしら。今は私なのよ。どうしろっていうの)

(まぁまぁ、そこはほら、ソーヤが何とかしてくれるんじゃない? あいつ、こういうの得意だしさ)


 どうなの、息子よ。

 ちらり、とテーブルの後ろに従者として控えていた宗谷を振り返る。彼は私の訴えかける目を見て、すぐ側まで近づいてくると、そっと耳打ちをした。


「大丈夫だよ。普通に対応して」

「でも、弟王子君もいるのよ。レヴィアちゃんがひどい事をした」

「ウリエル殿下と呼んでね」と呼び方を息子にたしなめられた。「大丈夫だから。公式の場でフェン公爵家に直接的な行動はとらないよ。ミハエル様もそういう強引なやり方は好まれない」

「そ、そうよね」と言いながら、ふと気になることがあった。「どうして、宗谷はミハエル様って言うの?」


 さっき、弟王子君のことを殿下と呼べ、と言われたばかりだから、宗谷が腹黒王子をミハエル様と呼ぶのが気になった。腹黒も王子だから、ミハエル殿下って呼ぶべきじゃなくて?


「ん、ああ」と息子は肩をすくめる。「口癖だよ。確かにここではやめた方がいいな。ほら、殿下たちが来るよ」


 あらためて正面を見ると、サクラとして来てくれた黒薔薇会のメンバーたちがミハエル王子が通る道をあけている。さっきまでテーブルについていた同志たちも、いよいよ王子たちの目的が明らかになると、急いで席を立ってしまった。

 席を譲られたミハエル王子は、左右の同志たちに「遠慮することはない。私たちも並ばせてもらうから」と笑顔を振りまく。それだけで、キャーキャーと黄色い声が上がった。

 さっきまで腐った同志だったはずなのに、一瞬でアイドルの追っかけみたいな乙女顔に変わっている。さすがは腹黒王子のイケメン成分。腐ってしまった性癖にも効果テキメンなのね。


「お姉さま」と隣に書記さんが駆け寄ってくる。「お姉さまがご招待されたのですか? しかも、ミハエル殿下は礼装ですよ」

「違います」そんなこと、するわけないじゃん。「王子はご勝手にこのテーブルに」

「かしこまりました」と訳知り顔でうなずかれた。「そういう事にしておきましょう。それでいかがいたしましょうか」

「と、とりあえず、スズリさんにお迎えしていただきましょう。このテーブルの主催は彼女ですから」


 自分で腹黒王子を迎えるなんて、マジで勘弁して。


「そうですか、あくまでもスズリさんに花を持たせていただけますか。ありがとうございます。スズリさん」


 書記さんが嬉しそうに声を張る。

 まぁ、無理もない。学院の女生徒として、第一王子をテーブルに迎えることは一生自慢できるイベントに違いない。私はマジ勘弁なんだけど。


「は、はい」とスズリさんが駆け寄ってくる。

「両殿下のお迎えをお願いします。私たちはテーブルを整えておきますので、少しお時間をください」

「え、私がですか? そんなこと、とても」

「大丈夫。お姉さまが助けてくれるわ」


 えっ、嫌だけど。私は裏方に隠れて食器洗いとかしたいです。


「それならなんとか。お姉さまお願い致します」


 スズリさんに瞳を潤ませて懇願されてしまった。

 くぅ〜、この娘は本当に可愛いのよね。成り上がりだと揶揄される田舎貴族だが、それだけに田舎でのびのびと育ったのだろう。この年頃の娘によくあるイガイガしたところが全然ないのだ。

 そんな彼女に頼まれるとお姉さま・・・・としては断りにくい。


「わ、わかったわ。でも、一緒についていくだけよ。テーブルの主人はスズリさんなのですから」

「はい! 頑張ります」


 ぱっと表情が和らぐのを見て、流石に私も覚悟を決める。

 成り行きとはいえこの娘は私の親子指だ。ついでに言えば、最近忘れがちだったけど、私はいい歳をしたおばさんだった。守ってあげなきゃ。


「宗谷、ついて来なさい」


 でも保険に息子を呼ぶのも忘れない。これで万全だ。大丈夫だよね?

