[2-06] 必殺技みたいな大茶事

 おかしい、こんなはずではなかったのに。


 イジヴァル公爵令嬢は自分のテーブル客の応対もそぞろに、反対側に見えるスズリ家のテーブルが気になってしょうがなかった。

 おかしい。あの聖騎士あがりのテーブルなんかに誰も寄り付くはずがない。しかも、災厄が空けたテーブルを急に割り当てたので、準備する時間もなかったはず。

 それなのに、どうして、あんなに人だかりが。


「イジヴァル公のご令嬢、なにか気になることでも?」

「あっ……いえ。すみません」


 気がそぞろなのが客に伝わってしまったのだろう。

 初老の貴婦人がテーブルの向かいに座っている。ザトキエル伯爵家のご夫人だ。聖王家門下の由緒ある家の夫人で、しかもあの喫茶日記の著者だ。

 イジヴァル家の淑女として、粗相など絶対にあってはならない。


「お茶をいただけるかしら?」

「今、ご用意します。みなさん、急いで」


 五指たちに命じて、テーブルに茶器を並べさせる。

 一ヶ月も前に母と祖母を実家の領地から呼び寄せて指導してもらったのだ。選んだのはイジヴァル家の大茶事である風香乱花ふうからんか。祖母からはもっと簡単なものにしなさい、と言われたが私は譲らなかった。子どもの頃から仕込まれていたものだし、あれならば絶対に第一席になれるはずだ。

 イジヴァル家を含めた喫茶三家には、それぞれに大茶事と呼ばれる定則がある。聖王家の火永紅燃ひながべにもゆる、フェン家の雪木花衣せつもくはなころも、そしてイジヴァル家の風香乱花ふうからんかだ。

 それぞれの家伝の集大成であり、それ自体が大規模で複雑な儀式魔術でもある。当然、それを執り行うためには相当な訓練がいる。


 茶器が出揃いメンバーから乾燥させた菊の花を渡された。それを両手で持ち上げ、短く術式を唱える。すると、室内なのに風が巻き起こった。


「あら、まさか風香乱花を?」


 流石はザトキエル伯爵夫人。手順の最初だけで茶事を見抜かれた。


「はい」

「ふふ、まさか学生の茶会で大茶事を堪能できるなんて、楽しみだわ」


 集中するために目を閉じる。

 定則によると、はじめに魔術で風をそよがせ菊の花びらを宙にそよがせ、香気をふりまく。香りを目と肌で感じとってもらうことから、風香乱花の手順ははじまるのだ。

 ……だけど。

 いつもより風を操るのが難しい。練習ではもった上手くできたのに……。そうか、ここは室内で窓も閉め切っているからか。そういえば、お祖母様がおっしゃっていた。風化乱花はお庭の茶事でサロン向きではないのだけど、と。


「くぅぅ」


 もっと吹けと、魔力を込める。すると風が渦巻いて、テーブルクロスをはためき、カチャガチャと茶器が音を立て始める。しまった強すぎる。力加減が難しい。何とか、花だけを優雅に吹き飛ばさないと。


「はっ」と、気合いを込める。


 すると、ようやく目の前の菊の花が舞い上がった。あらかじめ香りづけしておいた香気があたりに舞い広がりはじめる。やった。何とかできた。


「イジヴァルの風はいい匂いがするわ」


 ザトキエル伯爵夫人も満足したようだ。

 安堵しながら彼女の方に目をやると、その優しそうな表情のまま「だけど、」と口が開く。


「少し散らかってしまいましたね」


 はっ、となって周りを見渡すと、テーブルの上に並べていた茶器のいくつかが倒れて散乱してしまっていた。


「それに、せっかくの茶花が絨毯に落ちてしまったわ」


 しまった!

 風を起こすのに必死で、次の手順に移るのを忘れていた。本当は舞い上げた花びらを相手のカップにまとめるはずだった。


「これが庭園だったら一段と風情があるのだけどねぇ。室内で風をたぐるのは難しいでしょうし」

「……申し訳ありません」

「いえいえ。いい風だったわ。イジヴァル家は元気の良い娘さんを持ったのね」

「くっ」と思わず唇を嚙む。


 これではまるで聞き分けのないお転婆みたいだ。相手は喫茶社交の第一人物。その夫人にまだ未熟だと思われたかもしれない。


「あ、あの」

風香ふうかは堪能したわ。お茶をいただける?」

「はい。すぐに」


 ……。


 その後は気持ちが泡立ってしまって、しょうがなかった。

 もう間違えないように初歩的な茶を出すことに必死で、夫人が何か喋っているのを適当に相槌を返すので精一杯。

 その会話の最中でさえ、スズリ家のテーブルが気になって仕方がなかった。そこから馬鹿笑いがこっちにまで聞こえてくる。よく見たら、あそこの客はみんな学生ばかりだ。そうか、スズリは友達を呼び寄せたのだ。