 かちゃかちゃとテーブルを用意する音を背中に、スズリさんの手を取ってイケメン王子たちの方に歩み寄る。すぐ後ろに控える息子がたくましく感じた。万が一があったら、自慢の剣術とかで何とかしてちょうだい。


「よ、ようこそお越しくださいました。あ、あの」とスズリさんがどもる。「スズリ伯爵の娘、アーニャ・スズリです。ミハエル殿下、いつも父がお世話になっております」


 ん? お知り合いだったの。

 すると、ミハエル王子は笑顔を咲かせた。

 本当にこの王子は華がある。すこし大げさな仕草は芝居くさいとも言えなくはないが、その地位と美しい容貌が手伝って絵になってしまう。


「こちらこそ、レディ・アーニャ。あなたの父上がいなければ私の仕事は半分もままならない。今日はそのご令嬢に挨拶をと思ってお邪魔した。しかし、この事はお父上には内緒にしておいて欲しい。伯は娘を私から隠そうとしていた。お目にかかれてその理由が分かったよ。まさかこんなに可愛らしい方だったとはね」


 歯が浮いて、上顎うわあごに食い込むわ!

 などと内心でつっこんだが、周りの反応は違う。黄色い声がオーケストラのクライマックスのごとく爆音を上げた。その中には嫉妬のヴァイオリンも混じっている。キィーーって感じの。


「そんな。スズリは殿下がお引き立てくださった家です。本来はこのような茶会にテーブルを出せるような家ではありません」

「それにしては賑わっておられる。それに立派なテーブルだ。白枯木しらこぼくをそえた黒檀のテーブルか、これほどのしつらえは見たことがない」

「すべてお姉さまのおかげです」

「お姉さま?」

「あ、失礼しました。レヴィア・フェン公爵令嬢様のおかげです。私の親指を捧げた方です」

「ほぅ」


 王子の目が細くなって、こっちに視線を移す。


「ご機嫌よう。我が君」

「ご機嫌よう。ミハエル殿下、それにウリエル殿下も」


 目線をそらしながらも会釈をする。お願いです、スズリさん。できるだけ私に話を振らないでちょうだい。お姉さんはお腹が痛くなってきたの。


「知らなかったな。いつ、スズリ伯のご令嬢を小指に?」

「……つい、先日です」

「なるほど、我が聖騎士団の長をフェンの門下に入れたのですか。できれば、事前に相談して欲しかった。我が君の綾取りに口を挟むべきではないが、政治的には少し難しい状況になる」

「うっ」

「これではまるで聖王家の軍がフェン家の軍門に組み込まれたようだ」


 うう、また嫌なところを突いてくる。

 だけど、腹黒の言うことはもっともだ。カーラさんから詳しいところまで教えられたのだけど、スズリさんのお父さんが団長を務めている聖騎士団はミハエル王子が新設したものらしい。聖騎士はもともとフェン軍が考案したもので、それを真似して作ったのだ。

 実は、スズリさんのお父さんがフェン門下の貴族出身だったのは偶然ではない。彼はフェン家の優秀な聖騎士だった。その経験を買われて聖都での聖騎士団設立に抜擢され、ついに伯爵家を名乗ることを許された経緯があるのだ。

 だから、私の綾取り以前に、最初に門下貴族を奪ったのは聖王家のほうとも言える。ただ、元は貴族の庶子だった人を抜擢したのなら、とフェン家としては目をつむっていただけだ。

 そんな門下貴族をめぐるややこしい問題に、文字通り私が指を突っ込んでしまった。


「申し訳ありません。配慮が足りませんでした」


 ここは大人しく謝る。完全にこちらが悪い。


「ふむ……。今日のレヴィア嬢はそっちか」とミハエル王子がつぶやく。

「そっち?」

「いや、何でもありません。まぁ、お気になさらずとも良い。実はこの件については事前にソーヤから相談があった」

「ん」

「おや、知らなかったのか? もし聖王家として不都合があれば、仮指であることを誓約させると申し出があった」

「……」


 じろり、と背後の息子に視線を向ける。無表情の息子は肩をすくめただけだった。


「話し合った結果、聖王家としても問題としないと決めた。もとよりこちらが先にフェンの門下を引き抜いたのだしな」

「勿体無いお言葉です」と腰をかがめる。「そのお引き立てによって、新たな家門が生まれたのです。何よりでございましょう」

「ふふ。どうだウリエル。今日のレヴィアはお前が言うような」と、後ろを振り返ったミハエル王子は「おや、ザトキエル伯爵夫人ではありませんか」とその向こうにいた老婦人に手を挙げた。


「あら、ミハエル殿下。お久しぶりね。軍官になられたのではなくて? どうしてこんなところに」

「弟の茶を飲みに来たのですよ。それで、スズリ伯のテーブルで少し話そうと。どうです? よろしければご一緒に」

「あら、若い人にお誘い頂けるなんて嬉しいわ。喜んで」

「こちらのテーブルです。私の婚約者も手伝っているのですよ」

「あら、と言うことはあのフェン公爵の」


 とても品の良さそうなおば様が、ミハエル王子に招かれてやってくる。

 伯爵夫人ということはかなり地位が高い。身なりや物腰からして、由緒ある名家なのだろう。本格的に宮廷で社交を繰り広げるためには、このような人に認められないと駄目なんだろうな。

 そう言った意味では、腹黒王子はできる男だ。今だってさりげない様子で夫人を招待してしまった。ご夫人もよく知った仲なのか嬉しそうに招待に応じている。う〜ん、この王子はおば様受けは良さそうだからな〜。

 すると、背後から書記さんの呼びかけがした。


「テーブルの用意ができました」

「ありがとうございます。お待たせいたしました。テーブルにお座りください」


 スズリさんが、王子二人とご夫人をテーブルに案内した。

 見渡してみると周りはすっかり人だかりになってしまっている。さっきまでは黒薔薇会の仲間たちだけだったのに、生徒たちだけでなく宮廷の高官や淑女らしき人たちも興味津々な顔を並べていた。

 内輪だけの楽しいお茶会作戦だったのに、一気に本格的になってしまった。しかも、さっき腹黒王子に政治的な不備もつっこまれる始末。どうして、こうなった。


「さて、」と口火を切ったのはミハエル王子。「まずは紹介させていただこう。こちらはザトキエル伯爵夫人だ。知る人ぞ知るお方だが」ミハエル王子は夫人の方に視線を流す。「どのようにご紹介しましょうか?」

「お好きなように。こんなばばをからかっても面白くありませんよ」

「であれば、勝手にさせていただきましょう」

「どうぞどうぞ」


 なんか、妙に仲が良いわね。

 品の良いおば様もまんざらでもない様子で微笑んでいるし、腹黒王子もいつもより悪戯好きの子どもみたいな感じになっている。これが王子の素なのか、それともおば様受けを狙った猫かぶりなのか。う〜ん。


「ザトキエル夫人は愛の達人だ」

「ほぅ」と思わず声が出てしまう。「それって、つまり?」

「喫茶日記の作者として社交界に君臨されている夫人は、その社交の広さから薬指の仲介を頼まれることが多い。これが大層な評判で、近頃では後継者が決まった家は夫人をサロンに招待するのがマナーとなっているほどだ。どの家だって後継者の第一夫人には気立ての良い社交淑女を望むもの。彼らは夫人にこう尋ねる。『どこぞに夫人のお眼鏡にかなうような淑女はおりませんか?』とね」


 まぁ、と周りの女子たちが笑うが、彼女たちの目は真剣そのものだった。

 この世界でも淑女たちにとって結婚は人生を左右する重要事項だ。自由恋愛は一般的ではなく、彼女たちの多くは「当主の薬指になりたい」と考えている。当主の薬指とは、つまり第一夫人のことだ。

 魔力は血筋に強く影響されることから一夫多妻制が一般的だ。

 より優れた後継者を得るために、有力貴族では魔力に優れた女を第二以降の夫人として迎えることがある。学院の生徒ともなれば第二夫人としては引く手あまたではあるが、魔力だけでは第一夫人には選ばれないのだ。