 なんて節操のない。名誉ある五指の茶会は将来の宮廷社交を競う場だ。それを、お友達同士のママゴトで騒ぎ立てるなんて。

 やはり、成り上がりのスズリ伯爵家には茶会に参加する資格などなかったのだ。


「……そろそろ、失礼させていただくわ」と夫人が席を立つ。

「あっ、はい」


 しまった。何か聞かれていたような気がするのだが。


「イジヴァル公のご令嬢さん。お茶はお好き?」

「え、はい。好きです」

「どんなところが?」

「喫茶は淑女の嗜みです」と即答する。「イジヴァルの淑女として家門に泥を塗ることがないよう、他に負けない社交を披露しなければなりません。夫の人脈の半分は妻の綾取りが手繰りよせる、と聞きました。喫茶はその為のものです」

「そう。そういうお茶もあるわね」と、夫人は首を傾げ、「でも、お茶はみなさんと楽しい時間を過ごすためでもあるのよ」


 それだけ言い置いて、夫人はテーブルを離れて行った。

 ふぅ、と息がこぼれる。結構、失敗してしまった。風香乱花にこだわったけど、もう少し簡単な茶事の方が良かった。お母さまも室内向きの茶事でないなら、もっとご助言をしてくれたら良かったのに。


「すごいですわ、イジヴァル様。今のはザトキエル伯爵のご夫人でしょう?」


 と五指の一人が騒ぎ立てる。


「五指の茶会には宮廷社交界の方々も参加されるとは聞いていましたけれど、その中心人物が本当に来られるなんて」

「ええ、名誉なことだわ。まぁ、ご夫人ほどの方ならば違いが分かってしまうのでしょう。このイジヴァルのテーブル以上となれば、ウリエル殿下のテーブルくらいしかないでしょうから」

「ご夫人のような名伯楽めいはくらくも知るテーブルに加えていただいて、私は幸せです。やはりテーブルの価値は招く客で決まるもの。三流には、三流の客が群がるものですからねぇ」

「あら、それはどこのテーブルのことかしら?」


 五指たちと一緒にスズリの方に目をやる。そこには、キャーキャー、と楽しげに騒いでいる学生たちの姿が見えた。

 やはり成り上がり。なぜ五指の茶会が宮廷で行われるのかをまったく分かっていない。ここは社交界への登竜門なのだ。だからこそ、夫人のような社交界の第一人者たちも参加されている。そんなところで友人を集めて騒ぐなど、考え方まで卑しい。


「ねぇ、見て! あれはミハエル殿下じゃない?」


 会場の向こうからそんな声が聞こえて、思わず立ち上がってしまった。


「本当だ。しかも、ウリエル殿下もご一緒じゃないの!?」

「どうして? ウリエル殿下はご自身のテーブルもあるのに」

「もしかしたら、お二人の関係は小薬指ですから、それで」

「ああ、確かウリエル殿下が薬指を捧げられたのですね。だからミハエル殿下のご同伴に」


 思わずホールの中央に向かって走り、歓声の上がる方を確認する。

 本当だ。豪奢な金髪に正装のお姿がまばゆいほどにお美しい。王位後継の第一位のミハエル王子だ。今、社交界で最も輝いているお方が会場に姿を現していた。

 その傍らには、生徒会長のウリエル王子もいた。

 おかしいわ。生徒会長がご自分のテーブルを空けるなんてあり得ない。聖王家のテーブルとなれば、ご挨拶だけでもと客が列を作っているはずだ。それを放置してまで、どうしてここに。


 ……もしかして、私のテーブルに!?


「あなた達! 早くテーブルの上を整えて! ミハエル殿下たちがお見えになるわ」

「はい!」

「風香乱花の用意をしなさい。急いで!」


 五指たちに激を飛ばしながら、自分はドレスの裾を引っ張ってシワをのばす。ああ、なんて事かしら、あらかじめザトキエル伯爵夫人で練習できて良かった。あれで加減はつかめたはずだ。次は絶対に成功させる。

 ミハエル殿下たちが進むのに合わせて、人だかりが左右に道をあけていく。だんだんこちらに近づいてきた。

 いよいよだ。いよいよ、私が社交界に花を咲かせる時がきた。

 殿下の顔が見えた。お美しくも凛々しい顔立ち。一歩前に進み出て、ドレスの裾をつまみ、お迎えするために腰をかがめた。


「両殿下。ようこそ、イジヴァルのテーブルへ。わざわざお越しいただき、誠にありがとうございます」


 ……。

 …………。

 返事はいつまでたっても帰って来ない。

 長い会釈のせいで足が痙攣をはじめた時、周囲がざわめく声が鼓膜を突き刺した。


「どうして、スズリ家のテーブルに……」


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