「良家の門下に良妻あり、」とご夫人は口元を手で隠す。「そんな古臭いことを言うと若い人に嫌われちゃうかしら? でも、家門を守るのは男の仕事かもしれないけど、それを掃除して人をもてなすのは女でした。皆さんのご両親くらいの世代は、サロンを任せられる薬指を必死に探すものなの」

「そこで夫人を頼ることになる。喫茶日記の作者が認めた淑女であれば、とね」


 なるほど。分からなくもない。

 家庭を担うのはとても大変で、子どもに寄り添っていくには根気と体力は不可欠だ。精神的にも十分に成長した女でないとダメ。少なくとも、自分が愛されたい、という段階はもう卒業していないと……。


「人を愛することを楽しめないと、難しいですよね」と思わず口をついてしまった。

「あら」


 それを耳にした夫人に驚かれてしまった。


「素晴らしいことをおっしゃったわ。フェン公爵のご令嬢」

「あ、いえ」と慌てて首を振る。「他人から聞いたことなんです。お茶の先生がそんなことを言っていたような」


 言ってなかったような……うん、言ってないな。カーラさんは独身だし。


「お茶の先生?」

「カーラ様です。伯母のカーラにご指導をいただきました」

「ああ、カーラさんね。今はフェンの喫茶を受け継がれて家元もされているでしょう? お茶好き同士、仲良くさせてもらっているわ。彼女のお弟子さんのお茶が頂けるなんて楽しみ」

「いえ、弟子と名乗れるほどでは……」

「そうなの? でも、これはフェンの白枯木しらこぼくでしょう」とテーブルの中央に飾った珊瑚の木に手を向ける。「あの彼女が家宝を送ってきたくらいだから、つい愛弟子のお披露目なのかと思ったのですけど。枯木を使うということは雪木花衣せつもくはなころもがいただけるのかしら」

「いえ、まだ実力不足でして。今回は私たちで考えたお茶です」

「あら、新作?」

「そろそろ、始めさせていただきましょう。ねぇ、スズリさん」

「は、はい。みなさん、お願いします」


 背後に控えていた書記さんが、テーブルの上に皿を配膳していく。その上にはよく刻まれた茶葉が盛られていた。


「あら、草茶くさちゃ?」


 と、夫人が言い当てた。


「はい。今回は私たちで考えた草茶を用意させていただきました」

「草茶だと、五指の茶会なのに?」と驚きの声をあげたのは弟王子だ。

「あら、ウリエル殿下は草茶ははじめて?」


 夫人はやんわりと言いふくめる。


「いえ、飲んだことはありますが。その……あまり茶会に出すようなものではない、と聞いています。いわゆる、平民の茶だと」


 聖王国の喫茶文化は見た目が華やかな花茶ばかりで、日本でよく飲まれる葉っぱのお茶のことを草茶と呼んで区別する。中には平民の茶だと差別する貴族もいるのだ。

 茶事は華やかな花魔術ばかりだ。

 例えば、フェン家の雪木花衣せつもくはなころもでは魔術で枯れ木に氷の花を咲かせ、それを熱いお茶の上に浮かべて提供する。大茶事ともなるともはや空間演出にまでおよぶのだ。

 そんな、優雅な貴族の花茶に対して、草茶はもっぱら平民の飲み物として認識されていた。


「あら、草茶も奥が深いのよ」と夫人はウリエル王子をたしなめた。「薬茶くすちゃとも言ってね、医療魔術を受けられない人たちの健康法にもなっているの」

「はぁ」

「その草茶で新しい茶事を考えたのでしょう。これは楽しみだわ。茶事になんと名づけたのかしら?」


 主催としてスズリさんは必死な様子で答える。


「は、はい。私たちは紅茶と呼んでいます」

「コウチャ」

「さっそく、始めさせていただきますね」


 そういうとスズリさんは立ち上がり皿から茶葉をつまみあげて小声で術を唱え始めた。唱えながらテーブルを回り、並べた小皿に茶葉を次々と落としていく。初めの方は緑の葉、それが次第に白く色あせていき、茶色を経て、最後には黒い茶葉に変色してしまっていた。


「あらあら」と夫人が驚いた。「もしかして、草茶に腐食魔術を?」

「はい。お姉さまに教えていただきました。こうすれば香りが深くなって、味もまろやかになります。発酵の深さによって色と味も変わりますから、小皿ごとにお茶を淹れますので比べてみてください」

「確かに、よい香りがするな」とミハエル王子は手をあおいで匂いを確かめている。


 だが、ウリエル王子は声をあげた。


「ちょっと待って。草茶に腐食魔術なんて聞いたことがない。大丈夫なんですか?」

「さぁ? 飲んでみれば分かるだろう」

「でも兄さん」

「チーズや酒も同じことだ。ウリエル、いいことを教えてやろう。『良き薬指は茶が上手いが、良き女房は酒が旨い』とヴァンの奴が言っていた。あいつは妻が魔術で作る酒が毎日の楽しみらしい」

「……女性については兄さんの言うことを聞くつもりはないよ」

「やれやれ、ヴァンの至言だというのに。いいか。スズリ伯のご令嬢がお前のために醸してくれたものだぞ。腐食の術は女房の技だ。それを出されたら味わうのが男の役目だろ」


 その瞬間、周りの女子たちがキャッと鳴いた。

 う〜ん、このプレイボーイめ。この世界ではお酒のほとんどが自家製なのだ。平民たちは普通に酒を仕込むのだが、貴族の場合は妻が腐食魔術で酒を醸す。腹黒王子が言う通り、茶が淑女の嗜みとすれば酒は女房の味。喫茶は家門の伝統だが、酒作りは女としての実力。

 スズリさんの女房としての味を味わえ、ってか。


「……分かったよ」


 少し頬を膨らまして、渋々とウリエル王子はうなずく。


「あ、あの」とスズリさんがこちらを向く。「お姉さまも、紅茶を作ってくださいませんか」


 えっ、私? 腹黒王子に? 嫌だけど。

 この世界で学生になってから、ようやく使えるようになった魔術は簡単なものばかりだ。しかし、腐食魔術に関してだけは才能があったらしく、その分野に限れば私はレヴィアちゃんにすら「天才だ」と言わしめるほどらしい。すでに納豆や豆腐までも自家製で作れるようになっている。

 ふっ、確かにこの私ならば、茶葉だろうが、酒だろうが、イケメンだろうが、醸す事などたやすいだろう。しかし……。


「ここはスズリさんのテーブルですから」と丁重にお断りする。

「でも、お姉さまの方が美味しい紅茶を作れますし。そ、その」と言いにくそうに、ミハエル王子をチラリと見る。「その、ミハエル殿下はお姉さまの、じゃないですか?」


 はぁ、つまり、私の婚約者だからって事?

 ま〜、なんて事かしら! 腹黒王子の様子をうかがうスズリさんが顔を真っ赤に染めている。あいつが女房の技だとか言うから、ちょっと意識しちゃてるじゃない。しかも、私に遠慮までする始末。

 許すまじ、この腹黒の遊び人め。私のスズリさんを返して!


「ほう、我が君も作ってくれるのか?」

「……いえ」

「それは残念だ。君のお茶が飲めると楽しみにしていたのに」


 ぶぶ漬けでしたら、喜んでお作りいたしますが?


「まずはスズリさんのお茶をご賞味くださいませ。このテーブルは私の小指のものです」

「これは失礼した。少しはしゃぎ過ぎてしまったようだ」


 そう明るく笑い飛ばしたミハエルの王子の前に、発酵の度合いごとに分けて淹れたお茶が運ばれる。左から緑茶、白茶、紅茶、黒茶と発酵の度合いごとに分けた四種だ。

 紅茶は発酵茶として元の世界で有名だが、白茶や黒茶のことはあまり知られていない。白茶は中国で飲まれている弱発酵茶であり、黒茶は後発酵茶という。例えば、プーアル茶は黒茶だ。


「では、早速いただこうかしら」


 相当なお茶好きらしい夫人は目を輝かせ、二人の王子はそれぞれのティーカップを口につけた。


「あっ、美味しい」とまず唸ったのは弟王子。

「確かに、ああは言ってみたが、これは予想外に飲めるな」と腹黒がつづく。

「これは、大発見ね」


 とため息をこぼしたのは夫人。


「素晴らしい茶事をお見つけになりましたね。これを考案されたのはフェン公爵のご令嬢でしたか」

「はい。そうです」とスズリさんが答える。

「フェン公爵のご令嬢、おうかがいしてもよろしくて?」

「どうぞ、フェンとお呼びください」

「できれば、お名前でよろしいかしら? レヴィア様」

「もちろんです。光栄でございます。ザトキエル様」


 おっ、ご夫人との距離が縮まったようだ。

 しかし、肉体年齢でも精神年齢でも年配である夫人にレヴィア様と呼ばれるのは違和感がすごい。まぁ、この世界では年齢だけでなく家格も違いも考慮されるから。互いに様づけで呼び合えたから良しとしよう。


「まずは草茶を選ばれた理由をおうかがいしても? ウリエル殿下が驚かれたように、茶会に草茶を出すのは珍しいことです」


 えっ、理由なんてないです。

 そんなのお茶の稽古をしていた時に、元の世界の知識を披露したくなって「ねぇ、知ってる? 茶葉に腐食魔術をかけたら美味しくなるのよ」って、自慢の腐食魔術をドヤらせた結果ですが?


「それは……みんなが、」

「はい」

「みんなが喜んでくれたからです」


 苦し紛れの回答。

 しかし、どうやら夫人を満足させたらしい。彼女はにっこりと笑い皺を下げて紅茶の香りを楽しんだ。


「ええ、本当に楽しいお茶です。茶事としての工夫も素晴らしかった。茶葉を発酵させ、それを小皿に分けて見せ、それぞれの違いを味わってもらう。私も家でやってみたいと思ってしまいましたよ」

「ありがとうございます。でも、その工夫を考えついたのはスズリさんです」


 と、会話をパスする。


「私は、あの……。お姉さまが紅茶を作ってくれて、腐って楽しいなんて、まるで私たちみたいね、ってみんなで盛り上がってしまって、」

「あら、私たちみたい?」と夫人が首をかしげる。


 おおぅ。スズリさん、自爆しちゃっているよ。


「い、いえ。なんでもありません。……ただ、私のテーブルには友達がたくさん来てくれるから、だから、みんなで楽しめるお茶がいいなって」

「ええ、なるほどね」

「実は、」と隣の書記さんが割り込む。「テーブルに来ていただいた方には、これをお配りしているのです」


 書記さんは小さな紙包みをテーブルにおいた。


「それは?」

「今回お出しした草茶の葉を包みました。家に持って帰って、自分の腐食魔術で楽しんでもらえるように、と」

「あらあら、まぁまぁ」と、夫人は感心してしまって両手を合わせる。「流石はカーラさんの愛弟子たちですね。喫茶で大切なことを分かってらっしゃる。五指の茶会にはいつもお邪魔させていただいていますが、これほどの楽しいテーブルは初めて」

「ありがとうございます」

「よろしければ、この茶事を喫茶日記で紹介したいのですけれど?」


 その一言で観衆たちがざわめいた。


「誠にありがとうございます」とすかさず書記さんが応じる。「喫茶日記に選んでいただけるとは身に余る光栄です」

「日記には家元の名をのせているのですが、カーラさんでよろしい? 新作ですからご自身の名にすることもできますわ」

「お姉さま、いかがいたしましょう?」


 え、どゆこと? 私、ぜんぜん話についていけてないのだけど。

 呆然とした私の表情から、この有能な書記さんは状況を察っしてくれたのだろう。声を潜めて解説してくれる。


「ザトキエル伯爵夫人は喫茶の名伯楽として有名な方です。その夫人の喫茶日記でお姉さまの茶事を紹介したいと。これは大変な名誉ですよ」


 つまり、そこに私たちの茶事を掲載してくれるってこと? すごいじゃない。やったね。


「聞かれているのは考案者の名をどうするかです。いかがしますか?」

「え、どうすればいいの?」

「……一般的には、私たちはカーラ・フェン小公のご指導を受けましたから、お名前をお借りすべきと思います。とはいえ、考案されたのはお姉さまですからご自身の名も同時に載せるべきです」

「はぁ、そういうものなのね……。スズリさん」と主催者に目を向けると、ふるふると頭を振る彼女がいた。

「お姉さまがご判断ください。これはもうスズリではありません」


 ……えぇ。う〜ん、そうねぇ。


「ザトキエル様」とご夫人に向き直る。「喫茶日記でご紹介いただけるとのこと大変うれしく思います。それで、名前の件ですが、」

「ええ」

「ご指導くださったカーラ・フェンを家元としてご紹介くださると助かります。それに、スズリ伯爵家テーブル一同、と併記いただけると嬉しいです」

「お姉さま!」と、書記さんが声を立てる。「そこはご自身のお名前を入れるべきです。そもそもこのテーブル自体がお姉さまのお力であることは明らかで、喫茶日記にお名前がのればお姉さまに対する不当な評価も、それに、フェン公爵家にとっても」

「ガリュさん」


 目線を向けると、ぴたり、と書記さんが口をつむいだ。


「フェン家としてはカーラ様の名前があることで十分にご配慮いただいています。この数週間、みなさんと楽しくお茶を工夫しました。ですので、みなさんとしてご紹介いただきたいのです」

「でも」

「私への評価を気にしてくれるのは嬉しいわ。だけど、ここじゃないと思うの」

「……申し訳ありません。出過ぎました」


 会釈し椅子に戻った書記さんの肩に手を載せて「ありがとうね」と言い添えておいた。


「まとまりましたか?」と夫人が引き取る。

「ええ。そのようにご手配いただけますか」

「レヴィア様のお噂はよく耳にしていましたが、実際にお会いしたら随分と印象が違うのね。ミハエル殿下はよき薬指に恵まれました」

「ご夫人もそう思われますか」と腹黒が白い歯を見せる。「レヴィアは誤解されやすいのですよ」

「そうみたいね」


 いや、誤解じゃないですよ。本物のレヴィアちゃんは噂どおりの破天荒な娘さんですからね。ザトキエル様、騙されないで。


「素晴らしいテーブルだったな。そうだろ、ウリエル」

「そうだね。スズリさんのテーブルは本当に素晴らしかったけど……。フェン公爵令嬢」


 と、ウリエル王子がこちらを睨んでくる。

 弟くんはまだ私を警戒しているようだ。当たり前だけど、私としては腹黒兄よりも弟くんを推しているから悲しいです。


「日を改めて、こちらのサロンに招待してもいいかな?」

「えっ、私をですか」


 なにそれ、めちゃ怖いんだけど。


「それと貴方の従者も」

「宗谷も?」

「おい、ウリエル」とミハエル王子が横からこづく「面白そうなことを考えているじゃないか。俺も混ぜてくれないか」

「……うん、構わないよ」


 観衆たちがざわつき始める。

 無理もない。弟王子が兄の婚約者を招待する。しかも、浮気相手と噂されている従者と一緒にだ。そこに兄も参加するとなればスキャンダラスな妄想がかき立てられるというもの。


「そうと決まれば、そろそろ失礼しよう。なにせ、喫茶日記にのるほどのテーブルだ。心待ちに並んでいる人も多い」とミハエル王子は立ち上がるなり「ソーヤよ」と呼びかける。


「何か」

「探し物は見つかったか?」


 突然、問いかけられた宗谷は目を細めた。


「いえ」

「であればザトキエル夫人に聞いてみるのはどうだろう。彼女は社交界で顔が広い」


 宗谷は「なるほど」とこぼして、私のすぐ横にきてそっと耳打ちする。


「母さん、夫人にこう頼んで欲しい。『母に会いたい』と、ただし、周りに聞かれないように気をつけて」


 ……なるほどね。

 それにしても、君たちなんでそんなにツーカーなの?


「ザトキエル様」と声をかけて、そのすぐ近くまで駆け寄る。

「何かしら、レヴィア様」

「お願いがあるのです。お耳を」


 小柄なレヴィアちゃんのために、夫人は膝を折ってくれた。


「私、お母様にお会いしたいのです」

「……ええ」


 夫人はゆっくりとうなずいて、こう言った。


「確かに承りましたわ。レヴィア様」

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